第一話
「スクラマサクスの生体情報を解析してたらみつけちゃったんだよ、みてくれ、これ」
HALは巨大なモニタにデータを表示させる。
「これは?」
「これはなー、あれだ。グレイ・コードの資金源とその流れだ。どうやらあの女、秘書課にいたのはそういうことらしいな。ほれ、これ見てみろ」
「これは」
和波は目を丸くした。そこにはSOLテクノロジー社の上層部に吸い上げられていくお金の流れがあったのだ。
「まさか、グレイ・コードって」
「10年前になんかあったのはたしかだな。ハノイプロジェクトの計画を立案した鴻上博士、ハノイの三騎士ども、グレイ・コードの古参連中。どうやらこのときの初期メンバーのうち、金に関する分野を担当してたやつらが独立したようだ。こんときから鴻上博士と今の連中の間を行き来してたみてーだなカラスかコウモリかよ、こいつら。見境ねーな」
「7年前に鴻上博士が亡くなって、ハノイの騎士が結成されて、うーん、やっぱりわかんないね」
「ここばっかはもっと上をつつかねーと出てこれねえな。せいぜい今の資金源の流れがぼんやり把握できるくらいか」
「グレイ・コードの一般人からの搾取はだいぶボクらがつぶして回ったから、ここのルートAほぼ壊滅状態だよね。、あとは、もっと内部かな」
「そろそろ動くか?」
「リボルバーくんにまた会いに行く?」
「Dr.ゲノムに接触しねーとどうにもならねえのは確定したからな。ここにあるデータだけでも交渉の前金にはなるだろ。ハノイの騎士の資金まで流してることがわかったんだからよ」
「そうだね。鴻上博士のこと考えたら、絶望どころの話じゃないと思うけど。そろそろハノイの騎士の上の方を調査する時期かな」
「正直ここんとこめぼしい成果はあげられてねーからな。末端ばっか捕食してもこのくらいが関の山だってわかっただけでも上々だろ」
「そうだね」
和波はうなずいた。HALの意見はもっともである。今の和波とHALの限界はここなのかもしれない。
「ほかにお土産になりそうなものってあるかな」
「うーん、とくにはねーな」
「とりあえず、目標はDr.ゲノムだね」
「そういうこった、ちゃんと情報入手してこいよ」
「わかってるよ、まかせて」
和波がリボルバーに以前の交換条件の一部を満たせたとメールを送ると、ここに来い、とアドレスが添付されてきた。和波はHALをおいて、ログインする。もちろんゴーストである姉のデュエルディスクを使った状態でだ。HALを連れてくることはできない。
「うっわあ、なにここ、ゴミ捨て場?ディストピア感あふれてるなあ。こんなとこまで再現してるんだ、リンクヴレインズって」
汚水が垂れ流される地下水路に出たゴーストは、データの残骸が流れていく道をたどることにした。リボルバーが指定したエリアは少し先である。どうやらリンクヴレインズにおいて不要になったデータの残骸たちをまとめて処分するところのようだ。デバック空間に蓄積させるわけではなく、わざわざこんな施設を再現し、ご丁寧に悪臭や不快なゴミの山を再現するあたり凝り性なプログラマーがいるらしい。ずいぶんと迷路のように複雑なのは、きっと鴻上博士がSOLテクノロジー社につとめていたころに作ったエリアだからなのだろう。そうでなければSOLテクノロジー社の管理下にあるはずのリンクヴレインズにおいて、誰にも知られずにハノイの騎士のアジトとすることなど不可能だ。その辺はグレイ・コードの工作員として5年間も過ごしてきた経験があるゴーストは経験則からわかっていた。ここはハノイの騎士のアジトであり、かつては鴻上博士や三騎士たちが作ったエリアであり、SOLテクノロジー社の元社員である証なのだと。
「えっと、こっちかな?」
ずいぶんと複雑な構造のようだが、今回は招かれた客である。一本道のルートをリボルバーは選んでくれたようだった。道なりに進んでいくと開けた空間に出た。
「うっわ、なにこれ」
思わず声に出る。その声に振り返ったリボルバーはその巨大な球体から視線をそらし、ゴーストのところに歩いてきた。
「よく来たな、ゴースト」
「まあね、招かれちゃ来ないわけにはいかないじゃない。お互いに大事な商談なんだしさ」
「そうだな」
「すっごいね、これ」
「当然だ、これは我々にとって最後の切り札だからな」
「切り札ねえ、ふーん。ここってさ、鴻上博士たちの杵柄でしょ?イグニスが行方不明になってサイバースが消失した5年前から秘密裏に進めてたってところかな?すさまじいお金が動いてそうだね、さすが」
