結局、ホークスへの暗号は西京に任された。
無表情の中でもやる気に満ちた目をした彼は、他の側近たちとともに本家へと帰り、次の日も厳しく有意義なインターンは続いた。
そして、インターン開始から一週間経った頃。
早朝、
梓は日課であるトレーニングを終え幼馴染が起きてくるまでの間、刀の手入れをしていた。
(わぁ、また鍛冶屋に頼まないとだなぁ)
起床したサイドキックもまだ疎ら。のんびりとした朝の時間はゆっくりと武器の手入れをするのに最適で、綺麗に鞘に戻しもう一本の刀に手を伸ばす。
そんな穏やかな時間が流れる中、梓の後ろからコツ、コツ、と歩く音が聞こえてきた。
「ったく…朝から物騒なものを広げてんな」
その低く静かな声は、梓が条件反射で安心する声だ。
聞こえた瞬間、秒で振り返ればやはりそこにいたのは厳しくも優しい担任の先生、相澤消太だったものだから、嬉しさが爆発する。
『先生!!おはようございますっ!!』
ぴょーんっとソファから勢いよく立ち上がり抱きつきに行かんばかりの勢いでお出迎えすれば「はい、おはよう。落ち着け」と頭を抑えられた。
『わぁ、先生だ!どうしてここにっ?』
「……様子を見に、な」
きらきらした目を向けられ少したじろぎつつもそう答えた彼に、梓は笑顔を破綻させる。
『そうですか!私、頑張ってますよ。かっちゃんも轟くんもいずっくんも』
「そのようだな」
『皆を起こしてきましょうか!?』
「いや、いい」
『え、様子を見に来たんじゃないんですか?』
「あいつらは大丈夫だろ」
寝かしといてやれ、と言った彼は梓にソファに座るよう促すと自分も座った。
『……え、先生が様子見にきたのって、私ですか?』
「そうだ」
『私だけ!?私そんなに問題児ですか!?』
「そういうことになるな」
ショックを顔面全体で表す少女に相澤は笑いそうになりつつも、あながち間違いではないので肯定する。
彼にとって、梓はクラス1の目を離してはいけないと思っている生徒である。
誰よりも、危なっかしく、とても強いはずなのに何故か自分の前だけでよく泣く。
相澤を過保護にさせるには十分だった。
「変わりないか」
『変わりないです』
「側近は」
『アッ変わりありました。側近と、少し、打ち解けました』
「ほう?誰と」
『西京って、人です。他は、特になにも』
西京のダブルスパイの事も話したいし、ホークスの潜入捜査のことも相談したいが、これは一族機密だ。誰にも話せないけど、嘘をつくのが苦手で思わず目を泳がせた梓を相澤は見逃さなかった。
「なんだ?」
『いえっなにも』
「は?」
『……』
「おい、何か隠してるな?」
鋭い目で相澤がぎろりと睨めば、サッと目を逸らす。
「コラ、」と咎めるような声を出せば、観念した様に梓は目をキュッと瞑った。
『かっ隠してます。でも、誰にもいえなくて!あの、微妙に公安案件っていうか!』
「はァ!?」
『た、大したことじゃないですよ?私に負担がかかってるわけでもないけど、でも、ペラペラ喋ったら誰かすごく偉い人にめちゃくちゃ怒られそうです』
「よくわからんが、お前が何かを強要されている訳ではないんだな?」
『ないですないです!』
ぶんぶんと首を横に振る少女に相澤は「何かあったらすぐに言えよ」とドスを効かせつつ吊り上がっていた目を緩めると、ぼふ、とリラックスするようにソファに体重を掛ける。
「気づけば厄介事に巻き込まれているからな、お前は」
『あはは……、なんかすみません。あ、飲み物とってきますね』
持ってきたコーヒーを受け取りながら、なにをするでもなく聞くでもなく、のんびり飲み始める相澤に、尋問は終わったのか、と梓は嬉々として武器の手入れを再開した。
