不意に虫たちがなきはじめ、カエルが繁殖期のためか特にうるさく啼きたてる。夕焼けがだんだん妙な風に蒼んで来て、秋の黄昏は幕の下りるように早く夜に変わった。女子寮前の灯がうすい靄につつまれて、秋の夜風が身にしみるようだ。空には星が幾つも流れて行く。
女子寮の見回りを頼まれた私達は、二手にわかれてくまなく当たりを回ることにした。俺は用具室を葉佩から守る義務があるんだと決意表明している皆守から根回しメールがあったので私はライト片手に回ることになった取手を待っていた。
「やぁ….....、江見君、こんばんは。お待たせ」
「こんばんは、取手。気にしてないよ、やっちーからメール来て驚いただろ。大丈夫だったか?」
「今日は......バスケの練習もピアノの練習もなかったからね......。八千穂さんは大事な仲間だから、力になれてうれしいよ......。君は、調子はどうだい?」
「みんなに言われてるけど大丈夫だよ。異常かもしれないけど、これがオレの正常だ」
「江見君......」
「父さんがいきなり現れるなんておかしい。きっと《生徒会執行委員》を焚き付けてるやつらに利用されているんだ。葉佩九がいう誇り高き宝探し屋がそんなことするわけないからな」
取手は安心したように笑った。
「そうか。それは良いことだね。君は強いな......自分をしっかりと保っていられるんだ。でも体調は気をつけた方がいいよ......。具合が悪いと考え方もどんどん悪い方向へ進んでいくからね…......」
「心配してくれてありがとう」
「これは僕がとても実感したことだからね......。葉佩君や八千穂さんのような、いつも元気で明るい、性格がうらやましいよ......」
「なんか、嫌なことでもあったのか?あ、まだ新島の事件がやばいなら寮に帰った方が......」
「いや、違うんだ......。あのあと、《遺跡》に椎名さんと潜る時があって、あの黒い液体について、教えてもらったからね......。もし、またあの化け物が出たら、僕は力になれると思ったのさ......」
「あー、うん、たしかにね」
「実績があるからね......」
主に新島という名前の。どうやらジョークを飛ばせるくらい元気にはなっているようだ。
「もし、気分が落ち込んだら、音楽を聴くと心が落ち着くよ。よかったら今度音楽室に来るといい......。練習曲で良ければ聞かせてあげるよ」
「ありがとう」
「ふふ。さすがに10月に入ると寒いね......毛布でも持って来た方がよかったかな」
「でも不審者か宇宙人がいたら邪魔になりそうじゃないか?」
「それもそうだね」
雑談に興じることにした。
「ところでゲームってするのかい、君」
「ゲームか、こっちに来てからはやらないなあ。RPG大好きなんだけど」
「そうか。僕は謎を解いていくゲームなんかは頭の運動にもなって、楽しいよ」
「脳トレみたいな?」
「いや、脱出ゲームかな」
「へえー。オレはやったことないなァ。ゼルダの伝説なら好きだな、オレ」
「ああ、面白いよね、ギミックが凝ってて。なるほど、君はああいうのが好きなのか。たしかにRPGだ」
この話題なら盛り上がれると思ったんだ、と取手に言われてしまい気を遣われたことをしる。
そして満月が顔を出した。
犬の雄叫びが響き渡る。私たちはライトに照らしてみた。
「誰かいる。いってみよう」
「あ、待ってくれ、江見君。一応、葉佩君たちにも連絡をするから。1人じゃ危ない」
「え、ああ、そうだね」
取手がメールを送るのを待ち、私たちは《墓地》に続く森に侵入を試みた。
「なんだか今日は特に冷えるね......」
「うーん、いくらなんでも寒すぎないか?まだギリギリ9月なのに」
凍てついた空気により白くなる息を吐き出しながら、私達は進んだ。風のない凍てる夜、《墓地》に続くはずの森はどこも凍りついている。辺りはしんと冷えている。妙に冷え冷えとしている違和感により警戒心をふるいたたせながら、ライトをもつ手に力がこもった。
いつもの早朝のマラソンだってこんなに冷たい空気を肌に感じることは滅多にない。おかしいな、天気予報ではこんなに真冬を思い起こさせるような鋭い冷たさの警告はしてなかったような気がするのに。
寒気で五臓まで締め付けられるような氷点下と勘違いしそうな酷寒の中で、私達は確実になにかいると感じていた。
月の光がいよいよ冷たさを増すかのように輝きながら降りてくる。
