握っていた香雪の手がなくなり、突然体を襲った浮遊感に梓はうっと呻いた。
どうやらどこかの空中に転送されたらしい。
方角は蛇腔病院だが、果たして近くまで来たのか、それとも通り過ぎたのかがわからない。
急に体を襲った重力のせいで走る痛みを無視し、落下しながら梓は景色を見渡し、そして、
『え…!?どこ!?』
思わず独り言が出るほどに驚いた。
更地だったのだ。
まるで大爆発があった後のような瓦礫の山だけ。
それがずっと続いており、自分がどこに転送されたかわからず目を白黒させる。
しかも、いたるところに脳無がうごめいており、ヒーローが各地でバラバラに応戦している。
その光景はまるで地獄絵図で、
『は???意味が、』
思わず九条達に連絡を取ろうとインカムに手を当てるが、ノイズだけで全く機能せず梓は転送されて2度目の『は?』という声を出した。
ひゅーん、と落ちていきながら混乱する彼女だったが、地上にも同じくらい、いやそれ以上に驚いている人物がいた。
「は????」
赤白ツートン頭の彼は突然空に現れた見覚えのあるシルエットに思考がフリーズしていた。
まさか、いるはずがない。
最初は一緒の場所に配置されなくてあんなに嫌だったのに、いまはこの戦場の有様を見て、ああ良かったと思ったのだ。ああ良かった、彼女が、こんな危険なところにいなくて。
せめて向こうは無事であってくれ、と。
だが、空から落下する彼女はどう目を擦っても相棒にしか見えなくて、
ボロボロに焼き切れた羽織をふわりとはためかせると着陸準備に入っている。
それを見て、ああやっぱりあいつだと確信した轟は、思わず駆け出していた。
「ショート君!?」
リューキュウの驚く声をよそに、一目散に落下地点まで行くと、轟に気づいたらしく驚いてこっちを見ている梓を受け止めるように両腕を突き出す。
ーぼふっ
横抱きの状態で轟に受け止められ、
お互い思考が固まったまま轟と梓は呆然と見つめあった。
「……なんで、ここに…、ひでえ怪我だが、」
『焦凍くんが、いる…?嘘でしょ、ここ、蛇腔…!?』
きょとんとしていた表情が真っ青になった。
自分に抱えられたままぐるんと辺りを見回し『どういう状況!?』と混乱する彼女に轟は「何でここに、というか、その怪我、」と声を震わせた。
「お前は、山荘にいるはずだろ、なんで…!」
『しょ、焦凍くん、降ろして。説明するから』
「………泣いたのか?」
『え?』
「目が赤い。羽織も焼け焦げて…肩から腹にかけての傷も、酷そうだ」
自分のことのようにとても辛そうな顔をする彼に梓は動揺した。
戦場で、私のことなど気にしなくていいのに、と申し訳なさそうに眉を下げると、彼を安心させるために笑った。
『大丈夫、向こうで、結構激しい戦いがあって、』
「……」
『でも、それより、』
「荼毘とも戦ったのか」
『うん、火力、君より凄くて』
「…、」
ぎゅっと梓の体を抱く手に力が篭る。
『香雪が個性で転送してくれて、こっちに来たんだけど、焦凍くん、こっちの状況を教えて』
「痛くないのか、そもそも、なんで転送なんて…待て、前に聞いた側近の個性、一か八かの賭けのような転送じゃなかったか…!?リスキーで、とてもじゃないが活用できないって!」
『焦凍くん、細かい話は後にしよう。時間がない』
怪我も大丈夫、転送も結果論だが大丈夫、
だから早く状況の説明を、と珍しく厳しい目をした梓に轟はウッと押し黙ると、深呼吸をした。
ゆっくりと梓を地面に下ろし、
焼け焦げた羽織を整えてやりながら、小さく口を開く。
「……俺にもわからねえ。突然病院が崩れて、連鎖するように全部崩れ始めたんだ。どうにか崩壊を途中で止めようとしたが、衝撃の類じゃないからそう簡単には止まらなかった。一般人は全員避難させたが、病院にいたヒーローとはほぼ連絡が取れてねえ」
『……みんなは?』
「クラスの奴らはまだ避難誘導中だ」
『焦凍くんはなんでここにいるの』
「俺は、緑谷と爆豪を追いかけようと思って」
『…どういうこと?』
