虚人たち13

黒い雪が降りしきる中、私たちは講堂に向かった。まずは状況把握をしなければならない。私は《如来眼》を発動した。

《私の身体に宿る星よ。どうかこの場の氣をこの瞳に映らせたまえ》

無意識のうちに紡がれた言葉は、この体の記憶に頼っているからである。私の瞳はおそらく黄金に輝き、人外じみた輝きを放っている。H.A.N.T.で解析したら《魔人》と同じ氣が私の体内を巡っているはずだ。

「どう?翔チャン」

私は解析結果を葉佩に伝える。

目に見えないエネルギーを氣と呼んでいる。氣は、大きく分けて、《天の氣》《地の氣》《人の氣》の3種類に分類される。中国には、《天地人三才》という風水の原理があり、《天の時、地の利、人の和》をとても大切にする。

それは天の陽氣と地の陰氣とが調和することによって、人の氣が生成されるとする思想だ。

天は理であり、氣である。遠くから視れば蒼蒼としているので、蒼天という。天を主宰するものを帝という。天が実際に活動する姿を鬼神(目に見えない、人間離れした優れた能力をもつ神霊・この世界を創造したとされる神)という。

天の本元の性精(氣)を乾という。宇宙の根源の一太極が分離して、清く軽いものはのぼって天となった。これが陽である。濁って重いものはくだって地となった。これが陰である。中ほどの調和した氣は人となった。これを天地人の三才というのだ。

つまり、関係は以下のようになる。

天:上部、浅い位置・・・天の陽氣と感応

人:中部、中位の深さ・・・天地陰陽の中和の氣と感応

地:下部、深い位置・・・地の陰氣と感応

具体的には《天の氣》は、太陽・月・惑星などの宇宙の天体が発する氣のこと。《地の氣》は、人間が暮らすこの大地が発する氣のこと 。《人の氣》は、人間が発する氣のこと。

これら3つの氣のどれかひとつでも不足したり、良い氣でなかったりすれば、人間のどこかに影響が現れると言われ、無意識のうちに3つの氣のバランスを保つことで人間は生きている。

《人の氣》は主に3つのエネルギーからなる。

まずは生まれもって備わるエネルギーたる《先天的なエネルギー》、無限ではない。生まれてから、死ぬまでの決まり決まったエネルギーであり、日々の生活で失っていく。

つぎに、生まれてから、自身の行動により備わる《後天的なエネルギー》。生活環境、対人関係、学びなど、行動力により変化しながら養い、消耗し、また補いながら、先天的エネルギーをサポートしている。

そして、個々の思考より生まれる意志と、調和のバランスによる《中心エネルギー》にわかれている。

今、この學園は龍脈が活性化しているためにバランスが非常に不安定な中、《地の氣》が著しく濃くなっている。そこに喪部銛矢が天候を操作して《天の氣》が少なくなるように操作されている。だから《地の氣》が過剰にこちらの空間に流れ込んでいるのだ。私はさすがに《天の氣》を操作できないため、近くにある《陽氣》そのものをこちらに流そうとしているのだ。

「どうにかなりそうだよ。あんまり長くは期待できそうにないけどね」

「出来るのと出来ないのとじゃ大違いだから。ありがとう、翔チャン」

葉佩は笑った。

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》
 
《飢えたか。欲したか。訴えたか》
 
《ならば、くれてやろう。受けとれ》
 
《そして、ようこそ》
 
《いあ いあ はすたあ はすたあ》

《あい あい はすたあ》

風の属性があるというハスターの力も借りながら、私は邪神を讃える魔導書からえた呪文を唱える。

《如来眼》の世界には緩やかに《陰氣》ばかりが流れ込んできた空間に《陽氣》が注がれ、やがて中和されていく。これで妖魔がさらに連鎖して湧いてくることはないはずだ。あとは強化されてばかりだったステータス上昇が抑えられるはずである。

私は物陰にかくれで講堂内を解析する。

「《魔人》じゃない......これは《力》に飲まれてなり損なった《鬼》だよ」

「えっ、喪部みたいな!?」

「喪部も《鬼》だったけど、あいつは《鬼》のニギハヤヒを降ろしてる上に《魔人》でもあったから、あれよりは弱いはず。でもダメだ......もうマッケンゼンは人間に戻せそうにない......」

私の眼はマッケンゼンの氣がキュエイとよく似た氣になっていることを知らせてきた。あわよくば人間に戻すことが出来れば弱体化が狙えるんじゃないかと思っていたが、この姿になってからだいぶん時間がたっていたために後戻り出来ない所まで来ているらしい。舌打ちした。

