Are you an angel? | ナノ
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19 遥か空の遠く


時は四時間ほど遡る。
なまえの母であるみょうじ夫人の何気ない一言「どちらかがなまえの彼氏なのか」とのそれが頭から離れず、早く説明をと焦燥を感じたが元より口が上手くない俺は動揺しており、何故そこにいるのか理解できない二人の男の言葉に口を挟む事が出来ぬまま。

「とりあえず中に入れてくれると嬉しいんだがな」
「お、おい、左之……、」
「そうだね、中でゆっくり話をしようよ、ね、いいですよね?」

彼女に人懐こく微笑みかけ総司がドアに手をかけるが、女性が一人の室内に踏み込むなど失礼にもほどがあろう。

「待て……、」
「そうねえ……、ここは暑いし。仕方ないわね、じゃあ中へどうぞ」

驚いたことに夫人はあっさりと身を引き身体を躱すと得体の知れない男共を招じ入れようとするではないか。俺はこの女性が間違いなくなまえの母親である事実をこれをもって改めて確信する。なまえの無警戒ぶりは母譲りであったのか。
最も冷静に考えれば入室を拒否されて困るのは此方であるのだが。
なまえが帰宅するまでにまだかなりの時間があった。
「まあ、座って頂戴」と言われソファに座る夫人とテーブルの角を挟んで男が三人鎮座する。俯瞰すれば異様な光景である。
俺はこの部屋の一応家主に当たる立場であるが、相手がなまえの母親となればまた話は変わってくる。生鮮食品を早く冷蔵庫に入れねばと気が急くが、致し方なく手に提げていた買い物袋を脇に置いた。
気さくそうに笑いながら彼女は俺達の顔を順々に見回す。

「それで……、なまえの彼氏はどの方?」
「そ、それは……お……、」
「ちょっと待って一君。なまえちゃんのお母さんに当ててもらおうよ」
「そりゃおもしれえな。この中でどれだと思う?」
「そうねえ……」

俺です、と宣言したかった言葉はまたもや遮られる。
いったい何故このようなクイズ形式で自己紹介をせねばならぬのだ。みょうじ夫人は思案するように小首を傾げ、ややあって左之を指さす。

「あなた」
「そりゃあ、光栄だな。その通りですよ、やっぱり解っちまったか」

何やら嬉しげに笑う左之を肘で小突き、総司が膨れて見せた。待て、そこで物申したいのはむしろ俺である。

「さ……、」
「ちょっと、何言ってるの左之さん。この人他に恋人がいますよ。僕の方がどう見てもなまえちゃんにふさわしいでしょ?」
「あ、あんた達、ふざけるのも大概にしてくれ! ……おっ、俺がっ、」

鼻白んで常には出さぬ声を上げればなまえの母親は一瞬だけ笑みを消し俺に視線を向けた。彼女の瞳は俺の瞳に正確に焦点を合わせ、じっと見つめた後ゆっくりと再び目元を緩ませた。

「ふふ、冗談よ。解ってる、あなたよね」
「……何故、」
「だって、そんなに沢山の食材の入った買い物袋を両手に提げて帰ってきたら一目瞭然、誰にでも解るわよ。あなたが去年の昆布の人なんでしょう? 随分前になまえに聞いたわ」
「昆布の人……、」
「美味しい出汁を取る知り合いがいるとか言っていたわね」
「お話の昆布で出汁を取ったのは確かに俺です。俺は斎藤一と言います。ご挨拶が遅れた無礼をお詫びします。その節は見事な昆布をいただきありがとうございました。なまえさんとは……」
「堅苦しい挨拶なんて抜きでいいわよ。それより斎藤さんは相当の料理の腕前だとか?」
「いいえ、そのような……」
「なーんだ、最初から解ってたの? なまえちゃんの彼氏、場合によっては僕だったかもしれないんだけどな」
「俺もだぜ、」
「混ぜっ返すな。なまえは俺の、」
「はいはい、解ってるよ。もう取ろうなんて思わないよ」
「…………、」

