悪は紫電の如く


 その日は、朝から心が落ち着かなかった。
 なんとか間に合った馬笛の完成をイリアと喜んだ時も、心はどこか別の場所にあった。


「アサヒ、大丈夫?昨日の疲れが出たのかしら。仕事全部あなたに押し付けちゃったから……」
「ううん!いいの!私が言い出したんだから!それよりそろそろリンクさん仕事が終わる頃じゃない?せっかく間に合ったんだから渡さないと!」


 背中を押せばイリアは嬉しそうに扉に向かって駆け出した。開け放った扉の向こうから太陽の光が入ってきて眩しい。光を背負うイリアの姿が消えてしまいそうに見えるのは、きっとそれが黄昏の光だからだと思う。


「アサヒ、ありがとう。間に合ったのはあなたのおかげよ」


 ああ、素晴らしきかなこの友情。
 現実の世界でも、短期間でこんなに仲良くなった子は今までいなかった。一つ屋根の下で、一緒にご飯を作って。何より彼女にたくさん助けられたのに。
 私は初めから壊す気でいる。こんないい子を裏切って、記憶喪失にさせるのが私のやることだなんて。

 ねえ、イリア。
 もし私がこの世界の普通の人間だったら、ちゃんと友達になれたのかな。









05_襲撃








 イリアから少し遅れて外に出ると、少々ご立腹な様子のイリアがリンクとボウさんにお説教しているところだった。 
 リンクがエポナの怪我のことで、フォローしようとしたボウさんと一緒になってイリアに怒られるこのシーン、ゲームしてる時はすごく好きだった。まるで親子みたいに息ぴったりのリンクとボウさんが微笑ましくて。三周目の時も、リンクの表情の変化が面白いなぁなんて、笑いながら見てたムービーだったのに。

 今は上手く顔が上げられない。
 これからブルブリンに襲われるのは、ゲームの中の『イリア』じゃない。短い間でもお世話になった『イリア』だから。

 彼女はエポナの傷を癒すため、ラトアーヌの泉に向かった。記憶を持ったイリアとはここでお別れだ。会えるのはずっと後、私の今後の行動によっては会えないことだってある。


「い、イリア!あの、」


 勢い余って声をかけてしまったけれど、不思議そうに振り返るイリアの顔は見れなかった。「気をつけて」と言う代わりに「何でもない」という言葉が出てきてしまった。せめて笑顔を受かべることくらいは、上手くいっていてほしい。あまり自信はないけれど。


 時間が過ぎるのが酷く遅く感じた。20年ちょいの人生の中で一番嫌な時間だ。大学受験の面接の待合室よりももっともっと胃がキリキリした。
リンクはもう泉に行ったのだろうか。コリンの説得が上手くいっていない?泉の脇道の存在を知らないなんてことはないよね?
 意を決して様子を見に行こうかと村の入り口に足を向けた時、悲鳴が上がった。リンクの家の前、子供達が遊んでいたところだ。

 始まった!!
 悲鳴の元へ駆け出す。入り口の小道を抜けた先に広がった光景は、想像をはるかに超えていた。

「あ……」

 ゲームの視点からでは実感できないイノシシの魔物、ブルボーの大きさ。それが三体。それぞれに緑の肌の魔物、ブルブリンが二体づつ乗っていた。彼らの腕の中でタロとマロとベスが必死にそれから逃れようと暴れている。


「や、……やめ、」


 連れて行かないで、止めて。
 初めて見る画面越しじゃない魔物の姿に、足がすくんだ。
 こ、わい。こわい、恐い!こんなに大きいなんて思っていなかった!

 ブルブリンなら魔物でも可愛いほうでしょ、なんて楽観視していた昨日の自分を殴ってやりたい。
 充満するのは獣の臭気。話の通じない狂気の目。臆病な人間だからこそわかる、命の危険。
 心臓がどくどくと煩い。呼吸が知らずのうちに浅くなる。頬を伝うのが汗か涙かわからない。
 ただ息することすら怖い。今私の命はあいつらが握っている。
 嫌だ、止めて。恐い、誰か、誰か助け……!