『継承式以来ですねぇ。私だけ様子を気にされるなんて、少し不服ですけど、先生に会えて嬉しいです』
「そうか。不服ならさっさと成長してくれ」
『むふふ、少しは成長したでしょう?』
「成長してんのは戦闘能力だけだぞ」
『え、嬉しい』
「褒めてない」
『え、ひどい』と眉間にシワを寄せるものだから思わず相澤が吹き出せば、つられたように梓も笑う。
その笑顔が屈託なくて、相澤がいつものように、嗚呼戦闘面以外でてんで役に立たない危機感はどうやったら成長するのだろう、と頭を抱えていると
『先生は、どうして、先生になったんですか?』
「……。」
問いかけられたそれに相澤は少し黙り込んだ。
『あ、ただの興味なので、言いたくなければ全然』と続ける彼女に「別に言いたくないわけではないよ」と暗に答えることを了承しつつ、ふと昔に想いを馳せる。
どうして先生になったのか。
色々要因はあるが、大きなきっかけとなった友を思い出し、
それが梓と少し重なって、
苦い気持ちになる。
きっとこの生徒から目が離せないのは、どうしても肩入れしてしまうのは、彼女が少し彼に似ているからだと思う。
東堂一族は究極の自己犠牲だ。
ただ、自己犠牲と命を捨てることを同義だと考えてはいない。
守って代わりに死ねば、残されたものに心を傷を負わせることをよく知っているのだ。
心まで守ってこそ本当の守護だと。
白雲は死んでしまったけれど。
この子は自己犠牲の上で死なせたくないという思いが日増しに強くなる。
『先生?』
「……、ミッドナイトさんに勝手に推薦されたもんでな」
『エッ勝手に?なんで?』
「教育に対して意見があるなら、と」
『へぇ〜…、先生になる前、先生は何してたんですか?お父さんとも知り合いでしたよね?』
「ま、色々とな。普通にヒーローやってたよ。ハヤテさんと会ったのはその時だな」
『ふぅん…』
「質問は以上か」
『あ、はい。ありがとうございます。でも、なんか意外ですね。相澤先生は、推薦されてもお構いなく断りそうです』
「断ってたよ、ずっと。色々あってな」
『そうなんですか…。心変わりしてよかったです。本当に担任が相澤先生でよかったって、ずっと、心から思ってるんですよ』
「そうかい。…ま、お前は今まで受け持った中でも類を見ない問題児だけどな」
『ぐっ』
照れ隠しもあるが、苦労しているのは本当なのでそう言えば少女は罰の悪そうな顔をしてスイッと目を逸らした。
『…反省は、してます。でも多分これからもお世話になります』
「だろうな。ったく」
がしがしと頭を撫でれば、嬉しそうに目を細める。
随分と懐いたものだ、まるで猫だなと相澤は内心思った。
あくまでも教師と生徒。それは分かってはいるが、彼女の環境が特殊すぎて踏み込まざるを得なくて、普通の教師と生徒の距離感を保てているのか時々心配になる。
それでも、
少なくとも現状、この子の精神を安定させられるのは自分が一番適役なのだろう。
それがわかっているから、他の教師陣も、そして彼女のお目付役たちも、なにも言わないのだろう。
相澤は自分を納得させるようにそう結論づけるのだった。
ー
『朝ね、相澤先生が来てたんだよ!ほんとだよ!』
「別に嘘だっつってねェだろ」
『だってかっちゃん睨むから。信じてないのかと思って』
「疲れてんだよ!なんでテメェはあんなイカれた動きしといて朝はピンピンしてんだ!!」
『言っただろ、回復は早いんだって。血筋かなぁ?』
「知るか!夕飯食いながら寝かけてる癖に!テメェが顔面メシに突っ込みそうになってんの毎日止めてんの俺だぞ!?分かってんのか!?」
『ええ〜かっちゃんなんか今日イラついてる〜…近づかないでおこう。ねぇねぇいずっくん〜』
