闇は先刻よりいっそう深くなった。真っ暗に静まり返っている。照明もなく真っ暗だ。何も見えない。自分がどこにいるかわからない。墨のような闇に浸される錯覚を覚えて和波は座り込んだ。間近に濃くて深い闇がある。その先に潜む闇は黄泉の国へ導く入り口のように力強い。そこは冷ややかな薄暗闇に包まれている。夜にしては明るすぎるし、昼にしては暗すぎる。その奇妙な薄暗闇に包まれ和波はまっとうな方向と時間を見失ってしまった。暗闇の中で孤独な時間が静かに流れる。四辺の壁を見分けることもできないくらい真っ暗だ。真っ黒に塗った板をすぐに眼の前に突きつけられたような闇である。
それは恐ろしいほどの完璧な暗闇だった。何ひとつとして形のあるものを識別することができないのだ。自分自身の体さえ見えないのだ。そこに何があるという気配さえかんじられないのだ。そこにあるものは黒色の虚無だけだ。真の暗闇の中では自分の存在が純粋に観念的なものに思えてくる。肉体が闇の中に溶解し、実体を持たない観念が空中に浮かびあがってくる。和波は肉体から解放されているが、新しい行き場所を与えられていない。その虚無の宇宙を彷徨っている。悪夢と現実の奇妙な境界線を。思いだしてしまうのだ。
まるで深海の底におしこまれたみたいだった。濃密な闇が僕に奇妙な圧力を加えていた。沈黙が和波の鼓膜を圧迫していた。
時間が経てば目が慣れるといった生半可な暗闇ではない。黒色の絵の具を幾重にも塗り重ねたような深く隙のなき闇の壁のありそうな方に手を伸ばしてみた。闇の奥に固い縦の平面を感じた。壁がそこにあった。壁はつるりとして冷やかだった。
「きゅるるるる」
「その、声は」
ぺろりと慰めるように可愛い舌が和波の涙を拭った。
「《セキュリティドラゴン》?」
「きゅいきゅい」
今まで気づかなかったのが不思議なほど近くにミニマム化した《ファイアウォールドラゴン》こと《セキュリティドラゴン》がいた。煌々と青いひかりが《セキュリティドラゴン》の感情に合わせて発光を繰り返す。この子はplaymakerに預けたはずだが和波とplaymakerはカードバンクを共有しているのだから、同期設定が生きているなら行き来は可能ということだろう。ようやく明かりを取り戻した和波の視界は一気に開けた。どうやらどこかのプログラムの中のようだ。工作員時代を思い出す。
「どこだろう、ここ」
《セキュリティドラゴン》を胸に抱きながら和波は辺りを見渡した。
「システムをレプリカモードで起動する準備をしています………」
闇に電子の声が響いた。
「C:\sophia\sefiroth.exe 実行中にエラーが発生しました」
和波の周りに無数の電子コードが並ぶ。見たこともないアルゴリズムで組まれたプログラムだった。
「次の不明な発行元からのプログラムを実行しようとしています」
《セキュリティドラゴン》が警戒を促すように叫ぶ。和波は辺りを見渡した。
「C:\tierra\qliphoth.exe の実行を許可しますか?
