青の祓魔師



「ゆ、ゆきちゃん…」

力無く雪男を呼んだのは壁にもたれ掛り、床に座るしえみだった。出雲も同じようにしてしえみの隣に座って、彼女の肩に頭を寄りかからせていた。
予想通りの具合の悪そうな二人に雪男は慌てて二人に駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

容体を見るとやはり勝呂たちと同じ貧血のようだ。立っていられないほどの酷さのようで、顔色もやはり悪い。

「あの、もしかして…」

兄さんが、と言葉を続けようとした瞬間、しえみの顔が赤くなったり青くなったりする。

「ち、違うの!たたたたた確かに私もいいよって言っちゃったけど、だからって誤解しちゃダメだよ!」

「すいません、何のことかよく分からないんですけど…」

やはり勝呂と同じようにしえみは慌てて何かを否定するだけだ。一体何を誤解するというのだろうか。

「来てるんですよね?兄さんが…」

しえみはその言葉に柔らかく笑った。来ている。本当にここに来ている。それを思うだけで雪男は嬉しさでいっぱいになってしまう。

だがひとつ不本意なことがある。こちらに来ているなら、なぜ自分の所に一番に会いにこない。

普通弟である自分に一番に会いに来なければならない筈だ。それなのに順番的に雪男が一番最後になっている。

「雪ちゃん、あのね、燐にも考えがあるんだよ」

「…顔に出てました?」

「うん、すっごく不満そうだった」

雪男は早い頃から祓魔師の世界にいたせいか、作り笑いは得意だった。張り付けるような笑みや表情などお手の物で、だがやはり長い付き合いのせいだろうか、祓魔塾の元生徒たちはその仮面の下をいつだって簡単に見抜いてしまう。
雪男は見抜かれてしまった事が気恥ずかしくて、これも兄さんのせいだととりあえず燐のせいにして誤魔化しておいた。

そんな気恥ずかしい思いの中にいると、またグラリと地震が起こる。弱い地震だがこうも連続でやられると一般人にも迷惑が掛かる。
これは早急に探しに行かないと、と雪男は立ち上がり、しえみ達に手を貸そうと差し出す。

「結構です。自分で歩けますから」

だがそれをピシャリと出雲が断った。如何にも気分が悪そうだというのに、それでも彼女は手を借りるのを拒む。

「だけど…」

「そんな事よりも、早く行ってください。そうじゃないと私たちのこの状態も無駄になりますから」

寄りかかっていたしえみの肩から頭を上げ、出雲は雪男を見据える。するとしえみも同意するように笑った。

「私たちは大丈夫だよ。雪ちゃんだって本当は会いたくてウズウズしてるんでしょう?」

確かにそうだった。燐に早く会いたいという気持ちは逸るばかりで落ち着かない。二人の後押しに雪男は差し出した手を握りしめると、小さくお辞儀をする。

「ありがとうございます」

「燐によろしくね」

雪男は頷くとまた廊下を走った。しえみは「いってらっしゃーい」と貧血な筈なのに元気に両手を振って雪男の背中を見送ってくれた。
その元気な声に出雲が「うるさい」と注意する声さえ聞こえた。雪男は胸の奥がくすぐったくなって、口の端を無意識に持ち上げた。

皆が雪男の背中を押して彼の元へと誘ってくれる。
ああ、やはり彼らもずっと燐と自分の味方だったのだと今更ながら実感が湧いて嬉しくて仕方がなかった。
祓魔師だったら魔神がここに来ていると知った時点で他の祓魔師や本部に知らせないといけない。

彼らや彼女たちがそんなことを決してしないとは分かっていた。
だがそれでも嬉しくて胸が熱くて堪らない。

雪男は居場所もどこか分からない燐のいる場所へ行こうと必死に走った。また微弱に地面がグラリと揺れ、足を止めて窓の外へと視線を移した。窓の向こう側からは煙が上がっている。
早くしないとそろそろ怪我人が出るだろう。だが居場所も分からず、この建物の中全体を探すとなるとかなり骨が折れる。
雪男は煙が見えるさらに向こう側で見慣れた建物が見えた。

高校生の時、燐と共に過ごしたあの場所。

オンボロの寮が建つその場所へ、雪男は慌てて向かおうとした。だが走っていくよりも鍵で行った方が早いと雪男は鍵入れの中から今は全くと言っていいほど使っていない鍵を取りだして鍵穴へと差し込んだ。

何度か深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。雪男はそっと胸ポケットに触れると、小さな硬い膨らみに安心した。

扉を開く。そのドアノブを回す手は驚くほど震えていた。だがそんなことどうでもいい。
彼に会えるのだという想いだけでいっぱいだったからだ。ゆっくりと押した扉はなんの抵抗もなく開いてくれた。

扉を開けた先には、迎えにくるからと約束した、あの頃と変わらない姿のままの彼がいた。

何か声を掛けなければならない。なんでアマイモンを寄こしてきただとか、なんで皆貧血を起こして弁解をしてくるのだとか、どうして会いにきたのだとか、言いたいことは山ほどあった。

だがそのどれも声にならない。だってあれほど焦がれたものが形を纏って、いま雪男の目の前にいるのだから。

もう誰も住んでいない、埃の積もった机に座る彼は、雪男を見るなり目を細めて優しく笑う。

「ただいま、雪男」

「兄さん…」

おかえりの言葉は震えて空気に溶けてしまった。





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