私は氣の特徴と瑞麗先生から転送されてきた夷澤のメールから外見を伝えた。すると反応したのはジェイドだった。

「まさか......喪部銛矢の奴、今度は有名どころの鬼に変生させたのか?」

「有名どころって?俺、鬼全然知らないんだけど」

「酒呑童子とか?」

「鬼って言われても桃太郎しかでてこないんだが」

「すまん、拙者も不勉強ゆえわからぬ......神鳳殿ならわかるのではないか?」

「よし、聞いてみる」

葉佩はメールを打ち始めた。ほどなくして神鳳から返信がきた。硬い体で矢をはじき返してしまう鬼、大風で講堂の天井を吹き飛ばす鬼。洪水で敵を溺れさせる鬼、姿を隠しながら、とつぜん敵に襲いかかる鬼。今のところ4体確認できるのだという。

「なるほど......やはり太平記に出てくる鬼だな。天智天皇の時代に藤原千方という男が反乱を起こし、金鬼、風鬼、水鬼、隠形鬼という四匹の鬼を使役したと伝えている。人智を超えた力を持つ四匹の鬼によって、千方を討伐しようとやって来た朝廷軍は、苦戦をしいられた。その鬼たちによく似ているな」

「どうやって倒したかわかる?」

「紀朝雄(きのともお)という男が反乱の地にやって来て、一首の歌を詠んだんだ」

「歌?」

「歌ってあの和歌か?」

「そう。草も木も我が大君の国なればいづくか鬼の棲(すみか)なるべき。この国はすべて天皇が支配しているのだから、鬼の居場所はどこにも無いぞ、といった意味だ。朝雄の歌を読んだ四匹の鬼は「わたしたちは悪逆非道な臣下に従って、善政有徳の君主に逆らってしまったから、天罰から逃れることはできない」と悟って、その場から立ち去ってしまった。千方が四匹の鬼を失ったことで形勢は逆転し、やがて千方は朝雄に討たれたという」

「本家はわりと話がわかるやつなんだな〜。でもマッケンゼンが変生してる上に、まだ自我が残ってるっぽいし、その和歌って効果ある?あいつ外国人だぜ?」

「術者が喪部銛矢だからな、キュエイの時より容易いんじゃないか?」

「そっか......」

「その和歌をしたためるには時間が無いが、鬼に属性があるなら、破邪だけでなく属性攻撃もダメージが見込めるはずだ」

ジェイドのアドバイスに葉佩は力強くうなずいた。

「九ちゃん、頑張って」

「おうッ!」

講堂に突入した葉佩たちを見送って、私は祈るように黒い雪が降り続く空を見上げた。心から祈った。正確な祈りの言葉こそ持たなかったけれど、私の心はかたちのない祈りを宙に紡ぎ出していた。祈ったところでろくなことをしてくれない神しか私は知らないわけだが。

私はまた詠唱を開始する。これが今の私にできることであり、私にしかできないことである。するべきことを遂行してからこれからのことについて考えるべきだ。感情や思考は極力排除して私はエイボンの写本で学んだ呪文をひたすら口にし続けていた。

講堂からはずっと雄叫びが聞こえている。
 




断末魔の絶叫が鳴り渡った。それは長く長く尾を引きながら消えていく。聞いている者の心臓を虚空に吊るし上げる程の叫びだった。臓腑をドン底まで凍らせずにはおかないくらいタマラナイ絶体絶命の声。これから先、何千年、何万年、呼び続けるかわからない真剣な、深い怨みの声。おそらく、ずっと頭のどこかに巣食うに違いない。仲間に裏切られ、自我を保ったまま、変生させられた男の末路は、《鬼》になった人間となんら変わらない。

《陰氣》に肉体が耐えきれなくなり、自壊していくのだ。そして肉体は一瞬にして土に還り、講堂には男4人分の砂が残された。あるいは《レリックドーン》の兵士の武装が転がった。《如来眼》は、天に昇るはずだった魂たちが何故か龍脈の流れに乗って漂い始めたのを捉えていた。その先に待ち受けるのは膨大な氣の渦。あの《遺跡》を通過したその瞬間にその渦に飲まれて消滅した。魂の悲鳴すら聞こえてきそうだった。その氣の持ち主は喪部銛矢以外私は観測していなかった。

その氣の持ち主が學園敷地内から脱出し、堂々と表通りの道から去っていくのを私は見ていることしかできなかった。なにかあったらすぐにでも葉佩に連絡を入れるつもりで、片時も離さず指が白むくらい強く強く携帯を握りしめていた。初めから待機していたらしい車両に乗り込み、喪部銛矢は去っていった。