………[Y]」
埋め尽くされる《error》の文字。真っ赤な蛍光色が視界一面を覆いつくしたとき、和波はそこになにか大変なものが起動したことを知った。
「システムを自律モードで起動します」
電子の声が歪に歪んできたのだ。
「qliphoth.exe の 0x1i-666 でハンドルされていない例外を確認」
《error》の詳細を電子の声が警告しているが、不法アクセスしているものはやめようとしない。
「場所 0x00-000 に書き込み中にアクセス違反が発生しました」
《セキュリティドラゴン》は怖がりながらも体を赤く発光させて唸り声をあげている。
「このエラーを無視し、続行しますか? ...[ ]」
次の瞬間、世界は赤に塗りつぶされた。
===CARNAGE===の言葉が世界を包む。
「たッgなnトiのoモdる知rヲu悪o善yりナnにoウよyノrりgトnひaノれsワiれワdはo人Gヨ見イdなoレo知lもfカるeキr生iにf久永gベn食iてrッb取もoラtか木tノn命aベw伸ヲd手nはa彼」
文字化けばかりの真っ赤な蛍光色が和波に突きつけられた。そして和波は、なにもない空に放り出された。Dボードにより着地する。《セキュリティドラゴン》は振り落とされないようにデュエルディスクのカードデータに戻り、画面からひょっこり顔だけのぞかせた。
「ウィンさん、どこいったんだろう」
和波の言葉に《セキュリティドラゴン》はきゅるるといいながらこてんと首を傾げた。
「なにがあったんだろうね、ここ。なにもないや」
真下には、巨大な紫色の光を放つ四角い機械があり、自身を中心に、辺り一帯を焦土と化している。《セキュリティドラゴン》はなにかの気配を感じたのか上に向かって吠えた。
「あれは……」
焦土と化した巨大な機械とよく似た機械たちが空に浮遊しているのが見えた。
「CARNAGE」
さっき見たばかりの言葉が機械から降ってくる。
「CARNAGE?なんて意味だっけ」
和波の言葉に《セキュリティドラゴン》はアプリを起動してくれた。
「ありがとう。えっと……」
和波は閉口する。そしてデュエルディスクを構えた。CARNAGEの意味は殺伐、殺戮、そして大虐殺である。
荒れ狂うサイバースの風の先で、playmakerたちは空中に浮遊する遺跡を見つけた。そこには風のイグニスことウィンディがおり、この世界そのものを作り上げたのだという。人間に不信感を持っているウィンディに協力してくれとお願いしているアイたちの横で、playmakerはふとメッセージを見つけた。
「どうした、playmaker?」
「どうやら和波も和波で厄介なことになってるらしい」
「え、なんでわかるんだ?」
「奴の相方はアイのバックアップ機能が自立したものだ。その関係で俺たちはデュエルディスクを同期設定にしてある」
「え、でも外部からのアクセスはできなくないか?」
「……たしかに」
「まさか和波のやつ、敵を追いかけてここまで来てるとか言わないよな?」
「そのまさかかもしれない」
「えっ」
「見てくれ」
「なんだこれ、俺たちがここに来るまでに3回もマスタールールでデュエルしてんのかよ!大丈夫なのか?」
たまらず声をあげたsoulburnerにplaymakerもさすがに心配なのか肩をすくめた。今、まさにデュエルログが更新され続けている以上、同期できるだけの範囲に和波はいることになる。
「アイ、HALに連絡は取れないのか?」
「いんや、ダメダメ。さっきからメッセージ送ってんだけどエラーで返って来ちゃうんだよ。同期設定は更新できてるのにな、変なの。まさか新しい情報ゲットして解析中なのかね?」
「え、そんなことあるのか?」
「いや、今までなかった。こんなことは初めてだ。HALが和波のデュエルを放置して自分の作業に没頭するなんてありえない」
「たしかにな」
「まさか和波のやつ、HAL置いて飛び出したんじゃ?1回目と2回目のデュエルログの開始時間、ずいぶんと間があいてるし」
「!」
「大丈夫なのか、それ」
「和波が飛び出すほどのなにかがあったってことか……!」
「しかも相棒ほったらかしにしてだぜ、かなりやばくない?」
playmakerたちの顔がこわばっていく。
「さっきからでてくるHALとか和波ってだれのこと?」
「ああそうだ、ウィンディ。ちょうど良かった、ゴーストガールたちのほかにこのエリアに侵入してきたやつらいないか?」
アイが説明し始める横でplaymakerはデュエルログを見つめ続けていた。リンク召喚に対応した《シャドール》による連戦、対戦相手は同じ。今は新たな対戦者とマスタールールでデュエルを行なっていた。