空から落ちてきた歴史

2004年12月22日火曜日早朝、時計塔にて。
 
《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》
 
《飢えたか。欲したか。訴えたか》
私の口を借りて紡がれる異国の言葉、いや常人では理解不能な言葉の羅列。それでも私には意味が理解出来ている。それだけ深淵に私はいる。私は呪文を唱える。
 
「何をしている?」
 
後ろから重厚な声がした。私はやめた。
 
「誰かと思ったら、阿門じゃん」
 
「江見か。こうして二人きりで話をするのも久しぶりだな」
 
「そうだね、もうそんなに経つんだ」
 
「ちょうどお前に会いたかったところだ、阿門帝等としてな」
 
「私に?お互い立場が違うからかな。規則を犯す者でもないし、規則を守る者でもない。相容れなくはないけど、見過ごすことは出来ないって感じ?」
 
「ああ、そんなところだ。お前はここのところ表立った活動は控え、時計塔に入り浸っているようだから不審に思ったまでだ」
 
「なるほど......誰情報かな......。まあ隠す気はないんだけどね」
 
「それほどまでに喪部銛矢は警戒すべき相手か」
 
「《魔人》だからね」
 
「《魔人》」
 
「やつは人間でありながら人間じゃない。本気で殺しにかからないといけない」
 
魔人は神話や伝説に登場する通常の人間を超越した力(魔力や妖術・神通力など)を持った存在だ。転じて、人間離れした能力を持った人のことをいう。
 
魔人という呼称は、姿や性格が人間に近い。魔の力を持つがゆえに、人々を苦しめる存在として登場することもあるが、必ずしも邪悪一辺倒な存在ではなく、ランプの魔人や、ヨーロッパの昔話などに登場する悪魔たちのように人の役に立つ者もいる。日本の感覚にあてはめれば鬼や天狗、式神などが魔人と呼称されるような役割をもった存在だ。
 
「お前の背景にいるような者たちか」
 
「そうだね。言葉に流されず、冷静に物事を見るというのは悪い事ではないよ」
 
「だが、その者たちもまた生命体だろう。ならばこの世に存在する全ての生物の行動は遺伝子が起因している。それは生命としての本能だ。遺伝子に組み込まれた脈々と受け継がれし意思が人を駆り立てている。つまり、お前の行動もまた遺伝子が引き起こしている結果にすぎない。身体を構成するにすぎない遺伝子が自分に命令しているように感じることはないか」
 
阿門は私を見つめる。
 
「阿門とオレの先祖は似たような存在だったみたいだからね、否定はしないよ。遺伝子とオレは一心同体だ。でも私は違う」
 
「なるほど、お前は、自分の行動は自分の意思で決めているというつもりか?運命が遺伝子と関係がないとなぜいいきれる?」
 
どこかに砂がうごく気配がする。
 
「それならばこうは思わないか?もしお前の遺伝子情報に、《タカミムスビ》に敗北する未来が書き込まれていたとしたら、自分は絶対に勝つことは出来ないのではないか、と」
 
「それはオレにいえることだね、私ではない」
 
「ふッ......自分は自分だとでもいうのか?自分の行先は自分の意思が決めると?運命さえも遺伝子に関係しているとしたら。そう考えればわかるだろう?」
 
「運命は変えられるよ」
 
「なんだと?」
 
「運命は努力次第で変えることができるけど、宿命は生きているものが必ず死ぬように変えることのできない絶対的なものだと私は思ってる。ただね、オレは宿命にすら足掻こうと懸命だったんだ。オレが帰ってくるまでは、私もそうありたい」
 
阿門は眉を寄せた。
 
「理解できなくてもいいよ、これは私の主義主張だ。たしかなのは、《タカミムスビ》の護る《九龍の秘宝》は人工的に造られた神をさらに模倣した番人が守ってるに過ぎないってことだよ」
 
「......《タカミムスビ》ですら、劣化した模造にすぎないといいたいのか」
 
「そうだよ。泥濘で倒れたり傾いだりしているのは、星より切り出された石の大いなる銘板であり、そこに刻まれているのは天地開闢前の神々の不可解なる智慧だ。それは《旧神の鍵》と言われてる、最古にして最強の魔道書だ。そもそも地球はこの宇宙ではなく、旧神という連中が治める高次の世界に属する天体だったが、旧支配者と呼ばれる連中が『旧神の鍵』を用いて現在の場所に引きずり降ろしたのだと言われている。その真偽の程は定かでないけれど、いずれにせよ宇宙の構造をも容易に変えてしまえるほどの力が『旧神の鍵』にあることは間違いないね。《九龍の秘宝》は世界を革新する可能性は秘めているけれど、そこまでの力はないように思う。どのみち過ぎた《力》だろうけど」
 