「2人が突然病院側に向かって行ったんだ。あぶねえから、連れ戻そうと俺も追いかけてたら、脳無がそこら中に現れ始めて、病院から逃れてきたリューキュウ達を見つけて、助けてた」
『突然病院側に?2人で?なんか言ってた?』
「いや…ただ、エンデヴァーが無線で“ワン・フォーなんとか”って行った後に、緑谷が血相変えて病院に向かったんだ。爆豪も一緒にな」
『…なるほど、理解した』
電波障害が発生しているのか、視界に入るヒーロー達の動きは連携が取れていない。脳無も、動きを見る限り普通タイプではなく、ハイエンドに限りなく近い力を持っているようだった。
梓は覚悟を決めるようにぐっと奥歯を噛み締めると、状況を知るには、やはり中枢に行くしかない、と腹を括った。
リューキュウ達が自分たちに駆け寄ってくるのを視界の端で見つけ、止められる前に、と轟の腕を掴む。
『向こう、病院が建っていたところ近くで嫌な雰囲気と戦いの気配を感じる。焦凍くん、行こう。私の事情は行きながら話す』
すでに目が前を向いていて、梓はパッと轟の手を離すと勢いよく走り出していた。
それを轟も慌てて追いかけながら、彼女の隣に並ぶ。
病院側は戦場の格が違う。それを周りのプロヒーロー達もわかっているからこそ、止めるような声が後ろから聞こえるが梓は大して気にしていないようで、
それどころか自分なら当然ついてくると思っているその手放しの信頼に轟は心地よさを感じるが、ふと隣を走る彼女を見下ろし、少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……」
戦場で見たことがない、とても不安げに揺れた目をしていた。
彼女が戦いに畏れを抱かないのはわかっている、だから、きっとその目をしている何か理由があるのだろう、と聞こうとするが、
それよりも早く梓は少し目を伏せると、
『焦凍くん、これから、私がどんな戦い方をしても止めないでくれるかな』
「…は?」
『私は、常に最悪を想定して動けと言われて生きてきた。もしも、先生や、あの2人を失ったら、なんて考えられない。悔やんでも悔やみきれない』
まるで泣いているような声の震え方に、轟は何も言うことができなかった。
ーー
梓が蛇腔の地に現れる少し前のこと。
蛇腔の地は、覚醒した死柄木の崩壊の個性によって更地にされた。
連鎖した崩壊にたくさんのヒーローがやられ、現場は混乱を極めていた。
オール・フォー・ワンが溜め込んでいた個性をフルに使う死柄木は、現No.1であるエンデヴァーすらを凌ぐほど。
その死柄木は何かを探している様子で、
状況の理解ができていないその一瞬に、緑谷と爆豪が奴の攻撃範囲内に現れ、それを物陰から見ていた雄英高校一年A組の担任である相澤消太はギョッとした。
(今の…、緑谷と爆豪…なんでこんなとこに…。2人を…狙ったのか…!?)
“視て”リューキュウを崩壊させようとした個性を消しながら、相澤は眉間にシワを寄せ不快感を露わにした表情をする。
生かされてきた自分の個性、人生を思い返し、その意味を悟る。
この、目の前の男を討つためにここにいるのだと、相澤は決意し、鋭い殺気と共に「俺の生徒にちょっかいかけるなよ」と死柄木をギロリと睨んだ。
「本っ当、かっこいいぜ、イレイザーヘッド」という死柄木の呟きは忌々しげで、
「隠れてから視れりゃ良かったが…!」
「その前に地面触られたら…あっズレる待って!」
「助かります、マニュアルさん」
ロックロックに体を支えられ、マニュアルに目の水分を少しずつ補給してもらいながら相澤はダメになった左足を引きずる。
「いえいえ、分量過剰になると却って滲みて目を瞑ってしまいますんで…息合わせましょう!」
目の前では、轟音とともにエンデヴァーVS死柄木の苛烈な戦いが繰り広げられていた。
個性を抹消されているにも関わらず、素の力でエンデヴァーに対抗しようとする死柄木に周りは畏怖する。
まるでオールマイトのような力。
「“抹消”は解消してない…!完璧な脳無って訳か…!」
ロックロックとマニュアルに支えられ、相澤はそう苦虫を噛み潰したような顔をする。
