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戦士の休息   


一月三日、鳥羽伏見において戊辰戦争の戦端が開かれた。
戦闘開始直後、御香宮神社に布陣した薩摩軍より大砲が撃ち込まれたのが端緒となり、土方の指揮下新選組も即座に反撃の態勢を取る。
土方は敵方を仰ぎみて眉間に深い皺を寄せた。

「畜生、あんな化け物みてえなのをぶっ放されたんじゃ、歯が立たねえな」
「副長、ここは白兵戦でいくしかありません」
「だな」

原田も同意した。
懐に潜り込んでしまえば銃撃も大砲も役には立たない。
敵の足元を崩して、総動員で乗り込む作戦だ。

「では、俺が斬り込みます」
「ちょーっと待った、斎藤。それなら俺が行くぜ」

永倉は奉行所の入り口にちらりと目をやる。
なまえと千鶴が成す術もなく立ち尽くしていた。

「お前は御陵衛士で、でけえ仕事して来たんだからよ。いつも一人で美味しいとこ持ってこうったって、そうは行かねえぜ?」
「新八……、」

土方が頷く。

「やってくれるか、新八」
「おう、任せとけって」

斬り込みは永倉率いる二番組と決まった。
斎藤、原田の隊は後方援護に回る。
永倉隊は奉行所の塀を乗り越え、本陣に後少しのところまで迫ったのだが、寄せ付けまいとする苛烈な銃撃を受けやむなく撤退する事となった。
これにより数名の隊士が命を落とした。
五日の戦いは伏見街道千両松において開始され、新選組は土手で新政府軍を迎え撃つ。

「やっぱり数で敵わねえ」
「脇から行きましょう」

隊を少人数に分け、長州の先頭部隊の脇に周り込んだ。
次々に斬り倒していくが、斬っても斬っても敵が湧いてくる。

「駄目だ! 引けっ!」

兵の数も大砲の質、量でも圧倒的な力の差を見せつけられ、ここでも多数の負傷者を出す。
翌六日、幕軍は寝返った津藩の砲撃を受けるに至りこれ以上の迎撃は不可能と判断し、大坂への撤退を決定した。
永倉と斎藤が二十名の隊士を率い、全軍の盾となって迫りくる敵と戦闘を続けながら殿軍を務めた。
この戦いで新選組の戦死者は総計二十二名にも上り、この中には六番組組長、井上源三郎も含まれていた。
大阪から順陽丸で、海路江戸へ。
労咳が悪化し大阪に滞在していた沖田は、近藤、土方、他の負傷者と共に富士山丸で、二日遅れで江戸へと戻った。
品川に入港し旅宿釜屋に宿泊した後、二十三日には鍛冶屋橋門内の若年寄屋敷へと移り、ここを屯所として約一カ月を過ごす事となる。
激戦の後の、束の間の休息だった。





重傷者は島田に付き添われ横浜病院に入院させた。
軽症の者も土方の指示で、松本良順のいる神田和泉橋の医学所でそれぞれ治療を受けた。
斎藤も撤退の時にかなりの傷を負っていた為、なまえを伴い医学所を訪れる。

