『……』
「起きたか」
『…、』
「……、東堂」
『………ごめ、んなさい』
梓は掠れた声で謝る。
彼女に相澤の声は聞こえていないようだった。
それがわかって、相澤はぐっと眉間に皺を寄せる。
『ばか、だから…わかんないの、』
「………」
『ひ、ヒーローは、しんじたい、』
「……、」
『れんごう、の、思い、通りに、うごきたくない』
「………」
『ついてっちゃ、だめな人、わかんない、でも、疑わなきゃ、みんな、わかんないならみんな、疑わなきゃ、』
「……」
『うう、やだよう、信じたい、むり、騙されたくない、でも、私が、しっかりしないと、』
嗚咽混じりでひっくひっくと泣き始めた梓に相澤は居た堪れなくなって、衝動的に彼女を引っ張り起こすと、ギューッと、力強く抱きしめた。
『…うえっ…!?』
「………」
『、あ、あれ、せんせ…、?』
「起きたか、」
肩に当たっている額が、戸惑いつつもコクリと揺れるのを感じつつ、しばらくそのままでいれば、『なんで、ギュッてしてるんですか…?』と問われ、相澤は「お前が泣くからだろうが」と不機嫌な声を出した。
『え?あ、ほんとだ、なんで』
「知らねえよ。聞きたいのはこっちだクソ問題児」
『ご、ごめんなさ、』
「謝るな。さっきから何なんだお前。何があった」
『…なにがって、え?』
起きて頭も覚醒していないのだろうか。困惑している梓に畳みかけるように、相澤はぎり、と言葉を絞り出す。
「誰に騙された」
魘されていた寝言の意味はわからないが、きっと本質はコレだろう。
カマをかければ、案の定梓はハッと息をのんだ。
『………』
「どこのヒーローだ?何と騙された?何でお前が謝ってる?」
どんどん怒気を含み始めた相澤の質問に、梓は(なんで先生が知ってるの?)と困惑気味に黙りこくるが、
「“皆、疑う”のか。俺もか」
怒りの中に少し悲しみを含んだそれに、梓は思わず『先生は!違う!!』と涙ながらに叫んだ。
突然の大声にビクッと肩を揺らした相澤にお構いなく、梓は彼の背中に手を回すとぎゅっと抱きしめ返す。
『先生は!信じてる!誰よりも、どこの大人よりもいちばん、』
「……」
『先生、あの、』
「ああ」
『……』
「何があっても、死んでも秘密は守ると約束する」
言い淀み方からしてどうやら他言出来ないコトを抱えているらしい教え子にそう一方的に約束すれば、彼女は少し驚いたように身じろぎしたあと、抱きついた体勢のまま少しずつ、話し始めた。
『……、私、ホークスさんに、守られてるんです』
「……ホークスが敵連合に潜入していることは俺も予想していたが、お前も情報を掴んでいたのか」
『はい、なりゆきで、ですけど。それで、敵連合は、おっきくなっていってるみたいなんです…』
「学徒動員まがいのインターンの指令があったことでそれは予想してたよ。公安が隠してんのはその真相だろうな。お前は何でそれを?」
『えと、インターンの時に、ホークスさんに会ったんですけど、異能解放戦線って本を配ってて、それで不思議で、側近が色々調べてくれて、たぶんその思想を持つ人たちと、連合が繋がってるんじゃないかって、』
「お前の説明だと思考が飛躍しすぎている気がするが、側近達が調べたとなれば、確率は高そうだな」
『…、異能解放軍の中には、ヒーローも、いる』
落ち着いてぽつりぽつりと言葉を紡いでいたが、最後の一言は敬語も外れ、震えていた。
『だまされかけたんです、私がばかで、』
「……」
『あんなに、言われていたのに。知らないヒーローには、ついていかないようにって、。私、ハルと西京に言われて、ちゃ、ちゃんと気をつけてて、』
「……」
『ヒーローは、守るための人たちだから、悪い人はいないだろって思いつつ、でも、ハルたちはそう言うから、信じて、まわりを警戒してたのに、』
「……」
『えっえっじしょっとさんのとこ、連れてってくれるって言われてっ、ついてっちゃって、なんか、部屋に連れ込まれそうになってっ』
えぐえぐと、涙があふれ、しゃくり上げながら話す教え子に相澤は動揺しつつも先を促すようにポンポンと背中を叩く。
『抵抗したら、わたしがその人を警戒してるってことが、ばれるでしょう?そしたら、潜入してるホークスさんの、“みんなにはバレてないですよ”って言葉が、うそになっちゃう』
「……」
『抵抗できないし、でも、つれてかれちゃったら、せっかくホークスさん、守ってくれてるのに、わたし、』
「……」
『エッジ、さんが、気づいて、くれたから、たすかったけど、』
本当はインターンなんてできる状況じゃないのに、エンデヴァーの庇護下に置くことで梓が守られながら強くなれるから、とホークスが配慮してくれたこと。
敵連合に潜入するという、SSランクの危険な任務につき神経をすり減らしているはずのホークスに守られ、何もできなくて悔しかったけれど、
きっとホークスは強くなってほしいと思ってるのだと側近に言われたこと。
じゃあ死ぬ気で強くなるしかないと、迷惑をかけず、守られながら、何がなんでも強くなってやると思っていた矢先に、
