幻影の構成
早朝に時計塔の鐘がなる。玄関につくなり重苦しい雰囲気なのはクトゥルフ神話に由来する呪文を喪部銛矢が行使したせいだろうか。不倶戴天の敵があらわれたことにより、ファントムの矛先は《生徒会》ではなく喪部銛矢に向いているようだった。私はブローチの加護により近づけないらしい。
そのため《遺跡》の封印を完全に解くための《鍵》を探すために喪部銛矢がファントムをつかうことはできないようだ。そのため校舎ごと結界をはって妨害を防いでいるようだ。
おかげで日増しに不安定な生徒がふえてきているのに、表面上は平穏無事な生活が続いていた。
一歩校舎から出れば突発的な理不尽極まりない衝動による暴力が隣を歩いている友達、教師、たまたますれ違う生徒から降り注ぐ。自分の中にそんな暴力衝動があるなんて思いもしなかった生徒がある日を境に豹変するものだから、みんな怯えているのか、キョロキョロ辺りを見渡している。
私は瞳には涙を浮かべ、小刻みに震えている女子生徒をみかけた。唇にはうっすらと血がにじんでいた。 繊細なガラス細工を壊してしまったような後悔と罪悪感が沸いてきたのか、男子生徒は謝り倒している。
遠巻きに人だかりができている。ヒソヒソ声がする。冗談抜きでみんな恐いのだ。理性で隠しているはずの本性をいきなりむき出しにしてくるのだから。そんな修羅場を登校時に見せつけられたら嫌な気分にもなる。
女子生徒になにか言われたらしい男子生徒は、クールな顔立ちが劇的なまでに一変した。顔の筋肉が思い思いの方向に力強くひきつり、造作の左右のいびつさが極端なまでに強調され、あちこちに深いしわが寄り、目が素早く奥にひっこみ、鼻と口が暴力的に歪み、顎がよじれ、唇がまくれあがって白い大きな歯がむき出しになった。
そしてまるでとめていた紐が切れて仮面がはがれ落ちたみたいに、彼はあっという間にまったくの別人になった。それを目にした女子生徒は、そのすさまじい変容ぶりに肝を潰した。それは大いなる無名性から息を呑む深淵への、驚くべき跳躍だった。
手を掴んだ男子生徒がいきなり走り出す。女子生徒は悲鳴をあげるが人間とは到底思えない怪力により拉致されていく。
暴力的な思念が強烈な電流のように男子生徒の頭を巣食っているのだ。何かはわからないが、ひどく不適切な彼の本能は「この女を捕らえなくてはならない」と告げている。確証はない。ただ闇雲に走り出す。
「なにしてるんだよ、やめなって。痛がってるだろ?」
その女子生徒が《夜会》でファントムに憑依されていた下級生だったものだから、私は動いた。一気に人混みを駆け抜け、男子生徒に体当たりする。そして羽交い締めにして落とした。
「早く先生呼んできて!」
「は、はいっ!」
適当に声をかけたのだが、男子が走っていった。女子生徒はその場に座り込んでしまった。立てないようだ。じりじりと私から距離を取ろうとしているのがわかる。彼女の中にいるファントムの残滓が《タカミムスビ》の気配を感じ取って本能的に逃げようとしているようだ。
私は気絶した男子生徒を近くにいたクラスメイトらしき集団にまかせることにした。おそらく女子生徒は夢遊病状態で今の状況について何一つ覚えていないはずだ。
「クククッ」
当たりを見渡すが喪部銛矢はいない。
「まあ、いい。最下層までいけば《鍵》の女なんて何処にいるかすぐに分かるだろう。物部に遺された伝承と同じ《封印》を解くための《鍵》がね......、待っているがいいさアラハバキ。《秘宝》はボクのような優れた遺伝子の持ち主にこそ相応しい......」
私は屋上を見上げた。誰かいる。鳥肌がたった私はたまらず教室に急いだのだった。
「おっはよ〜、翔チャン。九チャンたちから話は聞いたよ〜?大変だったね」
「おはよう、やっちー。うん、大変だったよ。完徹しちゃったもんだから少しでも寝ようとしたらこんな時間に」
「お疲れ様〜。神鳳クンもなかなか意地悪だよね〜、今日から期末テストなのに前の日に騒動起こすなんて。学年一位の実力あるとはいえさ〜」
「そうそう、そうなん......えっ」
「あれ?ど〜したの、翔チャン。ヒナ先生いってたじゃない。今日から来週の月曜日までは期末テストだよ?翔チャン?」
私は思わず葉佩をみた。葉佩も固まっている。隣で大あくびしている皆守がなぜ朝からいるのかようやく理解した。
「テスト?」
「テストだよ?」
「今日、なんだっけ」
「えーっとたしか、ほら、あそこに書いてあるよ〜」
黒板には堂々と4限目で放課後になることが書いてあった。
「えーっとつまり、あれかな九ちゃん。學園祭や中間テストと同じパターン?」
「そうみたいだな、翔チャン。ついつい忘れちゃうけど高校なんだよここ」
「そっかあ、《生徒会》もファントムも動けないやつだあ」
「中間テストと同じやり取り繰り返すなよ、おめでてーヤツらだな。テストすら忘れてたのかよ、九ちゃんも翔ちゃんも」
皆守はため息をついた。
「いいよな、授業受けるだけでそこそこの成績とれる奴らは。俺まで一緒だとばかりに巻き込みやがる......おかげでどんだけ勉強時間確保すんの大変だったと思ってんだよ。貴重な睡眠時間削りやがって......特に翔チャンはこのタイミングであんな大事な話しやがるから全然最後の追い込みが頭に入らなかったんだが?」
恨めしげに見てくる皆守である。あ、もしかして最近真面目に授業出てたのはテスト勉強するためだったのか?今の時期補習になると割とシャレにならないもんな。私は冷や汗だらだらである。あわててノートを広げて暗記を始めた。
