耳郎の顔は険しかった。
「梓、まだ来てないの?」
「あ〜確か朝の鍛錬終わってそのまま教室くるって言ってたっけ?まだ来てねェみたいだな」
「……いつも一旦寮に戻って朝ご飯食べるのに、最近戻って来ないんだけど…、なんかアイツ、詰め込みすぎな気がしない?」
険しい表情のまま上鳴に同意を求めるが、「エンデヴァー事務所のインターンはそうまでしなきゃ熟せないってことじゃね?」と楽観視していて、耳郎は不安になった。
(違和感持ってんの、ウチだけ?)
今の梓は明らかにオーバーワークだ。
しかもそれを周りに悟らせないようにしているからタチが悪い。
常に一緒にいるからこそ、目立たないルーティンワークの変化を耳郎は感じ取っていた。
ー
今日も今日とて個性操作訓練だ。
意気揚々と自分のスペースに入った梓は、早速鍛錬を開始した。
ここ最近は“雨”の操作の反復練習ばかりしており、少しずつ前に進めているのは自分の体がわかっていた。
だからこそ、疲れた体に鞭を打ち、体調不良のサインにを目を瞑り、必死に鍛錬に明け暮れた。
それもこれも、“強くなる”ためだ。
“強くなって欲しい”と思われているからこそ、一人戦線に立つホークスのためにも自分は期待以上の強さにならなければいけない。
重圧のある彼の任務を思いやるからこそ、梓には余裕がなかった。
守られるだけの存在にならないために、二度と拐かされないために。
ーゴオオオッ
水の渦が自分を中心にどんどん大きくなっていく。
腕をプルプルさせ冷や汗を流し、歯を食いしばり、どんどん拡充していく。
『っ…く、』
大きな水流のうねりの真ん中に立ち、ひたすらコントロール力を叩き上げていれば、視界の端で見守る相澤の眉間に皺が寄っていることに気づいた。
口パクで何かを言われていることに気づき、
(え?なに?)
と彼の口元を読唇しようとするが、わからず、
それよりも目の前の大規模な水操作に手一杯で、息をするのも忘れるほどで、
ああ、しんどい、でもやらなきゃ、と梓は相澤から目を逸らした。
彼女は前しか見えていなかった。
ホークスの現状を知り、
敵連合に狙われている自分の存在が彼にとってお荷物であることを感じ取り、
側近のおかげで異能解放軍と連合の繋がりにも気づけたのに何もできなくて、
挙げ句の果てには、
(あの人、スライディン・ゴー…、私を狙ってた、あの人は連合側だ、私、馬鹿な行動してホークスさんにものすごく迷惑をかけるところだった…!!)
先日の自分の気の緩みが招いた事態を思い出し、自分に怒りが湧く。エッジショットがいなければどうなっていただろうと考えるたびに自分を戒めたくなる。
そしてその怒りは、ホークスの為に強くならなければいけないという焦りに変わり、梓は周りが見えなくなっていた。
「東堂!!やめろ!!暴走しかけてる!!」
水の轟音で相澤の声が聞こえない、それどころか制御できていたはずの水が視界を遮り始めていて、
(やばい、)
梓が気づいた時にはもう手遅れだった。
ドンッと身体中から水が溢れ、同時に吐血する。
ーゴオオオッ!!
どくんどくんと心臓が激しく脈打ち、目がチカチカし視界が歪んでいく。
「やりやがった…!!」
すぐに相澤が“消そう”と抹消を発動するが、それよりも早く梓は嵐に飲み込まれ、相澤の視界から消えた。
「東堂!!」
相澤の焦った叫びと嵐が暴走した轟音で、TDL内は騒然とした。
梓がいたところに、巨大な水上竜巻のようなものができており、その衝撃が離れたところにいる人間にも伝わる。
「え……、梓ちゃん…?マジ?」
「暴発しやがった…!!」
弾かれたように爆豪が飛び出し、それにハッとして轟と緑谷が続く。
「どうする!?」
「大嵐の塊みたいなってる…!梓ちゃんはあの中だ!」
「デク!!全力の衝撃波であの暴風雨を少しでも削れ!!あのバカの姿さえ見りゃ、“抹消”できる!!」
「わか、った!!」
毛嫌いしているはずの緑谷に対しての指示が的確で、周りで見ていたクラスメート達は驚くが、彼らの本当に焦っている表情を見て何ふり構っていられないのだ、と眉間に皺を寄せた。
「おい、俺らもなんか手伝うぜ!」
「ウチも!なんかやることない!?」
「あいつの事を思うんなら、下がっててくれ!この暴発で怪我人が出ると、梓が自分を責める!」
上鳴や耳郎の申し出をキッパリ断った轟もまた、額に汗をかいていて、「凍らせるか、いや、でも中に、…くそ、」と焦りが滲み出る。
クラスメイト達は心配そうにはしつつも、なんだかんだ単純な暴発だろう、相澤が消すまでしんどいだろうし、怪我はするだろうが命に別状はないだろう、と考えていたが、相澤、爆豪、緑谷は違った。
嫌な記憶が脳裏にチラついて離れないのだ。
「アイツの個性は、先祖からの継承…んで、確かその先祖は、」
「嵐に飲み込まれて死んだ…!絶対に梓ちゃんは、死なせない!!」
「やっぱりそうか、!」
継承について詳しく聞いていなかった轟も、常日頃から暴発の危険性について相談されていたので、嵐の暴発がどれだけ彼女の命を脅かしているかをすぐに察す。
「デラウェアスマッシュ、エアフォース!!」
ードオォン!!
