虚人たち10

夕薙とジェイドは研究所で倒れている江見睡院を発見した。

「よかった、息があるぞ」

「氣も正常だ。気を失っているだけのようだな。喪部銛矢......ここまで強い《魔人》だとは思わなかったな......。正直実力を見誤っていたのかもしれない。さすがは魔眼をつくりあげた《天御子》側の人間だったというべきか」

「俺たちの行動に気づかないわけがない。見逃されている時点で手を抜かれているのは事実だからな......。どうして《レリックドーン》の部下を連れてこなかったのかわからないが」

「おそらく、阿門帝等の《力》や《タカミムスビ》の落とし子の存在を考えるに、下手に人間を連れてきても足元を掬われると思ったのかもしれないね。実に合理的な判断だ。現に変生する気配がない時点で実力の半分も出していないのではないかな」

「......そんなにか......。ここまでくると、警察や自衛隊に頼りたくなってくるな」

「そうだね......《ロゼッタ協会》のスポンサーに内閣府がある以上、僕たちの存在はどうとでもできるから大歓迎なんだがな......《レリックドーン》だから怪しいものだ」

「?」

「《レリックドーン》はナチ関係者が設立に深く関わっているのは葉佩君から聞いているとは思うんだが、6年前にもナチ関係者がローゼンクロイツ学院日本校という隠れミノを用意して好き勝手していた時期があるんだ。仲間が誘拐されたことで初めての発覚した事件だったよ。《魔人》は格好の実験材料だからね。僕たちで壊滅させたが、薬物投与のために成長が止まり、外見が幼いままになってしまっている仲間がいるんだ」

「ひどい話だな。まさか、あいまいなままで終わったのか」

「未成年の被害者が大半で表沙汰に出来ないとはいえ、逮捕すらされなかったからな。注視していたんだが、警察はおろか政府も静観を決め込んでしまった。ローゼンクロイツ学院の日本校も表向きは経営悪化による閉校だ。今回も初動が鈍くなるのは予測の範囲だよ」

「......嫌な話だ」

「組織は大きくなりすぎると末端から腐って行くのは世の摂理だからね。それに加えて喪部銛矢は物部氏の末裔だろう?ますますこの国の中枢は動きにくいはずさ」

「?」

ジェイドは話し始めた。

6世紀、日本古来の神道と新来の仏教をめぐる争いは、物部守屋と蘇我馬個の権力闘争となり、ついには武力衝突へと発展した。結果は教科書で習った通り、仏教推進派である蘇我馬子の勝利となるが、ここで奇妙なことがおこる。

宗教戦争に勝ちぬいたはずの蘇我氏が、神道に対する弾圧を行った記録がまったく残らず、以後二つの宗教は日本のあらゆる地で共存し、共に融合してゆくこととなるのだ。

なぜ仏教は神道を駆逐せず、まるで同化するかのように土着化していったのか。

一神教の世界から見れば、教義も教典もないこのような信仰は、原始的な宗教ということになる。多くの渡来人が流入した日本にとって、このような信仰形態をくずさなかったことが、逆に幸いしたのだ。

「日本書紀」が認めるように、物部氏は天皇家が登場する以前の大和の大王家であった。

そして大和朝廷成立後8世紀にいたるまでは、物部氏が重大な発言権を持ち続けたように、天皇家と物部氏という二つの王族は曖昧な形で共存の道を選んでいたのである。

ところが物部氏の衰弱後、物部氏は鬼のレッテルを張られ、歴史の敗者として神・天皇の対極に朽ち果てた。

問題は物部氏を追い落とした大和朝廷が、これを完璧に滅ぼしたわけではなかったことにある。

それどころか、鬼となった物部氏はここからもう一つの日本=裏社会を形作ることで大和朝廷と対等に渡り合おうとしてゆく。

なぜ鬼と化した物部氏は神の子天皇を選び、逆に天皇は鬼の接近を許したのか。それはあいまいな日本の行動原理が作用したのだ。

天皇家最大の祭りとされる大嘗祭や伊勢神宮祭祀は、物部氏の祖神を祀る天皇家の秘儀である。

即位後最初の新嘗祭を大嘗祭といい、天皇家は8世紀以来この伝統行事を続けてきたが、この祭りの中では唯一物部氏のみが他の豪族には見られない形で祭りの中心に位置して来た。

最大の問題はどちらの祭りもその中心部分が秘中の秘とされ、厚いベールで包まれている点にある。

天皇家はなぜ最も大事な祭りの神を秘密にするのか?そして天照大神よりも格上の神とはいったいなにものなのか。


伊勢神宮の秘中の秘は、「心の御柱」と呼ばれる奇妙な柱のことである。

20年に一度の遷宮に際し、この柱は祭りの最も重要な地位を占める。ではなぜ「心の御柱」が神聖視されるのか?そしてその理由が秘密にされているのか?何もかも謎のままである。

物部氏の祖神ニギハヤヒが大和の三輪山の大物主神と同一であり、スサノオの第5子であったことが、いくつもの神社伝承によって証明され、そればかりか日本の本来の太陽神は、皇祖神・天照大神ではなく、この大物主神であったという。

つまり物部氏の祖神・ニギハヤヒと出雲神・大物主神を同一なのだ。

天皇家と出雲・物部氏との闘争と共存がすでに大和朝廷成立時からはじまっていたことを、「日本書紀」を記した8世紀の大和朝廷は抹殺した。

そのようなことが行われた原因は、8世紀初頭の物部氏の没落であろうが、なんといっても、物部氏の古代社会に占める大きさが、記録にとどめることができないほど巨大であったためであろう。

「古事記」に注目すると、崇神天皇が国の定まらないことを憂いて占ったところ、大物主神が夢に現れて神托を下したとある。

その結果、大和の三輪山の神大物主神を祀ることで治世を安定させたといい、大和を建国したのは大物主神であったという、天皇家にとって屈辱ともとれる歌を自ら詠っていることは興味深い。

崇神天皇から始まった出雲神重視が天皇家の伝統となっていったように、物部氏は古代社会のもっとも重要な神道の中心に位置しているのである。

「もののべ」の「もの」は古代、神と鬼双方を表わしていた。これは多神教・アニミズムからの流れであり、神は宇宙そのものという発想から導きだされた宗教観でもあった。

神は人に恵みをもたらす一方で、時に怒り、災害をもたらす。このような神の両面性を、神道では「和魂」と「荒霊」とも表現するが、物部氏はその両方をあわせもった一族であり、神道の中心に位置していた。

神武天皇の即位に際し、ニギハヤヒの子ウマシマジはニギハヤヒから伝わる神宝を献上し、神楯を立てて祝い、新木も立て、「大神」を宮中に崇め祀った。そして即位、賀正、建都、皇位継承といった宮中の重要な儀式はこの時に定まった。

神道と切っても切れない関係にあった天皇家の多くの儀式が、ウマシマジを中心に定められた。そしてウマシマジが神武天皇の即位に際し、宮中に祀ったという「大神」の正体が注目される。大和の地で「大神」といえば、三輪山に祀られる大物主神をおいて他には考えられない。

大嘗祭で祀られる正体不明の神に視点を移せば、ここにも大物主神の亡霊が現れてくることに気づかされる。

天皇家の祖神に屈服し国を譲り渡した出雲神、かたや神武天皇の威に圧倒され国を禅譲した物部氏、このような「日本書紀」の示した明確な図式でさえ疑わざるをえない。

天皇家が鬼を実際には重視し祀っていたことと明らかに矛盾するからである。

大和朝廷成立=神武の東征は天皇家の一方的な侵略ではなく、この時点で鬼(大物主神)と神(天皇家)の間には「日本書紀」や通説では語られてこなかった、もっと違うかたちの関係が結ばれていたと考えられるのである。

「......なるほど、この国の成り立ちの根幹を揺るがしかねないなにかを暴露されたら困るのはあちら側か」

「そういうことだね。だから僕たちは僕たちができることをすべきだ」

2人は手際よく手当していく。そして夕薙が江見睡院を背負った。これはこの回廊に至るまでに相談していたことだった。夕薙は月の呪いにより化人から同族扱いされており、攻撃対象にはされない性質がある。そのため虫の息の江見睡院を連れていたとしても、問題はないと夕薙は経験上知っていた。化人たちは同族がひとりで獲物を貪り食う場所を探しているのだと勘違いして寄ってすらこないのだ。

「一応聞くが俺に手伝えることは......?」

「君は翔にありったけの精神力を明け渡したからな、地上に出ないとこちらまで疲弊するぞ。悪いことは言わないから先を急ぎたまえ」

「......」

「翔をあそこに残すのはボクも不本意だが、氣のバランスが崩れたら《遺跡》に妖魔が大量に発生することになる。この術をかけ続けることで氣を最小限にして門の開閉を封じているんだ、できることはなにもない」

「わかった」

夕薙は息を吐く。

「君にできるのは、人質になりうる江見睡院の保護だ。これは回り回って葉佩君たちを助けることに繋がる」

ジェイドにそう言われてしまうと夕薙はなにも言えない。《魔人》と戦うこと自体初めての経験なのだ。江見翔に月の力を明け渡してしまった夕薙は喪部銛矢の戦いに参戦することは出来ない。

「僕はこれから葉佩君に加勢するよ。できることなら変生を伴う戦いは翔に氣の調整を強いるからやりたくはなかったんだが、そうもいってられなくなったようだ」

「あとのことは頼んだ」

「ああ、わかっているよ」

ジェイドはそういうなりなにやら印を切る。ジェイドの中の氣のバランスが不安定になり、《陽氣》と《陰氣》がすさまじい勢いでかわっていくのをみた夕薙はいきをのむ。葉佩にジェイドは喪部銛矢のように自分で氣をコントロールして妖魔に似た姿になることができる。玄武という強力な力がある《魔人》だと聞かされていなければ敵と間違えていたに違いない。

「僕の《力》は龍脈の恩恵を受けられるからね、喪部銛矢と同じ土俵に立てるはずだ。安心してくれ。では」

ジェイドは消え去った。そして向こう側でものすごい氣の爆発と聞いたこともないような化け物の咆哮がする。夕薙は味方でよかったと思いながら研究所エリアをあとにする。

洞窟を戻っていくと祭壇の前でひたすら意味を汲み取ることを脳が拒否する邪教の賛美歌を歌う江見と会うことができた。ようやく儀式の呪文を唱えおわったようだ。

「大和!父さんは?!」

「大丈夫だ、気を失っているだけらしい。ただ詳しいことは瑞麗先生に見てもらわないとわからないが」

「そっか......。父さん......よかった......よかったよ、ほんとにありがとう」

「礼を言うのは全部が終わってからだな。喪部銛矢がかなりの強敵だからとジェイドが変生して助太刀に入ったぞ。氣の調整を頼むだと」

「ええええッ!?」

「君しかできないことをするんだろう?」

「ぐっ......先手打たれた......」

「間違ってもこの先に行くんじゃないぞ」

「わかったよ......」

江見は肩を落として《如来眼》を発動させた。


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