花火大会から一夜明けて、ボクたちはいつもの日常に戻っていた。
週の初め、本殿の大広間で主様が前に立って各部隊の編成に変更があれば話がある。時の政府からの伝令もこの時行われる。
編成に変更があれば部隊の顔合わせと部隊長会議があり、ほかの隊員や名前が呼ばれなかった刀剣男士はその時点で解散になる。
一気に48振りも増えたために、1週間ごとに第3部隊と第4部隊の編成ががらっとかわるため、基本的にみんながいるのは部隊長会議が始まるまでだ。呼ばれなかったら1週間休みだし、本丸から出なければ好きなことをして過ごしていいことになっている。
池田屋攻略の最前線である第1部隊と遠征の主軸である第2部隊の編成が変わるのは池田屋攻略のあとだと思っていたのに、そうじゃなかったとボクたちはすでに知っている。
なんとなくいつもと違う感じはしているのか、ほかの部隊や休暇待機中の刀剣男士のみんなは落ち着かない様子だった。本殿の大広間のどこにも歌仙さんがいないからだ。
歌仙さんは旅立つ前に引き継ぎと交渉をすべてすませてくれたから、近侍と第1部体長であるボクは主様とお見送りをすることが出来た。きっとボクたちに気をつかってくれたんだと思う。いつかボクが修行の旅に出る時には真似したいなと思ってやまない。
主様はみんながざわざわしていることに気づいたようで、いつもの話の前に説明をしはじめた。
「もう知ってるやつもいるかもしれんが、一軍隊員の歌仙兼定が96時間......だいたい4日間だな、修行の旅に出た」
いきなりの報告に大広間が騒がしくになった。この本丸に顕現した刀剣男士で歌仙さんがどういう立ち位置にいるのか知らない人はいない。不安そうな顔もあったが、主様が笑っているからか話を聞いてからにしようと思った刀剣男士の方が多かったのか、さっきよりは静かになった。
「いい機会だから話しておこう。ただの付喪神とは違い、刀剣男士という存在は神格ある神として顕現しているのはみんなの知っての通りだ」
ボクたちが顕現したときに最初に受け取る情報だ。でもその先はボクも昨日歌仙さんから教えてもらうまで知らなかったことを思い出す。
「実はこれ以上霊格があがると今の器が破壊されてしまうために誰しもがその限界によって霊格があがらなくなる時がくる。いくら戦っても練度をあげても強くなれない時がくる。物理世界ゆえの弊害だな」
知らなかった人は驚いている。なんとなく勘づいた人は、あー、とか、歌仙のやつそういうことかよ、なんて声が聞こえてくる。
ボクも歌仙さんから話を聞いたときに、修行のことを知っていたから1番体長をやめたいといったり、内番をやめたいといったりしたんだとようやく理解出来た。時々歌仙さんが主様に大声で泣いたり怒ったりしていたから心配していたんだけど、どうやら上手くいったみたいでよかった。さ
「そのときがきたらどうするかは個々人の判断に任せる。そのひとつの選択肢として覚えておいてもらいたいのが、今回の歌仙兼定のように修行の旅に出ることだ。その限界に到達したために更なる高みに行きたいと歌仙兼定は修行の旅に出た。具体的には時の政府の支援により人間の姿となり、己を見つめ直したり、新たなものを探し求めるために、過去に旅に出ることになる。歌仙兼定の場合はかつての主のところに行きたいと希望したために今は江戸時代初期の肥後にいる。こちらの時間で考えるなら4日後だが、4日しか修行できないわけじゃなく、あちらで納得いくまで過ごしてから帰ってくるときに指定されている時間が4日後なだけだ。だから心配しなくていいぞ。その場合、時の政府からの条件として一軍隊長ではないこと、遠征や内番をしていないこと、手入れ中ではないことがあげられる。あと特殊な道具が必要だから、希望してもその道具がなかったり、歌仙兼定が先んじているように誰かが修行に出ている間はこちらも許可は出せないからそのつもりで。俺に願い出てもらった段階で本丸内の調整をするから、事前に申し出てもらった方がこちらとしてはありがたい」
今回の歌仙さんの修行の旅がこの本丸における基準になるんだろう。強さに限界を感じたら。とてもわかりやすくていいと思う。このままじゃ嫌だと思った日が吉日だ。早い者勝ちみたいだから、主様にはやくアピールした方がいいみたいだけど。
「歌仙兼定が修行から戻ったらあらためて部隊を再編する予定だから今回は暫定的な移籍とする。池田屋は夜戦なんでな、打刀が一振、どうしても必要なんだ。2軍隊より和泉守兼定」
「へーへー、之定から話はあったから知ってるよ。別にそのまま之定の位置を奪ってもいいわけだろ?よろしく頼むぜ」
「よろしくお願いします、和泉守さん」
「おう、之定とは勝手が違うだろうがよろしくな」
「はい」
「歌仙さんから打診があったときすごいうれしそうだったのに素直じゃないなあ、兼さんは」
「なにいってんだ、国広!?」
ちょっとした笑いが起きた。
「和泉守兼定の移籍により2番隊のあいた空席にはへし切長谷部を任命する」
「拝命いたしましょう」
「いい返事だ。前話したようにしばらくの間は3番隊及び4番隊の隊長及び副隊長はすえおきのままで定期的に隊員を入れ替える予定だ。今から新しい部隊の編成を発表するぞ」
主様が発表し始めた。新しい部隊の顔合わせがすんだところで、いつもなら呼ばれなかった刀剣男士は今週は休みということで解散なのだが、そうではなかった。
あれ、なにかあったかな?
