2004年12月14日火曜日早朝
「ふむ......これでいいだろう。激しい脱水症状を起こしているようだが、このまま大人しく休んでいればいずれは目を覚ますはずだ。しかし、そうか......夕薙があの墓守の......」
私達から一部始終を聞いた瑞麗先生は考え込んでしまう。
「月の光が精氣を吸い取る呪いか......なるほど、興味深い話だな。確かに月には魔力があると伝えられている。人狼伝説もあながち御伽噺という訳では無いのさ。なあ、江見?」
「なんでオレに振るのかはわからないけど、そうですね。聞いたことがあります」
世界観を共有している別シリーズの主人公の通う学園の先生に人狼がいたからそのことがいいたいんだろうなと私は思った。《如来眼》の女性がその学園を創立し、その後をその人狼に託したから、きっと今でも先生は学園にいるはずだ。
「今度はバイオタイドかァ〜......ほんとになんでもありだな、この學園」
「ほう、バイオタイドまでしってるとは中々に博識だな、葉佩。そうだな、
夕薙を見ていると月の魔力が体内水分に何らかの異常をもたらしているとしか思えない......」
「人間だって所詮は動物ですからね〜、影響だってうけるかな〜って」
「ほんと九ちゃんて知識が偏ってるよな」
「仕方ないだろ〜、この国の文化の中で育ってきて、12年間歴史を学んできた甲ちゃんたちと一緒にしないでくれよ」
「それがモノになってるかはまた別の話しだがな。で、その、なんだ。バイオ......なんとかってやつは」
葉佩は得意げに話し始めた。
バイオタイドは体内潮汐とかく。月の満ち欠けのサイクルと人間の感情や行動に深い関係があるという理論だ。月の引力が人間の体内水分に影響をあたえ、あるいは月の運行により発生した電磁波が神経組織を通じて身体に変化をもたらすのは有名な話である。
特に新月や満月には産婦人科における出産率が高かったり、体調不良をうったえる人間が多かったりする。それと関連して犯罪が増え、その月光が生物を凶行に走らせることもある。切り裂きジャックやボストンの絞殺魔などの猟奇的事件もかならず新月と満月の夜に起こっていたというのだから無関係ではないはずだ。
今でもイギリスでは《月光病》という病の原因は月光だと信じられているし、アイスランドでも妊婦が月に向けて座ると精神異常者となるといわれている。日本でも幻覚や幻聴に悩まされる話があるくらいだ、世界各地に残る伝承を見る限り、月の魔力も迷信だけではないのだ。
「ブードゥーの司祭か、神の像がなにかやらかしたのかなァ。老人にする魔術に心当たりはあるけど、月光に晒された時なんて条件はなかったはずだし......」
「あるのかよ、翔ちゃん......。しかし、そうか壊したんだもんな......。つまり、今の大和は引き潮と同じってことか、カウンセラー?」
「そうだな。人は体の65パーセントが水分で、その10パーセントが失われると不快感をえる。20パーセントを失うと死に至るとされている。しかし、調べたところ、夕薙の身体からは月光下で約40パーセントの水分が失われていることがわかった。普通なら死んでもおかしくは無い状態だが......皮膚の乾燥以外、呼吸器や内臓系になんら障害が出ていない。大学病院にでも見せようものなら、研究材料にされて学会で発表されかねないだろうさ」
「大和......」
「くッ......」
「おや、気がついたか?まだ応急処置をしたばかりだから休みなさい」
「瑞麗先生......ここは......俺の部屋か......?すまない、みんなには手間をかけた」
「よかった〜、大和目を覚ましたみたいだし、俺たちはここらへんで退散するか?もう学校開いてる時間だよな?翔チャン、図書室開けてくれよ、日本神話について調べ直さねーと」
「ああ、そういやそうだったな。《ニギハヤヒ》について調べ直すんだったか」
「そうだね、もうこんな時間か......」
私達が話していると夕薙が瑞麗先生の静止をふりきって起き上がった。
「《ニギハヤヒ》について調べるということは、《アラハバキ》について調べるつもりなんだろう?俺が知っていることを話しておきたい......少しだけ時間をくれないか?」
