ゴーストが最後に見た風景は、悪趣味な骨の温室に広がるデュエルフィールド、そしてダイレクトアタックを宣言した瞬間に意味深に笑ったハルムベルテの姿だった。なにか言われたのは覚えている。口はなにかをゴーストに伝えようとしていた。意味として音を認識する前に、全ては突然やってきた光による妨害にはばまれた。ガラスが砕け散り、破片が空中に四散し、乾いたきれいな音が響いていた。遅れて聞こえてきた鼓膜を破壊しようとする衝撃と爆音。全ては吹き飛ばされ、なにもかもがかき消された。ハルムベルテも、不気味なフィールドも、デュエルフィールドも、なにもかも。ゴーストはなにが起こったのか全くわかってはいなかった。それほどまでに突然だったのだ。
視界が白に塗りつぶされた。一瞬だった。反射的に目を庇い、両手で顔を覆ったゴーストだったが、強烈な光は瞼の裏に残像を残しながら少しずつ収束する。おそるおそるではあるが、ようやく目を開けられる頃には真っ赤な色に染め上げられたデンシティが広がっていた。誰もいない。人の営みが感じられないデンシティ。違和感の正体は蛍光灯はおろか、ビルの明かりすらない、真っ直ぐに暗闇に向かおうとするこの街にはまずありえない風景だからだ。
空はこんなに綺麗だっただろうか?そして手を伸ばせば届きそうな場所にいちばん星なんてあっただろうか。状況さえ許せば見惚れているところだが、ゴーストはとてもそんな気分になれそうもなかった。ただひたすらに不気味で怖くて背中がゾクゾクする。思わずマインドスキャンを発動するが、なんの音も聞こえない。下を見て、影がない違和感に恐怖を覚えてしまう。まさか自分は死んだのだろうか、正真正銘のユーレイさんになったのだろうか?乾いた笑いがこみ上げてくる。
「は、ハルムベルテ?」
ゴーストは虚をつかれて間抜けな声が出た。返事はない。
『おーおー、これまた俺様を捕獲するために強硬手段に出やがったな、あいつら』
「なんでそんな冷静なのさ、は」
『シャーラップ、黙れ』
音声機能を切られてしまう。ゴーストは肩をすくめた。
『ちったあ落ち着け』
(あのねえ、いきなりすぎてなにがなんだかわかんないんだけど、HAL!?なんでそんな冷静なんだよ、ボクびっくりだよ!)
『びっくりすんのはまだはえーぜ、とりあえず自分の今のアバターを確認しやがれ。鈍すぎだろ、大丈夫か?』
「……へ?」
一瞬、ゴーストは固まった。目の前に飛び込んでくる見慣れた手。さっきまでの白衣の男ではない手。違和感があると思ったら、アバターの設定が初期状態になっているではないか。和波誠也のままである。ぎょっとした和波はあわてて姉に連絡を飛ばそうとするがうまくいかない。どうやら完全に孤立してしまったようだ。状況が飲み込めず混乱するゴーストにHALは笑った。
『やっぱこうなったか』
(え?)
『嵌められたんだよ、俺様たちは。さーてどうするよ、ゴースト。やっぱハルムベルテは父親のデータが欲しかったんだな。残念、とっくの昔に上書きしちまったからお前のお父さんとの感動の再会はありえませーんって笑い飛ばしてやるつもりだったのによお。つまんねーな。さーて、ゴースト。ここからなんとか脱出しねーと、空間もろともあのプログラムに消されて俺様たちもろとも消されちまうぜ』
(ど、どういうことなの、HAL!?ハルムベルテは?)
『あ?んなの決まってんだろ?俺様たちをここに閉じ込めるために誘き出す餌だ。今頃あのプログラムの餌食になってんじゃねーかな。お父さんもろとも一緒に死のうなんて反吐がでるほど美しい親子愛じゃねーか、くだらねえ!!くたばるなら勝手にくたばりやがれ!なんで俺様たちもろとも世界が滅びる展開にもってこーとすんだ、ふざけんな!どこまでも自分たちの手で終わらせることに固執しやがって。視野が狭すぎる多感な女の子にゃたまらねえシチュエーションじゃねーか。妙にふわふわテンション高かったのはそのせいだぜ、たぶんな』
(……え?ちょ、ちょっと待ってよ、HAL!?まさかハルムベルテは初めから?)