その先で私達は凍りついている犬を見た。いや、正しくは浮遊している立方体から照射される光により一瞬で凍りつく犬の化人だ。《遺跡》から脱走したのかと思ったが、黒い液体が次々と化人を生成しているのが見えたから、あの立方体を攻撃していることがわかる。その立方体を操作している人ならざるものをみて、私達は息を飲んだ。
「......七瀬さんがいっていた宇宙人だね......」
「そう、だね」
どこをどう見ても《遺跡》に眠る超古代文明産の鉱物を持ち帰ろうと侵入をこころみるミ=ゴたちと全力で抵抗している化人たちの構図です、ありがとうございました。うっわ、近づきたくねえ......。
ミ=ゴたちは邪神を信仰する精神構造をしている上に人体改造に関してなんの躊躇もしないから関わろうとしなければ無害なんだよな......。下手に関わろうとする探索者たちが痛い目をみるパターンなわけで。
どうする?と無言で見つめあう私達を後目にミ=ゴとショゴスの熾烈な争いは激化していく。
「あッ......人が......」
「えっ」
取手の声につられて見てみると、ふらふらという足取りで明らかに夢遊病と思われる生徒たちがそちらに歩いていくのが見えた。月明かりに照らされる顔ぶれに私は目を見開いた。
「......あの時の一年じゃないか」
「えっ、知り合いかい?」
「椎名さんに粛清されかけた男子生徒だよ。黒い液体上から被ったけど瑞麗先生の処置で新島みたいになることは避けられたはずなんだけどな。なんでここにいるんだ?」
「まさか、黒い液体を取り除ききれなくて、あの液体に呼ばれたとか?」
ちら、と取手が携帯を目にする。どうやらバイブレーション設定にしていたらしい。
「あ〜......ありそう。まずいな、大変だ。このままではあの生徒たちまで凍ってしまう。どう?葉佩たち来れそうだって?」
取手は首を振って携帯をしまった。
「......だめだね......葉佩君たちは不審者を追いかけている途中みたいだ......」
「やっぱり覗き魔は別にいたんだ?じゃあ仕方ない、オレたちだけでやろうか。どうみても黒い液体に呼ばれてる。止めようとしても難しそうだから、あっちを叩こう」
「そうだね」
私達は茂みに隠れながらミ=ゴたちに近づいていく。そして、私は電気銃を手にした。狙うのはミ=ゴが苦手とする犬の化人対策に設置していると思われる立方体だ。心配そうに見守る取手を待機させながら、私は狙いすました一撃を放った。いきなりの敵襲に驚いたのかミ=ゴたちがあたりを見渡す。次々と立方体を故障させていくと、冷気から開放された犬の化人がミ=ゴたちに襲いかかる。ここからはもう阿鼻叫喚だ。私たちはあわてて立ち往生している生徒たちのところにむかう。ショゴスは司令を下すどころではないようで、次々と倒れてしまったからだ。
「おーい、おーい、大丈夫か?」
ミ=ゴたちを監視しながら私は近くの男子生徒を覗き込む。揺さぶってみたが微動打にしない。さいわい息はあるようだから一安心だが。
「だめだ、気を失って......」
「江見君、下がっていてくれ」
「え?」
私の前にオーケストラを前にした指揮者のような構えをする取手がいた。
「見せてあげるよ。僕の≪力≫を。この曲を聴かせてあげよう」
ミ=ゴたちはブザーのような悲鳴をあげながら混乱しているのか明らかに動揺しているのがわかる。そうか、取手の《力》は音波属性だから装甲無視の貫通攻撃な上にNP吸収だからミ=ゴにとっては相性が最悪なわけか。しかも拡散する波動によりショゴスとの戦闘で疲弊していた中には倒れてしまう個体も現れた。
「ありがとう、取手」
私は男子生徒をかばいながら電気銃をミ=ゴに向ける。あちらにも麻痺効果がある電気銃があるはずだが、似て非なるものなはずだ。それがわかるのか、明らかに私の武器に反応しているのがわかる。私が連射した攻撃により麻痺、もしくは重症を負った個体が次々と犬の化人に食い尽くされていく。よし、狙い通りだ、よかった。
「問題は黒い液体だけど......」
取手と私が見守る中、破片のひとつも残さないままショゴスは《墓地》に向かっていく。どうやらおなかいっぱいになったか、敵対勢力を撃退できたからか、いなくなってしまった。
「よかった」
「なんとかなったな、お疲れさま」
なんとなくハイタッチをして、私達は男子生徒たちを起こしにかかる。目が覚めたあたりで夢遊病に悩まされているという話を聞かされ、是非とも瑞麗先生に相談して病院に連れて行ってもらえと伝えて、寮に帰した。そして証拠になるからと電気銃で破壊された立方体と鉛色をした塊をひとつずつ寮の自室にもちこみ、残りは全部葉佩に渡すために《墓地》にいくことにした。