ヒーローに騙されかけてしまったこと。
強くならなきゃ、
騙されないようにしなきゃ、
疑って、疑って、
信じないで、
『でも、わたし、疑うのが、へたでっ』
ぼろぼろと溢れる涙は止まらなかった。
そんな感情を吐露する梓を見て、相澤ははらわたが煮え繰り返るのを感じていた。
怒りで体の芯が震える。
なんでこいつがこうも追い詰められなきゃいけないんだ、と誰に向ければ良いのかわからない怒りが湧き上がる。
(ふざけるなよ)
なんで、人を疑うことが苦手な、素直で心優しいこの教え子が、こんな目に遭わなきゃならないんだ。
梓は信じたい、と寝言で言っていた。
ヒーローは信じたい、疑いたくない。でも自分が騙されてしまえばホークスに、ヒーローたちに迷惑がかかる。
切羽詰まったその想いが、“早く強くならなければ”という梓の思いに拍車をかけ、暴発大きな要因になったのだと、容易に想像ができた。
(……説教する気も、起きねえ)
ぐずぐず泣く腕の中の少女が可哀想で、守ってやりたくて庇護欲でいっぱいになって、相澤はどうしたものかとぐるぐると思考を巡らせる。
「………」
『暴発、させたのは…ごめんなさい、。守られる、だけの、存在じゃダメだ、二度と拐かされない、ように、って、焦って、』
ホークスの現状を悟り、彼にとって今の自分の存在がお荷物であることを感じ取り、
でも何も力になれないし、お荷物にはずっと変わりなくて、
ならせめて、迷惑をかけないように、強くなろうと、思っていたのに。
騙されてしまった。
そう、次々吐露される想いに相澤はかける言葉をぐるぐると探した。
今この子の精神は不安定だ。
きっと、ホークスに守られているのだと分かった時点では、彼の望む通り強くなってやるのだと意気込んでいたはず。
でも、迷惑をかけるかもしれない事態を招いてしまって、
それは自分が人を信じてしまったせいで。
疑うのが苦手な彼女にとっての過度なストレスが今回の事態を招いた。
ならば、と相澤はゆっくり梓を自分から離した。
そうすれば、無理やり抱きしめて見ないようにしていた涙が目に映る。
ぽろぽろと頬を伝う涙に(ああ、苦手だ)と内心動揺しつつ、彼は、
「もういい、疑わなくて、」
諦めたでもなく、諭すようなそれに梓は目をぱちくりとさせた。
『…?』
「苦手なことは、仲間にやってもらうのが一番だ」
『え。』
「俺がいる時はお前の分まで俺が周りを警戒する」
『……』
「家にいる時は、お前の分まで側近どもが警戒する」
『……』
「インターン中は…お前の仲間が側にいるだろ。一緒に考えてもらえ」
きっぱりそう言ってやれば、梓は動揺したように瞳を揺らした。
『疑うのを、人に頼むのは、申し訳ないです。私が不甲斐ない、だけなのに』
「苦手なんだろ。苦手な部分は他が補う。そう、授業で教えてきたはずだが?」
『でもっ』
「索敵は?」
『えっ』
「索敵はいつもどうしてる」
『じろちゃん、障子くんに、』
「作戦立案、統括は」
『ももちゃん、飯田くんに、』
「そうだな、そして、近接戦闘などの最前線での戦闘は?」
『それは、私が…得意だし、』
「それと一緒だろ」
動揺していた表情が、ぽかんと気の抜けたような顔になる。
『一緒…ですか?』と聞かれ、相澤は逆に何が違うんだと眉間に皺を寄せた。
「お前は、周りが対応しきれない強敵相手にも渡り合う戦闘能力がある。それは自他共に認めてるはずだ」
『……』
「クラスの中でも、俺はお前の最前線での動きを一番信頼しているよ。イかれている部分は気に入らないが、お前の動きには経験値あってそこの動きがあるからな」
『…そう、ですか?』
「ああ。お前はすでに仲間の“苦手”や“足りないところ”を補ってる。なら、逆もあって当然だろう」
そう言ってやれば、梓は気の抜けた顔のまま、しばらくフリーズしていた。
『……。』
「…、少しは楽になったか」
『…、えと、まだ…よく自分でも、わかんないです。けど、』
「……」
『かっちゃんに、』
「ああ」
『かっちゃんに、少しだけ、相談…してみようかな、とおもいます』
「爆豪か」
もごもごと迷いつつもそう言った梓に相澤は良い傾向だと少しだけ安心した。
彼女の人選も、適任だとツンツン頭の教え子を思い返す。
(緑谷はヒーロー信者ヒーローオタク、轟はコイツと似たり寄ったりの天然素直、たしかに…この手の警戒は爆豪がいいだろうな)
「爆豪には俺からも話をしておく。…東堂」
『…はい』
「インターン中でも、時間外でも、迷ったら俺に連絡しろ」
『す、すみません』
「何を謝ってる。今更だろうが。問題児め」
にや、と口角を上げて見せれば、梓はやっと、ふは、と笑った。
久しぶりに見たその笑みに、相澤はああ泣き顔よりこっちがいい、と胸を撫でおろす。
結局、あんなに意気込んでいたにも関わらず説教出来ずに終わった相澤であった。
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