『間に合わないよ』ときっぱり紡がれた言葉は悲哀に満ちていた。
そんなこと、水澄だってわかっていた。
でも、このまま手をこまねいて見ていることなんてできなくて、
「…ですが、このままにしておくわけには」
と悔しそうに唇を噛む。
でも、自分以上に悔恨した表情で前髪をくしゃっと掴む梓が今にも泣き出しそうで、思わず水澄はつられて泣きそうになって、次の言葉が出てこなくなって、
ずん、と空気が沈む。
が、沈んだのは一瞬だけだった。
『…、』
彼女はぎゅっと目を瞑り、ダンッと地面に拳を叩きつけると、すぐに強い光の宿った目で水澄の方を向いた。
『…傷を焼く。火の準備をして』
「はい???」
手でぱんと膝を叩いて立ち上がった梓の発言に思わず素っ頓狂な声を出したのは、水澄だけではなかった。
尾白は、「ななななに言ってんだお前!?」と真っ青な顔で動きを止めるように腰に抱きついた峰田を引っ剥がしつつも、同じように顔色悪くして「いやいやいやいや!」と梓の腕を掴む。
「駄目だ!ちゃんと処置をしなきゃ…!」
「お、尾白の言う通りだ!東堂、おまっ、気持ちはわかるが冷静になれ!」
「そうだよ!火で、焼くの!?そりゃ、血は止まるかもしんないけど…思考が怖いよ梓ちゃん!!そんなことやめて!!」
『砂藤くん、透ちゃん、でも、血が止まってないんだもん!私は小柄だから、これ以上失血すると体が動かなくなっちゃうもん!』
「だもんって!可愛く言っても駄目だよ!!言ってること、史上最高に物騒だよ!?」
「……ッ、ありえない!!アンタ今まで相澤先生から何学んできたの!?」
葉隠を超える激昂を見せたのは、耳郎だった。
梓を止めようと慌てていた切島や八百万も思わず動きを止めてしまう程。
涙で潤んだ瞳でギッと梓を睨むと、彼女は続ける。
「身を削るような戦い方は止めろって、あれだけ言われたの、忘れたの!?」
『……、』
「このまま無理矢理血ィ止めてあの化け物追いかけたって、追いつかないし、梓が失血死してしまう可能性があがるだけじゃん!!」
『……』
「無意識に命を削る戦い方をするアンタを、相澤先生はずっと守ろうとしてきたのに、なんで裏切ろうと、」
『だって…!!先生死んじゃうかもしれないんだもん!!!』
突然、堰を切ったようにぶわーっと大粒の涙を流して耳郎を上回る絶叫をした梓に、周りは呆気に取られた。
梓はギュッと大太刀を握ったまま、涙があふれるままに自分より少し背の高い耳郎を見上げる。
『私あの人に死んでほしくない!!世界敵に回したっていいくらい、あの人を守りたい!!』
「……」
『はっ初めてできた、守ってくれる大人なんだよ!!ずっと、ずっと守ってくれてて、もう私、あの人いないと無理だもん!!』
「……、は、ちょ、待って混乱する。とりあえず泣かないでごめんマジでほんとごめん」
滅多に泣かないどころか、戦場で涙を見たことがない彼女の大粒の涙に動揺した耳郎は思わず謝る。
周りもプチパニックである。
芦戸「どういうこと…?なんで今相澤先生が出るの!?」
切島「あの化け物を、追いかける話をしてたんじゃ…」
骨抜「てか泣かないでマジ無理東堂ちゃんの涙の破壊力ヤバいこっちの心折れる」
周りもざわざわと彼女の涙に動揺するが、
ハルト達からの報告を聞き、イレイザーヘッドの現状を知る水澄は彼女の発言の意味を誰よりも早く理解しており、
でも賛同したくなくて顔を顰める。
「マキアも止めたいし、イレイザー殿も救いたい、と。どちらも方角は一緒、…姫様まさか、香雪に頼るつもりでは、」
『わかってる、一か八かの賭けだって…でも私にはもうそれしかない』
「危険です!別の方法を探しましょう…!」
『探してる暇はなんてない!』
「お言葉を返すようですが…!香雪は、人を転送したことはございません!奴がしくじれば体がバラバラになることだってあるのですよ!?それに、たとえ成功したとしても、彼の転送は方角のみを指定し、場所はランダムです!ギガントマキアの上空に現れる可能性だって…!」
「「「何の話!?」」」
梓の涙に動揺していたクラスメイト達だったが、顔色の悪い水澄の言葉に彼はますます混乱したように顔を見合わせた。
「香雪って、梓の側近だろ…」
「転送の個性持ってんのか…!?」
「ですが、成功するかもわからない…方角のみ指定、上手くいなかれば梓さんの命が危険に晒されてしまいますわ…」
切島、砂藤、八百万が眉を下げ、止めるように梓の表情を窺うが、彼女は溢れた涙をごしごしと拭うと、『ギガントマキアが向かった先…この方角の向こうには、蛇腔病院がある』と厳しい表情で紡いだ。
それ即ち、病院側にいる仲間達にも危険が及ぶということ。
先程の惨劇を思い出し、ヒヤリと背筋が冷える。
「……、梓さん、相澤先生の事を気にしているのは何故ですか」
『それは、』
「梓様ッ!!」
悲痛な表情のまま紡がれた八百万の問いに梓が答えようとした時、空気を切り裂くような鋭い声は崖下から聞こえてきた。
