青の祓魔師



会いたかった。
ずっとずっと会いたかった。

いなくても平気なように振る舞っていたが、やはりそれは嘘だった。だって目の前にいるだけでこんなにも気持ちが高鳴って、苦しいぐらい締め付けられる。それが酷く心地いいほどに。

久々の心の高揚と彼との対面に、雪男は目の前の存在が信じられなかった。もしかして夢なんじゃないだろうかとさえ思ってしまう。それに気が付いたのか、燐が両手を広げて雪男に来るように促した。最初は戸惑いがちに、だが一歩を踏み出せばまるで吸い込まれるようにして雪男は燐の広げた両腕の中へと飛び込んだ。

「にいさん、にいさん…!!」

久々に呼べたその特別な名に雪男は嬉しくて堪らなくなる。飛び込んだ胸の中の確かな存在。
冷えた身体とは違う、温かい体温が背中に回した雪男の手や触れ合う身体を温めてくれる。息を吸い込んで肺をいっぱいに満たしてくれるのは虚無界の魔神だというのに、まるで眠りに導かれそうな日向の優しい匂い。
形も体温も匂いも全て記憶通りの彼だった。

「雪男、久しぶり」

声もそうだと実感して、雪男は泣きそうになった。彼だ。彼が確かにここにいるのだ。

「会いたかった、兄さん…」

「俺もだぜ!」

うひひ、と笑って燐は雪男の頭を撫でてやった。乱暴な手つきだが、それでも雪男に痛みのないよう加減はされている。それに相変わらずだなぁと雪男は笑ってしまった。

「兄さん、どうして突然物質界に?」

とりあえず落ち着いた雪男は背中に手を回したまま、少しだけ身体に隙間を開けるとずっと聞きたかった事を聞いた。

「ああ、今日誕生日だろう?」

「そうだけど、アマイモンまで用意して帰ってくるとか…」

「ふひひ、ビックリしただろう?」

それはもう驚いた。彼の演技にも驚いたが。
彼はきっと囮だったのだろう。燐がこうやって安全にここに来るための。今思えば、メフィストもそれに気が付いていたのかもしれない。だから数少ない祓魔師をアマイモンにまわし、警備を雪男たちに任せたのだ。彼にしては珍しい、あの優しい眼差しにも納得がいった。

「あと、皆倒れてたんだけど…」

「あー、あれは…」

燐はごにょごにょと言いにくそうにする。これは確実に何かしたなと相変わらずの分かりやすい彼に微笑ましさを感じるほどだ。

「ちょ、ちょっと…色々分けてもらったから」

「分けてもらった?」

「に、人間の部分を…」

まったく意味が分からない。雪男は詳しい説明を求めるが、やはり言いにくそうに口をモゴモゴとさせたり、さらには話題を逸らそうとさえする。一体なにをしたのか、それは自分にも言えないようなことなのかと雪男は怒りが湧き上がってくる。

「に・い・さ・ん?」

「え、ええっと…」

追い込むようにして彼の服を強く握りしめたまま雪男は笑顔で迫っていく。
燐も雪男が怒っているということを理解したのか、意を決して口を開いた。

「あの、ちょこーっと…ちゅーした」

「…は?」

いま、なんと言った。雪男は燐から出た言葉に眉を寄せる。

「あの、だから…キスしました」

「…最低」

一気に雪男の熱が冷める。先程まで確かに燐と出会えたという嬉しさや高揚があったはずなのに、それさえも冷めきってしまった。

突然帰ってきて、皆が倒れていて、何をしたかというとキスをしたと言うのだ。しかも自分ではない、友人であり親友ともいえるだろう人たちにだ。

燐も雪男の軽蔑するような眼差しで察したのか、慌てて弁解しようと離れる雪男に必死にしがみついた。

「違うんだって、ちゃんと理由があるから!そんな怒んなよ…」

「…いいよ、もう」

久々に会えたというのに雪男だって怒りたくない。だからその怒りは何度も申し訳なさそうに謝る燐の姿を見てなんとか飲み込んだ。
そしてなぜ皆が必死に弁解をしていたのか、ようやく納得がいった。なぜかは分からないけれど、そのキスとやらは合意だったらしい。なぜそんな事になったのかは謎だが。

「ねえ、誕生日に来たってことはさ…迎えに来てくれたの?」

燐がいなくなる前に約束してくれた、あの小さな約束を守りにきてくれたのだろうか。

優しい世界ができたら、迎えに行くよと、雪男の成り立たせる全ての言葉であるそれを、燐は守りにきてくれたのかと。
だが燐は首を横に振った。

「まだまだ、当分先だ」

「そんな…」

雪男はあからさまに落ち込んだ。燐の元へと向かう間、ずっとそうであってほしいと思っていたのだ。
雪男は目を伏せると机から降りた燐が雪男の胸に飛び込み、その伏せた目を覗き込んだ。

「誕生日おめでとう、雪男」

「兄さん…兄さんも、おめでとう」

そう言って雪男も燐を抱きしめた。愛しくなって燐の頬に触れてやると、冷たいと身を捩らせる。

「はは…僕の湯たんぽが返ってきた」

「だから湯たんぽじゃねーって」

文句を言うが、それでも燐は雪男の手を拒絶しなかった。しばらくの間、燐の頬の柔らかさや温かさを堪能する。燐もそれを気持ちよさそうに受け入れて、大きくて冷たい掌にすり寄るなどした。

ふと視線が絡む。自分とは少し違う、純粋な青い瞳が世界で一番美しいとさえ思えた。

その瞼に、頬に、鼻に、そして唇にとキスをすると、珍しく燐から舌を出してきた。
もしかして彼も久々に会えたという喜びで少し積極的になっているのかもしれないと、雪男もそれを受け入れる。

だが受け入れた瞬間、一瞬にして世界が変わった。

目の前がチカチカとして、立っていられない。足の力が一気に抜けて、床に膝をついてしまう。
一体何が起こったとあまりにも突然のことに雪男は驚くが、すぐに症状を理解した

貧血。
勝呂やしえみたちが起こった症状と同じだ。きっと自分の顔色も皆の時と同じ、酷く悪いのだろう。

「雪男、大丈夫か?」

「に、さん…」

酷い眩暈の中で燐の声を聞く。一体何をしたんだと揺れる頭の中で必死に言葉を紡ごうとする。雪男は膝をついているのでさえ苦痛になり、とうとう床に仰向けになって転がった。
燐は雪男と同じ視線になるようにしゃがみ、酷い貧血を起こしている顔をまた覗き込んでくる。

「ごめんな。けど、どうしてもお前の部分も欲しくてさ」

「いみ、わかん…ない」

「雪男」

「にい、さん…?」

「お前にプレゼントがあるんだ」

顔色の悪い雪男とは対照的に、嬉しそうにする燐。まるで悪戯をする子供のような笑みだから、今この時なら死んでもいいかもしれないとさえ思ってしまう。まあ、実際貧血で死ぬなんて御免なのだが。

「…僕も」

「ん?」

「僕も、兄さんに…プレゼントがあるんだ」

胸ポケットの小さな膨らみに触れて、雪男は小さく笑った。





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