両片想いの照れ隠し(鉢くく)
「三郎、雷蔵、入るぞ」
夕飯も湯浴み終わり、本を読みふける雷蔵の後ろでうだうだと寝そべっていた時、廊下から兵助の声がして部屋の戸がガラリと開けられた。
「兵助。どしたの?」
今さっき湯浴みが終わったばかり、という様子で、数冊の本を持ってやってきた兵助に雷蔵がニコッと笑って尋ねる。
「あぁ…いや、その、三郎に用があって…」
「私に?」
顔を上げると、兵助が何やら言いにくそうにモゴモゴと用件を口にした。
「…ここ、教えてくれないか?」
兵助の言葉に雷蔵が驚いたような笑みをこぼした。
「兵助にも分からない問題なんてあるんだ」
「…お前に解けない問題が、私に解けるか分からんぞ」
そう言って二人して問題を覗き込む。
「うわ…全っ然分かんないや。い組って難しいことしてるんだねぇ」
雷蔵が問題を見てすぐに音を上げる。
「……………」
「三郎、これ分かるの?」
「ちょっと待て。…ここを…こうしたら…」
ブツブツと呟く三郎に兵助と雷蔵が注目する。
「…ん。たぶん、解ける」
「ほんと?」
しばらくして顔を上げた三郎に雷蔵が目を丸くした。
「もう少し解き方考えるから。兵助、その間になんか上着か半纏か着てこい」
手近にあった手ぬぐいを手に取って、未だたまにポタリと雫の落ちる兵助の髪をガシガシと拭いてやる。
「わ、わ!ちょ、三郎っ…!」
兵助が抗議の声を上げると、三郎は手ぬぐいを兵助に被せたまま、やんわりと頭を撫でた。
「風邪ひくぞ」
兵助が何か言おうと口を開きかけたが、声を発する前に部屋から追い出す。
「ほれ、さっさと行って、とっとと戻ってこいよ」
「…う、うん」
兵助の姿が見えなくなってから、後ろ手に部屋の戸を閉める。
「………………」
「…なに、雷蔵さん」
珍しく雷蔵がからかうような表情で三郎を見つめていた。
「んー?いやぁ…三郎が可愛いなぁと思ってさ」
「なにが」
「僕が気づいてないとでも?」
言って、雷蔵が三郎の胸に手を当てる。
「あはっ…鼓動超早い」
「なっ…!」
三郎の顔がみるみる赤くなる。
「あははははは!三郎分かりやす!」
腹を抱えて笑う雷蔵にうなだれて右手で顔を覆い隠す。
「いつから気づいてた…?」
「そうだなぁ…三ヶ月前くらいかな」
「!?」
「君と一番一緒にいるの、誰だと思ってるの?そんなの…すぐ気づいたさ」
***
─三ヶ月前
雷蔵を捜して図書室に入った時だった。
「久作ー…雷蔵知らないか?」
カウンターで作業をしている二年生に小声で声をかけると、久作が苦笑いで振り向く。
「鉢屋先輩が知らないのになんで僕が知ってるんですか……不破先輩は今日は図書当番じゃないですよ」
久作の答えに納得する。
そうだ、確かに雷蔵のことを一番良く知っているのはこの私
いつも一緒にいるせいか、雷蔵がいないと何だかおかしな気分になる
「…雷蔵なら、さっき学園長にお使い頼まれて出て行ったよ」
ボソッと聞こえた声の方に目を向けると、兵助がこちらを見ることもなく、分厚い本と紙を前に眉間に皺を寄せていた。
「兵助…何やってんだ?」
「課題」
三郎の疑問に最も簡潔な返答をする兵助に近づくと、どうやら分からないところの解法を調べているようだった。
真面目で有名な兵助は、授業や課題で分からないことがあったら必ず図書室にやって来て、自分で解決する。
雷蔵にちょっかいを出しに図書室へ行った時にもしばしば兵助の姿を見ることがあった。
その時はサラサラと筆を動かしながら涼しい顔で机に向かっていたのだが、今回はどうも難題のようで、流石の兵助にも簡単には解かせてもらえないらしい。
(ふーん…)
チラッと兵助の課題を覗き込む。
確かにかなりの難問だ。
(でも、これって)
三郎がスッと兵助の前に座ると、兵助が怪訝そうに顔を上げた。
「…貸してみ」
兵助の持っていた筆を取って、行き詰まっている計算の続きを書き込んでやる。
兵助がポカンと紙と三郎を交互に見やった。
そこで三郎はハッと気づいた。
自分がなかなか解けなかった問題をあっさり解かれてしまったのだ。
プライドの高い兵助のこと。
余計なことをするな、などと怒鳴られるかもしれないことに今更気づいて、思わず視線を逸らす。
「そっ…かぁ…。こうやるんだ…」
しかし予想に反して三郎の耳に届いた兵助の声は、感嘆のものだった。
意外に思って兵助を見ると、本当に嬉しそうな様子で続きの計算をどんどん解いてしまう。
三郎は全部を解いたわけではない。
少し手を加えただけなのに、たったあれだけのヒントでここまで解けるとは…やはり兵助は頭が良い。
三郎も三郎で感心していると、問題を全て解ききった兵助が、はにかみながら再び顔を上げた。
「へへ…出来た」
「………………」
あまりにも
あまりにもその笑顔が可愛くて
顔が熱を帯びていくのが分かる。
三郎は立ち上がって、くるりと兵助に背を向けた。
「三郎?」
兵助が不思議そうに声をかけるが、曖昧に雷蔵を捜しに行くとかボソボソと漏らしただけで、三郎はそのまま図書室を出ようとする。
「ありがとう」
その言葉にソッと振り返ると、兵助が笑顔で手を振っているのが目に入った。
なんだろう
普段は凛として大人っぽい兵助が急に幼く見えて
今度こそ顔が隠しようもないほど赤くなっていくのを自覚し、三郎は急いで図書室から出た。
***
「…あ、兵助帰ってきたね」
廊下に人の気配を感じて雷蔵が戸を開ける。
「じゃぁ三郎、頑張って」
「は?」
突然の雷蔵の言葉に、思わず間抜けた声を漏らしてしまった。
「あれ?雷蔵、どっか行くの?」
「うん。ちょっとはちと来週の実習のことで決めておくことがあってさ。兵助も勉強頑張ってね」
戻ってきた兵助に、にこやかに答える雷蔵。
「え、ちょっ…待てよ雷蔵…!」
三郎が慌てて引き止めるが、雷蔵は爽やかな笑顔を残して行ってしまった。
「………………」
「………………」
ポツンと残された二人が雷蔵の消えた廊下を無言で見つめる。
ハァ、と溜め息をつくと兵助の肩がビクリとはねた。
「…入れよ」
「え…」
「教えてほしいんだろ?」
「あ、いやでも…迷惑なら別に…」
慌てたように手を振る兵助の細い手首を掴んで、グイッと中に引き入れ戸を閉める。
せっかく雷蔵がくれた時間なんだ
ありがたく受け取っておこうじゃないか
「ていうか…明らかに兵助もだよね…」
「ん?なんか言ったか雷蔵?」
「ううん。なにも」
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