「ご無沙汰しております」
「その節は本当にありがとうございました」

なまえは以前肩に酷い刀傷を受け、良順の縫合手術を受けていた。
良順はなまえの元気な姿に目を細める。

「あの時は大変だったが、君がこうして元気に生きていてくれて、私も嬉しいよ」
「先生、本当に……あの時の事は感謝してもしきれません」

斎藤も感慨深げに謝念を表す。

「さてそれで、今日は斎藤君か。どれ、見せてもらおうか」

斎藤に上を脱ぐように指示すると、肩脱ぎした上半身を見るなりため息をついた。

「ああ、これはまた。随分とやられてきたもんだね。縫う程の物ではないが、傷だらけじゃないか」

引き締まった身体の無数の傷に塗り薬を塗っていくと、滲みるのか斎藤の顔が小さく歪む。
なまえはその様子を不安げに見詰めた。

「はじめさん、痛みますか?」
「いや、大丈夫だ、」

処置が済むと斎藤は貼り薬と包帯で痛々しい上半身に、再び着流しを羽織った。
机に向かっていた良順が椅子を回しなまえに向き直る。

「みょうじ君、塗り薬を出しておくからね。風呂の後にでも塗ってやりなさい」

立ち上がりかけた斎藤が動揺して椅子ががたっと音を立てた。
見ると真っ赤に顔を染めている。
勇ましい刀傷を身体中に背負ってきたこの男の、なんとも初々しい反応が可笑しく、良順は悪戯心を起こす。

「君達は夫婦になったと聞いたよ。この傷じゃ独りで風呂に入るのも大変だろう。みょうじ君が洗ってやるといい。傷が化膿しない様に注意して」
「……はっ?」

これにはなまえも赤くなった。

「ああ、もうみょうじ君と呼ぶのもおかしいかね? 奥方になったんだからな」

冷やかす良順に、常になくうろたえた斎藤は頭を下げそそくさと診療室を後にし、なまえも小さくありがとうございました、と頭を下げ斎藤を追っていった。

「斎藤君は昔から変わらないねえ」

二人の消えた戸に目を向けながら、良順はくくくっと笑った。
江戸城堀端を歩きながら斎藤はいつも以上に無口になっていた。
ちらりと横目に見るとなまえは見慣れない景色を楽しむ様に辺りを見回し、手には良順から渡された薬を大切そうに持っている。

あ、あれを、なまえが塗るのか。

想像するだけで再び顔に熱が集まって来る。
この身体ではなまえを抱く事が出来ないのに、彼女の手で塗り薬を塗られるなど、まるで拷問ではないか。
皆に認められた夫婦なのだから、風呂に共に入ったところで問題はなかろうが、何もせずに黙って大人しくされるがままでいろと言うのか。
彼の頭の中は激しく掻き乱されていた。
憮然と考え込む斎藤に気づいたなまえが、不思議そうに見上げてくる。
斎藤はまだ顔を赤くしていた。

「どうかしたんですか?」
「い、いや……、」

このような事を、なまえに言えるわけがない。





鳥羽伏見の戦いにおいて土方は、洋式兵器の導入の必要性を真剣に考え始め、また日本独自の服装はこれからの戦には向かないとも考えた。
新政府軍は軍服として洋装を取り入れている。
屯所でのある日の夕餉時、何気なさを装って切り出す。

「戦い方もだんだん変わってきてやがるな」
「いやぁ、本当だぜ。御香宮でちらっと見たがな、あんな新式の武器を出されちゃあ一溜りもねえや」

永倉が飯の丼を抱えて豪快にかき込みながら、うんうんと頷いた。

「そこで俺はな、服装も新式に改めようと思う」
「へえ? 新式ってなぁ洋装のことか? 攘夷の俺達が洋装をするのか?」

すかさず原田が茶かすが、土方は至極真面目な面持ちである。

「実際、戦をしてみて解っただろうが。俺だって最初はあいつらの服装をごみ拾いみてえだと思ったよ。だが身軽だ。ぶうつってやつもな、多少締めつけるようだが、足場の悪いところでは動きやすい」
「なんだよ、どっかで見てきたみてえな言い草じゃねえか」

土方が笑った。
それから間もなくして幕府より三百両の金が出た。
後日、広間に集められた幹部達は広げられたフロックコートやズボンなどを見て目を丸くしたり、感心したりしている。