「グレイ・コードのせいで計画は延期を繰り返してきた。ようやく日の目を見ることができる」
「ここ最近は隠すことすら放棄してるもんね、グレイ・コード。ボクが資金源のルートをひとつつぶしたし、SOLテクノロジー社内部の内通者も壊滅させたし、中心にいたフランキスカ倒したから、だいぶ苦しいみたい」
「おかげで我々の計画も一気に進めることができたからな。それだけは感謝する」
「いえいえ、それほどでも。でもなーんかいやな予感がするね、これ」
「いずれわかる。そのときまで楽しみにしていろ」
「うわーい、全然たのしみじゃない!むしろ怖いよ!」
くだらない雑談をしながら、ゴーストはぐるりとあたりを見渡す。
「アナザー事件の時、キミが顔を出さなかったのはこっちに集中したかったからかい?」
「それもある」
「やっぱりこっちの隠れ蓑にするためかー。ボクのAIたちにちょっかいかけてくれちゃってさ、もー。勘弁してよね」
「お前にかぎ回られると面倒だったからな」
「ひっどいなあ、ボクのこと何だと思ってるのさ、全く!ボクは悲しいよ、リボルバーくん!いつもキミはつれない!」
はあ、と大げさにため息をついて、ゴーストは悲しげな顔をした。それでもリボルバーの反応が薄いので、肩をすくませる。そして、手を広げた。目の前に四角いマテリアルが展開される。
「はいこれ、ボクの中途報告だよ。ホウレンソウは大事だからね」
「たしかに受けとった。確認させてもらうぞ」
「どうぞー!報酬はちゃんとちょうだいね!」
リボルバーはそのカード上のデータを受け取ると、すぐさまプログラムを展開し、近くにモニタを表示させた。どうやらこのエリアの管轄はリボルバーが握っているようだ。これは下手に怒らせると出られなくなるパターンかなあ、と思うゴーストである。ちょっと好奇心がうずくがしっかり情報をもらってこいと言われたばかりだ、遊びほうけてリボルバーを怒らせるのは得策じゃないだろう。我慢我慢である。
そこに表示されているデータをざっと確認したリボルバーは、唇をかんだ。ゴーストがわざわざマインドスキャンを確認しなくてもわかるくらい、こみ上げてくるものがあるのがわかる。なんともいえない怒りがこみ上げてきているのだろう。言葉すらはき出せないくらい絶句している。そのうち火のような激しい怒りが吹き上がった。激情を抑えることができず、リボルバーの体は怒りに震える。かきむしりたいほどの衝動なのか、両手の爪が食い込むのも気にせず、制止できないほどの感情をなんとか押さえ込んでいるのがわかる。怒りのもって行き場がないのだろう、リボルバーからは音もない声が漏れる。それは苦悶だ。目尻が険しくつり上がっている。きっと仮面の向こう側では血相変えて怒りをぶちまけたい衝動にかられているにちがいない。猛毒のような、殺意を伴った眼光がゴーストではない誰かをみている。苦痛にも似た灼熱の感情は、やがて憎悪に凝り固まっていく。爪の先まで青白くなった手は、押さえつけても押さえつけても震えている。最も耐えがたい種類の嫌悪がうかんでいた。
「どこまで人を愚弄すれば気が済むんだ、グレイ・コードは!」
激しい憎悪がリボルバーをおそった。殺気と闘志に包まれている彼を下手につつけばやけどしそうだが、ゴーストは引き下がる気など毛頭ない。怨恨を孕む残忍な光が向けられても気にしない。ゴーストに向けられているわけではないからだ。
「ボクに言われても困るよ、リボルバーくん」
瞬間的に沸騰した狂おしいほどの復讐に対する衝動に投げ込まれた乾いた音。白々とした空虚感のあと、リボルバーは黒い怒りを収めた。
「ボクが持ち得る情報はこれがすべてだよ。具体的にどう資金が流れているのかを知るためには、Dr.ゲノムに接触しないといけない。約束を守るためにはさらなる情報提供をしてもらわないと困るよ」
「わかっている」
事情はある程度把握しているから同情するに値するが、それ以上にハノイの騎士の積み上げてきた犯罪歴がすべてを帳消し、もはや精算できない領域にまで達している。だからゴーストはなにもしないのだ。それが今のスタンスである。
