花吐き病



※松.田/奈緒/子の漫画作品『花吐/き乙.女』に登場する花吐き病パロディです(原作とは花の描写が違います)。
※ちょっと嘔吐描写があります。

 初めて聞く病名。それからずいぶんふさけた病状に苦笑を禁じえなかった。けれどその笑い声はすぐに空々しいものに変わり、呼吸が上手く出来なくなる。なんだ、それは。なんだその狂った病気は。いや、もとから狂っている俺だからこそこんな狂気じみた病気に侵されるのかもしれない。そう思うとまた中身のない笑いが腹の底から湧き出そうになる。なんと、まあ、狂い、残酷なものなのだろう。
 
「残念ながら最先端の医療、そしてこちら側(あくまやくがく)でも根本的な治療法は見つかってません」
 
 唯一完治する方法が何とも皮肉で、報われないものだったことは言うまでもない。
 

 
 もしこれが己の罪に対する罰だというのならこれ以上ないなと診察室を出て小さく肩を揺らして笑う。するとそれと連動するように喉に何かが張り付き、嘔吐く。
 蛍光灯に反射して輝くリノリウムの床に黄色い花弁が数枚落ちた。俺の気持ちとは裏腹に優雅にひらひらと落ちていく様にどうも自嘲が止まらない。
 
 花吐き病と言うらしい。
 
 正式名称はやたら長く聞きなれない言葉のせいで覚えてない。だが、この略称だけで病状は言わずと伝わる。ただ何が誘因だというのはたぶん誰にもわからないだろう。俺自身でさえ全くわからなかった。原因となるものをずっと抱えていたという自覚はあっても、まさかそれがこうなるとは思うまい。
 花吐き病の誘因は拗らせた片想い。
 そして唯一の完治方法は両想いとなり、その恋を実らした証として白銀の百合の花を吐き出す。
 これがフィクションならなんてロマンティックな題材だろう。主に若い女性に受けること間違いなしだ。だから夢物語ならどんなに良かったことだろうか。
 
「ああ、ままならんなぁ」
 
 こふりとまた吐息とともに花びらが散った。
 地に落ちた花びらはこの恋の行方を暗示するようにさらりと跡形もなく消えた。
 
「アホらし」
 

 
 症状は花を吐き出す瞬間の嘔吐感だけでそれ以外は至って健康そのもの。そしてぽんぽん出るものだと警戒して、周りには風邪を拗らせたとマスクをしていたが、そんなこともなかった。拍子抜けもいいところだ。吐き気に襲われる時も空気を読んでか、だいたい一人でいる時のため、恙無い日々を送っている。ずっとマスクをいるのも余計な心配だったり、詮索もされそうなので外している。
 しかし自分の想いがこんなものを引き起こすまで拗らせてるとは本当に思ってもみなかった。
 あの子が好きだ。
 この気持ちを自覚したのは、正直に認めたのはすべてが終わり、平穏が訪れてから。そのきっかけは、よくわからない。ただ塾がなくなり、今までと同じように顔を合わせる機会がなくなった。それでも同じ高校に通っているのだから会う機会が全くないわけじゃない。少し減るだけ。そう思っていたのに現実は違った。話すことはおろか、顔を合わすことすら少なくなった。せいぜい移動教室の道中ぐらいだ。そうして機会が減るごとに俺の視線はいつもあの子を探してくるくる忙しなく動き出した。
 例え俺を見て、俺に気づいてくれなくてもいいから。
 職業病の後遺症のおかげか、周りに不審がられるのともなく、今日も遠くからクラスメイトとの会話に花を咲かせて笑う彼女を見て、俺はひっそり花を吐くのだ。
 

 
「ところで何をもって両想いとされるんやろうか」
 
 定期検診のときにふと聞いてみた。返ってきたのは「さあ」とそっけないひと言。
 
「ええ……そんな連れないこと言わんといてくださいよぉ。俺、これでも本気で絶望したんですよ?」
 
 担当医は、胡乱げに一瞥したあと俺の経過をパソコンに入力する。
 本当だ。
 だって自らの命を投げ打ってまでこんな俺を助けようとした彼女と、病気が発覚したすぐあと、偶然会ったとき、何も起きなかったのだ。

