衣は恐怖を覆う為の


 青い瞳の狼とのにらめっこは、数秒もなかったような気がする。
 非力な現代日本人女が、よく手入れされた切れ味抜群の剣をおっかなびっくり持っているだけの存在が、一体どこをどう見たら鋭い牙を持つ狼の脅威になりえたのだろう。突然狼は踵を返して元来た場所から外に出て行ってしまった。
 彼をただの狼としてしか扱えない手前、追いかけることもできず、「待って」と声をかけるわけにもいかず、私はただ呆然とそこに立っていることしかできなかった。





07_失敗




 
 な、なんという最悪のタイミング!?っていうかどこ行こうってんですかリンクさん!トアルの剣ここにありますけど!?これを使わないで前半戦どうやって戦うつもりで……まさかいきなりマスターソードを取りに行くつもりじゃないですよね!?そんなバグありRTA私は認めませんからね!

 うがー!と頭を抱えて叫びたい衝動を咬み殺せばただ空転していただけの頭はようやく冷静さを取り戻してきた。物語を先に進めるには、否、黒い壁の向こうのトワイライトの世界にリンクが行くためには剣と盾が揃わなければならない。装備なしの状態ではミドナが先に進むのを拒むだろうし、入るのに影の者の手引きが必要なトワイライトにミドナなしではいけない。

 ならそう心配する必要もないだろう。彼がもう一度この剣を取りに来ることは明白だ。大丈夫大丈夫。チャンスが一回しかないってことでもなし、今のはなかったことにしよう。
 さっきの偶然には目をつむり、当初の予定通りソファーの上に剣を置いて寝たふりを決め込む。ベッドに寝ころんだその時、ドアが勢い良く開かれて飛び上がりかけた。焦った様子のボウさんが走り込んできて、私を見て目を丸くした。


「アサヒ!?怪我はもういいのか!?」
「ぼ、ボウさん!?なんでここに!?え、なんでここに!?」


 そんなの予定にありませんでしたけど!?衝撃のあまり二回も聞いちゃいましたけど!?大事なことなんで!


「どうも魔物に献上品の盾を盗まれたようでの……剣は無事か見に来たんじゃ」


 私の勢いに気圧されたのかボウさんはたじたじと答えた。大怪我していた割に体は大丈夫そうだな、と肩から腕にかけて叩いてくれるけれど少々力が強い気がする。これで本当に私が怪我してたら激痛が走りそうですよ。


「ああでも剣だけでも無事で助かったわい。すぐに支度して子供たちを探しに行かんと」


 ボウさんの言葉に私は凍りついた。
 ゲームで盾と剣を拝借する前、そもそもそれらがどこにあるか知ったのは水車小屋の前で話していたジャガーさんとボウさんの会話を盗み聞きしたからだ。どうして剣と盾の話をしていたのか、何の目的でそれらを使おうとしていたのか、今更ながら思い出す。


「ま、さか、これ、使うんですか?」
「献上品の剣じゃがこの騒ぎじゃ致し方あるまい。姫様ならきっとわかってくださる。どちらにせよ……いや、今は一刻も早く魔物たちの後を追わんといかん」


 それは、駄目だ。
 ボウさんが取るより早く、私は剣を手にしていた。


「アサヒ?」
「い、今から出るんですか?こんなに夜遅いのに?」
「そうだな。だが魔物は待ってくれん。今この瞬間にも子供たちはおびえて助けを待っとるんじゃ。それを渡してくれ」


 ああ、ひどい正論だ。正論すぎてぐうの音も出ない。
 だけど、今これを渡すわけにはいかない。渡したら話が進まないどころか変わってしまう可能性だってある。それだけはなんとか回避しないと。

 何か言葉を紡ごうと唇を湿らす。
 詭弁でいい。言い訳を。嘘を。いや、この際正直に?
 必死に言葉を探したけれど、今何を言ったところでボウさんを止めるだけの説得力のある言葉は見つからない気がした。


「ボウさん……あの、私、ボウさんたちが怪我したりとか、傷ついてほしく、なくて」


 その気持ちは嘘じゃない。短い間でもたくさん助けられた。お世話になった。何もない私に温かい食事と、寝る場所を与えてくれたのはこの人だから。


「だから、その……」
「アサヒ、心配してくれるのは嬉しいがこの村を守るのは儂の役目だ。未来ある子供たちのためにも、誰かが危険を冒さねばならん」


 言い淀む私に、ボウさんは小さい子供に言って聞かせるように静かに諭した。剣士のモイさんが手負いの今、子供たちを探しに行けるのは昔ゴロン族と対等に戦えた(アイアンブーツというズルはあれど、)この人だけなんだろう。

 それはわかる。わかるけど、それは勇者リンクの役目であってこの人の役目じゃない。剣を持つべきはリンクだから。だから、

 説得できるだけの言葉がないのなら、後はもう物理でなんとかするしかない。
 頭を下げたまま冷たい鉄の塊を握り直す。深呼吸をひとつして、扉の位置を確認する。
 正念場だ。アサヒ、絶対にしくじるなよ!


