嵐の前の静けさ
「こんな時間にごめんなさい、藤木君」

「どうしたんだ、和波。ずいぶんとくるのが遅かったな」


不思議そうに聞いてくる遊作にこくんと小さく和波はうなずいた。底知れぬ感情に誘い込まれ、愁いを帯びた紫色の瞳からは不安と悲しみがゆれていた。漠然とした悲哀だった。遊作は何度もこの顔を見たことがある。心にどっぷりとつかっている感情はなかなかに胸に来る。鏡越しの自分、あるいは幼き日の弟の写真を一人見つめる草薙さん、幾度も覚えがある顔だった。心がどんどん沈んでいくのを感じていながら、どうしようもないときの自分と同じ状況なのだと遊作は思った。重く抑え付けられたような気持ちは、体中から何か大切なものがどんどん落下していくような虚無感と喪失感に苛んでいくのだ。絶望に埋没していく気分である。踏ん張ってもあがいても泥沼に落ち込んだように身動きがとれず、どんどん沈んでいく怖さでもある。


今でも遊作は覚えがあるのだ。この憂鬱な気分は定期的に、まるで突風のように突然襲ってきてはものすごい勢いで遊作からあらゆる感情を根っこから吹き飛ばしていく。心に荒れ狂う風を押さえ込むあまりにすべてがかたくなに閉ざされていくのだ。今の和波はまさにそんな顔をしていた。


「なにかあったのか」

「……ハルムベルテに会いました」


思わず遊作は和波を見た。


「ほんとか、和波」

「はい、」

「やめとけっていっただろ、和波。言え、何があった」


強く肩を揺さぶられ、痛いですよと苦笑いしながら和波はうなずいた。


「デュエルを挑まれました」

「ハルムベルテにか、大丈夫だったのか」

「はい、デュエルは僕の勝ちです。デュエルログ、確認してもらえたらわかりますけど、彼女はグレイ・コードでありハノイの騎士でもあります。しかもDr.ゲノムの部下だと」

「ほんとうなのか」

「はい」


遊作が和波をつかむ手が少しだけ弱くなった。グレイ・コードに対する復讐が絡んでくるのならば、それは遊作が立ち入れるような領域ではないのだ。互いに不可侵協定を結んでいる以上、協力体制はあっても対立することはあってはならない。遊作は先を促す。


「彼女の父親は5年前ハノイの騎士であり、グレイ・コードでもあった。フェッチ事件の実行犯の一人だそうです。誰なのかはこれから調べないといけないんですが、彼女は突然植物状態になった父親の真相を探るためにハノイの騎士に入ったんだそうです」

「なんだって!?」

「ほら、藤木君にはお話しましたよね?僕がフェッチ事件から逃げ出すまでの経緯」

「……ああ。たしか、乗っ取られてる体を奪い返すために派手に暴れたんだったな」

「はい、彼女の父親はその被害者の一人だそうです」

「そう、なのか」

「はい、そうなんですよ、藤木君。僕が彼女を、ハルムベルテをハノイの騎士に入団させ、そして父親を奪ったようなものなんです。これはどうあがいても逃れられない事実、僕が一生背負うべきものです。償う気なんかないですが」


遊作は和波を見る。深い深いため息が漏れた。


HALと和波から聞いている。5年間体を乗っ取られた和波たちが奪還するためには、その体を巣くっているAIをハッキングしなければならない。そのためには研究所ひとつを使って操作しているシステムそのものをハッキングしなければならなかった。研究者たちはリンクヴレインズにアクセスした状態でフェッチ事件の悪行を働いていた。和波がハッキングをすることはすなわち、彼ら全員の頭の中にウィルスをばらまいたり、アバターを無理矢理ログアウトできないようにしたりするに等しい。すべてが連動していた。5年間もハッカー集団の工作員をやらされていた和波は心神喪失状態、実質動くだけの人形だったに他ならない。HALがそこにつけ込んで電脳死や植物状態の事件を引き起こしたといっても過言ではないが、和波はHALを異様なまでに慕っている。HALがやったことなのだ、実行犯はHALである。和波は見ていただけだ。それでも依存とも執着とも違う複雑な関係を構築してしまう前段階として、HALは和波に罪悪感を植え付けたと言っていい。遊作は気づいていたがなにもいえなかった。いうべきじゃないと思ったのだ。HALはたしかにアイのバックアップであり、イグニスだが自称するとおりずいぶんとバグっているようだから。本性を現すまでは放置しているのだ。だから遊作は慎重に見極めるのだ。


「ハルムベルテは僕にHALが保管してる魂のデータとのデュエルを要求してきました」

「ハルムベルテの父親のか?」

「はい」

「返せって?」

「いえ、デュエルがしたいそうです」

「デュエル?」

「はい、ハルムベルテという名も、使っているデッキも、そもそも父親のものだそうです。リボルバーが言うには相当優秀なデュエリストだったらしくって、一度でいいからデュエルがしたいそうです」

「そんなことありえるのか?」

「……わからないです。ハルムベルテは特殊なプログラムで僕のスキルを妨害してきました。マインドスキャンが使えなかった以上、建て前と本音が違うのかはわからないです」

「うけるのか」

「ええ、もちろんですよ」


遊作は眉を寄せる。


「藤木君は優しいですね、でも大丈夫ですよ。藤木君だって、playmakerとして電脳死させた、あるいは植物状態となったハノイの騎士がいたとして、彼に家族がいて報復に来たとしたらどうします?こちら側に来るなと忠告しても堕ちてしまい、デュエルを挑んできたとしたら」

「……それは」


遊作の目がわずかに揺らいだ。


「あ、ごめんなさい。考えたことなかったです?」

「……ああ、わるい。あいつらも生きてるやつだって実感したばかりなんだ」


遊作の脳裏にはリンクヴレインズにおいてplaymakerの存在を知らしめ、ハノイの騎士に宣戦布告することになったあのハノイの騎士が浮かんでいる。アイによって捕食され、もっていたデータをすべて解析し、今の活動の根幹としている今なんと返していいのかわからないようだった。


「あ、そっか。ごめんなさい、つい。僕の場合は気づいたらぜんぶ終わってたから…」

「俺もアイが捕食したら電脳死か植物状態になると気づいたのはつい最近だ。気にするな」

「キミの場合は時限爆弾でもろとも吹き飛ばされそうになったから、正当防衛ですよ」

「それをいうならお前もだろう、和波」

「あはは、ありがとうございます」

「いくのか」

「はい。ハルムベルテは僕に連絡先をよこしてきたので、今から連絡を取ろうと思います。なので、もし何かあったらよろしくお願いしますね」

「……相談って言うのはそれか?」

「はい」


うなずく和波に遊作はため息をついた。


「和波」

「はい?」

「無茶だけはするなよ」

「わかってますよ。HALが任せとけってうるさいので、今回はHALに任せてみようと思います」

「HALに?」

「はい、ハルムベルテの父親の生体情報や魂のデータを保管しているのはHALなんです」

「ああ、そうか、なるほど。ハルムベルテは精霊プログラムに変換されたHALを認識することができないんだな、俺たちみたいに」

「ええ、新人なんだそうですよ」

「新人……」

「そうなんですよ、新人」


なぜか遊作は和波が今にも泣きそうな顔で笑っているように見えた。


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