VSアインス
不気味なほどなにもなかった。立ちはだかる敵も、危機に陥るトラップも、精神的なダメージを与えようとするホログラムも。外部との連絡手段が皆無な時点で、いつぞやのハノイの騎士のアジトのようなものなのだ、きっと。つまり管理者を倒してその権限を奪えば脱出することができるに違いない。ここがどこななかすら皆目見当がつかないが、それだけは事実だった。


ゴーストは何事もなく、SOLテクノロジー社に到着した。HALがハッキングしてセキュリティを突破し、不法侵入した。そして唯一生きていた最上階に続くエレベーターに乗り込む。そこから出て最上階のバルコニーに出た。高層ビルにはよくある庭園が広がっている。姉がいたころはよくここでご飯を一緒に食べたものだ。無性に懐かしくなる。イルミネーションもなく静かな夕焼けの庭園を進んでいくと、その先でゴーストはお目当ての人物を見つけた。


そこにいた青年にゴーストは思わず足を止める。


「やあ。待ってたよ、エルフ。さすがに少し待ちくたびれたかな」


まるで初めからゴーストがくることがわかっていたのような振る舞いである。さあどうぞこちらに、とおどけたように笑った瞬間、庭園全体のイルミネーションが点灯する。初デートの彼女に向けたサプライズなら好評かもしれないが、状況が状況である。ゴーストはぽかんとした。


「あれ、違ったかな。5年前は喜んでくれたよね?」


にこやかに手を振る青年にゴーストは鳥肌がたったのか後ずさる。顔は強ばり、血の気がどんどん引いて行った。


『おーっと、まさかのご登場かよ。さすがに俺様も読めなかったぜ』

「マインドスキャンに目覚めたエルフですら読めなかったかい?案外僕もまだまだいけるね」

『けっ、よく言うぜ』

「……アインス、さん」

「やだなあ、他人行儀にさんづけなんて。あの時みたいに呼び捨てでいいんだよ」


ゴーストは一定の距離を保ったまま小さく首を振る。


「そうかい?残念だよ」

『どの口がいうんだか。内心煮え繰り返ってる癖によ』

「ははっ、酷い言われようだなあ」


青年は破顔する。場違いなほど穏やかな雰囲気を伴った青年の名はアインス。ドイツ語のナンバーで呼び合うグレイ・コードの工作員において一番目に属する彼は、工作員におけるリーダーのような役割を果たしていた。リンクヴレインズにあるまじきアバターと現実世界の姿が全く同じユーザーである。理由はただひとつ、サイコ能力をゴーストのように隠して普通のように生活する気が微塵もないからだ。


「……だからアバターが初期化されたんですね」

「ああ、そうだよ。僕たちはいつだってそうだったじゃないか」

「……そうでしたっけ。ごめんなさい、僕グレイ・コードでのことはあんまり覚えてないんですよ。ログを見れば思い出せるんですけど」

「あはは、エルフはまだ11歳だったもんな。嫌なことは全部忘れちゃったか、さみしいなあ」

『違うに決まってんだろーが。考え続けることが人間の特権だってのに、その根幹を根こそぎ奪いやがったてめーがなにをぬかしやがる。おかげで誠也は未だに後遺症に苦しんでんだぞ』

「あはは、わざと治療する機会を奪った君がいうのかイグニス。酷いのはどっちだか」


ゴーストはアインスとHALの言い合いを興味なさげに一瞥すると、ため息をついた。


「まさかハルムベルテを引き込んだのはあなたなんですか、アインスさん」

「そうだよ?彼女は珍しくサイコデュエリストに理解を示してくれたからね。なんでも力になりたいと言ってくれたからお願いしたんだ、ほんとうによくやってくれたよ」


アインスからは白々しい憂いが見えた。ゴーストは居心地がとてもわるくてそわそわしてしまう。思ってもないことを笑顔で嘘を平気で混ぜながらべらべら話せるのは、間違いなく彼の模倣からなのだ。生き残るには環境に適応するしかなかった。5歳から11歳にかけて強いられた環境は今なおゴーストの骨肉となり性格となり自身を苦しめている。目の前にいるアインスは5年ぶりだ。久しぶりにみるアインスはほんとうにゴーストとよく似た思考回路をする。



アインスは生まれながらのサイコデュエリストだった。グレイ・コードのデータバンクから盗んだ情報によれば、中流階級の一般家庭に育ったアインスはゴーストと同じように突然変異で生まれたサイコデュエリストだった。もともと両親は搾取、愛玩にわけて兄弟を育てている不健全な環境であり、基本的に家族愛に飢えていたという。学校が終われば親が帰るまで家に入れず、近所に上がり込んでは約束も取り付けずに遊ぼうとする問題児だった。それでも習い事で忙しい兄との関係は良好だったのだ、初めてのデュエルで兄を傷つけてしまうまでは。アインスはカードを実体化させてしまうサイコデュエリストだった。その日から家族の中ではいよいよアインスの存在は抹殺され、家を追い出されたのだ。途方に暮れていたところをグレイ・コードが目をつけてアインスは自ら誘拐された。皮肉にも、アインスにとっては地獄の環境から抜け出す最大のチャンスだったのである。誰も助けてくれない日常の中で絶望感を深め続けたアインスは、それがサイコ能力の糧となってしまったのである。


「これが見えるか?」


忘れもしない。ゴーストがグレイ・コードに誘拐されるきっかけとなった、デュエルモンスターズの精霊を見せて来たのは、この青年なのだ。それが初対面だった。彼に声をかけられた瞬間からゴーストの悪夢は始まった。だから当時の人形状態ならいざ知らず、カウンセリングといった適切な治療を経て洗脳から脱したゴーストは彼だけは体が拒否反応を示すのである。一番最初のフェッチ事件被害者にして和波を誘拐した実行犯でもあるのだから。


それでもゴーストはアインスが嫌いになれなかった。苦手だけど嫌いじゃなかった。サイコデュエリストは孤立しやすい。ゆえに取り違えられても気づかない。グレイ・コードによるフェッチ事件がサイコデュエリストに絞られたのは救出を目的にする側面もあったとアインスから教えてもらったことがあるのだ。自ら発案したのだと。


ただ、グレイ・コードは所詮金で動く組織だ。初めはどうあれ今はそこまでの組織に成り下がった。理念は歪められ、不幸でないサイコデュエリストまで誘拐するようになった。ゴーストの場合は家庭環境がスケープゴートにうってつけだったのだ。でもアインスは当時のゴーストの芽生え始めたばかりの孤独を感じ取って声をかけてくれた。工作員という共犯者意識もあった。だからアインスに今ゴーストはどう反応していいんだかわからないでいるのだ。


「あの、アインスさん。ここはどこなんですか?」

「ここかい?知りたいならやることはひとつだろ?」

「……です、よね」

「ああ、もちろん。僕たちのコミュニケーションはいつだってデュエルだった。そうだろ、エルフ」


ニコニコ笑うアインスはゴーストは苦笑いした。


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