スケール14 深淵に潜む者
少し難しい話をしよう。

記憶は感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに大きくわけることができる。感覚記憶とは、外部からの刺激を与えた時に起こる1、2秒ほどのもっとも保持時間が短い記憶である。五感がそれぞれ特化して保持しており、瞬間的に記憶されるのみで意識されることはまずない。外部からの刺激を与えたときの記憶はまず感覚記憶として保持され、そのうち注意を向けられた情報だけが短期記憶として保持されるのだ。

その短期記憶は情報を短時間保持するところ。一夜漬けの勉強といった時間の経過と共にすべて忘れてしまうものはたいてい短期記憶と考えていい。視覚的、空間的なイメージ、言葉の意味、それから導かれる推論、音などの五感の記憶、個人によってその中に詰め込める容量は差異があるが、短期記憶は何度も繰り返すことで長期記憶に送られる。

長期記憶は、もっとも多くの情報を保持できるところだ。ここに入った情報は消えることはない。思い出せないとすれば、あるいは記憶が別の記憶と関連が深く、それを思い出すことによって心身に悪影響であると判断して意図的に思い出せなくしている。もしかしたら、適切な検索の手がかりが見つからないため、記憶の中の情報にアクセスできないのかもしれない。

長期記憶も2つにわけることができる。言葉にできる記憶と、言葉にできない記憶。いわゆる勉強と運動。繰り返し覚える記憶と、体で覚える記憶だ。後者は意識しなくても使うことができる、体が覚えている状態の記憶だ。時間をかけて学習したこと、パターンを意識しなくても行うことができること。デュエルディスクの使い方、アクションデュエルでの立ち回り、カードの持ち方。これは一度覚えてしまえばずっと忘れない。記憶喪失の遊矢がアクションデュエルに自分の価値を見いだしているのも、間違いなく自分は決闘者だったことを体が証明してくれているからだろう。浮遊点は固定してくれるものを求めてやまない。

デュエルモンスターズに関わる単語、イラスト、音。そういったものはデュエルモンスターズ、アクションデュエル、ソリッドビジョン、そういったものにふれることで遊矢は無意識のうちに次々と浮かんできた。関連する言葉だけはすぐに思い出すことができた。特定の時期の出来事や知識が抜け落ちている遊矢にとって、自分を肯定してくれるように思い出せるジャンルに深入りするのは当然の流れである。ただ、遊矢の記憶にとって、それはデュエルモンスターズ、そして自分自身に関する記憶にも結びついているせいで、大規模な空白となってしまっていた。自分に関する記憶を説明するひとつの流れが虫食い状態なのである。埋めようとするたびになにかがたりない空虚に見舞われる。エピソード記憶を破壊され続けているせいで、アクセスする道が寸断されてしまっている。

それが濃い霧となっているように、蓮は感じられた。


遊矢のデュエルディスクを通して、記憶の世界に介入した蓮が真っ先にむかったのは、長期記憶の保管場所である。まず確認したのは事実と経験を保管しておくところ。これは意識的に言葉にすることができる記憶だ。教科書などを使った学習や知識はここに保管され、何度もアクセスすることで簡単に思い出すことができるようになる。反復することで覚えられるものはたいていここだ。ある期間にある場所で起こった出来事についての記憶と、時間や場所が関係ない事実や知識についての記憶にわけることができる。ここは視界が広く、特に迷うこともなくDホイールを進めることができた。

蓮の目的地はその先、遊矢の記憶の世界において、濃い霧の世界に包まれている場所。エピソード記憶と呼ばれている場所だ。時間、場所、そのときの感情を保管するエリアだ。もっとも、事実や知識に関する記憶とエピソード記憶は密接に補完しあっているため、すでに霧はたちこめ始めていた。

ユーゴに見つかり、ライディングデュエルは開始された。

エピソード記憶はいわば物語だ。新たなエピソードは常に紡がれ続けている。だから蓮が遊矢の世界に介入を試みたとき、はじめこそ視界は明瞭だった。新しい情報を学び、系統たてて学ぶことができるのはここがしっかり働いている証である。この時点で遊矢は脳の障害による記憶喪失ではないことが明らかになる。にもかかわらず、過去に見たことがあるものを自覚することはできるが、それをいつどこでみたのか思い出せない状態なのは、ユーゴたちがその情報につながるアクセスポイントを破壊してまわっているからだった。情報を効率的に記憶する仕事を邪魔しているのだ。

エピソード記憶は1度限りの学習機能だ。たった1度体験しただけで、記憶する。だから忘れない。でも、繰り返し似たエピソードを体験すると、記憶が強化される。思い出しやすくなる。エピソード記憶はいわば、事実や知識の項目をむすびつける地図のようなものだ。決闘者、デュエルモンスターズ、デッキ、40枚といった事実や知識は独立しており、それをエピソード記憶というネットワークがつないでいる。つながっている線が多ければ多いほど、関連づけて思い出すことができる。それぞれの事実や知識は、新しい体験によって新しい事実や知識との繋がりが生まれ、どんどんその人の中で意味合いが変化していく。だから、特定の出来事についてのエピソード記憶は、いずれ一般化していきぼんやりとしたものしか思い出せなくなっていく。繰り返し思い出すことができるとすれば、もはやそれは実際に体験している出来事ではなく、あとから語っているものに変化している。記憶は一般的に強い感情と結びついて記憶されると、なかなか出来事から思い出に変化せず、ずっと記憶され続けることがしられている。