なんとか眠気と戦いながらやり遂げたが、期末試験初日の結果はあんまり考えたくない私だった。
放課後のチャイムがなり、ホームルームが終わりを告げる。
「終わった......やっと終わったァ......死ねるぅ......。数学なんて死ねばいいのに」
屍寸前の葉佩がぐったりとしながら私に話しかけてきた。
「翔チャン、翔チャン。あのさァ、《ロゼッタ協会》から今緊急メールが来たんだけどさ......」
「緊急メール?」
「バディが襲撃されないように注意喚起を今すぐしろ、《レリックドーン》が近々行動を起こすぞってぇ......やっぱH.A.N.T.をハッキングされた俺のせいだよな......?」
「そうだな、紛うことなき九ちゃんのせいだ。いっただろ、九ちゃんが一番嫌ってるバディが犠牲になる可能性が段違いになるって」
「どうしよう......?」
「どうしようってどうにかするしかないだろ?みんなに注意喚起するとか、學園内に不審物はないか巡回するとか」
「うん......」
「自分の撒いた種なんだからちゃんと自分で刈り取るしかないよ。オレも手伝うから頑張ろう。な?」
「ほんとーに面目無いッ!ありがとう、翔チャンッ!」
ガタガタ騒がしくなり始めた教室にて、真っ先に帰り支度を始めたのは皆守だった。
「あれ、今日は一緒にマミーズじゃないの?」
不思議そうにいう八千穂に皆守は葉佩を睨んだ。
「九ちゃんたちのせいで俺は今尋常じゃないレベルで眠いんだ。今日は寝る。今すぐ帰って寝る。やることあんのに眠過ぎてダメだ。死ぬ」
「文句は昨日騒動起こした神鳳にいってくれよ〜。それか大和〜」
「うるせえ、他の奴ら連れていけばよかっただろうがッ!」
「あの流れでそれはないだろ、甲ちゃんのいけずぅ〜」
「つうかなんでお前ら平気なんだよ......俺と同じで寝てないだろ......?」
「なんかテストしてるうちに眠気吹き飛んじゃった」
「今それどころじゃない精神状態だからオレ」
「はあ......なんかもう疲れた......じゃあな」
眠くてたまらないのは事実のようで、皆守はそのまま帰ってしまった。ばいばーい、と八千穂と葉佩が手を振って送り出す。《生徒会》の会議も真夜中だろうし、《墓地》や學園敷地内の巡回も強化されるだろうから今のうちに寝たいのかもしれない。お疲れ様である。
「九ちゃん、メール送った?」
「うん、今送ったぜ翔チャン」
「あ、届いた〜。わかったよ、九チャン。見慣れないものがあったら直ぐに知らせるし、一人にならないようにするねッ!」
私にも似たような文面のメールが届いた。一括送信したようだ。よっぽど凹んでいるようで葉佩の長文メールがさらに長文になっているために何通も来る。メール爆撃である。
「あとは、みんなに護符を配らなくちゃ......」
「それは後でいいから今のうちに校舎内回ろうか九ちゃん。そんで危ないヤツは回収しないと」
「え、あの、翔チャン。明日もテストなんですがそれは」
「勉強は夜帰ってからでもできるだろ?」
「ひい......翔チャンの目が笑ってないよ......」
「そっかあ。じゃああたしテニス部のみんなとテスト勉強する予定だから帰るねッ。ばいばい、2人とも」
「うん、また明日ねやっちー」
「ばいばーい」
私たちはさっそくパソコン室に向かった。
「やっぱりアウトじゃん......どんだけセキュリティガバガバなのよ......いや2004年じゃこんなもんか?」
「どったの翔チャン」
「残念なお知らせがあります、九ちゃん。天香サーバー自体にハッキングの形跡がある。全校生徒のメールや教師が保管しているデータが外部から閲覧できる状態だったよ」
「えっ、それやばくないか?」
「今すぐにでもテロ起こせるね」
葉佩は戦慄している。
本来なら機密情報・個人情報の厳重な保護を必要とする場合、外部との通信を遮断し、情報漏洩を防止することが必要だ。ネットをする画面と通常画面は切替えるシステムにすべきだったが、この學園にパソコンがもちこまれたのは2000年、たった4年前である。さすがに無理をいってはいけないかもしれない。
あとはH.A.N.T.を持ちながらくまなく不審な点を探した。
「境さん、最近なんか変わったことない?」
盗聴器や監視カメラを調べて回っていると境さんにあった。
「ファントムシンパが減ったかと思ったら今度はガチでやばいのう」
やはりなにもする気はないようだ。そして。
「 はい、アウト」
「なんか俺でも見たことあるやつ来ちゃった」
「講堂まるごとぶっ飛ばす気かな?」
《レリックドーン》の連中が警備員をやっていただけあり、校舎内だけでも不審な機材や機械、パソコンがたくさんでてきた。
「......うっげ、通信機能抑止装置まで持ち込んでる......。H.A.N.T.も携帯も一発アウトじゃん......」
講堂の右階段から登ることができる制御室内にて、私は頭をかかえたくなった。
それは無線通信を通信妨害するための無線設備である。通信抑止装置、電波抑止装置などとも呼ばれる。特に携帯電話やPHSの通信をジャミングするための無線設備だ。
これだけ大規模ならば學園施設内ならばどこでも携帯電話やH.A.N.T.、パソコンの使用する周波数の妨害電波を発射できれば、全ての通信手段を妨害することができるに違いない。
「これであらかた調べ終わったかな。次行こうか、次」
「了解」