青の祓魔師



雪男は貧血が治まるまで安静にし、大分マシになるとなんとか身体を起こして、燐と向かい合わせに座った。背中は長年放置されていたせいで積もった埃だらけで、頭にさえそれが付いている。雪男は適当にそれらを払落し、再び燐と対峙すると、胸ポケットからある物を取り出した。

「二十五歳の誕生日、おめでとう。兄さん」

受け取ってほしいと、差し出したそれは銀色に鈍く光る指輪が二つ。燐はそれを見るなり目を見開いて驚いた。

「おまっ、これ…」

「どんなふうに捉えてもいいよ。それが僕の気持ちになるから」

「…バカじゃねえの」

そう言うと燐は雪男の前に左手を差し出した。ぶっきらぼうに差し出された手はヒラヒラと揺れて、まるで早くと急かされているようにも見える。

雪男は燐の手を取ると、ずっと胸ポケットに入れていたせいで温かくなった指輪を薬指にはめた。
兄がいなくなる前のサイズで購入したのだが、それはほんの少し緩かった。

「兄さん、痩せた?」

「あー、ちょっと」

「あんまり頑張りすぎないでね。ゆっくりでいいから」

「うん」

「僕はずっと待ってるから。死んでも待ってるから」

「うん」

燐は雪男によってはめられた、銀色の指輪を天井に掌を透かして見上げた。少し緩いそれをしばらく見つめると、まだ雪男の掌に残っている指輪を取り上げ、左手を乱暴に引っ掴まれる。
燐は取り上げた指輪を雪男に見せびらかすようにした。

「はめてほしいか?」

「うん、してほしい」

「それじゃあ、俺の事が好きだって言え」

顔はいたずらっ子のようにして笑うくせに、声はやけに真剣というチグハグ具合。雪男はもう指輪も何も握っていない右手で燐の頬を撫でた。

「好きだよ。世界で一番、物質界でも虚無界でも僕が一番貴方の事を愛している」

自信に溢れるその言葉に、燐の瞳が海の水面のように揺らいだ。それを隠すように俯かれてしまったから、雪男は顔を自分の方に向けさせるとその震える唇にキスをした。

「約束。はめて」

貴方のものになりたいと乞えば、燐はさらに泣きそうになっていた。

「バカじゃねえの…」

そう言いながらも、満更でもなさそうだ。燐は雪男の薬指に指輪をはめてやった。燐の指とは違い、雪男の指輪はその指によく馴染んでいる。

「明日からお前のファンの悲鳴が上がるぜ」

「いい気分でしょ」

「最高」

コツリと額を合わせ、二人して笑いあう。お互いの指には銀色に光る指輪があり、まるでお互いがお互いのものだと主張しているようだ。

「雪男、俺からもプレゼント」

「うん、何をくれるの?」

「もう渡した」

「え?」

にひひと燐は笑い、雪男はその瞬間違和感を感じた。

腕が重い。
先程まで確かに燐の頬に触れていた両手が、なぜか別の位置にあるのだ。
そして両腕から伝わる、何かを抱えているような感覚。
雪男はゆっくりと自分の両腕を見るとその重みの正体に気が付いた。

「あ、赤ん坊…?」

雪男の腕の中にはいつの間にか赤ん坊が抱えられていた。それも見ず知らずの柔らかい布に包まれた子供。
なぜこんな所に赤ん坊がと困惑していると、燐はまた悪戯っぽく笑う。

「お前、欲しかったんだろう?」

「ほ、欲しかったって…!そもそもこれ誰の子なのさ!?」

「皆。八割がた俺だけど」

「…待って、頭がついていかない」

訳が分からないと困惑して働くことを拒絶する頭を必死に動かし、燐により詳しい説明を求めた。

どうやら燐は、人間の子供を作ったらしい。
自分の人間の部分の肉体を使って。

だが半分悪魔のせいで完璧な人間を作る事は出来ず、その足りない部分を補うために他の人間から分けてもらったらしい。その他の人間というのが勝呂やしえみたちだったのだ。
だからキスのあとにあの酷い貧血が起きたのだ。もしかしたら皆もそれを知って燐とのキスを受け入れてくれていたのかもしれない。

「もちろん、お前のも入ってる」

「僕のも…」

腕の中の赤ん坊は雪男の様子を知ってか知らずか、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。その顔は穏やかで、よくよく見れば、燐や雪男に似ている気がしないでもない。

「まあ、その、なんだ…俺が八割で、お前が一割、んで他の皆が一割で出来てるから…。い、いわば、俺とお前のガキみたいなもんで…」

恥ずかしそうに、だけど一生懸命説明する燐は、雪男が俯いて黙っていることに気が付いた。もしかして気に入らなかったのか、それとも怒っているのか、押し付けがましかっただろうかと慌てふためく。
だがその考えはすぐに否定された。

「…僕から、二割とってもよかったのに」

グズッと鼻を啜る音が聞こえて、燐は笑う。

雪男は嬉しかった。
獅郎が死に、燐が去り、一人になってずっと寂しかった。
街で幸せそうな家族を見ると妬ましかったし悲しかった。
そんな寂しいだとか、悲しいだとか、他人に嫉妬する自分が少し嫌にもなっていた。