「梓ちゃん!その流れで僕に来ちゃダメ!爆殺されるから!僕が!!!」
「いつもこんななの?」
幼馴染トリオの茶番に思わずサイドキックの1人が呟けば、「まあ、大体こんな感じです」と轟は肩を竦めた。
インターン7日目の朝。今日も今日とて課題は同じ、“エンデヴァーより早く敵を撃退”である。
この一週間、一挙手一投足が被害規模に直結するプロの世界で4人はひたすらエンデヴァーを追いかけた。
「いくぞ!!」
今日もエンデヴァーの号令で勢いよく飛び出す。
彼はビル街から上がる煙目掛けて猛スピードで向かっていた。無線から入るサイドキックの情報によるとどうやら爆発を伴う火事らしい。
エンデヴァーを4人で追いかける中、先頭に立ったのは梓だった。
ドンッという落雷の音と共に3人より一歩前に出た彼女は稲光を走らせ雷光の如く進む。
一週間前よりも目に見えて洗練され、格段にスピードが上がっていた。
壁や地面のない空中でも、雷と風を圧縮しダンッダンッ!!とエンデヴァーを追いかける。
追い越しそうになったところで火事現場に着き、真後ろに来ている梓にエンデヴァーは口角を上げた。
「よくぞ付いて来た。消防隊、空中に最大出力の放水を!リンドウ、大量の水を操作し一気に消せ!!」
『待って!!猫がいる!!』
消防隊がエンデヴァーの指示で最大出力の放水を空に向かって打ち上げる中、梓の目は燃え盛る建物の中に猫を見つけており、
雷の勢いで火災現場にズガンッ!と突入し雨のベールを纏った体で一気に猫を回収するとそのまま刀で屋根を突き破って空に身を投げ出す。
それが一瞬だった。
まだ放水された大量の水は自由落下中で、梓は猫を頭に乗せると両手を広げ、ぐわりと水をうねらせ、一番炎が燃え盛る場所目掛けて渦巻きを起こした。
まるで渦潮だ。消防隊や野次馬が歓声を上げる中、梓はどんどん放水され増えていく水を必死にコントロールして少しずつ炎を弱らせていく。
『っ〜!ショートくん早くぅ!!』
雨の操作は水増えるとしんどい!
思わず相棒の名を呼べば、それが合図かのようにズガンッ!!と建物が凍った。
ついでに雨のベールを纏い水を操作していた梓も膝下がちょっと凍った。
『つめたっ!』
「アッわりぃ、加減したつもりだったんだが、」
『冷たいよう、溶かして〜』
「わりい」
凍らせてしまってちょっと凹む轟に『しょうがないよ。私水の操作中だったから冷波の影響受けちゃうよ。むしろ私が避けるべきだったね』とフォローしながら溶かしてもらい、地上に戻った。
「よくやった、リンドウ、ショート。特にリンドウ、よく猫に気付いたな。イレギュラーにも対応し、指示をこなすとは、いい成長をしている」
『へへへ』
「リンドウちゃんすごいよ!躊躇いもなく火に飛び込むなんて!」
『ショートくんの左はあれより熱いから、慣れてるから大丈夫だったよ』
「そういうことだ」
「なんでショート君が誇らしげなのかな。僕は梓ちゃんを褒めてるのであってショート君ではないからね」
「でも、俺とリンドウのチームプレイだっただろ」
「今回はテメェの個性が役に立っただけだろうが!ネコ助けたんは梓だろ!チームプレイどころか凍らせてんのに何満足げな顔してんだ舐めプ野郎!!」
『2人ともめっちゃ怒るじゃんどうしたの』
「ネコのせてアホ面で笑ってんなクソチビが!!」
『なんでわたしまで怒られるの!!』
爆豪の剣幕に助けた猫がピャッと逃げ、梓は残念そうにかっちゃんのせいで、と呟きまた怒られるのだった。
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