「......雪が、やんだ。おわった......やっとおわったぁ......やばい、しねるぅ.....」

呪文の詠唱から解放された私は、ようやく安心することができた。息を吐き、葉佩にメールをうつことができる。みんなより後から喜びを分かち合えるのは仕方が無いとはいえ、ちょっと残念だった。

私は一部始終を《如来眼》による解析で目撃することになった。4匹の鬼たちにそれぞれ相性がいい属性、あるいは攻撃方法で戦う葉佩たち。まさに総力戦だった。《生徒会》関係者たちの《力》がなければ、キュエイによる連戦、喪部銛矢との戦いを駆け抜けてきた葉佩もさすがに限界だったかもしれない。葉佩が来てくれると信じて生徒や教職員を守り続けてきた仲間がいたからこその勝利だといってよかった。

喪部銛矢の横槍が入らなくて本当によかった。私は腰が抜けてしまって、講堂前の階段に座り込んでしまう。

講堂はひどい有様だった。全てのガラスを失った窓枠の外装も爆発で吹き飛ばされて見る影もないし、壁は各所でぐずぐずに崩れ落ち、鉄扉はガタガタだ。

のっぺりとしたコンクリートの壁には配線や鉛管がずたずたなまま、ところどころにぶら下がっていた。様々な機械やメーターやスイッチのあとには、それらがまるで巨大な力でむりやりむしりとられたかのように、ぽっかりと穴があいていた。

壁や扉や天井の鉄板があちこちはずれていたので、まっすぐに通り抜けてゆく風の動きを感じることができるだろう。

一晩かけて氣は正常化するはずだ。

「よかった......ありがとう......まじでありがとう、九ちゃん......。これ以上長引いたら......さいあく、意識不明だったよもー......」

もしH.A.N.T.で私を解析したら、きっと死にかかっているに違いない。まさに命をけずってまでやってるわけだから笑えない話だ。

「......えーと......今日は22日でぇ......精神力は......24時間あれば......全快す......よかった......25までには、間に合う......」

緊張の糸が切れて一気に眠気が襲ってくる。大欠伸をしたり、体をバタバタ動かしたりしてみたが体の疲労は半端ないようで、無駄な抵抗はするなとばかりに体が重くなってきた。ぐらりと視界が回転する。あ、やばいと思った時には遅かった。

「───────ッ!?」

頭をぶつけた私は悶絶する。一気に眠気が吹き飛んでしまった。ガヤガヤガヤという騒がしい音がどんどん近づいてくる。

「おい、翔ちゃん大丈夫......って、なにしてんだ、お前」

「やあ、甲ちゃん。精神力枯渇しちゃって動けないんだ。運んでくれない?」

逆さまの世界で呆れ顔の皆守に私は笑いかけた。

「今から体育館で待機らしい。死人が出たからな、暫くは学校閉鎖だろうさ」

「あー......警備員の人たちか......」

「気に病むなよ、呪文を唱える口はひとつしかないんだから」

「そうなんだけどねー......なんか一気に現実が......」

「体調不良なら男子寮のがいいな、瑞麗に連絡しとけ。今、大和んとこにいるんだろ?」

「ああ、うん、そうだった......そうだったよね、会いに行かなくちゃ......」








「さすがは《宝探し屋》といった所か」

「どこがだよ、まんまとしてやられたってのにさ」

「喪部銛矢を逃がしたことを後悔しているのか?だが、悲嘆する事は無い。お前は《宝探し屋》という立場にもかかわらず《生徒会》に情報を寄越してきた。この《墓》を狙う者を排除するために罠をしかける猶予が出来たのだから」

「俺は俺のすべきことをやっただけだ、それだけは自信を持っていえるよ。だから悔しいんだ。今度あったらタダじゃ置かない。それに俺だけじゃないよ。《黒い砂》でずっと手伝ってくれていたのは阿門だろ?」

「......誉めているつもりか?貸しを作る気か?」

「ありがとうっていいたいだけだよ」

「......。よもや《レリックドーン》や《タカミムスビ》の落とし子まで倒してくれるとは思わなかったが」

「まあね」

「よく聞くがいい。この《墓》の《封印》を解くことは───────」

「喪部銛矢から聞いたよ。江見睡院先生助けたからね、《タカミムスビ》の司令塔はあの男だけになっちゃったし。クリスマスあたりには覚悟決めなきゃいけないんだろ?最後まで責任取るよ」

「..................」

阿門はコートを翻して去ってしまった。葉佩は肩を竦めた。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -