舞うようにひらひらと落ちていた人影が、突然重力を思い出したかのような勢いで落下しはじめる。それが囚われの身となっていたウィンだと気づいた和波は慌ててDボードを飛ばした。彼女から戦利品をまだ受け取っていないが、このままでは障害物に激突するかセキュリティシステムにウィルスと勘違いされて消されかねない。彼女は精霊なのだ、和波たちと違って自分が自分だと証明できるものがなにひとつとして存在しないのだ。その恐ろしさはグレイ・コードによる工作員時代を過ごした和波が一番よくわかっていた。
「ウィンさん!」
手を伸ばすが届かない。意識を失ったウィンは糸の拘束が解かれたにしては、ありえないほどの加速をもって一気に落下する。和波は目測を誤ったと焦ったがそれにしてもおかしいレベルだ。まさか糸がまだ生きているのかと思うが目視では確認できない。禁止エリアに吸い込まれるように転落していく。完全に意識を失っているようで、ログアウトを期待することはできない。本来実体がないウィンにとってこのリンクヴレインズこそが現実だ。フィードバックもクソもない。放り投げた体はそのままいけば地面に落ちつぶれて形が崩れたえぐいものとなるだろう。死んだらこのまま死ぬのだ、救いはない。シャレにならない、と目一杯手を伸ばし、和波はウィンの手を掴んだ。そしてDボードを下ろして足場を確保し、ゆっくりと止まる。
「あ、危なかったあ……」
和波は心臓がばくばくいっているのがわかる。安堵から完全に腰が抜けてしまい、立てない。どっと汗が噴き出す。はーと長い長いため息をついたあと、和波は腕の中のウィンを見た。
ひどい顔色だ。無理もない話である。ようやく会えた妹はすでに死んでいてその亡骸がなにものかに操られているのだ。しかも自分のことを呼びながら自分を殺そうとしてきた。正気でいろという方が無理である。
「……ウィンダ……」
「ウィンさん……」
うなされているようだ。
「ウィンさん、起きてください、ウィンさん」
揺さぶってみると瞼がゆらぎ、うっすらと目が開いた。
「ウィンさん大丈夫ですか?」
「……あ……」
「お姉ちゃんのところに連れて行った方がいいかな……どうしよう」
意識がはっきりしないところをみると高いところから落ちたのも関係がありそうだ。
「どのみちここにいるのは……よし」
Dボードを操作して再浮上を試みた和波は、ウィンが袖をひいてくることに気づいた。
「どうしました、ウィンさん」
「ワナビーさん」
「はい?」
「つかまえた」
「え」
ウィンの瞳が紫に染まっていることに気づいた和波は凍りつく。視界は闇に葬られた。
「和波君!」
それは一瞬の出来事だった。思わず草薙は立ち上がる。椅子が音を立ててひっくり返った。ウィンを無事抱きとめたワナビーを襲う幾重もの糸。それは禁止エリアの穴から出てきたものであり、そのままワナビーはDボードもろとも絡みつかれてしまい、ウィンを庇うような形で引き摺り込まれてしまったのである。残るのは禁止エリアに続く謎の入り口だけだ。
我に返った草薙は椅子を引き寄せると座るなり、慌てて追走を試みる。
「まさか、まさか彼女までウィルスに感染していたのか?あれだけの短時間のあいだに?」
信じられなかった。ウィンの突然の豹変はどうみても彼女の妹が感染しているウィルスによるものとしか思えない。精霊にだけ感染するウィルスになのか、強力なウィルスプログラムなのかまではわからない。ただあの糸に囚われたが最後、感染させられてしまうのはたしかなようだ。ただ草薙のなかでは疑問は尽きない。
「フィーアも同じ状況なのに感染しなかった……なんでだ?」
フィーアとウィンの違いは人間か精霊かということ以外はなにひとつとしてないのだ。ウィルスにさらされた時間も、おそらくウィルスの種類も。自己生成してしまうウィルスになら手は焼くかもしれないが、すぐに感染するほどの強力な変化を遂げるとは考えにくい。肉体は精神の帰還前に火葬されたフィーアは、電子空間のみで生きられる少女である。今でこそサイバースの技術で和波のように実体を得られているが、それはウィンも同じはずだ。
はっきりしたのは、仁の精神を奪ったやつらとウィンの妹を無理やり蘇生させてウィルスに感染させて動かしている奴は協力関係にあるという事実だけである。
「くそっ……無事でいてくれよ、和波君っ……」
電子キーボードを叩きながら、草薙は同時進行でバックアップしていたはずの和波の姉に連絡を入れる。ウィンを匿っていた彼女からHALに連絡を入れてもらった方が対応が迅速になると判断したためだ。playmakerたちのバックアップに集中してくれとお願いしてくれた和波のためにも、今ここで放り出すわけにはいかないのである。
「……新手か」
前回はアイが発生させたデータストームをデュエルディスクのAIが感知して強制ログアウトさせたバウンティハンターのはずだ。playmakerとのスピードデュエルが始まってしまう。
「なんとか勝ってくれよ、遊作……!」
草薙の言葉はモニターの向こうのplaymakerには届かない。