「この剣、少しお借りします!」


 ボウさんの脇を通り抜け、勢いよく外に出る。驚いた顔のウーリさんとモイさんの隣を全速力で走り抜けた。
 はっきり言って足に自信はない。けれどあの場ですぐに駆けつけてきそうなのは妊婦さんのウーリさんと手負いのモイさんだけ。あとはボウさんにさえ追いつかれなければいい。それにいくら男の人といえどこっちは若者だ。勝算はあるはず。


「剣は私が持ってます!欲しかったら取りに来て!」


 走りながら村中に聞こえるように大声で叫ぶ。どこかに潜んでいるであろう狼に向かって。これでリンクには剣のありかがわかるはずだ。後は匂いで辿ってくれれば私のところまで追いついてくれるはず。
 リンクの家を通り過ぎ(この辺りにいた魔物はリンクが倒してくれてたみたいだ)、ラトアーヌの泉につながる脇道に隠れようと入り口を探す。


「え、あ、あれ?」


 嘘でしょ、だってこの辺に、ああ駄目だ暗くてわからない。
昼間とはまったく違う夜の風景に頭がパニックを起こす。夜の森の暗さを嘗めていた。いや、正しくは想像すらしてなかったんだ。今更自分の想像力のなさを嘆いたところでしょうがないけれど泣きたくなった。


「アサヒ!」


 遠くに聞こえていたボウさんの声が近くなる。駄目だもう時間が!
 反対側から入れば、と思いついたのは追ってくるボウさんが見えてからだった。自分の馬鹿さ加減を嘆いている暇はなく、剣を抱えてやみくもに走るしかなかった。
 追われて焦って、トアルの橋を途中まで渡ったところで、最大のミスに気が付いた。


「その先には行けんよ」


 切り立った岩壁と、行く手を阻む黒い壁。
オレンジ色の光が複雑な模様を描いているそれは、トワイライトの世界と光の世界を隔てる境界線。
 自分の犯した失態と、その壁の威圧感に押されて立ち尽くした私のすぐ後ろで、ボウさんは静かに言った。


「余計な不安を煽るだけだと黙っておったが、その壁のせいで回り道をしなければハイラル平原に抜けられん。その先に行った子供たちを追うには時間が惜しいんじゃ。アサヒ、その剣を返してくれんか」
「で、できません」
「聞き分けてくれ。いい子だから」


 小さな子供をあやすような口調なのに、眼光は有無を言わせないほど強い。


「子供たちが……イリアが、どうなってもいいと思っとるわけじゃないんだろう?」
「ち、がいます、私、ただ」
「儂に実力行使はさせんでくれ」


 万策尽きた。万事休す。
 距離を詰められ、一歩下がる。力づくも辞さない構えのボウさんに、私ができたのは後ずさりすることだけだった。

 ボウさんの腕が伸びる。重い鉄の塊を抱えなおして身を縮める。


「え、」


 避けるつもりはなかった。
 後ろは壁だ。避けられるなんて思っていなかった。
 それなのに、反射で避けたボウさんの手は空を切り、身を支えてくれるはずのものがないせいで、体はバランスを失って後ろに倒れこんだ。視界が一度黒に染まり、まばたきをする間に私の目に映る世界は別のものに変わっていた。

 目前に広がるのは黒の壁。橙の光が血脈のようにその上を複雑に這っている。それ以外のものは全て、黄色と黒がない交ぜになったような薄ぼんやりとした光の海に沈んでいた。

 トワイライト、だ。影の領域トワイライト。
 影の者の助けがなければ入れないはずのその土地に、私の身体はいとも簡単に踏み入れた。反対側で、ボウさんが壁を叩いているのがシルエットでぼんやりとわかる。
 そうだ、普通の人間ならこの壁は通り抜けられないはずだ。

 なら、私は何で……?


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