見知らぬ明日


私が男子寮の自室にいるのだと理解出来たのは、生活感がまるで無い殺風景な部屋の机に座り、明かりをつけて本を読んでいる男の後ろ姿があったからだ。体を起こそうとすると毛布が落ちてきた。どうやら彼が掛けてくれたらしい。目の前にあるベッドの毛布はないし無人だし、瑞麗先生がおいていった簡易スリッパがない。たぶんこの床におちたのがそうなのだろう。掛布団や枕が丁寧に畳まれた上に置かれている。几帳面さがうかがえる。

「やあ、おはよう。待っていてくれたのに、なかなか目を覚まさなくてすまない。体は大丈夫かい?」

男と目があった。子煩悩な父親のように目を細くして眺めている。

「え、あ、その......大丈夫です」

とっさに敬語になる私に江見睡院は少しだけ寂しそうな顔をした。だが、その顔に気づくやいなや、なんとか取り繕おうとして、やがて諦めたのか苦笑いした。

「やはりそうなのか......いや、そうだよな。江見睡院が先祖が由来のハンターネームである以上、その息子が現れたとするのならその正体は《ロゼッタ協会》の関係者だ。誰だってわかる。私だってわかる。こんなにわかりやすいアピールはないというのに、気づかなくてすまなかったよ。《タカミムスビ》と同化している時、いつも世界は琥珀色の心地よい感覚に満たされていた。麻酔なのか洗脳なのかわからないが、正しく物事が認識できなくなっていた」

「江見睡院さん......記憶が戻ったんですか?」

「.....ああ、そうなんだが......」

江見睡院は申し訳なさそうに首をふった。

「君が目を覚ますまでと思って、《ロゼッタ協会》からパスワードを教えてもらってH.A.N.T.や資料を見せてもらっていたんだ。たった8ヶ月でよくぞここまで調べあげたな。そして、助けてくれてありがとう」

アタマを下げられてしまう。私は首を降った。

「にもかかわらず、だ。ほんとうにすまない。君が江見翔ではないと目の前の資料の山から事実ではあると把握はできたんだが、まだ理解も納得も正確にできないようだ。どうしても江見翔といういもしない我が子に対する感情で動いてしまう」

「自分の今の状況について、客観的に理解できる上に冷静でいられるだけすごいですよ。18年間もあなたは《タカミムスビ》の傀儡として《遺跡》に囚われてきたんだ。精神に何らかの異常がでるのは当たり前です。再起不能になることだって覚悟してたのに、こうしてまた話が出来てうれしいです」

「そんなんじゃない......。ただ現象として私が置かれた現実を、いま私が認識したに過ぎないだけだ」

「《宝探し屋》として?」

「ああ......そうだね。《宝探し屋》としての本能からは逃れられない」

「でも、だからこそ、あなたは助かった」

「ありがとう。本当にありがとう。ただ......その、やはりダメだな......君が私に敬語を使うのは当たり前の行動だとは思うんだが、ダメだ。心が追いつかない」

私は笑ってしまった。

「あはは......そっか。なら、いつもみたいに話すよ、父さん。父さんが《ロゼッタ協会》のスポンサーが運営する病院で入院して治療が終わるまでは付き合ってあげる」

「......ッ!」

わかりやすいくらい嬉しそうな江見睡院に私は笑うしかない。

「本当にありがとう......翔は親孝行な息子だな。父さんの自慢だ。こんなおっさんを父さん呼ばわりする羽目になったというのに、終わりにできなくてごめんな」

「オジサンて。18年前と全く姿が変わってないんだから、見た目は20代後半のままじゃないか。鏡見た?」

「それでもだよ。翔はなかなか複雑な経歴の持ち主だと五十鈴からデータをもらった。下手したら同年代じゃないか。しかも女性だとは......」

「あはは......よく言われるよ」

「私を頼りにしたいからこその任務達成なんだろう?リハビリは長い戦いになりそうだが、かならず復帰して力になる。それまで待っていてくれるかい?」

「もちろん、期待してるよ父さん。オレが江見の2代目だって噂、さっさと帳消しにできることを祈ってる」

「ありがとう。翔に助けられたことは二度と忘れない。もちろん共に任務を達成してくれた葉佩君のこともだ。H.A.N.T.のセキュリティに関しては、私の件について吟味するよう伝えておいたよ」

「えっ、そんなあからさまに圧力かけるの?」

「何を言っているんだ、あたりまえだろう?天香學園の《九龍の秘宝》自体は私自身に施された《遺伝子操作》や《タカミムスビ》の落とし子と融合していたときの残滓がある。私自身が秘宝の状態だ。撤退命令が出ているのはその証だ。にも関わらず翔も葉佩君も《九龍の秘宝》を持ち帰るつもりなんだろう?ならばそれなりの評価をすべきだ。違うかい?聞いたぞ?最後まで責任を取ろうって決めたそうじゃないか」

「ああ、うん、それはそうだけどさ......《タカミムスビ》放置したら《遺跡》の封印がとけて東京が壊滅的な被害をうけかねないから」

「そうだろう?」

江見睡院は目を細めて笑った。

「うわ、もうこんな時間......」

「こんなでは無い。翔は今日無理をしすぎたね。瑞麗先生から話は聞いた。精神力は24時間経過しないと回復しきらないし、決戦の日まで時間が無いじゃないか。休みなさい」

「うっ......」

「今日はこれだけ騒ぎになったんだ、学校は明日から休みだそうだ。ゆっくり休むといい。それまで私がやってあげよう。精神力の儀式は覚えがあるからね」

そういいながら睡院は机の上にあるかつて愛した女のブローチをみた。

「《タカミムスビ》の落とし子だった時に取得した呪文は健在なようだから」

「ありがとう......」

睡院は私のアタマを撫でた。私は好意に甘えてベッドで休むことにしたのだった。

「父さん、迎えはいつくるの?」

「今、警察が頻繁に出入りしているから《ロゼッタ協会》としては落ち着いてから寄越したいらしいんだ」

「そっか......じゃあクリスマス以降だね」

「そうだな......」

「きっとたくさん救急車を呼ぶ羽目になるから、その時に便乗すればいいよ」

「五十鈴もそういっていたよ。それまでは世話になる」

「うん」

江見睡院の中で、親子の関係が、いつも緊張を孕んだ情愛のなかの秤のように懸かっている。暗くて辛い夜に無条件で抱きしめてあげる存在でありたいと本気で願っているらしかった。

これが江見睡院に残された《タカミムスビ》の落とし子による後遺症なのだとしたら、なかなかに深刻だ。一種の狂気状態の中に彼はいるわけだから。さいわいなのは、その治療に前向きであるということだ。

私が演じるだけでこれだ。江見翔というわが子が、一人立派に成長した男の子が、目の前にいるという完全な幸福感の中に身を置いている。

江見睡院という人となりが見える気がした。少しでも親の責務の一端を担いたいと思っているのだ。

《宝探し屋》として潜入したこの学園で愛する女と出会い、身ごもり、悲劇に見舞われて女は死んだ。子供は生きていた。18年間も放置したも同然の息子が助けてくれた。その感動が江見睡院の自我を保ってくれたのだとしたら、もう少し付き合う義務が私にはあるのだろう。

江見睡院は明瞭な親としての責任観念から、子供の運命の最大責務者とならなければならない。幾多の親の責任感と切実な愛情を送りたい、報いたいと本気で思っているようだから。すべて虚構だと突きつけられても体が拒否反応を起こしているのかもしれない。だがそれが狂言かどうかまでは私はわからない。

それによって江見睡院が少しでも前向きに生きてくれるならそれでもいい気がした。なにせ18年である。いくら強靭な精神力をもつ《宝探し屋》でも妄執を手放せないくらい理性がどこかひび割れていてもおかしくはないだろう。まともでもまともでいない振りをしたくなるくらいには、江見睡院に横たわる現実は辛辣極まりないのだから。
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