Romantic undertake



※一応『Double Cross』の前日譚+αとなってますので、先にそちらのほうを読んでおくことを推奨します。


 もともとそういう用途で引き取られたことに対して、悲しいなどと思うほど自我も物心も芽生えていなかった。だからこの境遇に世間一般の真っ当な感情を持ち合わせる頃にはもう慣れきってしまい、完全にズレていた。
 とはいっても怖いものは怖い。痛いものは痛い。つらいものはつらい。死にかけたこともある。それでもここにいれば生きる上で必要なものはすべて与えられたし、そういう世界であることを知ってからはむしろ身を守る術を、ある程度命を保証された環境で身につけることができるのはある意味幸せだと思った。

 その話が回ってきたのは、彼女がここを出てかなり経ってからだ。中学に入って二回目の梅雨前線が引かれ始めた頃。
 さまざまなところを介され、呼び出された部屋に入ったとき、奏は久しぶりに目を見張るほど驚いた。

「Guten Tag, Fräulein(こんにちは、可愛いお嬢さん)」

 敵対する立場でありながら人間側に身を置くカラフルな悪魔が、たかが駒風情にはもったいないほど綺麗なお辞儀で迎えてくれたのだ。
 そうぽかんとしていると、メフィスト・フェレスと名乗る悪魔は“これから”の話をするために座るよう促した。

「まずはこちらを」

 ぱちんと彼が指を鳴らせば、何もなかったテーブルに可愛らしい煙。すぐに晴れたそこには茶封筒とティーセット一式が現れた。アンティーク調の趣向を凝らしたティーカップからはその器に相応しい香りを絡めた湯気があがっている。

「どうぞ」と紅茶を勧められ、「失礼します」とソーサーを手前に引き寄せる。

 しかし先に手にとったのは茶封筒のほう。つい癖で、とそっと彼を見やるも特に気分を害した様子もなく、完全にひとり紅茶の世界に浸っていた。
 ほっと胸をなでおろし、改めて中身を拝見する。まず出てきたのはよくある写真付きの履歴書に似た書類。住所、氏名、学歴と内容は履歴書そのまま。流し読みすらせず次の書類に移る。
 一枚目は表の顔。二枚目はこちらが本当の顔。

 正十字騎士團日本支部京都出張所所属。
 明王陀羅尼宗の分家に当たる志摩家の五男。
 また当家の本尊である大威徳明王の契約者。
 正十字騎士團が啓明結社イルミナティへの送り込むスパイ。

 その他、こちらの書類は余すところなく読み込み、頭に叩き込む。そうしてまた一枚目に戻ってきて初めて写真を見た。

「自分とそう変わらないと驚きました?」

 彼はいかにも悪魔らしい長く緩やかな弧を描いてみせる。
 年齢の欄を見ると、本当に自分と同い年だった。

「はい」と正直に答えた。

 写真の人物は黒の詰襟の男の子。相応しい表情をしているが、垂れ下がった目が証明写真特有の堅苦しさから柔和な印象を抱かせる。見るからに人懐っこそうな、懐に潜り込むのが得意そうだ。親しみやすさと軽薄さが写真だけでもにじみ出ている。

「人のことは言えませんが、ずいぶん若い人選ですね」
「ええ。まあ、あなたもご存知のとおり理由が理由ですから」

 この任務において一番重要視されているのは年齢だ。サタンの落胤と同い年であること。
 年齢が近ければ近いほど物理的距離も縮まる。動向を監視しやすくなる。サタンの落胤をイルミナティの指示で監視する彼を見極めるこちらも。

「しかし書類を拝見するに、彼にはまだ話がまったく通ってないようですが」
「そのとおり。この話はまだここで止めています。ですが、ほぼ確定事項なので打てる手は打っておこうと思いましてね、あなたにお願いしたのです」
「つまりまだ彼は何も知らないのですか?」