私は焼けるような朝焼けを見ながら話すのだ。
 
「それは巨大にして慄然たる、そして途方もなく不条理な戯れの本質であり、その戯れは嘲弄する神々の戯れにすぎない。死すべき定めのものたちが、「現実」という無意味な言辞の裏に隠し込んでいるものの本質を知ったとき、魔術により延命しひたすら知識を探求してきたキチガイ共ですら逃げ帰ったレベルの劇薬だ。それを模倣して人間の《遺伝子》に組み込んだんだ、ただですむとは少しも思ってないよ、初めからね」
 
阿門が口を開いた。その時だ。
 
「なにをしているんだい?」
 
小癪な声がした。
 
「くくくッ......そんな顔をしないでくれ、つれないじゃないか。ボクはきみたちのことを捜していたっていうのに」
 
「喪部銛矢」
 
「何の用だよ、喪部」
 
「どうだい?《九龍の秘宝》はもう手に入れたかい?」
 
「九ちゃんに聞いたらいいんじゃないかな」
 
「ウソついちゃいけないなァ。《秘宝》を手に入れたことがある君がいうことじゃないだろう?」
 
「なんのことやら」
 
「葉佩九龍やボク、そしてキミが探している《九龍の秘宝》はこの學園の地下に眠る《遺跡》の最下層にある門の先にあるようだね。しかも、キミたちが先回りして巧妙に隠したようだ。まったく、忌々しいやつだな、江見翔。ここに眠る《九龍の秘宝》をあんな下等な連中が独占しているだけでなく、キミがそれに加担するようなマネを......。優れた《秘宝》は優れた者だけが所持するに相応しいっていうのに。優秀なボクが直々に殺してやりたいくらい優秀なキミはどこまでもボクの邪魔をしたいらしいね」
 
喪部は髪をかきあげた。
 
「人間とチンパンジーの遺伝子の差はわずか1.23パーセントだと言われてきたが実際は違う。二十二番染色体を比べただけでも塩基配列に6万8000箇所も違いがある。つまり、優れた遺伝子の差がそのまま生物としての優劣の差に繋がっているというわけさ。でも、遺伝子情報は不変ではない。親から子へ受け継がれる過程で120個ずつ塩基配列が変わるんだ。つまり、遺伝子には変異が前提として組み込まれたシステムがあるのさ。古今東西の超人や天才と呼ばれる者たちはみな、変異によって誕生した」
 
喪部は私を見る。
 
「ボクが何を言いたいのかわかるかい?生態系の頂点に経つのは優れた遺伝子を持つ生物でなければならない。安寧のなかで徒に殺戮と侵略を繰り返して領土だけ広げてきた人間にその資格はないのさ。いずれ近い将来、世界は優れた王によって統べられるだろう」
 
「全く理解できないね」
 
「この世には優れた一握りの人間と平凡な有象無象で成り立っているのさ。キミもこちらがわの癖に随分と無能なやつらの肩をもつんだね」
 
「そりゃそうだろ、私が望んでないもの」
 
「なるほど───────やはり、キミという人格は邪魔でしかないな。《アマツミカボシ》の覚醒を促すには。あのとき、《天御子》連中に大人しく拉致されておけばよかったものを」
 
「嫌に決まってんでしょ、化人になるのが目に見えてる」
 
「化人?違うさ、より相応しい姿としてこの世界に帰還するんだ。《アマツミカボシ》が、1700年の時を経て。これほど素晴らしいことは無いと思うけどね」
 
「《アマツミカボシ》は愛した人の子供を産んでも死なない体が欲しかっただけだ。覚醒したところで世界を牛耳ろうとはしないさ」
 
「あいかわらず矮小な目的に固執して......哀れだな。くくくッ、見たまえ。この鮮血のように美しい朝焼けを───────。神は優れた人間に素晴らしい資質をさずけた。美しいものを美しいと感じる感情と審美眼をね。キミは1700年のうちに濁ってしまったようだ。どちらが《九龍の秘宝》に辿り着けるのか、答えを出そうじゃないか。クククッ、キミが生きていたらまた会おうじゃないか」
 
「このまま帰すとでも思っているのか?」
 
砂が蠢く気配がしたが、喪部は微動打にしないままニヤリと笑った。
 
「ところで、志怪小説(しかいしょうせつ)って知ってるかい?」
 
「しかい......?」
 
「なんだそれは」
 
「主に六朝時代の中国で書かれた奇怪な話のことさ。作風は唐代の伝奇小説に引き継がれたと言われている。志怪は「怪を記す」の意味があるんだ。小説の一ジャンルとして、六朝から清にいたるまで、おびただしい数の奇談怪談が書かれた」
 
聞いてもいないのに喪部は詳細を語り出す。
 
中国において古代から歴史書の編纂は重要な仕事とされて盛んに行われたが、市井の噂話や無名人の出来事、不思議な話などはそこには記載されることは稀で、それらは口伝えに伝えられるものとなっていた。
 
宮廷では、娯楽のための職業人がおり、芸能とともに民間の話題をすることもあった。これらは志怪小説と呼ばれ、民間説話が数多く含まれている。
 
この発生の背景には「竹林の七賢」に象徴される知識階級の人々が集まって談論する清談の風潮があり、その哲学的議論の中での、宇宙の神秘や人間存在の根源といった話題に、奇怪な出来事は例証として提供された。
 