総司も左之も可笑しそうに笑い冷やかしの眼を向けてくるが、俺はやっと緊張した肩の力を抜くことが出来た。単にからかわれていただけのようだ。なまえに似ていると思われた母上はなまえよりも数段役者が上のようであった。
ニコニコする夫人を前に恐縮しつつ少し失礼しますと断りを入れ、買い物袋の中身を収納する為にキッチンへ立てば、彼女が利尻昆布について語り始める。
夫人の実家は北の大地でありこの高級利尻昆布を贈れば皆が喜ぶのだと言う。「昆布だけにね」と屈託なく声を上げ笑う夫人に、左之と総司が応えて笑う。「いや、最高だな、昆布だけによろこんぶって言いてえのか」と左之が腹を抱えれば、夫人は尚も目元を笑わせながら楽しそうに俺を見た。

「あなたにも喜んでもらえてよかったわ」
「はい、とても嬉しく思います。利尻昆布は素材の色や味を変えない為、薄味の料理に向きます。湯豆腐などにも最適ですし、懐石料理にも非常に重宝すると聞きます」
「ちょっともう、一君てば。君ならではの返しも相変わらず冴えてるよね」

先程から肩を振るわせた総司を見遣り、夫人はさも可笑しくてたまらないとでも言うように目尻に涙を浮かべた。
何がそのように可笑しいのか俺には少しも解らぬが、場の空気が和んでいることだけは間違いないようだ。安堵して俺も微笑みを返せば「本当に、斎藤さんて面白い人ね」となまえの母は俺をじっと見つめた。
その笑顔がやはりなまえに重なって見える。
彼女は母親似であったのだな。
しかし面白いとの評価は少々心外である。
なまえとのことをもう少し詳細に説明したいと考えたが、それはなまえが帰ってからにした方が良いかもしれぬと思い直し、傍らに立つ母上の話を尚も聞きながら俺は本格的に夕食の下拵えにかかった。
俺は天使であってエスパーではない。その時満面の笑みを浮かべたみょうじ夫人が心に思い描いて居た事柄を読み取る事等出来はしなかった。
後から総司が名付けたところの昆布談義、俺はそれによって打ち解けたなまえの母に受け入れて貰えたのだと、そう信じて内心安堵の溜息を漏らした。このようにして俺はなまえの母と初めての対面を果たしたのであった。
なまえが戻ってからこの妙なメンバーで始まった会食は先程までと変わらず始終和やかである。帰宅直後は事の次第が解らず狐につままれたような顔をしていたなまえではあったが、俺と同じように胸を撫で下ろしている様子が見て取れた。
人数が倍以上に増えた為、当初予定していたよりも料理の品数を増やし小さなテーブルに所狭しと並べて振る舞えば、なまえの隣に座る母上は彼女とそっくりの面立ちで同じように目を輝かせ次々に料理に箸を伸ばす。酒も良い加減に嗜むようであった。

「斎藤さんの料理はプロ級って本当ね、どれもいいお味」
「そうでしょ、お母さん」
「今度からここにもちゃんと昆布を送らなきゃいけないわね」
「恐れ入ります」

恐縮し通しの俺を他所に左之も総司も緊張感などまるでなしに機嫌よくグラスを重ねる。

「時に、あんた達は何をしに来たのだ?」
「え? ああ、忘れてた。僕達お中元を届けに来たんだよ」

おもむろに総司がゴソゴソとのしのかかった一升瓶の箱を出す。人間界の交流のマナーであるお中元などという物をこの者らの口から聞くのは初めてである故、本当の理由は別にあるのだろうと悟れば左之が続けた。

「それと、少し話があってな。だがせっかくの席だ、またにするか。急ぐ話でもねえし」
「それがいいね。話はまた今度に、一君」

俄かに真顔になる二人を見て土方さんから何か連絡事項でもあるのであろうかと少し気にはかかるが、この場で天界の話になるのは如何にも拙いように思える。このような形でなし崩しに俺の身元を晒すことは憚られる。そういった事は酒など飲まずにきちんとした席を設け誠意を以て伝えたいと俺は考えた。なまえとの将来についても同じ事が言える。
満足げに食事を終えた皆がまだちびりちびりと酒を飲んでいるところを後片付けに立てば、なまえがそっと俺の後をついてきた。

「ごめんね、はじめさん、こんなことになって。突然の電話だったから会社でもずっと心配で」
「いや、なまえが謝る事ではない。母上にお会いできてよかったと俺は思っている」
「ありがとう」