リボルバーが怒るのも無理はない。彼の視点だと鴻上博士はロスト事件の首謀者に祭り上げられ、死人に口なしとばかりに殺されたのだ。事故死、病死、リボルバーがどう周りの大人たちに吹き込まれたのかはわからない。ただ7年前に鴻上博士は死んだ。どうみてもロスト事件との因果関係があるのだ。内部告発により発覚したとあるが、そもそも国家レベルで規制されている情報がSOLテクノロジー社のサーバになぜ存在しているのかという話である。答えはひとつだ。鴻上博士はハメラレタのだ。そう、リボルバーは考えている。だからハノイの騎士と名乗り、5年前にイグニスを襲撃したのだ。父の意志を継ぐために。にくきSOLテクノロジー社の上層部にハノイの騎士の資金が流れているのだ、怒って当然である。
「ここにあるのがサクスが取引してた人たちだよ。みんなグレイ・コードのスポンサーだね」
「なるほど、こういうことか」
「そういうこと。ゴーストガールとかトレジャーハンターの名前まであるなんてびっくりだよ。たぶん運び屋をさせられてるだけだとは思うんだけどさ」
「ゴーストガール、あの女か」
リボルバーの殺意を垣間見た気がした和波である。
「ボクの中途報告はこんな感じだよ、リボルバーくん。報酬はなにかな」
「ああ、わかっている。もっていけ」
投げられたデータマテリアルを受け取り、和波はさっそく情報を開示する。
「へーえ、ここまで情報くれちゃうんだ。ボクが手を出してもいいって解釈するけどかまわないよね?」
「すきにしろ、私はなにも見ていない」
「了解だよー。それじゃ、次は期待してて、今度はグレイ・コードの資金源の使い道、調べ上げるから。あ、つぶしてからでもいいよね、別に」
「Dr.ゲノムに手を出した瞬間から私はお前を敵と見なす」
「えー、それはないんじゃないの?ボクの最終目標の一人なんですけど?」
「黙れ、なにがあろうとあの人たちに手を出すことは私が許さない」
「わかった、わかった、肝に銘じとくよ。もう、バイラが自決したからって怒らないでよ」
「うるさい」
「今日のリボルバーくんは気が立ってるねえ」
けらけら笑いながら和波はもらった情報を端末にダウンロードする。
「それじゃ朗報期待しててね!ばいばーい」
手を振る和波の気配が遠ざかったのを確認して、リボルバーは静かに息を吐いた。
「……とうさん、あなたの意思は必ず成し遂げてみせます。だからどうか、私の行動を許してください、勝手な行動をとるあいつらを見逃すことはどうしてもできないのです」
祈るようにつぶやいた言葉だったが、誰も聞き取る者はいなかった。
「ねえ、ゴースト。あなたいったい何を取引したのかしら。お姉さんに教えてくれない?」
「あは、見つかっちゃった?」
「ええ、驚いたわ。仲いいのね、あなたたち」
「たまたまだよ、ゴーストガールみたいにいいお友達ってやつ」
「あら、そうなの?playmakerが知ったらどう思うかしら」
「なんでplaymakerが出てくるんだい?」
「だって、あなたのお気に入りなんでしょう?」
「それはそれ、これはこれだよ。彼がこのボクを必要しないように、ボクは彼のことを必要とはしない。ただそれだけだよ」
「あら、以外とドライなのね」
「ふふ、フェッチ事件の被害者はだいたいみんな性格があさっての方向にねじ切れてるからね。ボクだけじゃないよ、安心して」
「そうなの」
「そうだよ」
「リボルバーが何をしているのか見たのに、なにもしないのね」
「ハノイの騎士が何をしようとボクには関係ないからね。今のところは」
「なるほど、今のところは」
「そうそう、臨機応変に柔軟な対応をしないといけないね、何事もさ」
「それを人は優柔不断とか行きあったりばったりの考えなしっていうのよ?」
「ひっどいいわれようだなあ」
「事実だもの、仕方ないじゃない」
「ひどいなあ、傷つくよ。グレイ・コードをお得意様に持ってたキミにだけは言われたくないな」
「あら、袈裟まで憎いってやつなの?ゴーストったら、意外と思考が幼いのね」
「人のこといえないよ、ゴーストガールってだけだよ」
「あら、そこつかれると痛いわね」
ふふ、とゴーストガールは笑った。
「今からいくの、ゴーストガール?なら気をつけなよ、今のリボルバーはその件でキミに対する好感度が最底辺だからね」
「私たちが侵入してるってしっててわざと情報渡したでしょう、ゴースト」
「それくらいですんでよかったと思わなきゃ。二重スパイ、三重スパイを気取るならそれくらいはね?自業自得っていうんだよ、そういうの」
ゴーストの笑みに彼女は苦笑いした。