ユーゴたちが徹底的に破壊して回っているのは、この記憶群である。

遊矢にとって重大な出来事に関する非常に詳細な記憶。閃光のように強烈に焼き付けられた記憶。写真のフラッシュを炊いたときのように、鮮明で、あたかもその場にいたときのことをリアルタイムで思い出すことができるような記憶。強烈な感情が伴った記憶は、遊矢の気持ちに関係なく時間がたっても鮮明に思い出す。

この記憶群も、通常より正確に鮮明に思い出すことができることが特徴だが、記憶であることにはかわらない。この記憶はエピソード記憶だ。繰り返すことで強化される。遊矢がその出来事を思い出すような事態に接触しなければ、やがて風化していく。エピソード記憶は定着する前なら忘れるまでの期間は短いが、定着すれば一生忘れないのだ。記憶は思い出す、つまりその情報にアクセスを繰り返すことで記憶は長持ちされる。定期的に記憶が補強されなければいい。


蓮が踏み入れた濃霧の世界は、そのもっとも高度な記憶の深いところである。ユーゴのデュエルに敗北こそしたが、このライディングデュエルによって遊矢の中でユーゴたちが破壊して回ったはずのネットワークが活性化してしまった。意図的に遮断されたとしても、延々と遮断しなければ記憶は新しいネットワークをすぐに構築して、アクセスしやすくなり、思い出しやすくなってしまう。終わらない徒労。それを実行する悲痛な決意。それは蓮を追いかけることよりも優先されるらしい。蓮は追っ手をまくことに成功した。


現在、遊矢が自力ではたどり着けない孤島となっている記憶を閲覧し、その様子を詳細に持ち帰る任務を達成した。濃霧ばかりが広がる世界は、初めて入り込んだ蓮にとって未知の領域だ。計画よりもだいぶん時間が経過してしまったが、遊矢の記憶の世界の全体像が把握できただけよしとしよう。蓮がそれを見つけたのは、孤島とかろうじてつながっていたネットワークを転移し、事実や知識を記憶するエリアにもどってきたときだ。不自然につながるネットワークをみつけたのだ。まだ見ていないエピソード記憶があるかもしれない。そう思って蓮は足を踏み入れた。


「ここは」


それはあまりにも異質な存在だった。先ほどまでさんざん迷った濃霧の世界ではみつけられなかったものだ。こんなに広大な敷地を持つなら発見してもおかしくはないのに。

本来なら、もっともっと手前、蓮がこの世界に入り込んだとき真っ先に見つけるべき建物だった。デュエルモンスターズ資料館、通称ワンキル館。ワールドイリュージョン事件以後にできた今の施設がどうしてここにあるのか、蓮にはわからない。ここは遊矢にとっていわば空白の記憶だ。ワールドイリュージョン事件、榊遊勝、ペンデュラム召喚の研究。ユーゴたちが思い出さないよう懸命にネットワークを破壊し続けている、その残骸、そして濃くなっていく霧の向こうに突然現れる建物。興味を引かれないわけがない。

そこにいた青年に、一瞬蓮はかつての館の主を連想した。しかし、それは意図された類似性だとすぐ理解する。

「今日はやけにお客さんが多い日だな。派手に暴れてたのはアンタか?」

「そうだとしたらどうするつもりだい?」

「どうもしねえさ。おれは遊矢が作り上げた城前(おれ)だからな。遊矢が望まなきゃなにもできねえよ。お互い初対面なんだ、とりあえず自己紹介といこうぜ。破滅を手にした者が運命を支配する。光の使徒ライトロード、今ここに現るってな。おれはデュエルモンスターズ史料館の広告塔、混沌使いの城前だ。よろしくな」

「私は蓮という者だ」

「蓮、か。わかった、覚えとくぜ」

「それを聞いて安心したよ。今、榊遊矢はユーゴたちの方に意識を向けているからな。つまり、城前克己、いまの君の意志は遊矢の無意識と連動している」

「まあ、そうなるな」

「どうしてここにワンキル館があるのか聞いてもいいかい?」

「遊矢は城前(おれ)がなにか知ってると考えてる。だから穴だらけの記憶を埋めてくれるんじゃないかと期待している。関係なくても勝手に関連づけちまうのが人間の悪い癖だからな。本来あるべき場所が空白だから、それによく似たもので埋めちまう。つまりはそういうこった。遊矢が記憶を取り戻せば、ここも、城前(おれ)で上書きされちまってる誰かも、ちゃんともとにもどるだろうさ」

「榊遊矢は城前克己と誰かを無意識に重ねている、混同しているということかい?」

「まあ、こんだけ似せてりゃ無理もねえさ」

「なるほど、本来の君とずいぶんとかけ離れた雰囲気だったり、言動だったりする可能性もあるわけだ。私はまだ現実世界(あちらの世界)で君と会ったことがないからなんともいえないが。私の探していた場所がない理由がわかった気がするよ、ありがとう」

「どういたしまして。ライディングデュエルはやったことがないんだ。でも、デュエリストなら、アクションデュエルだって、スタンディングデュエルだってできるだろ?蓮っていったっけ。デュエルしていかないか?ユーリたちはデュエルしてくれなかったんだよ」

「あいにく私も、今の君には興味がないんだ。すまない」

「そっかあ、そりゃ残念」

城前は笑った。


prev next

bkm
[MAIN]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -