衣は恐怖を覆う為の


湖の、黒い、泡ノ、底。水と、水。透明な、黒。
剣ヲ、刃を、鉄ト、矛の、穿つ、

浸食、侵食、滲みわたル水。
黒の、闇の、暗い、手を

憎悪、嫌悪、憎しみ、憎悪、憎悪、憎悪
ころせ、コロセ、頃せ、


──殺せ!






06_甦生






「……っは!」


 まるで水の中から顔を出したように、私は荒い息を繰り返して酸素を取り込んだ。内容は覚えていないのに、何か怖い夢を見たのはわかった。寝汗をかきすぎて服が大変なことに……服。服?

 酷い目覚めのせいで気づくのが遅れたが、今の私は上半身裸に胸部に包帯を巻いただけ、といういかにもな怪我人状態になっていた。これで二次元みたいなぼん!きゅっ!ぼん!ならセクシーなんだろうが、三次元平均的日本人のお胸しかない私では男装するためのサラシっぽく見える。現実は非情である。しょぼーん。

 しかしどうしてこんな格好に、と考えたところでドアが開いた。手桶を抱えたウーリさんがこちらを驚いた顔で凝視しながら立っていて、数秒後、持っていた手桶を落として床が水浸しになった。


「な!?だ、大丈夫ですかウーリさ」
「大丈夫、なの?」


 え?いや聞いたの私なんですが?


「か、身体、何ともない?」
「身体って……あ」


 思い出した。私、私、あれ。


「矢、が……刺さって」


 ボゴブリンの放った火矢はゲームの精度が嘘のように、私の左胸、心臓を正確に射抜いていた。完全に死んだと思ったんだけど。どうやら生きているらしい。
 どころか、身体の痛みなんて全くと言っていいほど感じない。あれは夢だったんじゃないかと思うくらいに。ひょっとして弓矢の威力ってそれほど高いものじゃないんだろうか。


「……なんともない、みたいです」


 少々疑問に思いながらもウーリさんにそう報告すると、ウーリさんはへたり込むように椅子に座り込んだ。


「良かった……!アサヒちゃん、血が全然止まらないし、呼吸は止まってるしで、私もう、本当に、ダメかもって……!」


 ウーリさんは涙をこすりながらそう小さく零した。
 本当に彼女の言う通りの状況だったのなら、現実じゃあほとんど助かる見込みはないような気がする。けれどそこはゲームの世界、明らかに死ぬような症状でも妖精やら泉の水やら赤い薬でちょちょいのちょい。普段の生活は不便さを感じるけれど、そういうところは便利というか進んでいるというか。


「でもまだ横になってなきゃ駄目よ。2、3日は安静にしてなきゃ」
「え?私どのくらい寝て……」


 私の質問は家の外から聞こえた声に止められた。狼の遠吠え。
 大慌てで小さな窓の外に視線をやると、綺麗な満月が地上の喧騒をよそに爛々と輝いている。


「……まだ近くに魔物がうろついてるの。今のはそれで混乱してる狼の声かしら。こんな人里まで下りてくるなんて……」


 それひょっとしてリンクさんじゃないですかー!?
 狼、夜、ときたら思い浮かべるのは剣と盾を盗み……もとい拝借するあのイベント。盾はジャガーさんの家、そして剣はモイさんの……
 こつ、と右手に何か当たって目を落とす。ベット脇に立てかけられたそれ。簡素な装飾で使い勝手の良さそうな、これは、これはもしや、トアルの剣、では?!


「ちょ、ちょっと待って下さい!?ここ、ここって、」
「え?……ああ、私の家よ。イリアが攫われて……ボウさんは子どもたちを探しに出てるの。二人ともいないんじゃボウさんの家であなたの看病ができないから……混乱させたわね」


 だけど落ち着いて、大丈夫よ。なんてウーリさんは言うけれど、これが落ち着いていられますか!?だってもしかしてリンクがここに来るんじゃ、っていうかここに献上品の剣があるってことはこれからここに来るってことだよね!?駄目じゃないですかー!!このままじゃリンクと鉢合わせする! 


「アサヒちゃん!まだ動いちゃダメよ!」


 立ち上がりかけた私をウーリさんはベッドに押しとどめた。
 しかしここに長居はできない。そしてウーリさんにもここにいて欲しくない。
 今の遠吠えがリンクだとしたらもう村に来ているはずだから、多分時間はほとんど残されていない。


「不安になるのもわかるけれど、今は怪我を治すのが先よ。無理に動いてまた傷口が開いたらどうするの?」
「で、でも……あ、モイさんはどうしたんです!?モイさんだって怪我して……」
「あの人は普段から鍛えてるし、少しくらいの怪我なら大丈夫よ」
「け、けど、他の村の人だって見回りしてるんじゃ……私も、」
「アサヒ!!」


 ピリッとしたウーリさんの大きな声に、思わず背筋が伸びた。
 眉を吊り上げて怒るウーリさんに、しばらく見ていないお母さんの顔が重なる。


「わかってる?!あなた死にかけたのよ!?確かに心配なのはわかるけど、自分のことももっと気にかけて頂戴!!」
「は、はい……」


 母親然としたウーリさんに気圧されてそう返事してしまったけれど、正直なところあまり気にしてはいなかった。だってどこも痛くない。身体は至って健康そのもの。むしろ前より軽い気さえする。まるで生まれ変わったかのような感覚の自分に、気に掛けろ、というのは若干難しい注文だった。


「……ごめんなさい。言いすぎたわ。アサヒちゃんは怪我人なのに……」
「い、え、私の方こそ……ウーリさんにお世話になっておきながら勝手なことを」


 しかしだからと言ってこのまま放置しておくわけにもいかない。私だけならまだ何とかしようがあるかもしれないけれど、ウーリさんがここにいるのはまずい気がする。大きな狼と鉢合わせたウーリさんが何をするのか分からない。取り乱してリンクを傷つけたり、逆にウーリさんが怪我したり。お腹の子が流産、なんて結末になったら後味が悪いなんてものじゃない。やっぱり不確定要素は先に潰しておくに限る。


「そんなに心配なら、私が代わりに見てくるわ。アサヒちゃんは、そこで大人しく寝ててね」


 不満がありありと顔に出ていたのだろうか、ウーリさんは苦笑して外に出て行った。私もまだまだ子供だなぁと思いつつ、しかしそうしていただけると素直に助かるので引き止めはしない。
 あとはこの剣をソファーの上にでも置いておいて、私は寝たフリでも決め込もう。そうすれば後はリンクが静かに取っていってくれるはずだ。

 と、見た目に反して結構重いトアルの剣をソファーの上に移動させようと手に取った時だった。
 背後からの物音に、反射的に振り向いてしまった。

 ソファーの影から現れたのは、青い瞳の大きな狼だった。


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