“何かあったら来い、相談に乗ってやる”
初めて会うタイプの先生だった。
“学校(ここ)ではお前は俺の生徒だ。それ以外の存在じゃない”
厳しい口調なのに、案ずるような目に戸惑った。
“お前、頼れる大人がいないだろ。だから俺がそれになる”
自分を一族の当主として見ない大人。初めて守られる立場になった。
気怠げで、超合理的主義者なのに、何度もお家ごとに首を突っ込んできて、
“俺は、お前の味方だ。いいな”
強くはっきりそう言われ、抱きしめられたその感触を梓は忘れることができなかった。
大丈夫なのに。梓自身がこの立場を理解しているのに。重圧を受けることを認めているのに。
彼だけは、その奥の本心を見抜くようにいつも首根っこを掴んで、深いところに落ちないようにしてくれていて、
いつも、涙が出てしまう。
悲しくないし辛くないはずなのに、相澤を見ると、なぜかほっとしてしまって、蓋をしていたはずの弱音がずるずる出てきてしまって、
そんな自分が情けなくて縮こまってしまうけれど、彼は一族の生き様に反する部分も簡単に許してくれて受け入れてくれる。
“生きろ。自己犠牲で身を滅ぼすな。強くなって、絶対に敵連合に掻っ攫われるな”
初めてだったのだ、自分の身を案じてくれる大人、
自分のことだけ考えれば良いと、無条件に守ってくれる大人に出会ったのは。
きっと彼は、こんなこと言ったら、怒るだろうけど。
(この身を賭してでも、)
生きてほしい、どうか生きていてほしい。
生きて。生きていてほしい。
どんな形でもいい。側で叱ってほしい。頭を撫でてほしい。
また、守ってやると、優しい口調で言ってほしい。
ー
死柄木の頬をぶん殴り飛ばした少女の目は見たこともないほど怒りに燃えていた。
まるで体が沸騰するかのような怒りを、その目から感じ取れ、思わず九条も水島も、側近達も息を呑む。
周りにいた緑谷や爆豪、エンデヴァーも最初こそ「なんでここに、」と唖然としていたが、彼女の激怒っぷりに言葉を失っていた。
彼女は、殴ると同時に死柄木から奪い取った相澤を抱きつくように支えていて、片方の手にはぎゅっと刀を握りしめている。
握りしめすぎて、カタカタと震えている。それは恐怖でも武者震いでもなく怒りから来るものだった。
「お、嬢、」
『…ありがと、時間作ってくれて』
怒りで目の前が真っ赤になりかけている中紡がれた言葉は叫び出したいほどの激情を抑えているのが丸わかりで、九条は(おいおい冷静さが、)と苦言を呈そうになるが、
『ふゥ…』
深呼吸した彼女に、ああ冷静になろうとしているのか、と九条は口を挟むのをやめる。
『…、九条さん、腕』
「なんてこたァないよ」
『………』
「お前、なんでここに」
意識が飛びかけている、呼吸が乱れた相澤の掠れた声を梓は初めて無視すると、
瓦礫から立ち上がった死柄木をジッと見据えた。
『ここからは私が相手だ』
「…ハッ、残念だったな、イレイザー…来ちまうんだよ、こいつは。そういう奴だ」
『…、私を呼ぶ為に先生を傷つけたの?』
「抹消が厄介なのもあるが、ま、そうだな」
『そう』
梓は、相澤をゆっくりと水島に預けると、握りしめていた刀の切先を静かに死柄木に向けた。
彼女は今、初めて燃え上がるような怒りで刃を持った。
でも、
“たとえ何を奪われようが、怒りで剣を握るな”
“我らの刃は守護が為に振り翳す”
“絶対に意味を違えるな”
(ああなんで、なんでこんな時ばっかり)
思い出すことなんか滅多にない父親らしいことをしてくれなかった先代の言葉をなんで今思い出すんだろう。
敵連合に攫われたときも思い出さなかった、どれだけのピンチを切り抜けても大怪我をしても思い出したことはないのに、なんでこう、一族の道から外れそうな時に頭に出てくるんだろう。
怒りをどうにか抑えようとすると、かわりに悔しさや相澤と九条の安否が心配になって、
ぶわりと涙が溢れ、拭う暇もないままギュッと刀を握る。
次は、怒りではなく、守る為に力を込めた。
先生や、守りたいと思ったものを守る為に、そして、自分自身を奴に奪われないために。
『………』
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙をそのままに、もう一度死柄木を見る梓の目には、先程の憎悪にも似た怒りは消えていた。
(消化しやがった)
それどころか、吹っ切れたような殺気が場を包む。