《ニギハヤヒ》や《大和朝廷》、《物部守也》、《蝦夷》まで調べあげていた葉佩に夕薙は心底関心したようだった。
「そりゃ、翔チャン呪殺されかけたんだから警戒するに決まってるだろ?」
「たしかにそうだな......無粋なことを聞いた。君は同行者が誰であれ犠牲になることをよしとしない優秀な《宝探し屋》だ」
「褒めてもなんにも出ないけどなッ!」
「なんにせよ、君がそう思ってくれて安心したよ。やつが君と同じように學園に隠された《秘宝》を探しているのは事実だからな。君が探索の邪魔になるならば翔のように始末しようとするだろう」
「あいつら、ほんと手段は選ばないからなァ〜......よーく知ってるよ。気をつける」
「そう、その意気だ。この學園は戦場だからな。生き延びるためにはいつでも戦える準備をしておけ」
葉佩は力強くうなずいている。夕薙の話は瑞麗先生に支えられながら、はじまった。
夕薙はこの体の謎をとくために神道とゆかりが深い出雲を訪れたことがあるらしい。出雲は神道だけでなく記紀神話にも深い関わりを持つ場所であり、現世と常世を繋ぐ黄泉比良坂があるとされる常世に近い場所なら、死人たる体の秘密も解けるかと思ったそうなのだが、何も見つからなかった。
「あの《遺跡》の神武東征の区画にもかかわらず、記述が見つからなかった勢力があった。だから調べたかったんだろう?」
「すっごいな、そこまで察したんだ」
「まあ、な。この体のおかげで化人は俺を侵入者とは見なさない。君が踏破したあとはゆっくりと調べさせてもらったよ」
「まっじか〜、なんでいってくれなかったんだよ、こっちはすんごい苦労して調べてたのにさ〜ッ!大和のいう通り、《荒覇吐族》の記述がどこにもなかったんだよ。ファントムがいってたアラハバキ」
「アラハバキを信仰する《まつろわぬ民》だったよね、九ちゃん」
「《蝦夷》か」
「《蝦夷》、か。その言葉は中国でも馴染みがあるよ。それだけ大陸にまで名がとどろいていた勢力のようだな」
「その通り───────。そして《蝦夷》と呼ばれていたアラハバキ族を率いていたのが《長髄彦》という男だ。もともとは邪馬台国の王であった兄の《安日彦》と共に《ニギハヤヒ》に仕えていた。しかし、大和朝廷に逆らい、津軽に落ち延びたと言われている。当時、津軽地方には中国から流れてきたアソベ族という民族が住んでいて、同じように中国から渡ってきたツボケ族と混血を繰り返してきた。そこに《長髄彦》と《安日彦》がやってきて、津軽を統一し、アラハバキ族を立ち上げたというわけだ」
蝦夷という呼び方は大和朝廷からの蔑称であり、自称は「荒羽吐族」。このため、神の名ではなく民族の名としてのアラハバキも一部に知られることになった。
いずれにしろアラハバキというのは元は民族の名であって神の名ではなく、「アラハバキ族が信奉する神」という意味で後に神の名に転じたという認識になっている。
「これが俺の知っている事の全てだ。九龍、俺は......君の役にたてたか?」
「もっちろんだぜ!ありがとう大和!」
「そうか......それならばよかった。これが仲間である君への償いだ......。君は俺を信じているといってくれた......だが、俺は君の信頼を裏切ってしまった......すまない。ほんとうに......すま......ない......」
「大和の気持ちはわかったからさ、安心してくれよ。大丈夫、俺は今の大和だって信用してんだから」
「......ありがとう」
夕薙は私を見た。
「......翔、君に対してもそうだ。俺は......取り返しがつかないことをした。君は許してくれたが、ほんとうにすまない」
「大丈夫だよ、大和。九ちゃんと戦うつもりだってメールくれる誠実さは見せてくれたじゃないか」
「......あれは、遅すぎたんだ......」
「いきなり襲撃だって出来たのにしなかったんだから遅くはないよ。良心の呵責に耐えきれなくなったんだろ?なら私はその大和の良心を信じるよ」
「......いや、償いきれるものじゃない......俺は、おれは......エゴのために君と江見睡院の邂逅の機会を潰してしまった......」