「それとだ、この本丸を立ち上げてもうすぐひと月になる。ようやくみんなの顔と名前が一致するようになったんだ。はやく覚えたくてそのまま呼んでたが、今の呼び方に不満があったり変えて欲しい場合はいってくれ。俺の予定や部隊の日程は本丸内に設置されてる電子端末から確認出来るからな。あとは部隊長、このあと定例会議をするから残るように。以上だ。............ええと、解散していいからな?」
誰も大広間から出ていかないものだから主様が戸惑っている。
「主様、それって前に和泉守さんとお話していたように、呼び方を変えてくれるということですか?」
「うん?ああ、まあそうだな。そこまで考えてなかったが」
「みなさん、呼び方を変えて欲しいみたいですね。ボクもそうなのですが」
「えっ、そうなのか?!みんな?」
「誰も出ていきませんから」
「待ってくれ、メモさせてくれ、メモ。さすがに74振りも一気に覚えられん」
あわてる主様がめずらしくてボクは笑ってしまった。
「前の本丸だと呼び方変えてくれなんて言われたことなかったんだがな......謎だ」
「そうなのですか?みなさんタイミングを伺っていただけだと思いますよ?食堂で和泉守さんとのやりとり見ていた人多いですし」
「そうなのか?前と何が違うのかさっぱりわからんが......わかった。頑張って覚える」
大広間が一気に騒がしくなった。
「待て待て待て、順番だ順番!俺は聖徳太子じゃない!!」
いうまでもないけれど、今日の午前中の予定はそれだけで埋まってしまったのだった。
「主、今帰った。戦果を報告するぞ。開けてくれ」
遠征から帰ってきた俺はいつものように執務室の襖越しに声をかけた。勢いよく襖があいた。そこにいたのは主ではなくこんのすけだった。
「ちょうどいいところにお帰りくださいました、巴形さま!主さまを捕まえてください!」
「うん?よくわからんが捕まえればいいのか?主、なにかやらかしたのか?お前にしてはめずらしい。こんのすけが怒っているぞ?」
よくわからないまま俺は主を捕獲した。193の俺からすれば175しかない主を捕まえるのは簡単だ。
「な、なんつータイミングで帰ってくるかなあ、巴形......!物吉なら逃げられたのに!」
諦めたのか主は抵抗をやめた。俺はねんのため近くに控えることにする。1番隊は今池田屋に遠征中だ、近侍の物吉貞宗も当たり前だがいないのだ。
「こんのすけ、健康診断は来年じゃなかったか?カウンセリングのアンケートだって事前にした覚えがあるんだが」
「主さま、観念してください。先程から申し上げていますように、本丸の運営について規約が改定されております。いくら超勤申請を捏造しようと電子端末に最後にログインした時間から実際の勤務時間は担当課が全て把握しております。規定の制限を大きく超過した主さまはカウンセリングと診断を受ける義務が生じるのです」
「まあ、たしかに俺の時代の生き残りは貴重だ。過労死されたら困るのはわかる。でも前より時間が減りすぎじゃないか?」
「超過勤務手当を出すよりカウンセリングを受けてもらう方が安くつくのです。諦めてください。拒否される場合はただちに霊力の供給に制限をかけさせていただきま」
「わかった、わかったから霊力供給の制限だけは勘弁してくれ!俺の霊力だと本丸が崩壊する!!」
「......話がよくわからないのだが、主はどこか悪いのか?」
「ただちに影響はなくともこのままでは病気になりかねないので怒ってもらいにいくのです」
「ふむ?」
「計画書通りに行動したのにか?」
「主さま、あの計画書通りに過ごしたら、これだけ振替休日はそもそも発生しませんし、消化できずに再計算した場合主さまにお渡しする予算が早々に尽きてしまいますが」
「うっ......」
「土日祝日、そして振替休日をきちんと消化してからおっしゃってくださいまし。こんのすけは驚きました。おやすみなさいといってから何時間働いてらっしゃるのですか」
「うう......」