またこの時代当時の政治的動乱を、流行していた五行説に基づいて解釈したり、仏教や道教の思想の浸透に伴って、輪廻転生の物語や、仙人や道士の術の話題が広められており、仏教、道教の信者は志怪小説の形式で書物を作り出した。
 
「そこにこんな話がある。その昔、丹陽(ダンヤン)に徐子寧(シュイツーニン)という官史(かんし)がいた。ある雪の降る夜の事。徐子寧は、長年の責務が終わり、久しぶりに故郷へと帰って来た。あと半里程で、村の入り口と家々の屋根が見えようという頃、月明かりに照らされた庚申塔(こうしんとう)の下に徐子寧は、輝く物を見つけた」
 
喪部は朝焼けを背にたつ。
 
「近づき、手に持った行灯(あんどん)の明かりをかざすとそれは琥珀(こはく)の数珠(じゅず)だった。おそらくは、信心深(しんじんぶか)い誰かがその場所に供(そな)えた物だ。その時……ふと徐子寧の心によからぬ考えが浮かんだ。辺りに人影はなく、目の前には美しい琥珀。この数珠が失せた所で、誰がここに数珠があった事を知るのは自分だけ。徐子寧は、琥珀の輝きに魅入られたかのように数珠を拾い上げた」
 
そして空を見上げる。雪だ、雪が降り始めた。
 
「懐に数珠を隠すと、徐子寧は急いで
家に帰り、戸を閉め、鍵を掛けた。こいつを売りに行けば、結構な金になるに違いない。早速、明日の朝にでも。そう考えていたところに戸を叩く音がする。若い女の声だった」
 
朝焼けがしだいに雲に覆われていき、雪がちらつき始めていく。
 
「琥珀の数珠を雪の中で落としてしまい、探している、というではないか。聞けば夜になり、降り積もった雪の中、明かりもなく難儀していたらしい。もし、見た事があるなら教えてくれという。徐子寧は何で私の家にそんな事を言いに来るんだ?と尋ねた。女はいう。貴方様が先程、庚申塔の前で立ち止まっている姿を見たので、こちらに伺った次第で御座います」
 
雪はだんだん降り積もり、辺り一面真っ白になっていく。
 
「徐子寧は残念ながら知らないと嘘をついた。女は本当かと聞いた。徐子寧は家どころかこの村にも、そのような数珠はないといった。早々に立ち去り、夜明けを待って、他の場所を探すが良い。暗くては、物を探すのもままならないだろうとね。ところが、女はいうのさ。この村に数珠がないとわかればそれで良い」
 
「まさか......」
 
「そう、そのまさかさ。何故なら、あの琥珀の数珠は、仏の力の宿った村の宝。鬼を塔に封じていた忌々しき物。あれがなければ、私たちは自由に喰らい、破壊する事ができる。まずは、この村の人間を喰らい、滅ぼしてやるとね」
 
「貴様......」
 
「そして、悲劇は始まった。前夜まで家や畑があった場所にはその痕跡や残骸もなく、まるで最初からそこには何もなかったかのようにただ一面の雪景色が広がっているだけだった。琥珀の数珠を持っていた徐子寧だけが鬼に喰われる事なく助かったのさ。それ以来、雪の日になると真っ白い雪の中から、鬼に喰われた人々の声が聴こえるのさ。吹雪く音に混じって、聴こえて来ないかい?怨嗟の声が……。死者を悼(いた)んでも、その怨みが雪のように消える事はない。鬼に喰われた人間は、永遠に成仏する事なく、この世を彷徨うのさ」
 
喪部の言わんとしていることを察した私は空を見上げる。
 
「クククッ、アハハハハハハッ!」
 
いつしか喪部の姿が消えていた。
 
「工作員の仕事を無に返されたんだ、それなりの報復は覚悟しているんだろう?さあ、殺し合いの始まりだ」
 
高笑いは雪の中に消えていった。
 
「今まで學園に悪魔祓いをしていたのはそのためか」
 
阿門の言葉に私は青ざめた。
 
「學園の生徒をみんな変上させる気ッ!?陰陽の氣のバランスが崩れたら、みんな化人みたいになって死ぬことになる。元に戻ったところで自我を保っていられる保証はないじゃないか。ふざけやがって。どおりで陰の氣ばかりが集まってるわけだよッ!」
 
阿門は息を吐いた。
 
「いい度胸だ。學園の秩序と平穏を乱すだけでなく、危機に陥れるとは───────。見せてやろう、俺の《力》を」
 
途方もない砂が黄砂のように空を覆い、雪が黒く変色していく。
 
「それだけじゃダメだ、陰陽はバランスがとれないといけない」
 
「何をする気だ」
 
「《如来眼》の私が邪法に手をつけた理由を見せてあげるよ」
 
私は中断していた呪文を再開した。
 
《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》
 
《飢えたか。欲したか。訴えたか》
 
《ならば、くれてやろう。受けとれ》
 
《そして、ようこそ》
 
 
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