さよならのかわりに16
葵は時々センスのいいお店に貴重な有給を使って連れて行ってくれる兄が好きだった。16で両親を失った晃がどういう経緯でこういうお店を知ることができるのかさっぱりわからないが、いつも決まって一番評判のものを買っていく。それが不思議でならなかった葵は聞いたのだ。そしたら晃は決まって苦虫をかみつぶしたような顔をするのだ。


「同僚に貸しを返すんだ」


きっと女性の同僚なんだろうな、と葵は思った。いつもいつも嫌そうな顔をするため心がざわつくことはなかった。ある日を境にそういうことがぱたりとなくなった、2年ほど前の話だ。


「……今、入院してるんだ。意識が戻らない」

「え」


ぽつりとつぶやいた晃はとても見てられなかった。


「和波研究員、同僚だよ」


葵と同じ年の弟と2人暮らしだと聞いたのはそのときだ。そして葵はようやく話を聞くことができたのだ。


「……はあ」


ため息の一つもつきたくなる。仕事で遅くなると葵に伝えた手前、酔っ払って帰ってきた兄をはたして妹はどう思うだろうか。

なんだって新築祝いと大規模なイベントの打ち上げを一緒くたにして、上司の家で行うことになるのだ。しかも平日ど真ん中の水曜日。会計を担当している課の幹事である同僚はカンパする金を収集しながらごめんと頭を下げられてしまった。どうする、ピンポイントで体調不良を理由に休むか?それならちょっと高めの日本酒を幹事役の彼に渡しておかないといけない。でも課長の好みなんてまだSOLテクノロジー社に入社して数年の晃は知るはずもない。

背に腹は代えられない。晃は意を決して昼休みに席を立った。


「あれ、財前さん。どうしました?」


お昼休憩にはいるつもりなのだろう。ランチバックを片手に席と立とうとしていた同期をうまいこと捕まえることができた晃は、小声で聞いた。


「和波さんはいるか?」

「和波さんですか?えーっと、たしか今日は食堂に行くっていってましたよ。さっきまでプロジェクトの詰めの調整してたんですが、なんか盛り上がっちゃったみたいで」

「食堂か…」


なんで今日に限って食堂なんだ、とためいきである。いつもお気に入りのお店から出前を頼み、デスクで昼食を取っているはずなのに。


「また、なにかありました?」

「北村課長の日本酒の好み、知らないか?」

「……あー、新築祝いのですか」

「ああ」

「ご愁傷様です」


同情の眼差しを向けられ、居たたまれなくなった晃は研究室を後にした。滅多にいかない食堂までの道が遠い。

「あれ、どうしたんだい、財前君。めずらしいね、キミが食堂にいるなんて」


女性にもかかわらず大盛りのメニューを頼んでいる和波は、恐ろしいことにすっかり平らげているようだった。

「やっとみつけた、頼みたいことがあるんだ、和波君」

「うん?私に?昼食中に声かけるってことはプライベートだね、うん、いいよ。なにがお望みだい?」

「北村課長の好みに合いそうな日本酒、選ぶの手伝ってくれないか」


和波の目が輝いた。これだからいやなんだ、この女に借りを作るのは。晃は胃もたれでもないのに軋む胸のあたりを抑えたい衝動に駆られながら愛想笑いを浮かべた。

和波との腐れ縁は不幸にも入社当時からである。転職組の和波と方や新卒の財前では知り合うもなにもない気がするが、それは奇しくもおなじ北村課長関連のトラブルがきっかけだった。

晃はそもそも酒もタバコも好きではない、むしろ嫌いだ。北村は真逆であり、部下にそれなりの付き合いを求めるタイプの上司だった。たまたまその席にいた和波はうまく取り入るスキルがあるタイプだった。キャリアウーマンの女性にいい顔をしない北村であっても、お酒全然わかりません、教えてください、と愛想良く笑う和波に意地悪するほど野暮な上司ではなかった。仕方ないなあ、といいながら飲み比べができるセットを一つ二つ注文し、ちょっと奢ってやるから飲みに行くぞ、とハシゴしてしまう。晃はそれについていくだけでよかった。話を合わせるときには和波が合図を出してくれたから、だいぶ楽だった。翌日、お礼に食事を奢ったら、北村に気に入られたからこれから一緒に道連れだよろしく、といわれてしまった。やられた、と思った。時々四次会まで付き合うが、和波はほとんど幹事役だ。大変だが、飲酒運転がうるさいこの時代、運転手役はノンアルコールあたりでごまかすのだ。晃はそこまでうまい立ち回りができない。時間を拘束されたくない。和波はその逆だ。うまいこと繋がりを作ってうまいこと立ち回る。転職してきただけはあるのだろう。少なくてもトラブルがあってわざわざ海外まで転職したわけじゃないのだ。やり手だとは思っていたが、晃とは違う意味での立ち回りがうまかった。