「巴形さま、あなたが顕現されてから主さまがお休みになっているところを見た事はございますか?」
「休み?休みか......そうだな」
少しばかり記憶を探ってみるが、遠征から帰るとかならず診療棟か執務室で出迎えてくれる主しか浮かばない。
「遠征中に休んでいるとばかり思っていたが」
「とんでもございません、ほかの部隊の運用や庶務の仕事をしておられます」
「主、それがほんとうなら休まなければな」
「うかつだったな......まさか電子端末に仕込まれてるとか......じゃあ申請の意味無くないか」
「主さま」
「主」
「悪かったってば、次は気をつける」
「で、カウンセリングの予約はいつなさいますか」
「明日......明日のあさイチにいってくる」
「わかりました。明日は一日全てのシステムを停止いたしますのでよろしくお願いいたします。改善が見られるまで財務会計システムとネットワークシステムは9時から5時までしか使えません。申請された場合のみ起動できますのでお忘れなきよう」
「見事になんも出来ないんだが」
「そのためのペーパーレスです」
「ペナルティが重すぎる」
「主さまが悪いとこんのすけは思います」
「ああ、うん、悪かった」
「なんのための行動計画書なのですか、主さま。明日からはきちんと自ら設定されたとおりになさってください」
「すまん」
主は申し訳なさそうにしている。
「主よ」
「ああうん、なんだ?」
「過去を持たぬ俺にとってはお主が最初の主だと顕現したときに話したろう。お前と共に歩む道こそが俺の逸話となるのだと。だから、前にもいったが主には長生きして俺を使ってもらわなければ困るのだ。休むのが仕事だといつも叱っている主が休まなければ示しがつかんだろう。やすめ」
「わかったよ......わかったからそんな顔するな巴形。すまんかった」
ためいきをついた主は溜まりに溜まった振替休日を消化するためにスケジュールを組み直さなければならないようだ。主が休みとなれば自動的に本丸全体がやすみとなる。
主は俺たちにやすみと仕事の日をちゃんと調整してくれていたのに、肝心の自分の休みをその中に組み込んでいなかったようだ。
「まさかペナルティがここまで重いとは思わなかった......気をつける」
「はい、気をつけてくださいまし」
「了解」
「ふむ......では、明日は本丸全体が休みになるのだな。主が病院にいくのなら、付き添いが必要だろう。物吉貞宗につたえておこう。残念だが今の近侍は物吉貞宗だからな」
「病院にもついてくんのかよ、近侍って」
「はい、主さまのように不測の事態に遭われたときに抵抗する手段がございませんから。2度目はさけなくてはなりません」
「......まあ、そうだよな。時の政府直轄の病院の不測の事態ってなんだよって話だが......」
主はためいきをついた。
「ためいきばかりついては幸福が逃げるぞ、主」
「......そうだな」
雨でもないのに灰色が空全体を覆っていた。
主様の故郷は日本海側にあるために湿った空気が陸に上がるときにどんよりとした雲が湿った雪をたくさん降らせるために冬に向かうにつれて曇天がいつも空を覆っているという。
それとはまた違う灰色だった。粉っぽいというか、息苦しいというか。黄砂でもなく、花粉でもなく、不快になる空模様だ。
「ここが主さまの時代の空なんですね」
白い息がこぼれる。
「本当に寒いです。まだ体験したことはありませんが、冬みたいだ」
「まだ秋に入ったばかりだってのにな。いつもなら残暑厳しい上に台風が毎週のようにやってきてその対応に追われるところだが、今や年がら年中冬模様だ。天気が少しでも荒れるとご覧のとおり真っ黒になっちまう。もう見慣れちまったが、いつみても空がこれだから滅入っていけない」
「これが主様が見舞われたという未曾有の災禍なんですね......」
「そうだな、これでも片付いたほうなんだぜ。この世の地獄ってもんじゃなかった。変わんねえのは空だけだ。4年前からずっとこうだ」
