BUCKUP2


そして、遊矢は深淵に堕ちる。



世界は灰色で、漠然とした痛みで満ちていた。何度目になるかわからないサイレンが窓を震わせていた。すっかり常態化してしまったサイレンの存在意義が叫ばれるほど、気に留める人がいなくなっている。行き交う人の群れを避けながら、遊矢は走っていた。いちいち気にしていたら仕事にならない。そんなことより、今日のデュエル大会の結果はどちらにかける?のんきな会話にいら立ちばかりが募っていた。電子掲示板から聞こえてくる天気予報は午後からの下り坂を知らせていて、通行人たちの帰路を急がせていた。あらゆるざわめきを込みこんで、遠くにあったはずの積乱雲はいよいよ頭上に迫っていた。胸騒ぎはしていた。ずっと前から。 真夏の陽を浴びて、海沿いに走る遊歩道には陽炎が揺らめき、その中に不気味なシルエットを見つけた遊矢は、一気に加速する。すれ違って走り去る車の中に パトカーが混じるたび、いやな予感はとうとう確信に変わっていった。何が起こっているのか、何もわからないまま、遊矢は走った。デュエルの大会が行われている会場は、ここからでも盛り上がりが聞こえてくるほど、最高潮を迎えているはずだ。



遊矢を見たスタッフたちはあっさり入り口を通してくれた。階段を駆け上がる。突然やってきた遊矢に事情を聞きたがる人だかりに構う時間も惜しいと、踵を返して走り出す。空が落ちてくる、と叫んだのは誰だったか確認する時間も遊矢にはなかった。すれ違ったスタッフは青ざめていた。主催者たちの黒塗りの高級車ばかり今朝方、南へ向かったという言葉が耳に届いたとき、いよいよ遊矢は息の意のままデュエル会場の裏手である最上階をけ破る。居ても立ってもいられない思いに苛まれて飛び出した時、今度こそ避難警報を発令するサイレンが鳴り響いた。



頬をかすめたのは雨ではなかった。風でもなかった。ましてや、嵐でも。空が落ちてきたのだ。追い立てられるように階段を駆け上がった遊矢は、ひた走る。せめてただ一度だけでも抱きしめることが出来れば。その思いがかなうことはなかったけれども。



それは強烈な光景だった。まるで追体験してるみたいな、嫌なほどリアルな感覚があった。遊矢を動かす衝動は遊矢ではない誰かのものである。でも、まるで自分の身に起こったことのように、感じていた。遊矢の脳裏には、ある少女の姿が浮かんでいた。ライバルだった。変わらない関係を続けていける少女だった。ずっと続いていくものだと思っていた。それがほころび始めたのは、いつなのか、もう遊矢は思い出せなかった。誰かは自覚がないようだが、遊矢はわかった。それは遊矢が柚子に向けている感情とよく似ていたからだ。


「来てくれたんだ」


世界は灰色で、漠然とした痛みで満ちていた。どこかで見たことがあるような、デジャビュが遊矢を襲った。柚子と似ている少女だった。カシャンと、少女は屋上のフェンスに体を預ける。夢を語り合った場所だった。少女はデュエルディスクを構える。その背後では空が裂けるのが見えた。


「ごめんね、×××。終わったんだ、アタシ」


そういったきり、なにもいわなかった。ぽつりぽつりと雨が降り、アスファルトが黒く濡れていった。全てが崩壊する、足元もろとも奈落の底へ突き落とされるような、そんな衝撃が遊矢を襲った。うそだと言葉がぐるぐる回った。絶望が体中に広がって、震えが止まらなくなった。遊矢がこの人になにを期待していたのか、思い出してしまう。そしてそれが果たされないことも分かってしまう。裏切られたという思いが広がる。遊矢がの胸に去来するものはなんだったか、いやというほどわかる。今なら。遊矢は呼吸を忘れた。衝撃だった。ふざけるな、そう思った。これは嫉妬だ。



遊矢がここまで怒り狂っているのは、一方的な嫉妬だ。理不尽な劣等感を持っていることに気付いたのは、言い終わった後だ。



ひどいことばかりいった。少女はなにもいわないから、遊矢だけが一方的にしゃべってありったけをぶつけ終えた時にはすべてが終わっていた。ただ男が女に投げかけるべきじゃない言葉ばかりだった。



ライバルだと思っていた少女から、その言葉だけは聞きたくなかった。二度とデュエルできなくなるなんて、こんなふざけた話があるか。逃げるなよ、戻って来いよ、そんなことだれも望んじゃいないだろう。そんな言葉、聞きたくなかったのに!遊矢は完全に自我を見失っていた。未だかつて無い激情にまかせた、支離滅裂な咆哮。そして、いつも終わりは唐突にやってくる。


ふざけるな、と遊矢は言った。遊矢の言葉に、少女はうつむいた。


「比嘉、今、どんな顔してるか、分かってんのか?アンタ、今、泣いてるんだぜ?」


遊矢であって、遊矢ではない誰かがそう口走る。デュエルは豪雨の中始まったのだった。




エンドフェイズ時、少女が遊矢の伏せカードを打ち抜いた。その瞬間を遊矢は逃しはしなかった。フィールド魔法の虹色の光彩でサーチしていた伏せカードのオッドアイズ・アドベントを発動する。エクストラデッキにあるオッドアイズ・グラビティ・ドラゴンを墓地に送り、その効果を起動させた。時読みと星読みの魔術師が儀式を執り行う。オッドアイズ・グラビティ・ドラゴンが儀式召喚され、効果が発動。フィールドにあった相手の魔法・罠をすべて手札に戻してしまった。依然として相手のフィールドには凶悪な効果を持つモンスターが並んでいるが、遊矢は臆することなくドローフェイズを宣言する。ペンデュラム召喚により、遊矢のモンスターが再びフィールドに舞い戻り、オッドアイズ・メテオバースト・ドラゴンがシンクロ召喚され、効果を発動。ペンデュラムゾーンにあったオッドアイズ・ペンデュラム・ドラゴンを特殊召喚し、虹色の光彩の効果でオッドアイズ・フュージョンをサーチし、効果を発動。ルーンアイズ・ペンデュラム・ドラゴンが融合召喚された。バトルを宣言した遊矢を止めるものは、いなかった。