「そうしようかと思ったんだけどさ、やっぱり皆のも入れたかったんだよ」

勝呂の誠実さ、志摩の親しみやすさ、子猫丸の和やかさ、しえみの一途さ、出雲の優しさ。
彼らが持つ何かひとつを、この赤ん坊の一部にしたかったのだ。

「雪男、お前からは誰かを愛する心を貰ったよ」

それをこの赤ん坊の中に入れたから。
燐は赤ん坊の頭を優しく撫でた。

「ちゃんとした人間だから、お前が育ててくれ」

「兄さんは、一緒じゃないの…?」

「俺は無理だ。魔神の役割もあるし、お前との約束もある」

それに、と言葉を続ける。

「俺はもう、ここには来れない」

一瞬、なんのことか理解できなかった。もう、ここにはこれないと彼は言ったのだ。
この物質界に、雪男の生きるこの世界に。

「こいつに人間の肉体をあげたから、俺の身体はほとんど悪魔なんだ。人間の部分はほとんど残ってない」

「なに、それ…」

「あと一回しかここにはこれないと思う」

実は今もギリギリらしい。雪男はもう会えないという現実を突き付けられ、酷くショックを受けていた。

「そ、んな…じゃあ、どうしてこの赤ん坊を作ったのさ!」

「お前が………いや、違う。俺が欲しかったから」

「兄さんが…?」

「お前の事、ずっと見てたよ。魔神の役目でそっちには行けなかったけど、見る度にずっと思ってた。そっちにいるときも、こっちにいるときも、ずっと思ってた」

ずっと、欲しいと思っていたんだ。
燐の正直な気持ちに触れ、雪男は悔しくて堪らなくなった。

自分だって欲しいと思っていた。生産性のないこの関係は分かっていたが、燐がこの世界からいなくなってそれは余計に酷くなっていた。

「兄さんの馬鹿…」

「ごめん」

「僕だって、そうだったよ…」

「…へへっ、知ってた」

「大切にするから」

「………うん」

そう言うと燐は立ち上がり、埃をはらうと最後に赤ん坊の額にキスを落とした。

「魔神の加護とか碌なもんじゃねえと思うけど」

「そんなことないよ。兄さんはこの子の生みの親だし、神様なんだから」

「魔、がつくだろう」

「それでも神様だよ」

誰がなんと言おうと、雪男はそう信じていた。スヤスヤと寝息をたてる赤ん坊は魔神から生まれたとは思えないほど穏やかだった。だが燐から生まれたのだというと、この寝顔にも納得がいってしまう。

「それじゃあ、行くわ」

「うん」

「最後の一回は、お前を迎えにいくために使うから」

「うん、待ってる」

雪男も立ち上がると、視線を交じあわせて触れるだけのキスをした。

「…俺に似てるからってやらしいことすんなよ」

「する訳ないでしょ」

「うひひっ、指輪、サンキューな!」

「僕も、重たいプレゼントをありがとう」

「お前だって似たようなもんだろ!」

まさかお互いこんなプレゼントが贈られるだなんて想像もしていなかった。その事に関しては二人とも意見が一致していた。
指輪と赤ん坊を互いに見ると、燐はゆっくりと扉に向かう。顔を見合わせると、もう一回とばかりに名残惜しげにキスをした。

「またな、雪男!」

「うん、またね。兄さん…燐」

嬉しそうに笑って、燐は手を振り扉の向こう側へと行ってしまった。燐と同じように扉を開けてみるが、行きつく場所はただの廊下で、あまりのあっけなさに涙もでやしない。
もしかして夢だったのではないだろうかと思うほどだ。

だがこの腕の中の存在と、左手の指輪が夢ではないと教えてくれた。

ほんの一瞬のような夢の出来事だったが、確かに彼はここにいたのだ。
雪男は瞼を閉じた。相変わらず瞼の向こう側は暗くて何も映らないが、今は寂しさや虚しさは感じなかった。
すると赤ん坊が目を覚ましたのか、時折言葉にならない声を掛けたり、雪男に向けて手を伸ばしたりしている。

「はは…本当に兄さんの子だ」

限りなく純粋に近い青の目が、赤ん坊の目にも宿っていた。それが嬉しくて仕方がない。

「雪ちゃーん!」

廊下の向こう側からしえみの声が聞こえた。他にも雪男を呼ぶ声が複数聞こえる。あの酷い貧血から回復し、雪男を迎えにきてくれたのだ。
雪男は地震が止まっていることにも気が付き、彼も帰ったのかと窓の向こう側の煙も静まっていた。
赤ん坊はキャッキャッと声を上げて、雪男の名前が呼ばれる度に嬉しそうに声を上げる。ただ声に反応しているだけなのか、それとも自分が呼ばれていると勘違いしているのか。

「まずは、君の名前からだね」

そして祝わないといけない。自分と、兄と、そしてまだ名も無きこの赤ん坊の誕生日を。


























2011/12/25
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