「なんだ、釦ってやつは。面倒くさそうだな」
「ズボンってのは袴をきゅっと細くしたみてえだな。おい、これ、履くとぎゅーっと締め付けてくるぜ?」

それぞれにわいわいと騒いでいる傍らで、斎藤は自分に宛がわれた洋服を困惑したようにじっと見つめている。
なまえがそれを手に取り斎藤の肩に当てた。

「着てみないんですか?」
「俺はこのようなものの、着方が解らぬ」
「でも、皆さん着てますよ? それに……、」

なまえが斎藤の耳に小さく囁く。

「洋服の着方なら、私が解ります」
「ああ、そうだったな……」

斎藤がふっと笑うと二人は洋服を持ってそっと広間を抜け出した。
後に残った幹部達がニヤニヤ笑いをしているのも気づかずに。


二人に当てられた部屋に戻ると、胡座をかいた斎藤はまだ躊躇して遠目に洋服を見ている。

「はじめさんにきっと似合います。着てみましょう?」
「お前のいた時代は、皆これを着ているのか?」
「色や形は様々ですけど。夏はもっと薄着になりますし」
「そうか」

しばらく逡巡していたが、やがて意を決したように立ちあがる。
襟巻を外し、着流しを脱いだ。
包帯は巻かれたままだったが、なまえが毎夜丁寧に薬を塗りつけ、斎藤が人知れず劣情に耐え抜いたおかげで、傷はかなり癒えていた。
実のところは耐え切れずに何度か事に及ぼうとして、なまえに厳しく制止されて諦めたのであるが。
なまえは正座をして、手にした斎藤の洋服をためつすがめつ眺めていた。
これをはじめさんが着たらどれ程素敵だろうとわくわくする。

「傷、まだ痛みますか?」
「いや、大分いい。もうこれもいらぬな」

ふと顔を上げたなまえの目の前で、斎藤が自分で包帯をするすると解いていく。
上半身をほとんど覆っていた包帯を全て外してしまうと、下帯一つになった。
一切無駄な肉のない均整のとれた身体に無数の傷痕はあるものの、陽の光を浴びた様はまるで彫刻のようだった。
なまえは頬を染めて俯いてしまう。
身体を重ねるときは仄暗い行燈の灯りがあるのみで、立ち上がった姿を見た事などはこれまでにない。
なまえの様子に気づいた斎藤は、屈んで彼女の頤に手をかけると顔を上げさせた。

「夫の身体を見るのが、それ程に恥ずかしいか?」

目元に妖しい笑みを浮かべ、唇の端が僅かに上がっている。
斎藤がこんな目をするときは。
はっと息を飲む。
反射的に逃げようとしたなまえはすぐに斎藤の腕に囚われた。彼がなまえの身体を抱き、帯に手を掛ける。

「は、はじめさん、待って、」
「俺だけがこんな姿をしているのは不公平だろう?」

手を押さえてやめさせようとするが、彼は意に介さずに帯を解いていく。

「だ、だって、はじめさんの傷が、」
「傷など、もう治った」
「み、皆さんがまだ、広間に……、」
「構わぬ」
「洋服は……っ」
「後だ」

弱々しい言い訳も聞き入れては貰えず、はらりと着物を脱がされ襦袢だけにされ、床に押し倒された。
斎藤がなまえの顔の横に右手をついて身体を支え、左手を頬に触れ髪に指を梳き入れる。
手の動きに合わせて腕や肩の筋肉がしなやかに動く。
見下ろす蒼い瞳には情欲の焔が燃えていた。
ゆっくりと唇が降りて来る。
手を体中に這わせながら、息苦しい程の口づけでなまえを翻弄する。
少し顔を離して至近距離で見つめると、困ったような潤んだ瞳が斎藤の本能をさらに煽った。

「ずっと、我慢してきた、」
「……まだ、こんなに明るいのに、」
「駄目か?」

見上げてくるなまえの答えを待たずに再び唇を塞いだ。





幕府からの依頼で二月十五日から二十五日まで、上野寛永寺に入った慶喜の警護に交替で当たった。
その間に甲陽鎮撫隊として甲州への出陣が決まり、二月二十七日には二千両の軍資金と大砲二門を与えられる。
幹部は全員洋装に改め断髪をし、新選組は二月の終わりに甲州勝沼に向けて出立。
近藤と土方は少し遅れて江戸を立ち、三月五日には到着した。
組織力と強さを誇った新選組は、この地から崩壊へと向かっていく。


2013.05.29
(3万打企画/カナ様リク)


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