緑谷の限界ギリギリの風圧が、嵐の塊にぶつかる。
が、
「全然吹き飛ばせない…!かっちゃん!!」
「どんなパワーしてんだよこの塊…!!」
「爆豪!緑谷の風圧でビクともしねえならお前のハウザーぶつけても梓は怪我しねえんじゃねえか!?」
「もうやってンだよ…!ハウザーインパクト!!」
ードガァァンッ!!
爆豪の最大火力に大きな竜巻のような嵐の塊が揺れ、煙に覆い尽くされる。
轟音の響きが室内に反響する中煙が晴れるが、嵐を削るまでには至っておらず爆豪はギリッと歯を鳴らした。
まさか爆豪の最大火力ですらこの嵐を削れないなんて。
どうしよう、どうすれば、とクラスメイトの表情が青くなっていく。
「一か八か、膨冷熱波を…」
「駄目だ轟!嵐ごと熱膨張したら中の東堂
を巻き添えにして爆発するぞ!!」
「っ、」
制する相澤に、相性の良さがここに来て仇になるなんて、と轟は顔を顰め、覚悟した。
「梓!!」
嵐の轟音に負けぬほどの大声。
「一旦凍らせるぞ!!」
そう言って構えた彼にクラスメイト達は思わず息を飲んだ。
轟が梓を凍らせる覚悟したのだ。
訓練中でも、絶対に梓に個性を向けたくないと常々言っていたし、不慮の事故で凍ったり火傷してしまうだけであんなに泣きそうになる彼が、
梓ごと嵐を凍らせる事を覚悟した。
それだけ彼女に身の危険があるのだとクラスメイト達は察し、息を飲んだ。
「穿天氷壁!!!」
ーパキィンッ!!
大きな冷気が嵐ごと包み込み、一瞬で全体が凍る。
「「「……、」」」
時が止まったようだった。
大きな嵐の塊が凍った。
あとは砕いて、梓を救出し、解凍するだけ。
誰かが、ホッと一息つく。
が、
ーパキン、
「っ、」
大きくヒビが入る。
少しずつそれはパキパキと広がっていき、氷の中から青い光がバチバチ、と見え隠れ初め、
「雷が来るぞ!!」
ああそうだ、梓に氷は効かない。
雷で砕かれるに決まってる。
初めて対戦した時にあれだけ砕かれたのになぜ忘れていたんだろう、轟は目の前に迫る雷を見ながら呆然とした。
ードオォン!!
けたたましい雷音と共に氷が崩れる。
青い光が溢れ、相澤が「全員下がれ!!」と退避命令を出した、
その時だった。
一気に青い光が嵐の塊のような水上竜巻にギュルルっと纏わりつき始めた。
室内に雷が迸って雷光が仲間たちに危害を加える寸前に起こったそれに、緑谷はぐっと唇をかみ、声を震わせる。
「梓ちゃん、っ、抑えようとしてる、」
意地でも仲間に危害は加えない、その意志がありありと伝わって、梓が必死に抑えようとしているのがわかって、相澤もふぅ、と一度深呼吸をすると鋭い眼光で嵐の塊を見上げた。
「…本当に、手がかかる」
今の雷の動きは、梓がまだ頑張っている証拠だ。生きている証拠。
ならば、この暴走を止める手段は幾らでもある。
相澤は腹を括った。
「東堂!!聞こえるか!?!?スリーカウント後、少しだけ圧縮を緩めろ!!俺を信じろ!!いいな!?」
聞いたこともないほどの相澤の大声に爆豪たちを含めクラスメイトはギョッとする。
この圧縮を緩めれば、単純に嵐が大きくなり室内に嵐が吹き荒れることになるだろうに。
「相澤先生!?何をするつもり…」
「緑谷、俺をあそこへ投げろ!すぐに!」
「え!?」
相澤が指を差したのは、嵐の真上、竜巻の真上だ。
上から“視るのか”、と緑谷は一瞬戸惑った。視えなかったら相澤もタダでは済まない。
合理的ではあるが危険度の高い作戦にぐるぐると思考が巡りそうになるが、駆け寄ってきた相澤の目が本気で、緑谷は一旦考える事を放棄した。
「はいッ!!」
相澤は常に生徒のことを考える。梓のことを守ろうとしてくれる。
今までの彼の行いに無条件の信頼を置いている緑谷は、言う通り、フルカウルで彼を投げた。
「よろしく、お願いします!!」
きっちり3秒後。
ーゴウッ!
嵐がぶわり、と円を大きくした。
梓が圧縮を少し緩めたのだ。
それによって室内に今まで以上に嵐が吹き荒れるが、その頃には相澤は嵐の真上に滞空してして、
そして、
「“視えた”」
ブワッと最後に大きな風が吹いたかと思うと、次の瞬間には嵐は消え去っていた。
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