「財前君もいくんだね、打ち上げ!」

「……休みたいから欲しいんだ。必要だろう」

「あ、そうなんだ?そりゃ残念。んー、そうだね、いいよ。今日時間は?」

「頑張って作るさ」

「はいはい、わかった。一応聞くけど予算は?」

「それなりに用意はする」

「おっけー、上等だ。それじゃ、あとは北村課長が納得してくれるようないいわけ考えるんだね」

「ああ、フォロー頼む」

「はいはい、まかせて。それなり、期待してるよ」


にひっと和波は笑った。

そして、こないだの飲み会のときにリサーチした酒をいくつもピックアップし、そこそこいい店を教えてくれた。財布は寒くなった。それでも、飲み会の会った翌日、廊下ですれ違った北村課長にはいい差し入れだったと褒められた。特に嫌みは言われずほっとした。

さて問題は……これからである。仕事終わりに談笑しながらロビーまで歩いてきた晃は、和波からの発言に身構えた。


「こないだのお礼だけど、××ってお店知ってるかい?」

「××?いや、知らない」

「えっとね、たしか、ここだ」


スクショを端末に送ってくる。電話番号までついている。


「ここのチーズケーキがおいしいって評判なんだ。都合ついたらよろしく頼むよ」

「……ああ、わかった」

「ま、妹さんとデートでもしておいでよ。ここのところ休めてないって話じゃないか。こないだもフラフラになっても無理矢理出勤して、あの北村課長に怒られたって話聞いてるよ。あんまり家族心配させるもんじゃないよ」

「……ありがとう、すまない」

「いいって、いいって。そのかわり、今度は抜けちゃだめだ。ここだけの話決算の査定入るって話だし、難しい案件は先に話だけでも通しといた方がいいよ」

「ほんとか?」

「オフレコだけどね、ここから出たら忘れること」

「ああ、わかった」

「それじゃ、ね」


にこにこ笑って和波は去って行く。それが最後の彼女だった。


そして今、葵は2年ぶりにセンスのいいお店に行く機会が増えた。兄が閑職に追いやられたことで休みをとっていけるようになったのだ。


「……お兄様」

「うん?」

「このケーキは和波研究員へのお土産ですか?」


目を丸くした晃だったが、そうだよ、と苦笑いしたのだった。お土産というよりはもっと深刻な話し合いなのだが、さすがに言葉が出てこなかったのである。







「君にしては結構いいとこ選んだね、財前君。で、私に用事ってなにかな?わざわざ誠也追い出しちゃって」


コーヒーとケーキを出してくれた弟を追い出し、財前は近くの椅子に座る。


「そろそろ話してもらおうと思ってな」

「なにを?」

「大事な話まで茶化すな、君の悪い癖だぞ」

「どれのことかな、心当たりがありすぎてわからないね」

「君はいつからフランキスカ、いやグレイ・コードの動きを把握していたんだ?私より立ち回りがうまい君ならなんとか知らせることはできなかったのかと思って」

「あって早々お説教かい、財前君。誰も気を遣って聞いてこないのに、真正面からよく聞くね」

「私なりに君を思っていってるんだが」

「ま、気持ちはありがたいけどね。そうだな、疑心暗鬼になってた、といったほうがいいかな」

「疑心暗鬼?」

「SOLテクノロジー社がすさまじい侵食を受けていると知った時点で私は誰を信じていいかわからなくなった。構成員だって同僚友人上司一人どころの話じゃなかったしね。誠也のおかげでスケープゴートにすぎなかったと知れてよかった」

「私は不足だったか」

「悪いとは思ってるけど君は真っ先に外した。葵ちゃんがいる」

「…………」


難しい顔をする財前に和波は笑う。


「似たようなこといって振られたね?」

「……なんの関係がある、と拒絶された」

「君がそこまで入れ込むなんてよっぽどだな。そこまで気にかけてるんなら、君なら受け止めてくれるとわかってるから突き放すような態度なのかもしれないよ。覚えがある話だ。あるいは図星だから感情が先に出たか。どのみち君が思ってる以上に拒絶されてはないさ、きっとね。ただ時期尚早なんだよ」

「アンタはいいやつなんだろう、とは言われた」

「よく見てるじゃないか。受け止めてくれる相手じゃないと、人はなかなか怒ったりしないよ。君が気にかけるような相手なら、なおさらね。怒鳴り散らすようなやつじゃ無いんだろ?」


うなずく財前に和波は笑う。


「なら待ちなよ。こういう場合、結論を急いでいいことなんてあった試しがない」

「そうだといいんだがな」


財前はため息をついた。


「和波、二年間なにをしてたか、教える気はないか」

「んー、まだ考え中だね。私はまだ安全地帯からでない方がいいみたいだ。せめて自分の身は自分で守らないとね」

「そうか」

「うん。デュエルできるようになるまでリハビリに励むとするよ。誠也にはリンクヴレインズにアクセスするなってデュエルディスク取り上げられちゃったしね」

「なら私は監視も兼ねて時々来ることにしようか」

「え゛、な、なにいってるの財前君。やめてよ、君ナチュラルにナースステーションにチクるじゃないか」

「こんなことだろうと思った。大人しく誠也君の介護を受けろ」

「えー、やだ」

「子供か」


呆れ顔の財前に和波は笑った。


「そろそろ呼びに行くかな、誠也くんを」

「うん、よろしく」








青年はおびえていた。見上げるほどの病院が怖いのか、それとも病院という施設のもつ独特の雰囲気が怖いのか、体躯はっずっと和波より大きいというのに片時も離れない。関係者以外立ち入り禁止のエリアに入るため、受付で和波が代筆しているときもずっとそわそわしていた。ネット上に自身を媒体にしたフリー素材を提供することで有名になろうとした青年だ、似ていると思っても口に出す人はいなかった。どこかで見たことあるきはする。でもどこだっけ。そんな感じだった。草薙とでっちあげた嘘の住所、嘘の名前、そして和波との嘘の関係。偽物の証書。何事もなく許可証は降りた。それを首に提げてもらい、和波はエレベータに向かった。


「まだ待つのか?」

「はい、会いたい人がいるんです。もうすこし待ってくださいね」

「……ああ」


右も左もわからない空間に置き去りにされたくない、と青年はひたすら和波の近くに居続けた。ほほえましさすら感じてしまう。草薙に言われてHALをおいてきて正解だったと思うのだ。この様子だと無抵抗なまま捕食されてしまうのは目に見えている。そわそわしながら待っている青年、そしてのんびり待っている和波。なにも知らない看護師が笑っている。


誰か来たぞ、とエレベータが開くたび青年は教えてくれる。うーん違う方ですね、白衣の人はここの病院の人ですと返すとそうか、と残念そうに肩をすくめる。いちいちオーバーリアクションなのは未知が多すぎて困るからだろうか。純粋培養の大人ってこんな感じなんだろうかとふと思う。待ち人が現れたことに気づいてうれしそうに顔を上げた。


「財前さん、お待ちしてました!来ていただいてありがとうございます!お忙しいのにごめんなさい」

「いや、以前ほど忙しくないから安心してくれ。……で、噂の彼がこちらの?」

「そうです。でも、ここよりは………」

「ああ、そうだったな。すまない。じゃあいこうか」

「はい」


2人は一番奥の部屋に向かった。青年はきょろきょろあたりを見渡しながら後についていく。この階唯一の病室である。ナースステーションに挨拶してから、病室に入った。そして念入りに鍵をかける。


「大事な話をするのはわかってるんだ。でもどうして私の病室?」


あきれた様子で彼女は2人を見つめる。青年を見かねて座りなよと椅子を指差した。


「ここ以上に安全な場所はないだろう?」

「ま、たしかにそうだね」

「君は和波君の保護者だろう」

「なるほど、君なりの義理立てかい?」

「そんなところだ」

「大事な話だから黙っててねお姉ちゃん」

「あはは、いうようになったね」


お口チャック、と姉は笑いながらいう。


「財前さん、こんなに早くお願いすることになるとは思わなかったんですけど、お話聞いてくれますか」

「ああ、力になりたいといったのは私だからね。本当はこの件から手を引いてもらいたいのが本音なんだが……」

「なら、今回のお話はなかったことになりますね」

「一応話を聞こうか?」

「はい」


話を聞いた財前はためいきをついた。


「保護者としてなにもいわないのか?」

「今の私は誠也に何も言えないからなあ」

「あのな…。まあいい、話を戻そう。結論から言うと私のところにその青年を匿うわけにはいかない。葵を巻き込むわけにはいかない。でも、サクス……だったか。グレイ・コードの幹部の1人は。こちらで動きを調べてみよう」

「ありがとうございます」

「そうか、こんなところにまでグレイ・コードが……」


財前の表情は険しい。


「こうなったら善は急げだな。なにかあればすぐ情報を渡そう」

「ありがとうございます」

「和波君」

「はい」

「無理だけはするなよ」

「わかってますよ!」


財前は姉の方をにらむが、姉はひょうひょうとしたものだ。


「止めないのか」

「言って聞くような年じゃないからね、もう16だ」


全く、とぼやきながら財前は青年を見る。


「……キミは」

「俺は××」

「そうか、キミが」


財前は静かに顔を伏せた。


「アンタは俺を知ってるのか」

「ああ、何度か見たことあるよ。……何度かうちのイベントに来てくれてたね。そうか、彼女が手を回してたのか」

「その話、聞いてもいいか?」

「私の知ってる範囲でよければ話そう」


ちら、と財前は時計をみる。今回のお見舞いは長引きそうだ。


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