カウントダウン
「和波!」


いつになく焦燥感が先走る遊作の声は、誰もいなくなった教室によく響く。ばたばたと走ってきた遊作は、こい、と和波の手首をつかみ、そのまま校舎をあとにする。不思議そうに振り返る生徒や先生たちなど気にもせず、何度もどうしたんですかと聞いてくる和波の戸惑いすら無視して走り続けた。向かうはカフェナギ一直線である。


いくら言葉を並べても言葉にならない焦燥感が遊作をらしくない行動に駆り立てているようだった。耐え難い、奇妙な、焦りである。心の中をかきむしるような、激しい焦燥感、あまりにも不快なそれは遊作ですら制御することができないようだった。


歩行者信号が赤になるたびに苛立ちを覚える。痛いですよ、と和波が泣き言をぼやいても遊作は無視しつづけた。繰り返し襲いかかってくる衝動に身を任せ、遊作はようやく口を開いた。


「藤木くん、どうしたんですか、ねえ、藤木くんてば!どうしたんですか、ほんとに!?」

「ゴーストからメールがきただろ」


遊作自身びっくりしてしまうほどに怒りが先走る声だった。遊作は自分の視界が狭くなるのが分かった。焦りのため、鼓動が早鐘を打ちはじめる。息が上がり、えもいわれぬ不安で胸が締め付けられる。頭を振った。

なんで、どうして、なぜと頭の中に囁き声が充満する。思考が、氾濫した水で押し流される。渦を巻き、思い浮かべた言葉や感情を、洗濯でもするかのようにごちゃまぜにする。


遊作はその焦燥感の洪水に身を任せた。激流が頭を掻き回す。もちろんほんのわずかな時間に過ぎず、たとえばまばたきを数回するほどの間だった。でも奔流が頭の中の濁りが消えるどころか思考や逡巡ばかりが体をうごかす。


「え、なんで……あ、みれるんでしたっけ。はい」


いつもと違う妙な気迫がある遊作に戸惑いつつ、和波は恐る恐るうなずいた。


「いくのか」

「え?あ、はい。僕とデュエルしたい人がいるって」

「やめとけ」

「え」

「今回、やつはハノイの騎士と組んでいる可能性がある」

「え!?」


遊作は和波をつれてカフェナギに向かった。

リンクセンスでリンクヴレインズの異変を探知したplaymakerはその道中でゴーストガールと出会い、データ処理施設でハノイの騎士のアジトを見つけたという。リボルバーはゴーストガールを報復としてデータに変えた。その直前、ゴーストガールがplaymakerに忠告したというのだ。

リボルバーとゴーストがなんらかの取引をしているところを見た。初対面というよりは勝手知ったる、な仲に見えたという。


「あいつはデュエルが全ての判断基準だからな。面白そうだからと首をつっこんだ可能性もあるが……昨日の今日だ。警戒するに越したことはないだろう」

「でもゴーストは僕と同じフェッチ事件の被害者なんですよ、藤木くん。リンクヴレインズのおかげでサイコ能力が抑えられてるはずだし、ハノイの騎士の味方なんてします?」

「だがアイツはゴーストガールや俺が潜入しているとリボルバーに告発して去ったらしい。おかげでゴーストガールは……」

「そうなんですか!?」

「ああ。だから和波、ゴーストに返事をするのはゴーストガールが自らと引き換えに俺に渡してくれたこのデータを解析してからにしてくれ」

「わ、わかりました」


遊作たちがトレーラーの中に入ると草薙がすでにスタンバイしていた。



ハノイの騎士はハッカー集団である。主にコンピュータや電気回路一般について常人より深い技術的地域を持ち、その知識を利用して技術的な課題をクリアする人々のうち、その技術を自分の欲望を満たすために使うのだ。


その攻撃態様や利用された技術の特性を見る限り、単独のハッカーや小規模のグループで実行することは能力、資金、人的リソースの観点で現実的に不可能に近い。だがそれを可能にしたのがハノイの騎士なのだ。


個性が強く、それぞれの関心が異なる複数のハッカーが集まって同調的行動を行う際、それぞれのハッカーから信頼と敬意を獲得したリーダーや厳格な指揮命令系統が存在しない限り、その同調的行動は短い期間で破綻し、目的達成を果たせないばかりか、関係者外に内部情報が流出することがある。


理由の一つに、参画した一部のハッカーが、外部にあまり流通していない価値の高い情報を、秘密裏に様々なブラックマーケットに高値で何度も売るためである。情報という無体物は、他人に与えても元から無くなることがないという非移転性の特性があるため、他者に対して無限に何度も与えることができる。したがって、情報の価値が高ければ高いほど、費用対効果が極めて高い商材となる。


或いは、ハッカーコミュニティで自分自身の名声や価値を高めるために使われることもある。そのため、行動主体には、何かしらの強い統制力が存在しているとみなすのが自然といえる。