思わず全員崖の方を向けば、ガッと手が掛かり、満身創痍で傷だらけの男が顔を出す。
「ぜェ、はァ…ッ、人命救助を、行なっていたため馳せ参じるのが遅れました…!」
『こ、香雪、この崖を素手で登ってきたの…?』
「ええ…、貴女様が、自分を必要としておいででしょうから…!」
四つん這いで咳き込みながら息を切らす香雪はいつもの穏やかな目が嘘のようにぎらついていた。
「梓様…、自分はいつでも、発動できます」
そう言って手を伸ばす彼は梓の心情がわかっているようで、思わず梓は止めようとする尾白や骨抜の手を優しく外すと香雪の元へ駆け出そうとする、
が、
「お待ちください、姫様」
それよりも早く水澄が回り込み、梓を止めた。
「水澄、お前の出る幕では、ない」
「香雪は黙っていてくださいな。…姫様、本当に行かれるのですね」
『……うん』
「お気持ちはわかります。ですが、香雪の転送に頼るのであれば、戦場での死だけではなく、個性事故死の危険もあるのですよ」
「そうだよ、待って、梓。そもそも、もう戦える状態じゃないんだから」
どうにか転送を止めようとする水澄と、そもそも戦いから遠ざけたい耳郎を始めとしたらA組B組の生徒達。
梓は彼らの心情を分かった上で、それでもぎゅっと刀を握りしめた。
『水澄、耳郎ちゃん、でも、どうしても…退けない』
「……、」
『ここで動かなければ、私は一生後悔する』
「…そうですか。わかりました、ですが、わたくしにも意地があります」
『え?』
「我が主上をこの傷のまま戦場に送り出すわけにはいきませんわ。激しい動きをしたら、ここから体が裂けてしまいます」
『えっこわ』
冷静に肩から胸にかけての傷口をとん、と触る水澄に梓だけでなく耳郎たちも青ざめる中、
水澄は後ろで成り行きを見守っていた一族の人間を振り返った。
「治療が得意な者がおります。傷口を焼かずとも、一時的に傷口を塞ぐくらいは出来ますよ」
『……痛い?』
「ふふ、今姫様の体に走っている痛みに比べれば容易いものかと」
「御当主、失礼ながら応急処置をさせていただきます」
使命感に燃えた目をした男がずいっと梓の前に出てくると、テキパキと治療を始める。
その素早い動きに身をまかせながら、梓はとても申し訳なさそうに眉を下げると、
未だ顔色悪くしているクラスメイト達をおずおずと見やった。
『耳郎ちゃん、尾白くん、みんな、止めてくれたのにごめん』
「……、ウチは、まだ行って欲しくないって思ってるよ」
『うん、ごめん』
「………」
彼女の意思が固いのはわかっていた。
止められるものではない。
それでも心配で耳郎が俯いていれば、
ずっとその様子を見守っていた一族の1人が、厳しい表情のまま「御当主」と声をかけた。
『…南の、分家長』
「我が愚女がお世話になっております」
『……そうか、水澄の、お父さんか』
ええ、と頷く水澄は(この場で父は姫様に何と声をかけるつもりなのだろう?)と少し不思議そうに自分の父を見上げている。
「人には、限界というものがあります」
静かに紡ぎ始めた分家長の声は、冷静だったが、案ずるように優しい響きだった。
「体力の限界も、気力の限界も、ハヤテ様と同じく意地で超えていくつもりでしょうが、」
「……」
「命の限界。当然ながら、どんなに強靭な身体や崇高な意志を持ってしても、この限界を超えたら人は死にます」
『…、』
「死んだら元もこうもないのです。人の心まで守るのがハヤテ様の誓い、御当主をいっとう大事に想う者たちのためにも、必ず…、」
『生きて帰ります』
涙を堪えるように震える声の分家長に梓はそう、言葉を重ねた。
確信めいた、強い意志を感じる声音で、
本当に生きて帰ってくるんじゃないかと周りを理屈なしに安心させる。
梓は治療をしてくれた男に一礼すると、最後にちらりと水澄を見て、
『“転送”を使ったら香雪はダウンする、水澄、』
「はい」
『香雪や、他のみんなを頼んだよ』
それだけ言うと何の未練もない表情でぱしん、と香雪の手を掴んだ。
思わず水澄は止めたくなって、一歩出そうになるが、それよりも1人の男が怪訝そうな顔で水澄の前に出る。
堅物そうなその男は、香雪の父であり、生粋のカナタ派有力者である北の分家長で、
「待て、香雪」
ちらりと視線を移した香雪は「父上、」と苦虫を噛み潰したような顔をするとすぐに目を逸らし、個性を発動しようと梓の小さな手をぎゅっと握る、が、
「お前の個性はお前の思い入れの深い人間にしか通用せぬ。この御仁では、」
「とっくの昔に、この人がいっとう大事になりました」
北の分家長の言葉をキッパリと遮った香雪はぽかんと口を開けている水澄に「後は頼んだぞ」と言い、最後に傷だらけなのに信念のこもった目で自分を見上げる少女に視線を下ろし、
「いっとう大事に思うております、梓様」
『うん』
「御武運を」
そして、その場は光に包まれ、
気づけば梓はおらず、倒れた香雪だけが残っていた。
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