10ヶ月ぶりに元の世界に帰ってきた私は、探索がはじまる夕方から半日という制限時間のあいだにどうしても行きたいところがあった。それはとある神社である。
神社の狭い石段を登って行く。振り返ると遠く、線路や家々がシルエットになって見えた。巨大な夕焼けが目前に横たわっている。
人のたくさん来るような観光神社ではなく、遥か昔から鎮座している荘厳な雰囲気の神社だった。山中のように静寂が深い。君の名はの小説版の聖地としてちょっと有名になったころに地元にあることを知ったものの、いったことはなかったのだ。
市等の文化財にもなっていないのは、明らかでないことが多く、社伝が残っている程度だからなのだろう。訪れてみて、個性のある神社で驚いた。
本殿は大きな岩の上にあり、参道から本殿に行くには鎖場を通らないといけない。本殿と拝殿は昭和8年に建て替えられたもので重厚感があり、周辺の自然も力強い生命力を感じる。とても印象に強く残る神社だった。
境内南東の鳥居をくぐると拝殿がある。拝殿の右奥にある岩山が、甕星香々背男(アマツミカボシ)の荒魂を鎮めたとされる宿魂石(しゅくこんせき)であり、その山上に建葉槌命(タケミカズチ)を祀る本殿がある。宿魂石の北西側には甕星香々背男社がある。
境内の北側、国道6号に面して大鳥居があるが、こちらは裏参道にあたる。境内社として稲荷神社、大杉神社、八坂神社、天満神社がある。宿根石上の本殿への参道、鎖場になっている。
日立市史では雷神石と宿魂石は同じものとしている。
そう、ここは日本書紀にでてくるアマツミカボシを封印した石があることで知られる神社なのだ。
伝説では、石名坂の峠の石が巨大化して天にまで届こうとしたのを、静の神が鉄の靴を履いて蹴ったところ石が砕け、かけらの一つが河原子(日立市)へ、もう一つが石神(東海村)に落ちたといわれている。
創建は紀元前660年。最初は大甕山山上に祀られたが、元禄8年水戸藩主徳川光圀の命により甕星香々背男の磐座、宿魂石上の現在の地に遷座され、久慈、南高野、石名坂三村の鎮守とされたらしい。
その名は大甕神社(おおみかじんじゃ)だ。
ロッククライミングに行くつもりでいけとネットにはあったので、運動靴でいったのだが、たしかに公開されていた写真にあった御神体といわれる岩は岩というよりもはや崖だった。
そのはずなのだが......。
「ない......」
立ち入り禁止のテープが張り巡らされていて、そこにはなにもなかった。忽然と姿を消していた。ネットで調べて見たが、原因はわからないらしい。一夜にしてなくなったという。
「俺も驚いたよ、話に聞いてたのが全然ないんだから」
「!」
私は弾かれたように顔を上げて振り返った。そこには江見翔、いや正真正銘、本物の時諏佐慎也がいた。
「驚かせたみたいでごめん、まさか天野さんがここにくるとは思わなかったんだ。はじめまして、でいいのかな?俺は時諏佐慎也。よろしく。いやあ......面と向かってドッペルゲンガーに話すのも変な感じなんだけど」
「君が......?そっか、はじめまして。元気そうでよかったよ。私は天野愛。よろしくね」
「うん、よろしく。でもいいのか?10ヶ月ぶりに元の世界に帰ってこれたのに。家族とか友達には会ったほうが......」
私は首をふった。
「今の私はただの天野愛でしかないもの。いくらアマツミカボシの《力》が使えるようになったところで、こちらの世界は《氣》や宿星の概念が存在しないのよ?ただの人間である以上、また《天御子》に襲われでもしたらイスにまた迷惑をかけちゃうし、誰も巻き込みたくはないもの」
「そっか......」
「そう。色々考えたんだけどね、どうしても気が進まなくて」
納得させるように私はわざと声に出すのだ。
五十鈴に事情を聞かされたとき、私を襲った感情は忘れようがないほど強烈なものだった。怒りでも無く、嫌悪でも無く、悲しみでも無く、もの凄すさまじい恐怖心だった。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感じるかも知れないような、四の五も言わさないような古代の荒々しい恐怖心だった。
その夜から私の狂気ははじまったといっていい。すべてに自信を失い、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠に遠ざかろうとさえしていた。今でこそ回復しているが、思い出すことはすぐにできる。それだけ魂に刻まれた傷は深いのだ。
私の告白を聞いた慎也は苦笑いしている。
「どっかで聞いたことがある話だと思ったら、俺だっていうあれだよ......あはは」
「えっ、じゃあ、慎也君がジェイドさん以外誰にも相談しなかったのはもしかして......」
「似たもの同士だね、俺たち」
「精神交換は魂の性質が似たもの同士じゃないとできないらしいしね」
「なるほど......。実は俺がここにいるのも似たようなものでさ。俺の世界だとどこにいても《天御子》にバレちゃいそうで嫌だったんだ。天野さんが《宝探し屋》してる間、天野さんの体で調査してたイスから報告が入ってさ、まさかと思ったらこれだよ」
「まさか......私が......」
「いや......それは違うと思う。天野さんが《アマツミカボシ》の転生体なわけだから、ここから宿魂石を奪ったところで単なるマジックアイテムにすぎないよ」
「でもかなりの大きさじゃない?」
「そうだね......ちょっとした儀式くらいなら余裕で出来そうなくらいだ。痕跡からですら、かなり霊力を感じるから。今の天野さんなら《氣》を見ることもできるんじゃないか?」
「───────......これは」
「気づいた?」
私は無言のままうなずくしかない。
「俺のこの体はイスが用意した義体だから《如来眼》はないけれど、魂の記憶が覚えているからわかるんだ。見えないけどわかる。これは間違いなく」
「《天御神》が持ち去ったってこと......?」
「何を企んでるんだろうね、まったく......」
「これじゃあ、やっぱり全部終わらないと帰れないってことじゃない......」
「そうなるね......」
私たちはため息をついたのだった。神社の境内に残された宿敵による襲撃の痕跡と禍々しい氣の残滓。全てがこれからなにか不吉なことが起ころうとしているという暗示にほかならない。
「今更アマツミカボシを復活させて何を企んでんだか......」
思わず愚痴のひとつも吐きたくなる。そしてふと気づいた私は慎也をみた。
「ねえ、やたら詳しいけど私が《宝探し屋》をしている間、もしかして慎也君は《天御子》の動向を追いかけて、あっちこっちの次元に飛んでたの?」
「え?ああうん、そうだけど?」
「えええっ、五十鈴はそんなことなにも......」
「あはは、俺が止めたんだよ。天野さんには自分のことに集中してもらいたくてさ。俺の願いはこの義体をイスから提供してもらった時点で叶ってるんだ。あとは《天御子》をどうにかするだけなんだから、やるべきことはどんどんやらなくちゃいけないだろ?」
「慎也君......」
「あとは俺の身体をイスに提供して、姉ちゃんが《如来眼》を継承できるようにして、天野さんがこの世界に帰還できれば全部終わるんだ。それまではがんばろう」
「そうよね、うん。正直気が遠くなりそうなんだけど、やるしかないわよね。《天御子》に脅えて一生を終えるのは嫌だし、死んだところで魂捕まったらいよいよ逃げ場がなくなるし。ひとりなわけじゃないんだから、なんとかなるわ」
「天野さんが話のわかる人でよかったよ。これからよろしくな」
「うん、よろしくね」
私は慎也と握手を交わしたのだった。