粘着質な空間に1人残されたワナビーのデュエルディスクからどろりとした黒い液体があふれだす。奇妙な形になったそれは崩れ落ちた人形のように微動だにしない《エルシャドール・ミドラーシュ》にむかって襲いかかる。
「待ってHAL!」
ぱくりと頭から行こうとした怪物は寸でのところで動きを止めた。
「あ?なんだよいきなり」
機嫌を損ねたのか相方の制止に怒気を孕んだ声が飛ぶ。《エルシャドール・ミドラーシュ》を拘束する触手をそのままにHALは振り返る。ワナビーは臆することなく返した。
「ミドラーシュはそのままでもいいよね?」
「あ?なにいってんだ。こいつがオリジナルなんだぜ、破壊しなきゃコピーの量産は止まんねえぞ」
「でも、本体はデッキでしょ?ウィンさんの妹さんなら尚更......」
「あのなあ、こいつは《シャドール》としてデザインされたキャラクター、NPCなんだぞ。そういう設定だが、こいつにとってはそれが全てだ。否定すんな、共通の設定があるだけだ」
「でもさ、ウィルス除去したらウィンさんと会えるよね?」
「ゾンビって設定のキャラに精霊がいるとして意思疎通できるたあ思わねえがなあ」
「それでもだよ、やってみなきゃわからないよね」
「はいはい、わかったよ」
めんどくさそうにHALはデュエルディスクに狙いを定める。ばきぼきぼりぼり、耳を塞ぎたくなるような不快な咀嚼音のあとゴクリと飲み込む音がした。普通ならその音を聞き、貪り食う存在がすぐ隣にいることで気持ち悪くなるかもしれないが、5年間ずっと一緒だったワナビーは驚きもしない。ただ、たんたんとその様子を見つめていた。
なにを取り込んだのかは逐一デュエルディスクのモニターに表示されるがワナビーは読めない。どうやらHALがイグニスと精霊プログラムの複合言語に変換して取り込んだようだ。そして《エルシャドール・ミドラーシュ》のアバター本体を丸呑みした。げふ、と息を吐いてからワナビーのデュエルディスクに戻っていく。
「それなりに時間はもらうからな、期待すんなよ」
「うん、わかってるよ。ありがとうHAL」
「簡単にいってくれるぜ。どこぞのバウンティハンターのせいでウィルスのオリジナル持ってるアバターこいつしか確保できなかったんだよ、めんどくせえ。親の仇みたいに完膚なきまでに粉砕しやがって。このウィルスを根本的に弾くセキュリティの設定構築して、あとは進化し続けるこの人工知能を破壊するプログラム作らなきゃなんねえな。骨がおれるぜ全く」
「あはは......ごめんね」
「こっちはからきしだろ、丸投げはいつものことじゃねえか。気にすんな。そっちは任せた」
「はーい」
解けていく糸が光の粒子となり消えていく。
「うわあ、これはひどいなあ」
見る影もないとはまさにこのことだ。ハリボテとはいえサイバース世界を再現していたはずの世界は、度重なる侵入者の襲撃により破壊し尽くされてしまった。周りにはサイバース世界を模していた様々なオブジェクトの残骸、見るも無残な形で破壊され尽くしたビットブート、あるいは精霊アバターのパーツが浮遊している。バウンティハンターの姿もライトニングたちの姿も見つけられない。サイバースの風はずっと向こう側に流れている。Dボードを走らせながらワナビーはひとりごちた。
「足止めされちゃったね、いかなきゃ」
ワナビーのデュエルディスクにplaymakerとsourburnerの現在地が表示される。データストームの風に乗り、ワナビーが到着する頃にはplaymakerたちのデュエルが佳境に入っているところだった。ボーマンとplaymakerはスピードデュエル、sourburnerはライトニングたちを追いかけている。あちらに加勢しなければ!ワナビーが一気に加速を開始した刹那。
「えっ」
いきなりサイバースの風が逆流しはじめた。
「なになにいきなり!?」
あわてて今乗っている風の流れから外れて途中切り替えたワナビーだったがうまくいかない。
「まさかウィンディの妨害!?ライトニング......またウィンディ酷使してる......!?」
イグニスの中でデータストームを1番うまく扱える風のイグニス。リボルバーに敗れ、体の構造プログラムを破壊されてスライム化してしまったにもかかわらず無理やり風を紡がされていたことを思い出す。
「playmaker!」
どうやらスピードデュエルは引き分けで終わったようだ。sourburnerもワナビーと同じく荒ぶるサイバースの風に翻弄されて追いつけない。どんどん距離をとられている。
「sourburnerあぶない!」
ワナビーの声に気づいたらしく、sourburnerはとんでもない所から吹き込んできた巨大な風の流れを回避する。サンキュー、と笑うsourburnerがみえた。離脱するぞ、とplaymakerからメッセージが送られてくる。もうライトニングたちの姿はない。どうやら巻かれてしまったようだ。肩を落としたワナビーはplaymakerたちとログアウトすることにした。