不安げななまえが見上げてくるのに笑んで返せば彼女は口元を綻ばせた。皿を洗う濡れた俺の手に白い手をそっと重ねる。刹那握り返してから作業の手をまた動かし始める。

「だが近いうちにお父上にも挨拶に伺わねばならぬな。ご両親の揃っているところで改めて」
「うん」
「ベッドのシーツも全て洗い立てのものに替えてある。今宵は左之の部屋にでも泊めてもらう故、なまえはここで母上と」
「それがね、泊めてって言ってたくせに、実は駅の近くにホテルを取ってたみたい」
「そうなのか?」





左之と総司が引き揚げなまえと共に母上をホテルへと送り届けた後、二人でまたこの部屋へと戻り目まぐるしく感じた午後に思いを馳せる。
昼の蒸し暑さが幾分治まったのでエアコンを切り、ベランダに面した窓を開け放ち、物思いに耽りつつ外を眺めていた。
風呂上がりのなまえがミネラルウォーターを手に「何を考えているの」と俺の隣に並ぶ。
仕事のことも、天界のことも、そしてなまえのご両親のことも。全てはこの愛おしい人の為に。出来るだけ丁寧に首尾よく全ての事を運びたいと思う。

「今日は雲ってるね」
「ああ、そうだな」
「憶えてる? ちょうど一年くらい前に、こうして一緒に空を見たね」

なまえがベランダに一歩踏み出し空を見上げる。
忘れられる筈などない。
一年前の今と同じ時期だった。
あの時共に見上げた空にはベガとアルタイル、そしてデネブの形作る夏の大三角がよく見えていた。
俺の方はどれほど胸を焦がしていたか。直ぐ隣にいたなまえに触れたくとも触れられぬ指をどれほどもどかしく感じたか。
遠く隔てられてた星である二人にさえ羨望を抱いたものだ。
今宵は雲がかかり星は見えない。
だがそれでも。
喉が乾かない? と差し出されたそれを口にすると含み笑うので、頬に手を当て口づけて水を注ぎ入れてやるとこくりと喉を鳴らしてから照れて笑う。己でしておきながらつられて俺の頬も熱くなる。
今はこうしてなまえと心が繋がっている。類のない幸福感に胸が満たされるのを感じた。





流れ込んできた冷たい水を喉の奥に流し込んで、なんだか恥ずかしくなって私は彼から目を逸らし空を見上げた。
月が中天に上った頃、お酒の回った左之さん沖田さんと賑やかに別れ、その後はじめさんと二人で母をホテルまで送った。
今年の梅雨はしっかりとした雨の降る日が多いけれど、今日は降られずに済んでよかったなと思いながら取り留めのない会話を交わし駅への道を三人で歩いた。
母はずっと楽しげにはじめさんの料理を楽しみ、彼との事は言わなくても解ったようで特に何も言わなかった。

「ああ、お腹いっぱい。すっかりご馳走になっちゃったわね。とても美味しかったわ。じゃあ、またね」

彼に笑いかけたほろ酔いの母は、程なく到着したホテルのロビーのエレベーターに吸い込まれて行き、私達はやれやれと言った気持ちで部屋への道を戻る。
電話を受けてから家に戻るまで張り裂けそうな不安感に苛まれ生きた心地のしない半日だったけれど、アクシデントのようなこの出会いでも母ははじめさんのことを気に入ってくれたみたいだし、私は一先ず安心した。後は父に挨拶に行けばいいだけだ。
私の母は愛情の薄い母親と言うわけでは決してない。けれど比較的子離れが出来ていて、今は自分の趣味や遊びに充実しているらしい。
年に一度なら多い方で彼女はそう滅多に私の部屋に訪ねてくることなんてない。だから遊びに来るとなれば大抵は泊まって母子でガールズトーク(?)をしたりするんだけど、今日に限ってどうして用意周到にホテルなんて取っていたんだろう?
少しだけそんな疑問も浮かんだけれど今夜ははじめさんと話したいこともあるし、まあラッキーだったってことでいいのかな?
そんな事を考えながら雲に覆われた空を見つめる。
見つめているうちに母のことはだんだんと頭を離れ、代わって別の想いがひたひたと心に上ってきた。
天界とはこの空のまだ向こうのとても遠い場所。星の見えない暗い空を見上げたまま私はそれでも何かを映し取るように遥か彼方を見つめる。
未だその場所を知らなかった。
どうしてだったんだろう、このベランダに降り立ったはじめさんを少しの不信感もなく受け入れてしまった一年前の私。
はじめさんとの記憶の全てを失っていたのに、このベランダで彼の後ろ姿を切なく感じた。夜の闇に溶けそうな彼に何故か不安を感じ、その腕に触れたいと指を伸ばした。彼がいつか天界に帰ってしまうのだということをとても寂しく思ったのだ。
意識の上では忘れていても心の片隅に残っていたのかも知れない。
それとも何も憶えていない私が彼に、改めて二度目の恋をしたのかも知れない。
あの夜。

