腐向け


「翔チャンッ、逢いたかったよッ!!」

「なあ、九龍。昨日俺の部屋に泊まったじゃないか。なんでそんな10年振りの再会みたいなノリなんだよ」

「そんなの俺がそう思ってるからに決まってるだろッ!お前のおかげで俺の尊厳は守られたんだッ!」

「……あー、そうか。おつかれさま」

「ありがとうッ!」

今日はいつになく葉佩九龍のスキンシップが激しいことに皆守は違和感を覚えていた。それに江見が葉佩を名前で呼んでいる。昨日の葉佩はたしかに様子がおかしかったが今日はどうやら普通なようだ。

「よぉ」

「あ、おはよう、皆守」

「......なに怒ってんだよ、九龍」

「ふ〜んだ、知らないんだ〜、俺のこと信じてくれなかった皆守なんて親友でもなんでもねえやッ!」

「なんの話だ」

毎日毎日同じ台詞を言われては抱きつかれていたお陰で、既にそれは毎朝の行事と化してしまったせいか、いきなり愛称から苗字呼びになり、スキンシップなしになると猛烈な違和感を感じてしまう。いわゆる物足りなさというかもやもやというか、絆されてしまった時点で手遅れだが皆守には自覚がなかった。普段抱きつかれたときも露骨に嫌がることすら疲れたようなため息を漏らすだけで葉佩の抱擁から逃れようとはしなかったのがなによりの証拠である。

「なんかあったのか、翔」

「昨日、月魅が九龍だっていいはらなかったか?」

「あァ......あの悪ふざけか」

「意外だな、オレの事情に気づいてる癖に昨日九龍の身に起こった事故に気づいてやれないなんて」

「..................いま、なんて?」

「翔チャンがいったとおりだよッ!ぜんっぜん信じてくれなかったじゃないかッ!助けてくれたの翔チャンだけだったぜ!」

長い長い沈黙の間にも江見は葉佩にべたべたと身体を触られている。されるがままだ。ああはいはいと適当にはあしらっている。

「あはは、九チャンったら今日も元気だね〜。おはよう!」

「おはよ〜やっちー!」

今度は八千穂のところに葉佩がとんでいく。

「まじか」

「まじだよ」

「じゃあまさか、あの時の七瀬は九龍?」

「そうだっていってるじゃないか」

じとり、と皆守は汗をかくのがわかった。固まっている皆守の隣で笑っている八千穂も葉佩を止めるつもりはないらしく、呑気な感想を口にするだけで動こうとはしない。

だらしのない笑みを浮べながら男子よりは控えめなスキンシップを求める葉佩に、くすぐったいよ!と八千穂は笑う。

そして葉佩はまた慰めてくれと江見に抱きついた。

皆守は流石に我慢の限界が近づいたのか徐々に拳に力の入ってきている。胸に黒く重く固まった感情がゆっくりと降り積もっていく。

「九龍、いいかげん機嫌直してやりなよ。皆守が嫉妬魔神に進化するぞ」

「なッ!?なにいってんだ、翔ッ!」

「だってそうじゃないか。アロマ吸いすぎだよ」

「───────ッ」

その感情の名前は分かっていた。けれども、それが誰に向けられた感情なのかが皆守には分からない。過剰に江見に触れる葉佩へか、それともいつの間にか「助けて欲しい」という叫びを父親ではなく葉佩に向け始めている江見へか。そこまで執着心を抱かせる理由はなんなのか、まるでわからなかった。もしくは、そのどちらもだったのかもしれない。そうだとすれば、本当に忌々しい事だが。このつまらない世界に自分が心惹かれることなど、もう二度とないと思っていたのに。

しかもよりによって片方は男で片方は男でありながら女なんてふざけた生き物で。

徐々に苛立ちを孕んでいく皆守の視線に気付いたのか、葉佩はふと視線をこちらへ向け、意味深に微笑む。
江見に執拗になぐさめてくれと迫る自分に皆守が嫉妬したとでも思ったのだろう。

にやにやと非常に楽しそうな笑みを浮べながら、葉佩はより一層強い力で江見を抱きしめた。


「……っ、葉佩力込めすぎだって。大変だったのはわかってるから、痛いいたい」


江見はまるで気づいていなかった。さすがにその強さは耐えられるギリギリのものだったのか、江見の眉が苦しげに顰められる。身動きも取れなくなってしまったらしく、勢いのない手がたしたし葉佩の胸を叩き、ささやかな抗議をしている。

葉佩は意図的に無視した。そんな二人の様子を見ている内に、凝り固まった感情に耐えられなくなった皆守は苛立たしげに舌打ちをすると、江見から葉佩を乱暴に引き剥がした。皆守の行動が意外だったのか、軽く瞳を見開いた江見の態度は気に入らなかった。江見は皆守が葉佩に惹かれていることだけは把握しているのだ。


