触るな危険(五年−勘)










入学してから五回目の春のこと

春らしい穏やかな日和とは裏腹に、兵助の心境は海の底のように暗かった。


「……………」


手の中にある一枚の紙切れを、ぐしゃっと握りつぶす。

長い廊下のはるか後方から聞こえてくるざわめきから逃げるように、兵助は足早にその場を後にした。


「お、兵助」

「っ!」


廊下の角を曲がった所で、偶然級友の一人と鉢合わせた。


「どうだった?やっぱり今回も、お前が一番だったんだろ?」


にっこり笑って言う級友の言葉に、胃がぎゅうっと収縮し、嫌な汗が背中を伝った。


「…ぁ……」


小さく漏らした声が耳に届く前に、級友は「俺も見てくる」と手を振って行ってしまった。

ポツンと廊下に残された兵助がゆっくりと右手をひらくと、無残にぐしゃぐしゃにされた紙切れが現れた。

カサカサと紙を広げ、そこに書いてある数字に無理やり目を向ける。





二位/三十位





それは、進級してすぐ行われた試験の結果。
その数字を目にして、兵助は深く深く溜め息をついた。

廊下に張り出された順位表の頂点には、は組の生徒の名前が堂々と書かれている。

昔から、い組とは組は衝突することが多かった。
今回の試験で、ついには組がい組の上を行ったとなると、またどんな言い合いに発展するというのか。
考えただけで頭が痛くなってくる。

それにクールに見えても、兵助は生来負けず嫌いだ。
悔しいという感情も、無いことは決して無い。


「…三郎になら…負けても良かったのにな…」


ポツリと呟いて廊下の壁に寄りかかる。






だって、三郎は本物だから



本物の天才だから



あいつがちょっと本気になったら、俺なんか足元にも及ばないことなんて分かってる






「私がなんだって?」


再び溜め息をついた時、後ろから肩をポンと叩かれ、耳元に低い声が届いた。


「さ…三郎!?」

「わぁ兵助、久しぶりー」


振り返ると、そこにいたのは久しぶりに見た隣のクラスの友人たちの姿。
相も変わらず、人を食ったような表情の三郎と、人の良さそうな微笑みをたたえている雷蔵がいた。


「なんか最近会わないよねぇ。五年になってから、急に忙しくなったせいかな」


苦笑しながら歩み寄ってくる雷蔵が、思いついたように手をパンと叩いた。


「そうだ!兵助、今度みんなで町の甘味屋にでも行かない?昔よく行ってた所にさ」

「……………」


にこにこしている雷蔵に、兵助は胸がぎりっと締め付けられたような気がした。


「い…行かない…」

「え?」

「勉強、しないと」


絞り出した声は、自分でも情けなくなるぐらい震えていて


「雷蔵っ…俺、頑張らなきゃ…もっと頑張っていい点取らなきゃ…!」

「兵助…?」


怪訝そうに眉を下げて、手を差し出してくる雷蔵の服を掴み、縋りつくようにその胸に頭を押し付ける。


「俺は、い組だから。みんなを…裏切りたくないから…」



だから


頑張らないと



要領を得ない兵助の言葉に、雷蔵が困ったように三郎を見やると、別の声が降ってきた。


「久々知じゃねーか。ついに首位陥落おめでとう」


その声に、兵助の体がビクリと震える。

雷蔵と三郎が振り返ると、は組の生徒が三人、嫌な笑みを浮かべて立っていた。


「い組の奴らの顔見たか?信じられないって顔してさ、俺らに何も言えないでやんの」

「………!」





ああ



やっぱり





大切な級友の期待を裏切ってしまった









その思いが、じわりじわりと兵助の脳内を浸食し、瞳にうっすらと涙が浮かんだ時


「テストの結果が良かったからって、それをネタに兵助がお前らに何か言ったことがあったか?」


は組の三人の背後から快活な声が響いた。


「竹谷…」

「兵助は一位取ったって、それを自慢するような奴じゃねぇだろ。お前ら勉強は出来ても、人間の器じゃ全然兵助に負けてるよな」

「なっ…!」


笑いながら言う竹谷に、三人は顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせる。
順位表はまだ見ていなかったようだが、事情を察した三郎が、腕を組んでスッと目を細めた。


「ふーん…テストで一位になると、は組様がでかい顔して私の友人をおちょくりに来るとは知らなかった。なら次のテストでは、私がお前たちの、そのよく動く口を黙らせてやろう」


その言葉通り、三郎ならやろうと思えば鼻歌でも歌いながら、完膚無きまでに圧倒的な差をつけて首位に立てるだろう。





だって三郎は本物だから



本物の天才だから



あいつがちょっと本気になったら、俺なんか足元にも及ばないことなんて分かってる










俺にはそれが─…











誇らしい














俺なんか足元にも及ばない本物の天才が、俺の味方をしてくれる。

俺を友と認めてくれている。

雷蔵の温度を感じ、竹谷や三郎の言葉を聞いているだけで、兵助はスッと肩の力が抜けるのを感じた。

ろ組は学力での上位争いにこそ、あまり参加してこないが、三郎を筆頭にくせのある者たちばかりで、何をしでかすか分からない節がある。


「君たちさ、兵助にちょっかい出すなら、それなりの覚悟を決めてから掛かってきなよ?」


兵助の後ろには、僕らがいることを忘れるな

三郎、竹谷、雷蔵の不敵な笑みに、は組の三人は奇妙な恐怖感を覚えて、そそくさと去って行った。












「ねぇ兵助…一位じゃないことの、何がそんなにいけないの?」


三人が行ってから、雷蔵が兵助の背中を優しく撫でながら尋ねる。


「…い組のみんなが、俺に期待してるから。一位じゃなかったら…」

「一位じゃなかったら?一位じゃなかったら、兵助の友だちは今までと態度が変わったりするの?」


兵助は級友たちの顔を順番に思い浮かべる。
我が強くて勝ち気な性格をしているが、皆今まで共に過ごしてきた良い友人だ。
たった一回のテストで、兵助をないがしろにするような人間など…

兵助はゆるゆると頭を振ると、ゆっくり顔を上げた。

そこに浮かぶ僅かな笑みに、雷蔵は満足したように微笑んで、口を開いた。


「ね、今度の休みに甘味屋行こ!正午に校門集合で!」


雷蔵の後ろで静かに佇んでいる三郎と竹谷も見やって、兵助は今度こそにっこりと綺麗に笑った。





「………うん」



















番外編(五い)







-----------------------
リクエスト元「い組のプレッシャーに負ける兵助+慰める五ろ」

緋月様のみお持ち帰り可です。






[*前] | [次#]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -