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エンデヴァーの手術が無事終わった。


『エンデヴァーさん、まだ寝てるのか』

「麻酔が抜けんのにもう少し時間かかるらしいぜ。お嬢、そろそろ関東に戻らねェと」

『わ、もう夕方か。先生に日帰りするって約束したし…帰らなきゃ。…あ!』

「うおっ、なに?ビビる」

『戦闘中に先生から電話きてたのに、折り返してない!色々ありすぎて忘れてた…!』

「あーあ、怒られるぜ、そりゃ」


今から連絡しても大丈夫だろうか。
慌てて携帯を取り出しながら九条と共に病室を出れば、廊下を歩いてくる黒い影が見えて、
その影が鮮明になった瞬間、九条は「げっ」と言葉を漏らした。


「お嬢、アレ…」

『え?』


引きつり顔で指さす先には先ほどの黒い影、否、全員真っ黒な服に捕縛布を巻いたいつものスタイルで病院内の廊下を闊歩してくるのは、梓の担任である相澤消太だ。


『せ、先生…!?』

「………」


なんでここに!?
と驚くが、それ以上に梓を驚かせたのは怒りに満ちた相澤の目だった。

ぎろりと咎めるように睨まれ、腕を掴まれ、
九条と引き離すように引っ張られる。


『ちょっ…』

「ちょ、ちょ、イレイザー!いきなり現れて無言でお嬢を引っ張っていくなよ!」


慌てて相澤の前に割り込んで止めようとする九条だが、虫けらでも見るような冷たい目で「どけ」とそれだけ言われ、「はァ…?」と眉間にしわを寄せた。


「どけとはなんだ、俺はお嬢の後見人だぞ」

「……口ばかりの後見人は、下がっていただきたい」

「なんだこいつ!!いつもに増して刺々しい…!!」


俺はお嬢の後見人だぞ!と何故か2度目の宣言をする九条を乱暴に押しのけるものだから、梓は狼狽えた。


『せ、先生…、怒ってますよね?』

「……」

『無視…!えーと、私のせい、ですよね?』

「……自覚があるだけまだマシか」

『ご、ごめんなさい』

「お前への事情聴取は後だ。まずは、」


梓の腕を強く掴んだまま、鋭い相澤の目が九条に刺さる。


「“後見人”サンからだな」

「うっ」


殺気が篭った鋭い目とニヤリと上がった口角に流石の九条も思わず後ずさりした。
すぃーっと袖を顔の前まで持って行き目を逸らそうとするが、


「中継、見てたぞ。なんで止めなかった。隣にいただろうが」

「止めたさ!止めたが、お嬢は止まんなかったんだ」


咎めるように言われ思わず言い返していた。
相澤の眉間のシワが濃くなる。


「そもそも、九州に来ること事態俺は気にくわないんだ。一族や家庭の事情を盾にされちゃどうにも拒否出来んが、糞食らえとずっと思ってる」

「はァ!?しょうがないだろ、家庭の事情だ。たかだか学校の先生が口出せる環境じゃねェんだ」

「知るか。あと、止めたから止まらないだァ?アンタなら腕掴んで羽交い締めにしてぶん殴って止めることだって出来たろうが」

「あの時の!あの空気感で、あの目されて止めれるわけねェだろ!!」


九条は、あの場にいなかった相澤に俺の気持ちがわかるか、と言わんばかりの感情をむき出しにした。

確かに、彼はあの時、屋上から戦いを見ていて、
絶対に梓は敵わないと思ったし、瞬殺されるからこの戦いに首を突っ込むべきではないと思った。

エンデヴァーが倒れ、ホークスが別の脳無に足止めされ、
あの黒い脳無が避難する人々の所へ向かうのに焦燥しつつも、飛び出したところで時間稼ぎにもならないと、そう頭ではわかっていた、のに。


その悲鳴と不安と恐怖が渦巻く中、聞こえてきた梓の呟き。


“ここで動かないのは、死ぬと同義だ…”


手も足も震えているくせに、冷や汗を流し、恐怖を感じているはずなのに。
眉間にしわを寄せ脳無を睨みつけ弓を引いたその目は死んでいなかった。

人を救うことを諦めない、光に満ちたその目に、九条は梓を止めるのをやめた。


「あの状況で、あの目されて、止められる訳ねェよ…。まさしく、当主!守護の意思を意地で体現した。お嬢は戦うのではなく囮に徹することで時間稼いだ。戦ってたら瞬殺されたろうからな。俺は、それを英断だと思った」

「英断だと…?」


相澤は、今回の梓の行いを英断なんて言葉で片付けて欲しくなくて眉間にしわを寄せた。

九条の言い分はわかるし、確かにあの数秒がなければ民間人に被害が出ていたかもしれない。

だが、


「死ぬかもしれなかったんだぞ」


相澤の目は変わらず厳しかった。


「トップ2以外のプロヒーローすら手出しが出来ないほどの事態で、誰が東堂が前線に出ることを期待した?結果として、無事だったが、死んでもおかしくなかった」

「……あそこで動かんのは死ぬと同義だろ。お嬢も言ってたようになァ」

「そのイカれた思考を止めるのが“後見人”の役割なんじゃないのかって言ってんだ」

「ちげェよ。当主としての意思を全うするお嬢を支えんのが、」

「そこなんだよ、俺とアンタの気が合わないのは」


九条の言葉を遮ってそう吐き捨てた相澤に、梓はおろおろと狼狽えて顔を青くしていた。


『せ、先生…』

「お前は黙っていろ。…いいか、今まで俺が東堂や心操の外出について柔軟に対応していたのは、一族の事情もだが、アンタがお目付役として機能すると思っていたからだ。最低限、ストッパーになるだろうと踏んでいたからこそ、アンタらが付き添いをする条件のもと、比較的自由な外出を許した」

「……そりゃ、残念だったな。お目付役ではあるが、あくまで前提として守護の意思がある。今回は負け戦が濃厚で最初こそは止めたが、お嬢の最終決定を止めはしないし、結果として英断だと思ったことは撤回しねェ」


あまりにも九条がはっきりと言うものだから梓はハラハラと焦って相澤を見上げる。
彼は厳しい目で九条を睨みギリリと歯をくいしばるが、しばらくして苛立ちやムカつきを飲み込むと、1つため息をつき、


「死穢八斎會の時にこいつを引きずり込んだ時から考えてはいたが、今回の件で決めた。東堂、お前の家の事情を鑑みるのをやめさせてもらうよ」

「は?」『え?』

「通常通り取り扱う。例外は無しだ」

「いやいやちょっと待って。お嬢には土日に色々見てもらったりやってもらわんといかんことが山ほど」

「知らん。アンタが一族中心に考えるのをやめないのであれぼ、俺だって学校中心に考えさせてもらう。一族の事情なんぞ知るか」

「困るって」

「別に、外出を許可しない訳じゃない。教師の付き添いがあれば良いが、今までのように部下が付き添うことで良しとする特例を止めるってだけだ。正直、児相に通報して完全寮生活にさせたいところだがな」

「虐待ってか!?失敬な!」

『わー…』


ここまで相澤がはっきり言うのであれば、それは決定事項なのだろう。
梓はやってしまった、と額に手を当てると眉を下げた。

今まで特例として扱ってくれていたこと自体、奇跡に近い。

いまだああだこうだと相澤に食ってかかっている九条の羽織をぐいっと引っ張ると、額に手を当ててままそれ以上言うなとばかりに首を横に振った。


『だめだよ、先に約束を反故にしたのはこっちだ』

「…お嬢、別に反故になんかしてねェさ。約束は“俺か水島、泉さんが付き添うこと”だ」

『その条件の本質は、さっき先生の言った通りだよ。確かに私も、今日の件についてはあれで良かったのか、自分でわからなくなってる』


困ったように眉を下げてそうぽつりと呟いた声は消え入りそうで、九条は思わず口を噤んで反論をやめた。


『だから、九条さん、ごめん。先生の決定に従う』

「……そうかよ」


残念そうに頭を抱えた九条に梓はもう一度悲しそうにごめんね、と伝えると


「じゃあ、そういうことで。学校への引率も俺がする」


相澤にぐいぐい腕を引っ張られながら、足早に病院を出るのだった。





空港を出て、車に乗るまでの間、相澤は一言も喋らなかった。
重い空気に梓は吐きそうになりつつ、青ざめた顔のまま助手席に乗る。


(怒ってる。この上なく、今までにないほどに怒ってる)


相澤が、常々心配してくれていることも、一族としての方針にイラついていることも知っていた。
それでも、彼が一族の考えを重んじてくれたからこそ今まで特例が認められてきた。が、


(さすがに甘え過ぎたかな、)


これ以上の特別扱いはできない、と先程はっきり言われて、確かに自分が先に相澤の信頼を裏切ってしまった、と梓は後悔に苛まれていた。

眉を下げ、赤に変わった信号を見ていれば、車がゆっくり止まる。
すると、ずっと黙って運転をしていた相澤がゆっくり口を開いた。


「何をしに、いきなり福岡まで行ったんだ」


数時間ぶりの問いかけに梓はびくっと肩を揺らすと問いかけに答えねばと慌てて口を開いた。


『ホ、ホークスさんに会いに』

「なんで、突然。この前奴がお前に会いにきた時に何か言ったのか」

『ええと…、何か言われたわけじゃないんです。ただ、あの時なぜ私に会いにきたのか、が、わかった気がして』

「どういうことだ。全部話せ」

『……』

「この期に及んで、俺に隠し事増やすつもりじゃないだろうな?」


えっ、怖。
ぎろりと睨まれ梓はごくっとつばを飲んだ。


『か、隠しません』

「なら、順を追って話せ」


有無を言わさない彼の声音。
梓はおずおずと、ゆっくり話し始めた。


あの夜間飛行の夜、ホークスが“大義のための犠牲”に悩んでいたこと。
彼が昨日のビルボードチャートの中継で、誰よりも先を見据えていることに気づいたこと。
そして、自分に“餌や囮”としての価値があることに気づいたこと。

全ての点がゆっくり繋がっていき、
あの夜間飛行の夜、ホークスが梓に何を伝えにきたのか、予測した。


『…ホークスさんが言う、“大義のための犠牲”は私のことだと思ったんです。あの人は、連合の巨悪を最悪ベースで推し量り、先手を打つ方法を考えているはず。その中の1つに、きっと私がいたんだ、と』

「……。」

『ホークスさんは結局私に囮になる話を持ちかけることもなかったし、むしろ自分を信用するなと言いました。だから、伝えなきゃいけないって思ったんです。私を利用していい、と。それはすぐにでも』


相澤は絶句した。
彼女の突飛な発想にも、それを肯定したであろう九条達にも。バカじゃないのか。
泉が言っていた、どうしても伝えなければいけないこととは、このことだったのか。

迷いのない目に、自分の命を1つの手段にしか捉えていないのだと相澤は今年度何度目かわからない盛大なため息をつく。


「はァ〜…、つくづく、お前は俺の信用を裏切るな」

『ごめんなさい…』

「で?ホークスには伝えたのか?」

『伝えましたけど、びっくりしてました。最初は、見くびるなと睨まれました。2度とそんな提案をするな、他の誰にも絶対にそんな提案はするなって。でも、黒い脳無と戦ったあとに言われたんです。確かに囮にすることも考えたって。でも、私が自分の命をコマの1つとしか思っていないなら、危ういから、囮にするつもりはないって』

「……ホークスの頭はまだ正常か、安心したよ」


呆れまじりにそう吐き捨てた相澤は未だ目線を下げる少女に何度目かわからないため息をつきながら、


「東堂、俺はもう家の事情は考慮しない。加えて、お前は1人では外出不可とする。近くのコンビニでも、だ」

『げっ』

「同行は俺や他の教師が基本だ、いいな?」

『それは…土日とか、家に帰れないってことですよね』

「帰れないことはないが、俺が同伴できる時だけだ。エリちゃんの事もある。実際、無理だろうな」

『…わかりました』

「書類上の後見人は九条だが、お前のストッパーには全くもって成りえんことが今回わかった。お前のストッパーと思考矯正は俺がする。言うこと聞けよ、問題児」


思考矯正とは。
物騒な単語にゾッとしつつも仕方なく頷いた梓に相澤はやっと満足げな表情をした。





学校に着き、駐車場に停めた車からのそのそ降りる受け持ちの生徒を見守っていれば、ふとその大きな目がこちらを向いた。

その目は少し憂いを帯びていて、先程まで怒られていたからビビっているのだろうか、と相澤は首をかしげる。
怒っていたが、正直もう怒りは沈んでいる。今の感情は無事で何より、といったところ。

どうしたのだろうか、とじっと見返せば梓はもじもじと自分の服の袖を触りながら、


『先生、黒い脳無の囮になったとき…、よし、って思ったんです。これで人からこいつを引き離せるって、それだけしか考えてなくて』

「……」

『でも、空に上がって、あいつと対峙して、怖いって思いました。先生や、いずっくんやかっちゃん、クラスのみんなを思い出して、まだ一緒にいたいって』


あの時の自分の感情は複雑だった。

当主としてどれだけ時間稼ぎをできるか、焦りと不安。
守りきれないかもしれないことへの恐怖。

そして、自分自身が死ぬことで、大事な人たちと会えなくなってしまうかもしれない、という完全な私情。

戦いにおいて、梓が私情を感じたのは初めてだった。とても九条達には言えない、後ろめたい感情。
そんなこと、考えたこともなかったのに。

俯いて瞳を揺らしている。


「東堂…」

『当主として動いたのに、私情が頭をちらついて、初めてのことで、びっくりしました…。こんなこと、こんな恥ずかしいこと、誰にも言えないけど、先生なら…先生なら、言っても、怒られないかもって、』


涙は出ていないが、声は震えていた。

私情がちらつくのは当たり前だ。そんなの誰だってある。ただ、守護精神が絶対の生き方しか知らない彼女からすれば、それは一族の考えを重んじていないことになるので恥ずべきことなのだろう。
だから、九条にも言えないし、自分のことを東堂一族として見る周りにも言えない。

真っ直ぐに、自分を見てくれる相澤にしかこの感情のゆらぎを吐露できないのだろう。

相澤は突っ立っている梓のそばにしゃがみ込むと、彼女の顔を下から覗いた。
彼女の目は戸惑いで揺らいでいた。

そんな彼女を見て、相澤は内心ホッとしていた。


「…東堂、お前は当初から俺の信用を裏切ってばかりだが、今まで指導してきたことが無駄じゃなかったようで、安心したよ」

『えっ』


ぽん、と肩に手を置かれだるそうな目が梓を見る。
4月に初めて会ったその人は、一度も梓を次代の当主として見ない、俺を頼れと言ってくれる唯一の大人。


「お前がお前自身のことを考える、俺は4月からずっと、それを口酸っぱく言ってきたつもりだからな」

『……』

「俺の指導も、少しは報われたようだ」


そう言って、少し口角をあげた相澤に、
やっぱりこの人はあの私情を責めることなく受け止めてくれた、と梓は信頼しきった目で泣きそうに笑うのだった。

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