「何を考えている?」

耳元を吐息混じりの声が擽る。聞き慣れた彼の声。落ち着いた低い声。大好きな手が肩に触れる。

「私達、もう離れなくていいんだよね?」

彼がさっきの私と同じ言葉で問いかけてくるのに問いで返し、振り返り見上げれば彼の瞳が優しく笑んだ。

「ああ、俺はもう二度となまえと離れたりはしない」
「ずっと? 私がおばあさんになるまで」
「このように愛らしいなまえがおばあさんになるところは想像がつかないが」

彼が私を抱き寄せる。温かい腕にすっぽりと包まれ片手が再び頬に触れられ、その指先が唇をなぞる。くすぐったさに眩しく目を細めれば潤んだ藍色の瞳がゆっくりと近づいた。紫紺の髪に触れれば彼がまた微笑む。

「はじめさんの髪が好き」
「この髪が白くなってもなまえは好きでいてくれるか」
「そんなこと決まってる。ずっと大好き。はじめさんのことを、ずっと」
「俺もだ」

囁き合いながらお互いに頬を染めている。彼の手も腕もその瞳も何もかもが私の幸福の象徴に思えた。限りない幸せに包まれて彼の胸に顔を埋めた。
指先が頤に当てられ持ち上げられれば熱を宿した彼の瞳が私を見つめもっと近づく。
私の瞼も自然と閉じかけて束の間、唇が触れ合うほんの刹那、私の手が反射的に彼の胸を押してしまった。

「あ! 待って、」
「なんだ」

ふいに思い出した。
離れかけた私に虚を突かれはじめさんの眼が見開かれた後、その瞳にちらりと不機嫌な色を過ぎらせる。
あ、またやってしまった。
だけどこれだけは絶対に言っておかないと。
これは本当に大事なことなんだもの。

「あのね、スマフォの充電だけはちゃんとしといて、連絡がつかないと困っちゃうよ」
「……す、すまん、それは……そうだな」

はじめさんの眉が少しだけ下がった……。

「今日は一日中気が気じゃなかったんだよ。早退したいと思ったくらい」
「ああ、すまなかった。今後は必ず気を付けるようにする故……なまえ、」

……下がった気がしただけだったみたい。彼は再び強い目力で私を射抜く。

「……ん?」
「このまま、」
「え……、え?」

私を覗き込むはじめさんの濃いブルーの瞳の奥に焔が見えた。
彼の中のどこにあるのか私には未だにわかっていない。だけど何かのスイッチが入ってしまったはじめさんを止めることなんて出来ないのだということだけはもう知っている。
引き寄せられぎゅうと抱き締められて今度こそ熱い唇が重ねられた。彼の左手がもどかしげに私の肩から撫で下ろされ指を絡ませる。反対側の腕にも力が篭った。甘く長い口づけの合間に息も絶え絶えに訴える。

「……ん……ま、待って、いくらなんでも、ここじゃ、」
「そうか。ではベッドへ」

返事も待たずに横抱きに私を抱えた彼は踵を返し寝室へと進んだ。まだもっと話したいことがあるのに。一年ぶりに此処で。
だけど彼の見下ろす瞳は切なげに揺れその瞳を見てしまえばもう何も言うことが出来ない。
「もう……、」と唇を尖らせて見せながらも私は幸福に包まれていた。愛する人に求められる幸せ。
優しく横たえられたベッドで見下ろすはじめさんを見つめ返し私も腕を伸ばす。
私達の周り、この世の何もかも。
そう、雲に隠れて見えない遥か空の遠くにいるあの織姫と彦星さえもが祝福してくれているのだと、幸福に酔い痴れ強く抱き締め合う私達は信じていた。
何一つ疑うことをせずに。


This story is to be continued.

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I am in love with an angel every day!



MATERIAL: blancbox / web*citron


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