憎しみのような雑念がない透き通ったその雰囲気は、妙に威圧感があり、
思わずロックロックとマニュアルは、(手負いの仮免ヒーローの迫力じゃねェだろう!?)とゾッとするが、
死柄木は大して動揺していないようで、「さてと、」といつでも梓とやり合えるように臨戦態勢に。
それに応えるように梓が一歩踏み出そうとした、のだが、
ーがくん、
羽織を誰かに掴まれ、動きが止まった。
ハッと振り返れば、すでに意識のない相澤の手がこれでもかとキツく梓の羽織を掴んでいて、
『先せっ…』
死柄木の下には向かわせない。
気を失う直前にきっと、強く強く握ったのだろう。
戦うな、行くな、と言わんばかりの彼の渾身のメッセージをすぐに振り払うことなどできず、思わず梓は動揺したように瞳を揺らしてしまう。
が、彼女の隙を埋めるかのように梓の前にはいつの間にか壁ができていた。
死柄木から彼女を守るように立った2人。
「梓ちゃん、なんでここにいるのかとか、その怪我どうしたのか、とか、聞きたいことはたくさんあるけど、とにかく下がって」
「………心配事一つ増やしやがって、クソ、とりあえずテメェは先生の応急処置してろや!」
何も聞かずに前に立ってくれたのは、相澤と同じように絶対に死んでほしくないと思う幼馴染の2人だった。
応急処置、と爆豪に言われて、
梓は確かにそれが最優先だ、とぽろぽろと涙を溢したままコクンッ、と頷くと相澤のそばにしゃがみ込む。
『み、水島さん、先生の足を』
「ああ、脚を上に!捕縛布で止血…、いや、捕縛布よりこっちだな」
巻いていたスカーフをしゅるりと取りテキパキと相澤の足を止血する水島は流石に冷静で、ハルトと西京は彼に応急処置を任せると、梓の方を向いた。
「姫様、御身が無事で何よりです」
「怪我がひどいようですが、大丈夫なのですか」
『私は大丈夫、けど、九条さんの腕は、』
「すぐに止血したが、結構失血したからな。正直俺はもう使い物にならんよ」
『……』
「だが、仕事は全うした。お嬢がここに着くまで、俺らはお嬢の守りたいものを何が何でも守る。約束したからな」
『…うん』
「こっからは、バトンタッチだ」
ぱしん、と九条と手を合わせた梓は強い瞳で大きく頷くと、相澤が掴んで離さない羽織を脱ぎ、彼の上に掛けた。
『先生、ごめん。行ってくる』
そんな彼女の手に持たれた刀を見てハルトは「…姫様、得物がかなり消耗していますが」と顔を顰めた。
『ここに来る前に荼毘とギガントマキアとやり合ったからな…』
手に握られた刀の刃がガタガタで、気になって聞いたのだが、まさかのそう返され「へっ!?」と驚きで大きく声を裏返した。
聞いていたロックロックとマニュアルもギョッとしている。
「お前…どんな死線をくぐり抜けてここに…。リンドウ、…怪我も尋常じゃない。ここは俺らに任せて、逃げろ」
『、いやです。ロックロックさん、マニュアルさん、みんなと、相澤先生のこと頼みます』
「せめて俺の刀をお使いください」と言う西京から刀を受け取っていると、後ろからバキャッという体の裂けるような音が聞こえた。
ハッと振り返れば、死柄木の体から血が溢れていて、思わず目を見張る。
ぶつぶつ何かを呟いた後、「今、何月何日だ?」と問う死柄木に、緑谷が言った「体が、大きすぎる力に体が、間に合ってないんだ…!」という言葉に梓がどういうこと?と問う暇もなく、
死柄木が「触れりゃ終わりだ」と地面に手をつけようとした瞬間、
ドンッ、という地面を蹴るような大きな音とともに黒鞭が自分の体に巻き付き、ぐわりと体が宙に浮かされた。
『へっ!?』
咄嗟に風を起こし体勢を整えながら、自分の側近達も黒鞭に捕まって宙にいることを確認すると、近くにいた西京に『どういう状況…!?』と聞いた。
「梓様、この更地は死柄木の個性のせいです。奴が触ったものは、連鎖し、崩壊します!」
ああそういえば、泥花市の惨状を見て西京が死柄木の個性の成長を危惧していたなぁ、と思い出し、
厄介だな、と顔を顰めながら梓は緑谷の方を見た。
「空(ここ)で、おまえを止める。僕の出来る」
彼は今までに見たことないほどの決意に満ち溢れた顔をしていた。己が命を使い捨てにしかねないほどの危うい決意は、周りの心を安心させることなくざわつかせた。
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