 何も。
 何も。

 あの子は俺のことが好き。
 俺もあの子のことが好き。

 本当に、そうだと思っていた。本気で自分たちは想いあってるのだと思っていた。
 でも俺の口から出たのは白銀の輝きを持つ百合ではなく、そこらじゅうに転がってる取るに足りない話題たちばかり。そして彼女は授業開始のチャイムとともにピンクのスカートをふわりと咲かせて消えた。

 全部自分の思い違い。全ては紛うことなき俺の一方通行だったのだ。なんてことか。

 裏切られた。
 信じていたのに。
 ほかの誰でもない、俺を本当の意味で救ってくれた彼女に。

 彼女と別れた後の記憶は酷く朧気だ。ただ誰にも何も言わずに早退して学校から逃げ出したことは覚えている。そのあとのことは、気づくと寮の部屋で子猫さんや坊に早退のことを窘められ、「すんません」とへらへら笑って謝った。
 これまでびくともしなかったはずの心は呆気なく風穴が開き、びゅうびゅうと強風が吹き荒んで通り抜けていく。そして通る度に穴の内側から心を削り落としていった。
 今際の際、坊たちの手すら振り払って己のオチをつけようとした俺の手を針の穴を通すように強く掴み取り、「絶対に生かしてやる」と語る目を持った彼女の根底にあったのは? あの子は何のために俺を助けてくれた?
 俺を大事だと思って手を伸ばしてくれたのではないのか?
 いや、確かに俺を思って助けてくれた。死んで欲しくない。生きて欲しい。大切な人だから。その思いに間違いはない。
 間違っていたのはやっぱり俺のほうだった。
 彼女の思うそれらは、彼女を取り巻くすべての人に等しく与えられる無償の愛というやつだった。
 俺の想いはあの子の思いに丸ごと綺麗に飲み込まれてしまった。
 なんて裏切り行為だ。卑劣極まりない。こんな残虐なことが許されていいのか。信じていたのに。信じていたのに。憎み、恨み、そして嘆いて思い知った。
 
 あの子はこのすべてを、他でもない俺にされたのだ。
 
 そんな俺にどうして彼女を責められるのか。そんな権利を持つ資格のない俺がどうして彼女の気持ちを非難できようか。
 
 なんだ、結局この花は自分が蒔いた種だったのだ。
 
 憑き物が落ち、気持ちがすうっと凪いだ。心の暴風はかわらず荒れ狂い、内側から削り落とすことを止めなかったが、ある意味自然の摂理だと受け入れた。
 ならば墓場まですべて持っていこう。もともとそのつもりだったが、浅ましい俺はどこかでこの想いが色づくと期待していた。それがいま、こうなったからにはもう期待も希望も何もない。
 このまま墓場まで持っていけば、例え無縁墓地に葬られたとしても少しは花やかに眠れるのだから。
 

 
 どうも俺は神さまとやらに随分嫌われているらしい。何を今更と言われれば、それまでだが……。
 
「奏ちゃん……」

 油断していた、というものそれまでだろう。日に日に病状は悪化し、その分吐き出される花弁も増えていった。当然人前から何かと誤魔化してその場から離れることも多くなる。墓場まで持っていく覚悟は出来ていたが、全く、誰にも見つからずになんていうのはどうしても無理がある。いずれ誰かに見つかってしまうこともわかっていたが、よりによって本人に見つかるとは思わなかった。
 学校の中庭。校舎の影に隠れてやり過ごすつもりだった。しかし俺は吐き出すことに精一杯で近づく足音にまったく気づくことが出来なかった。
 
