小説 | ナノ
黒子テツヤ
ピピピ、ピピピ…と電子音が鳴り響く。
読んでいた本から顔を上げると、パチンと目覚まし時計を止めて伊月がうーん、と伸びをし身体を起こした。
寝ぼけ眼と目が合って微笑む。
「おはよ」
「もう起きてたのか。早いな」
「癖でさ」
苦笑しながら答えて本を閉じる。
この部屋にある本は何でも読んでいいと言われているから借りてみた。自分の世界の本とはまた違った世界観で書かれていて面白い。
一緒に居間へと向かい、朝食をとりながらこちらの世界での生活様式を懇切丁寧に教わっていると、伊月が思い出したように口を開いた。
「俺、午後から部活があるんだけど、兵助どうする?」
「ブカツ?」
「学校の運動グループがあるんだよ。俺はバスケットボール部なんだけどな」
「…委員会みたいなものか?」
「委員会は別にある。うーん、何て言ったらいいかな…」
"委員会"という単語に思わずピクリと反応してしまったが、特に何も言わなかった。
今は幸い夏休み中らしい。学校の授業はないから、練習についてきても構わないと告げられると、兵助は嬉しそうに頷いた。
***
二人並んで遊歩道を歩く。360度どこを見ても珍しいものばかりで、キョロキョロしている兵助に伊月がおかしそうに笑った。
そんな伊月の足が不意にピタリと止まる。
「…………げ」
「どうした?」
伊月の視線の先を追うと、何やらバスケットゴールの下で数人が揉めているようだった。
揉めているのはいるのだが、どうやらいかにも弱っちそうな一人を屈強な数人が責め立てているらしい。
全くもって対等ではない。
「ったく、またあいつは…!」
「知り合い?どっち?」
兵助が訊ねると、伊月は苦渋の面で眉間を押さえて溜め息をついた。
「囲まれてる方、後輩なんだ。どうせまたルール守らないやつに突っ掛かってったんだろ」
「ふーん」
「正義感強いのはいいんだけど、あのままじゃ確実にボコられる。あーもう…」
「行くのか?」
「あぁ。兵助はここにいてくれ」
伊月自身も決して喧嘩慣れしていないだろうことは、身体の所作を見ていればすぐに分かった。
荒事になることは間違いないのに、それでも後輩のために止めに入ろうとする姿に好感を持ちながら、兵助が薄く笑う。
「待って、俊」
「?」
伊月の服をクイと引っ張って制止すると、伊月が怪訝そうな顔で振り返る。
まだこの世界についての知識は微々たるものだが、自分の世界と比べて決定的に異なることに気がついていた。
「俺が行く」
伊月が息を呑んで瞬きをした瞬間、兵助の姿は忽然と消えていて
「なっ…!?」
慌てて周囲を見回すと、少し離れたところで荒々しい声が響いた。
***
どうやら囲まれていた伊月の後輩が、不良どもの逆鱗に触れたところらしい。
今まさに不良の一人の拳が彼の顔面に降り下ろされんとしたところに、割って入った。
拳を受け止めて、その勢いを利用したまま足を払い、クルリと巨体を地面に叩き伏せる。
ダァン…と音が響き渡り、一瞬水を打ったように静まり返ったのも束の間。我にかえった不良グループの一人が怒声を浴びせてきた。
「なんじゃてめぇコラァッ!!!」
その一声をきっかけに、残りの輩も一斉に敵意を剥き出してくる。
しかし兵助は涼しい顔だ。
「先に仕掛けてきたのはそっちだろ。やるならかかってこいよ。相手してやる」
せせら笑いながら人差し指でちょいちょいと手招きすると、相手は激怒して一斉に襲い掛かってきた。
つい胸元に手をやって武器の存在を確かめてしまうが、伊月の部屋にあらかた置いてきたことを思い出す。
彼の服では武器はせいぜい1、2個しか隠し持てないし、そもそもその必要もないことも何となく察していた。
つまり
「お前らごとき、素手で充分だ」
どうやらこちらの世界は、あっちに比べてだいぶ甘い世界のようだった。
***
ものの数秒で大方の不良を沈めてしまうと、残りの一人が怒りを抑えられないようにブルブルと震えていた。
「てっ…てめぇ…!!」
「!」
ギッと兵助を睨み付けてくると、叫び声を上げながら猛然と向かってくる。
その手に握られ黒く光るのは…
キンッ
軽い金属音を響かせて、不良の攻撃を避けた兵助の姿が消え失せる。
「どっ…どこだぁっ!?」
「ここだ」
底冷えするような声を耳元に囁かれ、不良の動きがビタリと止まる。
背後から感じられる禍々しい気配と、首筋にあてられている冷たい感触。それが刃物だと気づくのに時間はかからなかった。
「…ひ……っ!」
刃物の感触と、兵助の殺気にあてられたのだろう。みるみる不良の顔が青ざめ、息が細くなっていく。
「それはな、お前みたいな素人が使うような物じゃないんだよ」
「…は……ぁ…?」
カランと地に落ちた寸鉄をチラリと見ながら、不愉快に苦無を持つ手に力をこめる。
何も自分の得意武器で喧嘩を売ってこなくてもいいものを。
不良の持っていた寸鉄よりも上等な自前のものをポケットの中に感じながら苛立たしげに舌打ちすると、鋭い声が飛んできた。
「やめろ兵助ッ!!」
その切羽詰まった声にハッとして顔を上げると、伊月が酷く焦った表情で駆け寄ってくるのが見える。
慌てて不良を突き飛ばして距離を取ると、不良は情けない声と仲間を残して無様に逃げ帰ってしまった。
傍までやって来た伊月に、バツの悪い顔で苦無を背に隠す。
「兵助!」
「………ごめ、」
「怪我は!?」
一瞬思考が停止した。
ポカンとして伊月を見ると、伊月は心配そうに兵助の全身を眺め回している。
「怪我は…してないみたいだな。良かった…。黒子は?大丈夫か?」
「僕は大丈夫です。彼が助けてくれました」
心底安堵した様子で息を吐き出した伊月に、黒子が淡々と声をかける。
「あの…失礼ですが、この方は」
「………」
兵助と伊月が顔を見合わせた。
さて、どう説明したものか。
「…俺は」
黒子の無表情な目がジィッと見つめてくる。なんだかその目に射抜かれると、妙に嘘をつく気にはならなくて。
伊月を見ると、微かに笑って頷いていた。
「俺は、久々知兵助。500年前の違う世界から来たらしい…忍者の、たまごだ」
「そうですか」
至って冷静な返答をしてくる黒子に思わず崩れそうになるのを堪える。
動揺するだろうと思っていたのに、こちらが動揺させられてしまった。
「お…驚かないのか?」
「あなたは無意味に嘘や冗談を言うような人には見えませんし、そもそも僕に嘘をつく理由がないでしょう?」
まぁ、嘘ではないから言い返しようもない。
兵助が押し黙っていると、黒子が確認を取るように兵助の背後に視線を向けた。
「伊月先輩…どうなんですか?」
そうは言いつつも、黒子の表情が半信半疑だということに気づけるほどには人の表情を読む訓練は受けてきている。
後ろから伊月の苦笑が聞こえてきた。
「ほんとだよ」
「伊月先輩がそうだと言うなら、そうなんでしょう」
言い切った黒子は、随分と伊月を信頼しているようだ。
あまりのあっさり具合に拍子抜けしていると、黒子が初めて小さな笑みを見せて口を開いた。
「僕は黒子テツヤと言います。助けてくれて、ありがとうございました」
2013.7.18
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