崩れ落ちて膝を折った相手に、遊矢はゆっくりと歩みを進める。



「昔からそうだったわね」



晴れやかな笑みを浮かべた少女は、手を差し伸べた遊矢の手をとることはなく、ゆっくりと首を振った。いずれは訪れる終焉だった、と少女は語る。



「人間は順応と忘却という最も優れた武器があるっていうけど、貴方は特化していたもの。常識や良心から大きく逸脱していくこの世界の環境にいち早く順応して、みんなを導くなんて、なかなか出来るモノではないわ。私たちは、貴方を通して、大切なものを取り戻していったし、自分から立ち上がることを思い出せた。死んでいくこの世界で最後まで希望を捨てられずにいたのは、貴方のおかげよ。ありがとう」



遊矢は手を伸ばすが、少女はゆっくりと押し戻す。


「ほんと、悪い冗談みたいなことばっかりで、やんなっちゃう。でも、それでも、私も、貴方も、昴も、それを生き延びてきたはずよね。なんで、こんなことになっちゃったんだろう。でも、だから、これが運命なんて、割り切ってやらないんだから」


少女の姿が粒子となって四散する。このされたのは、1枚のカードである。それを拾い上げた遊矢は、先輩、とよぶ声がして、とっさにカードをポケットの中に突っ込んだ。比嘉だった。その瞬間、世界は色を取り戻す。少女も新緑に染まる。遊矢は驚きのあまり言葉を紡げない。でも、体の支配権は遊矢ではない誰かだから、平然と言葉を並べ立てようと頭の中では文字が並ぶ。


「先輩、あの、お姉ちゃんは?」


少女とおなじ新緑が遊矢を見上げている。遊矢はらしくない沈黙とポケットの葛藤の末に、調合性のとれた嘘をつくことを選んだ。


「……そう、ですか。お姉ちゃんはきっと後悔もなく、思い残すこともなく、先輩に意志を伝えて行ってしまったんですよね?僕はそう信じることにします。僕は最後まで先輩たちの輪の中に入れてもらえなかったんですね」


昴は寂しそうにほほ笑んだ。


「先輩もお姉ちゃんもひどいや。結局、置いていかれちゃうんだ、僕」


頭を撫でられ、昴ははらはらと泣き出した。


「先輩は強いですね。すべてを受け止めて、そのすべてを力に変えてしまうんだから。でも、僕は、そんなにまっすぐ歩けないです」


昴は泣き崩れてしまった。










世界が暗転する。









遊矢がみたのは、ふかい、ふかい、海の底に沈むボトルだった。なかに手紙が入っている。漁船に引き上げられたそれが読み上げられる。



書き残しておく必要がある。書いておかないと忘れてしまう。僕にとって、あるい今日この次元を生きる人たちにとって。僕がわかるのは、なにかをできるだけの時間は過ぎてしまった。でも、まだ希望は死んじゃいない。まだ僕は諦めていないからだ。その助けくらいにはなるだろう、とこれを書き残すつもりだ。

これを読む人が一番期待している答えを僕は残念ながら持たない。なぜなら、正直、いつ世界が終わり始めたのかわからないからだ。長い間なにかがあったのかもしれないし、一度になにかが押し寄せてきたのかもしれない。何もかもがひどいことになった……解決するチャンスはずっとあったのかもしれない。でも、みんな気付くのが遅かった。


政府が非常事態宣言を出したのは、その時だ。政府が僕たちを掌握するのは早かった。生活が変わらなかったから。学校に行ったし、部活もしたし、遊びにも行った。単に怯えた人たちが大勢いて、次元という言葉がたくさんあっただけだった。


様々な町から人が避難してきた。疫病、暴動、爆弾テロ、その他の悪夢があった。大規模な山火事が起こった。状況は少しずつ悪化していった。本当に信頼できる情報が死んだ。どれだけ悪いことになっているかわからなくなった。それでも、口コミは広まって、不気味な話ばかりがいつも僕の隣にあった。僕はなにも知らないことで心の平穏を得るため、みんなで町を出た。


その道中で、僕はあの男の声を聴いた。「再起動」すると彼は言った。彼は世界を終わらせようとしている人であり、これから作り直す技術をもっており、新しい次元を作るのは簡単なのだ……と自動車のラジオの中で言っていた。それは長い、長い時間がかかるがすべてかつてのように戻すことが出来る、と。記憶やなんかを作り直すことさえ出来るのだそうだ。たいしたことではないといった様子で彼は宣言した。


実際、その通りになる様子を僕は見た。どうか、新しい次元の人たちが僕を見つけてくれますように。彼が僕たちを隠したとしても。もっと色々なものを見つけてくれますように。見つけてくれるように、なにかを残そうとした人たちがいることを僕は知っている。この次元を無駄死にさせないで。僕を忘れないで。



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