「えっ......」
私は凍りついた。夕薙はそんな私の様子を見て懺悔し始める。
私たちが神鳳と戦っていた時から《遺跡》に潜んでいたらしい夕薙は、いつものように私たちが立ち去ったあと《遺跡》を探索していた。そこで夕薙はあの門が内側から僅かに開き、江見睡院が出てくる所を見てしまったらしい。
「実は気になっていたんだ。偶然にしては出来すぎていると。警備員室の襲撃は君が呪殺されかけ、その犯人を突き止めようとした矢先に行われただろう。《遺跡》の《封印》が弱まったあとならいつでも出来たというのに、あまりにもタイムリーすぎた。だから、俺は江見睡院に聞いてしまったんだ」
「......なにを?」
「《タカミムスビ》の落とし子の司令権は一体誰が握っているのか。翔からの話だとあの男と江見睡院の自我は同時に存在出来ないようだから、俺の前に現れた江見睡院は《宝探し屋》だった。だから、昼間の時間帯の落とし子の最高司令官は江見睡院なんじゃないかと」
「..................父さんはなんて?」
「翔はいい友達を持ったな、と嬉しそうに笑っていた。いつか話さなければならないのに、どうしても明かせなかった。後戻り出来なくなるのが怖くて言えなかった。自分から話さなければならないのに、俺に聞かれるまでずるずると引き伸ばしてしまったと」
「........................父さん、何やってんだよ......。オレにはそんなこと、一言も......」
「......すまない、俺が彼の決意を削いでしまったんだろう。俺に託すつもりだったようだ」
「託すってなにをだよ......。《レリックドーン》は敵対組織だから排除は当然だろうけどさァ......。基本静観決め込んでるのは自発的に動くと魂がすり減っていざという時の主導権が取れなくなるからじゃないのかよ......」
「......さすがだな、そこまでわかってたのか」
「あはは、なにいってんだよ、大和。わかるさ、わかるに決まってるだろ。オレを誰だと思ってんだよ。この名前を名乗ろうと決めた時点で覚悟はしてたけどさァ......こんなんまでは想定してないよ......」
私は目を瞑る。
「《タカミムスビ》の材料には《ショゴス》っていう奴隷種族の遺伝子も使われてる。あの御札は《タカミムスビ》の落とし子にも効果が抜群なんだ。かつて使役してきた不倶戴天の敵がつかった刻印に反骨心を煽られたのかと思ったのに」
「それだけ江見睡院にとって君が大事ということだ。理性が吹き飛ぶほどに激怒したんだ。愛されてるじゃないか」
「......父さん......」
「......ほんとうにすまない......俺が聞くべきじゃなかった......ほんとうにすまない......」
「大和?」
「安心しろ、眠っただけだ。あれだけ衰弱していたのに、大した精神力だな。君たちの力になりたいという気持ちだけが夕薙を支えていたのだろう。いい仲間をもったな、葉佩」
「はいッ!俺も大和の期待に答えなくちゃなんないな〜ッ!よーし、がんばろう!」
「そうだな、ここまで自分のことを思ってくれる仲間をもてたことは、何にも勝る喜びだろう。そうだ、君にいいものをやろう」
「江見もそうだ。夕薙がどれだけ君に友情を感じているのか、わかったのではないかな。友は得がたいのに失いやすい。大切にするんだよ」
「..................そうですね、はは......。ほんとにそうだ。毎回びっくりしますよ、ほんと」
「夕薙が忠告した通り、これからは今まで以上に用心した方がいいだろう。君たちの敵となる者がどこに潜んでいるのかわからない。それに、君たちが死んだら悲しむ者がいることを忘れないことだ」
鳥のさえずりが聞こえ始める。朝日が差し込み、夕薙の部屋を明るくし始めた。
「おや、もうこんな時間か。夕薙のことは私に任せておけ。目が覚めるまで傍に付き添っておいてやろう。だから君たちは登校するといい。何かあったら、真っ先に知らせるから安心したまえ」
私たちは夕薙の部屋を出て、いったん自室に戻ることにしたのだった。