「アサヒ!下がってろ!!」


 突然後ろに肩を掴まれ後ろに引き倒された。声はモイさんのものだ。
 途端に呼吸が戻り、冷や汗がどっと吹き出す。涙を手で拭ってようやく視界がクリアになった頃には、モイさんはそのままイノシシの魔物ブルボーに斬りかかっていた。
 が、斬られたせいで興奮しコントロールできなくなったブルボーは、暴走したままモイさんを突き飛ばす。


「モイさん!」
「来るな!」


 駆け寄ろうとして、声だけで制される。
 全身を強く打ち付けたらしいモイさんの体にはところどころ血がにじんでいた。それでも剣を握りしめ立ち上がるモイさんの姿は見ていて痛々しい。

 悲鳴と喧騒を聞いて村の人が駆けつけてきた。息を飲んだのは雑貨屋のセーラさん、松明を振り上げたのはいつも昼寝ばかりしているジャガーさん。キュリーさんもハンジョーさんもボウさんも、村の中まで入ってきた魔物に絶句した。

 そこからは、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。


「ママああああああ!!パパあああああああ!!」
「子供たちをはなせえええええ!!」


 私はただ、この惨事を黙って見ることしかできなかった。


「ベス!!ベスを放してええええええ!」
「タロ!マロ!!」


 目を逸らすな。耳に刻め。
 自分のやったことが何であるかを。


「このバケモノめ!!俺の息子達を放せ!!」
「お母さん!!!助けてえええ!!!」


 この光景は、自分が招いたこと。
 後で助かるから、と言い訳して放置したこと。
 違う。望んでいたと言ってもいい。
 だって、シナリオの通りに進めるんだもの。


「いやだあああああ!アサヒねえちゃん!!助けてっっ!!」
「……っ!」


 泣き叫ぶその声に、頭より体が先に動いた。無我夢中だった。
 私は手負いのモイさんの前に立つと、手頃な石を拾って握りしめた。下手したら子供に当たるかも、なんてリスクを考えつく前に、私はそれを思いっきり投げていた。野球もソフトボールも体育の授業でしかやったことが無い、肩の力もコントロールも人並みにしかない人間だったけれど、放物線を描いた石は奇跡的にブルブリンの頭に直撃した。


「は、なして」


 みっともないくらいに声が震えている。立っているのが不思議なくらいに恐怖で全身に力が入らない。


「こっ、子供たちを放して!!」


 今更何をしているんだろう私は。
 こうなることは知っていたのに。初めから知っていて放置したのに。むしろ望んでいたと言ってもいいくらいなのに!

 なんて酷いアリバイ作りだ。
 手遅れになってから口を出すなんて、最低の人間だ!

 自己嫌悪しながら、それでも私はブルブリンを睨みつけるのをやめなかった。怖くなくなったわけじゃないけれど、なぜか声は張り上げられた。


「はなしてよ!!」


 もう一つ石を拾って、振りかぶった時だった。
 ぶれた火矢の影はかろうじて視界の端に捉えた。けれど真っ直ぐに飛んでくるそれを避けられるほどの反射神経なんて、私は持っていない。


「……う……そ、」


 まるで時間が止まったみたいだった。


「アサヒ!」


 左胸に走った熱。遅れて湧き上がった激痛。
 借り物の服が燃えて焦げ付きながら、器用にも赤く染まっていく。
 声が出ない。いや、わからない。叫んでいるのかもしれないけれど聞こえない。おかしいのは耳なのか頭なのか、判断ができない。
 誰かが私の身体を揺すっている。誰かが私の名前を呼んでいる気がする。
 暗転していく視界に子供たちの驚いた顔が消えていく。

 駄目だ、結局、そうなるんじゃないか。
 これは罰なのかもしれない。今更善人面した罰。友達を見捨てた罰。最期まで筋を通さなかった罰。

 胸に感じていた熱と痛みが次第に鈍くなっていく。
 まぶたが重い。暗い。


 ああそうか、わたし、ここで、死


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