目の前ではエンデヴァーと死柄木が揉み合いの末瓦礫の山の中に突っ込んでおり、ドガァァンッ!と激しい音と土煙が舞う。
煙が消えた後、立っていたのは死柄木。
しかし、見えたのはそれだけではなかった。
「脳無!?なんで無事なんだ!?」
今まで瓦礫に埋まっていたはずの何体もの脳無が動き出したのだ。
死柄木1人であれば多勢でどうにかできたかもしれないが、ハイエンドに最も近い、ニアハイエンドと呼ばれる脳無の複数発生により、場はますます混乱に陥った。
駆けつけようとしていたプロヒーロー達が奴らから足止めをくらい、悪戦苦闘している。
勿論、その脅威は相澤やロックロック達にも迫ってきていた。
近くにいたニアハイエンドが相澤との距離を一気に詰めており、
「やべェ、イレイザー…!」
死柄木の複数個性を抹消できる彼は、この戦いの要だ。
奴のチート個性を目の前にしたからこそそれを痛感し、咄嗟にロックロックは相澤の前に出て庇おうとする
が、
ロックロックの視界に群青の布がひらりと舞い、
次の瞬間、彼らの目の前に大きなリンドウの家紋が現れた。
ーガギィィンッ!!
火花を散らし、ニアハイエンド脳無の攻撃を間一髪で受け流した男。
「どういう状況だ、こりゃあ…!?」
守護一族の筆頭側近だ。
思わず「なんでお前が…!?」と驚愕したロックロックの後ろで、相澤も大きく目を見開いていた。
教え子の後見人であり、犬猿の仲の男。
彼は守るように相澤とロックロックを後ろに下がらせると、その少しできたスペースにこれまた側近の顔見知り、水島が滑り込んでき、
「ロックロックさん、ちと変わるぜ!イレイザー、俺に体重を預けてくれ!足になる!」
「お前も、なんで」
ロックロックの代わりにひょいっと相澤の支えになった彼は「ははっ、守護が為、なんてカッコよくいいたいところなんだが、」と肩をすくめると罰の悪そうな顔で笑った。
「ここに来るまでに助けられそうな人ら何人かいたが、無視して来ちまった」
「…戦場じゃあ、平等に人は助けらんねェ。だから、我が主人の守りたいものを優先する」
「は?東堂?水島、九条、何言って、」
「お前を守ってほしい、と」
「………」
誰の願いか、相澤とロックロックにはすぐにわかった。
コイツらを動かせるのはただ一人、彼女だけだ。
どうやって連絡を取ったのか。
何故守れと言ったのか、聞きたいことはたくさんあったが、少しだけ、ほんの少しだけ相澤は安心していた。
万が一にも彼女がここに現れることはない、そうわかってはいるが、心配だったのだ。ここに来てしまわないか。
でも、彼らにその願いを言ったということは、ちゃんと“向こう”でファットガムやミッドナイトの言うことを聞いて、しっかりやっているのだろう、一息つき、
「あのバカ、余計なお世話だ。お前らも無個性のくせにこんな所まで来やがって…死ぬぞ」
「ホントにな…。ニアハイエンドと死柄木の相手は荷が重ェや」
流石に死期が見えるぜ、と自嘲した九条の目の前には、もう一度大きく腕を振り被る脳無がおり、
彼が(受け流しきれねェ、一か八か受け止めるか)と刀を構え直したところで、
「無駄話をしている余裕はなさそうです、九条殿」
「というか、お2人とも疾過ぎませんか!?」
ーガギィィン!!
九条の左右に現れた青年2人が力を合わせて脳無の2度目の攻撃を受け流していて、
その火花に紛れるように九条は刀を振るうと、脳無の右腕を切断するように下から上に滑らせた。
ーザシュッ!!
「ハルト、西京、よくやった!」
「…一太刀浴びせたとはいえ致命傷ではありません。九条殿、いかが致しますか」
「少しでも受け流しがズレたら刀どころか腕ごとぱきりと折れそうです…。というか、手が痺れて感覚がないのですが!」
冷や汗をかきつつも刀を構え直した西京と、顔が青いままのハルトの登場に思わずロックロックは関係者がまだいたのか、と驚くが、
無駄口を叩いている暇はなかった。
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