 何も知らないのに? とつい責めるような口調になってしまったのはなぜだろうか。これからの彼の境遇に哀れんでもしたのか。こちらの世界を知っているとはいえ、それだけでこんなことに巻き込まれてしまうことに心を痛めているのか。
 自分とは違ってはじめからそう運命づけられているわけでもないのに。
 こちらの意図を正しく汲んだ上で、悪魔は「いいえ」と愉快に否定した。

「彼があれに選ばれた時点でもう拒否権などありません」

 大威徳明王。

「そうでなくとも彼は自ら進んで舟に乗ってくれます。彼はその星(みょうだ)の下に生まれたがために、ね」

 彼はまた優雅に紅茶を嗜んだ。あたしも倣うようにティーカップを取った。書類を読み込むのにそれなりの時間が経っていたはずだが、紅茶は出された時とほとんど変わらない温度を保ったまま。上品な香りがふわりと包み込む。ひとつ口にふくめば、口内が芳醇な香りとともに一気に華やぐ。想像していた渋みはやんわり感じる程度で、今まで飲んだ紅茶とはなんだったのかと思うほど自然で、美味しいものだった。
 しばらくは紅茶とクッキーなどをつまみながら彼のたわいもない話を聞く。彼の話はまったく退屈せず、出された茶菓子もどれも逸品だった。

「それでは最後にこちらを」

 また指を鳴らせばティーセットが消え、今度は一枚の書類と角度によっては深い青にも見える黒の羽ペンが現れた。

「ではサインを」
「はい」

 悪魔の契約書となれば誰もが怖気づくものを前に何のためらいもなくペンを取った。慣れた手つきで署名し、ペンを置く。
 最後は自らの血判をもって契約完了とされる。そのために大抵は針などが一緒に用意されるが、何故かこの場にはなかった。心の中で首をひねるも、ないならないで左手親指の腹を軽く噛もうとしたとき「ストップ」と彼は身を乗り出し、左手首を掴んだ。

「フェレス卿……?」

 止められた真意がわからないという目を向ける。悪魔との契約書の肝は契約者の血だ。これなくして契約の意味はない。だというのにメフィストは掴んだ手を離さない。

「私はね、こんな古臭いものは嫌いなんですよ」

 金の蛇の目が光る。本能的な寒気に紅茶で温まった身体が凍りつく。それで力が抜けるのを確認するとメフィストはそっと手を離し、署名だけの契約書を指一つで机からもう手の届かないどこかへ消し去ってしまった。

「契約はなされました。もうお帰りいただいて結構ですよ」
「え、でも」
「いいのです」

 優しい声で否定する。しかしそれに続いて独り言のように落ちた言葉は歪み冷え切っていた。

「こんな時代遅れなもので見れるものなどたかがしれてる」

 禍々しい光を持つ金を直視してしまった。メデューサを見たように動かなくなった彼女に気づくと、悪魔らしからぬ慈悲深い表情をもって「さあ、おかえりなさい」と帰した。



 血印を捺さなかった理由。
 あの悪魔は存外、典型的ありふれたロマンチックな展開を望んでいることを、改めてした自己紹介の中で思った。

「そうだなぁ……一応最後に自己紹介しよっか。正十字学園高等部1年生、そして正十字騎士団日本支部監視課諜報担当。つまり二重スパイで活躍する志摩廉造の監視とその精査、そして始末を担ってます、立花奏です」

 使い慣れた銃。掛けられた人差し指をためらいなく、仕組んだ悪魔への感謝と祝福を込めて引いた。




某金岡の錬金術師みたいな、フェイクです。
二重スパイとしての志摩廉造はここで死に、これからはただのちょっと不思議な力を持つただの志摩廉造として生きてもらいますよー的な。
血判がないのでモナリス契約書みたいに箝口令というか契約を破った時に発生する報復を付与しないため。
ようするにちゃんとハッピーエンド(当社比)ってことです!

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