 彼女は無言。
 
 膝をつく俺は彼女を見上げる。逆光で彼女の表情は見れない。醸し出される雰囲気も全く読めない。
 ただただ俺は全身寒気に飲まれ、怯えることしかなかった。 

「……志摩くん」
 
 やっぱりなんの感情も読めない。
 人の機微に敏感だと思っていたが、病状のせいで鈍っているのか、はたまた彼女が俺を上回っているだけなのか。どちらにせよ事態は最悪だ。美しいはずの花弁たちは赤色のせいかやけに毒々しく散らばり、まるで血痕だ。
 それからこふっと小さな咳とともに白や紫の花弁が手からこぼれ落ちた。
 もはや隠しようのない決定的な瞬間を目撃された。もう誤魔化しようのない。舌先三寸といえどこれはもう覆しようもない。
 本当に、よりによって彼女にバレるとは。
 それでも何とか言葉を紡ごうとしてもまた吐き気に襲われる。迫り上がる吐き気は今までにないほど辛く、苦しく、喉が焼かれるようだった。そうしてこぼれ落ちた花びらは青。数回嘔吐いて同じものがはらはらと彼女の足元までふわりと舞って落ちた。
 そのとき、志摩のいままでの諦念に満ちた表情が抜け落ちた。制止の声も手も動かない。金縛りにあったように志摩は指一本も動かせぬまま目の前の光景をただ見てることしかできなかった。
 陽の元から一歩進み、完全に校舎の影に入ると、じゃりと音を立てながらしゃがみ込んだ。志摩にとって瓦解の始まりの音に聞こえた。同じ目線になったのに奏は一切志摩と目を合わせない。彼女はただ足元の色とりどりと花弁を見つめ、
 その一枚、青いのをゆっくりと手を伸ばし、ぺろりと赤い舌を覗かせて食べてしまったのだ。
 
 花弁に触れた者に感染する。
 
 担当医に口を酸っぱく言われたことが伽藍堂の頭に響いた。
 奏の読めない信じられない行為に志摩がようやく金縛りの呪縛から解かれたのは彼女が感染により激しく咳き込み始めてから。
 
「奏ちゃん! 奏ちゃん!!」 
 
 今ならまだ間に合うかもしれない。震える膝で彼女に近づき懸命に背中をさする。
 吐いて。吐いて。吐いてくれ!
 自分と同じ病状に苦しんでほしあった。
 しかしそれ以上に志摩は恐れていた。
 ここで奏が発症してしまえば、彼女は自分じゃない誰かに想いを寄せてることが証明されてしまう。
 それを目の前で叩きつけられることが何より怖かった。いつか彼女がほかの誰かを慕い、愛し、結ばれることに手放しで祝福の拍手を送るつもりだった。それなのに、それなのに。
 背中をはさする手は強く叩き始める。
 吐け! 吐け! こんな残酷なことがあってたまるか!!
 ふいに奏が咳き込む間に何か志摩に伝えようとしていた。
 
 しまくんすきだよ
 
 ようやく彼女の目が、表情が、声が志摩に届いた。
 ああ、これこそなんて残酷なことだろう。もし彼女の言葉が志摩の慰めのもの。嘘だとしても志摩はこの惨状をなぞ忘れ、嬉しさのあまり涙が溢れ出す。
 
「おれも、俺も奏ちゃんが好きや!! 好きや!!」
 
 だから、だからと強く願った瞬間、胸が張り裂けそうな激痛がせり上がってくる。いままでのものとは違う。激痛を追い出すように清らかな何かが体に満ちていく。
 そしてころんと呆気ない音を立てて落ちたのはそれこそ清浄という言葉をそのまま形にしたような白銀の百合。足跡ひとつないまっさらな雪原に降り注ぎ、反射した光のように輝く、美しい百合。
 この世とは思えないそれがもうひとつ寄り添うように落ちていることに気づく。
 
「想うだけじゃ、だめなんだって」
 
 見上げた奏は息も絶え絶えだったが、眉を下げながら安心とともに呆れた表情で笑っていた。

「ねえ、さっき散った青い花びら、青い薔薇の花言葉って知ってる?」

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