「ありがとう、皆守」

「気にすんな、うるさかっただけだからな」

床に倒れた葉佩を足蹴にしてやると、葉佩からは当然のように非難の声が上がる。だが皆守が睨み付けてさらに力を込めてやるとやばいと本能が悲鳴をあげたのか葉佩は素直に抗議する事を止めた。

普段から葉佩のふざけた行動に痺れを切らした皆守が「おしおき」をしている効果は着実にでているのだ。

それに少しだけ満足し、僅かに表情を緩めた皆守を見て、江見が意味深に笑った。


「よかったな、皆守」

「なにがだ」


真っ直ぐに自分を見つめてくる江見から目を逸らしながらそう答えると、視界の端に江見が素直じゃないんだからという顔で苦笑しているのが目に入った。

出会った当初は、自分の領域にこちらを立ち入らせる事を拒むように貼り付けた笑顔を浮かべ、薄っぺらい上辺だけの優しい素振りを装い。義務的とすら思える程に模範的回答を口にするだけだった。敵意には敵意で答えるが、なにもしなければなにもしないやつだった。今では妙に無防備に心を曝け出し、口数も大分増えている。明らかに葉佩九龍に対する態度は周りとは違っていた。江見の変化も、そして自分の変化も、他ならない葉佩がかかわり始めた結果なのだろうと思うと、再び胸に苛立ちが募る。

やはり、その苛立ちがどちらに向かっているのかは分からなかった。

「……え?」

衝動的な行為の被害者である江見は皆守の余りにも意外な行動に呆気に取られたらしく、こちらもまたらしくもない間抜けな声を上げる。瞳を見開き、じっと皆守の顔を見つめてくる姿は葉佩の言う通り、可愛いと言えなくもない。

男の体にむりやり詰め込まれた女の精神ていうのは、半年でなれるらしい。最近の江見翔は猫を被らなくても自然な態度をとれるようになってきている。それは無表情の時代をしっている皆守には、うまいこと接続できたラジオのようなイメージしかわかないが、これが本来の江見翔なのだと思うとよかったとも思う。

自分まであの馬鹿と同じ事をしてどうする、とも思ったが、動いてしまったものは仕方がない。未だ床の上に倒れている葉佩にわざと見せ付けるように江見の腰を抱いた。するとすぐに、期待通りの反応が葉佩から返ってくる。


「ああああああああ───────ッ!!なにしてんだよ、皆守ッ!セクハラッ!!!」

「何って、お前と同じ事だろうが。何か文句でもあるのか?」

「あるあるある大有りだ馬鹿野郎!!あああ、それは俺だけの特権なのに〜!!」

「というか待て九龍。いつから翔はお前のものになった?」

「そんなの決まってるだろ、出会った瞬間からだ!翔チャンは俺のこと世界で1番しってるんだからな!」

「嫌な運命だな」

「うるさい!お前にだけは渡さないからな!」

余程皆守の言動が気に食わなかったのか、息継ぎもロクにしないで文句を並べ立てた所為なのか、若干息を乱しながら葉佩は皆守に指を突きつけ、そう宣言した。

普段は途中で譲や皆守の文句なりなんなりで口論は途切れるのだが、今回はそれもない為に葉佩の好き勝手な言葉を止める者はいない。

つまり、いつも迷惑をかけさせられっ放しだった皆守にとって、復讐する絶好のチャンスだった。

「……どうだかな。結局、選ぶのはコイツだろ?なあ、翔ちゃん」

「…………!!」


口元に笑みを浮かべながら腕の中に居る江見の耳元へ唇を寄せ、名前を囁いてやる。それまで硬直していた江見の体がいっきに熱を帯びるのがわかる。顔を覗き込んでみると、悔しさや羞恥や怒り、戸惑い、様々な感情が入り混じった所為で赤くなっている。

いつもいつも涼しい顔をしている江見の顔を崩すのが皆守は好きだった。それが皆守の気の所為だとしても、そんな仕種は普段の江見が絶対にしないだろう仕種なので、それだけでも充分に葉佩を煽れる材料であるのは間違いない。

葉佩は驚愕と嫉妬の入り混じった複雑な表情をしている。そして、今この瞬間だけは江見の頭からは葉佩の事などすっかり抜け落ちてしまっている。

それだけは確かであって、皆守にとって最も重要な事なのだから、後はどうなろうと皆守の知った事ではない。誰にも吐露する事の出来ない嫉妬心を癒したかっただけなのだ。

それにより発生するだろう葉佩の子供っぽくも過激な報復なら、耐える覚悟はある。だから今だけは。

「皆守〜ッ!」

葉佩が追いかけ始める。

「うっそだろ、お前ら......」

江見のつぶやきだけは否定しなければならないなと考えながら皆守は走った。
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