『ハルムベルテが自分でいってたじゃねーかよ、客観的に父親が極悪人で復讐されて当然だって。よーく考えてみろよ、ゴースト。お前らを酷い目に合わせながら金をもらい、その金で今まで養われてきたっつー事実に潔癖症気味の女の子が耐えきれると思うのか?』
(……そんな)
『笑っちまうほどとんでもねえ傲慢だが面白いやつだったな、是非ともコレクションに加えたいね。ただで死ねると思うなよ、くそったれが』
(初めからわかってたの、HAL?)
『だからいったろ?俺様に任せろって。その瞬間からお前は全ての判断を俺様に移行させたんだ。今更ぎゃーぎゃーいうのは無しだぜ』
(……そう、だけどさ)
わかっていたとしてハルムベルテを止められたかと言われたらゴーストは無理だろうなと漠然と思う。ゴーストはハルムベルテをあまりにも知らない。別に知る必要はないのにここまで動揺するのは少なからず彼女の存在がゴーストの根幹を揺るがす存在だからに他ならない。HALはだからこそあえてハルムベルテの思惑に乗り、そのまま突き進んだ。案の定ゴーストはぐらついていplaymakerたちの影響を受けて変化を始めているゴーストに楔を打ち込む作業はなかなかに骨がおれるがうまくいったようだった。
見渡す限り茜色した細長い雲が色づいた西空が広がっている。豪奢で深い憂愁を秘めた色と光が無人のデンシティを照らしていた。空が色紙細工みたいに刻々と色を濃くしていく夕焼けとなっていく。それは紅に金を混ぜた強烈な色彩だった。
周りの景色が赤っぽくなるだけでなく、体の中に真っ赤な夕焼けを感じる。船が残照を浴びて光る。しばらく見入ってしまうほどの凄まじい、地を塗りこめたような不気味な夕焼けだ。夜の気配が血のような残照に染まる。焼け爛れた真っ赤な空は一面に紫バラ色の炎をあげて深まろうとしている。
やがて赤く黄色くかすかに黒を含んだ色彩は、この世の終末のような凄まじい美しさを滲ませた空の色となった。高層ビルが黒い塊となって夕焼けの美しさを引き立てる。ゆるやかに黄昏に向かい始めた世界は、墨を混ぜたような重苦しい夕焼けとなる。
そのまま夜に向かうのかと思われた空だったが、夕焼けより赤い空が強烈な色彩を伴って全てを塗り潰していく。
『じっとしてても仕方ねえ、このエリアの管理者を探すぞ、クソガキ』
「う、うん、そうだよね。ここから出してもらうにはそうするしかないし」
『今からデータハッキングすっから、ちょーっと待ってろよ』
デュエルディスクが波打ち、HALのすがたが消える。
『あったあった、これだ』
この世界がネットワークの中にある正面として、目の前にこのエリアの全景が表示される。
『すげーもんだな、デンシティそのものじゃねーか』
「なにこれ……」
『ここで何をおっぱじめる気なんですかねえ、ったくよ。さーてとりあえずSOLテクノロジー社に行こうぜ、ゴースト』
「え、なんで?」
『ばあか、よく見ろよ。今、ここにログインしてるのは俺様たちとこいつだけだ』
アンノウンのデータがSOLテクノロジー社にあることがわかる。
「ここからハッキングできないの?」
『できるならやってるっての。どうやらここの野郎にもハルムベルテに同じセキュリティプログラム渡したやつがいるらしいな』
「そっかあ……うん、わかってるよ。いくしかないよね」
ゴーストは誰もいないデンシティを一人歩き始めたのだった。