ところが、強い統制力を発揮する手段として、高い報酬を与えるだけでは失敗する。前述のとおり、得ることのできた内部情報を他所に高値で売る輩が存在するためである。また、特定の技術領域に長けているハッカーを指揮命令系統の中に入れる場合は、その技術領域の範囲内で活動の場を適切に提供しなければならない。


リボルバーはカリスマ性でもってその統率を可能としていた。



秘密裏に開発された高度な技術の存在を背景に、ハノイの騎士はSOLテクノロジー社と敵対している。SOLテクノロジー社のインフラにおける重要システムは、すでに高いレベルのセキュリティ対策が施されているため、これを凌駕する攻撃技術を開発或いは獲得することが必要となるのだ。

一般的な技術開発は、産業や生活などを一層有効な形で運営するための技術の獲得を目的として、それを成し遂げるための組織的な努力のことである。実際の活動は、製品や製法のイメージを明確にした上で、科学における知識や法則の基盤を基に、社会のニーズに当てはまるものを発明していく。これにより、資本主義体制という、資本つまり貨幣の運動が社会のあらゆる基本原理となり利潤や余剰価値を生む体制の社会において、技術開発の好循環が進み、常に社会と対話しながら高度な技術が作られていく。


そのため、敵対するSOLテクノロジー社の社会インフラや重要施設に深刻な被害を与える攻撃技術の開発においては、対話すべき対象がデンシティそのもの、社会となる。そして、このような技術開発の調達先の多くが、利潤追求を求める民間企業であるため、ハノイの騎士は、開発された攻撃技術に対する対価を支払っていくことになり、膨大な予算を確保しておくことが求められる。


さらに、技術開発に必要となるイメージを作るためには、敵対するSOLテクノロジー社のインフラや重要施設において実際に稼働しているシステムの構成や利用技術を把握及びそれらの脆弱性を徹底的に見出した上で、被害を確実に発生させるため攻撃プロセスを立案していくことになる。


つまり、高度な諜報能力と緻密な作戦能力の発揮が求められる。


このように、特定の目的を達成するためのハッカーの育成や確保や、攻撃を実現するための高度な技術を開発するには、様々な困難を伴うことになる。しかし、豊富な資金力が確保でき、かつ強い影響力を行使できる権限を有すれば、その実現は不可能ではない。すでに、諸外国で確認されているサイバー攻撃の多くに、ハノイの騎士の意思が必然的或いは潜在的に反映されている。



SOLテクノロジー社は、営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体であるため、第三者にとって有益な情報を内部に保有している。そのため、経済的利得を目的としたサイバー攻撃の被害に遭いやすい。特に、ブラックマーケットでの売買や他のサイバー攻撃に利用することができるクレジットカード情報及びID、パスワード等の個人情報や知的財産等の営業秘密情報の窃取を狙ったサイバー攻撃が突出して目立つ。このような攻撃による被害が続いていくと、民間分野の事業活動に重大な影響を与える。

SOLテクノロジー社も万全の体制をととのえてきたはずだが、相次いで情報流出事故が急増し、情報セキュリティの認証を取得したSOLテクノロジー社でさえ、数百万件ほどの個人情報流出事故を起こすようになった。これは、認証取得時における想定脅威を「技術を誇示する愉快犯」や「金銭搾取を狙う犯罪」としていたが、その後に大きく変化したサイバー脅威に積極的な関心を向けていなかったことに大きな問題があった。


つまりに、SOLテクノロジー社は自分の責任や義務などを自覚せずに想定脅威が変化しないものと捉えて、防御策を固定的なものとしてしまい、変化する脅威に対する防衛策を動的に変更管理していなかったのである。


見方を変えて言うならば、上層部が継続的に変化をしていくサイバー空間における状況認識を怠ったことにより、経営層自らの危機意識やリスク感覚が欠如し、組織を危険な状況に置いてしまったということができる。


ハノイの騎士が作成している特大のウィルスプログラムは、その脆弱性につけこみ、一気にこのネットワーク社会を瓦解させかねない爆弾だった。ネットワーク接続をしていないアナログな家電など今の現代人には存在しない。車、家電、デュエルディスク、すべてが使えなくなったとき全ての人々が被る不利益はとんでもないものとなる。


草薙も遊作もAIも驚きすぎて固まってしまった。いち早く回復したのは和波だった。真っ青になったまま立ち上がる。


「まって……まってください、なんですかこれ!これが完成しちゃったら、僕、ぼく、またマインドスキャンがコントロールできなくなっちゃうじゃないですか!それにグレイ・コードの被害者たちがみんなまとめて消されちゃう!ダメです、ダメですよ、こんなの!」

「それだけじゃないぞ、和波くん。たぶん電気で動いてるものは全てこの世から消えることになる。そうなったら待ち受けてるのは世界の終わりだ」

「そんなっ」

「……ゴーストのやつ、なんでリボルバーと取引なんかしたんだ。リンクヴレインズがなくなったら生きていけなくなるとまでこぼしてた癖に」


遊作は拳を握りしめた。


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