真っ黒な雪に覆われてみえないが、破壊され尽くした瓦礫は1箇所に固められているらしい。目を引く真っ黒の山は分厚い真っ黒な袋につめられ、たくさん並んでいる瓦礫なのだろう。重機が忙しなく動いているが人間の気配はない。自動化されているようだ。それは巨大な車に乗せられてどこかに運ばれていく。
ボクたちをのせた車もまたボクたちを病院まで運んでいく。主様は主様の時代にある時の政府と繋がりがある指定病院にいかないと経費で落ちないらしい。この車を運転する人も関係部署の人のようで、主様と親しいあたり知人なのかもしれない。
「主様の時代は霊力が失われてボク達は顕現できないと聞いていました。それが出来るようになってるなんて、本当に大変な厄災だったんですね」
「そうだな。霊力が低い俺にはさっぱりわからんが、物吉がその姿のままってことは龍脈から氣が吹き出してるんだろうよ」
ボクは無意識のうちに手が白くなるくらい自分の手を握りしめていた。流れていく主様の故郷を目に焼きつける。時々車が不自然に急カーブをきるのは、途方もなく大きな穴、クレーターのようなものが落ちてきたのか、そこから日本海が流れ込んできて、出来たばかりの入江になっているからだ。
昔から漁村が点在していたという日本海側のこのエリアは海抜が低すぎてほとんど陸地と海が繋がっているような場所だ。主様のいう未曾有の災禍があったとき、全てが飲み込まれたのは想像にかたくない。
主様はあの日、氏神を祀る山の中の古寺に参拝にきていたと歌仙さんから聞いたことがある。だから助かったのだと。それが事実であり、主様にとっては今なおつづく現実なのだとありありと見せつけられたのだ。
主様が生き残れたのはほんとうに奇跡としかいいようがなかった。
「主様には見えないんですよね......」
「なにがだ」
「いえ......なんでもありません」
「?」
ボクが戦慄したのはそれだけでは無い。霊力が低い主様はボクたち以外に人ならざる者に会ったことがないそうで、とんと無頓着に龍脈が活性化したとか世間話のようにいう。実際は外を我が物顔で跋扈する魑魅魍魎の類がいる。朝だというのにだ。ボクたちの時代は辛うじて闇が生きていたからたまにお目にかかることはあっても騒動を起こすことは滅多になかったというのに。
ボクがいるからか、主様たちの存在に気づいても即座に諦めるあたり知能が高い者が多い。
主様がこの世界で4年も生き残れた事実に驚愕するしかない。幸運に恵まれているとしかいいようがない。
でも本人に言わせれば、ボクが蛍丸さんや一期一振さんを連れて帰ってきたり、御札なしで小竜さんや数珠丸さんや鬼丸さんを鍛刀のときに呼んだりするなんてこと前は一度もなかったらしい。
幸運にも違いがあるんだろうか?
「主様......」
「うん?」
「次は修行からお帰りになった歌仙さんと一緒にいってくださいね。今のボクではあなたを守り通す自信がありません」
「いきなりどうした、物吉」
「それと移動は基本車でいきましょう」
「まあ、そうだな。ド田舎だから車は必須だし。こんな大きな子供いつできたんだって噂になりかねん」
「そういう意味ではないのですが......そうですね。どのみちボクの本体を人目に晒すと手続きが面倒なことになるとこんのすけがいっていましたし」
「そうだな、自治体が存続している間は法がこの国を治めているからな。人間てのは俺が考えている以上にしぶといもんだ」
しみじみとつぶやく主様はいつになく目がキラキラしているように思う。希望を捨てていない人の目だ。刀剣男士が大好きな目でもある。
そんなことをいいながら案内された病院は建物ではなく地下に潜っていく。地上があれだけ魑魅魍魎に跋扈されては外で自由に活動できないのも納得出来る。
こんのすけが予約してあったからか、主は専用の通路をとおって外来に通された。
ボクは待合室で待機だ。
病院全体に結界が貼られているのがわかる。かなり強固なものだ。なるほどこれによって外からの襲撃に備えているようだ。
主様にとっての現実はこちらなのか、あちらなのか、少しばかり気になったのだった。