青よりも深く碧く | ナノ
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Celebrate  


わずかに微睡んで、ふと目を覚ますと隣のスペースが広く空いていた。
一緒にベッドに入った筈の斎藤がいない。
枕元の常夜灯が淡く灯っている。


リビングに通じるドアの、フローリングに接する面が細い灯りの線を描いていたので、彼がリビングにいるのだと知れた。
なまえはそっと起き上がり、ベッドの下に落ちている夜着を拾い上げ身につけた。
ドアを細目に開けてみると、彼はドアを背にしたソファにかけている。
その背に小さく声をかけた。

「はじめさん、」
「なまえ、どうした」

斎藤が少し驚いたように振り返る。
ローテーブルの上にはノートパソコンと沢山の書籍や書類を広がっていた。

「お仕事をしていたんですか?」
「すまない、起こしたか。もう終わる」

斎藤が長い昏睡から覚めて一年と少し。退院後大学の恩師の紹介で、安定企業に中途入社した。
同期に遅れてはいるものの、同じ恩師を持つ上司にも恵まれ、彼自身の本来持ち前の勤勉さと英明さもあって、二人で暮らすには充分な収入を得る事が出来ていた。
6月に入り婚姻届も提出した。
この現代においてなんの憂いもなく暮らしていけるのは、彼のこうした陰の努力の賜物なのだとなまえは思う。

「お茶を淹れましょうか?」
「いや、いい。なまえ……、」

キッチンへ向かおうとすると「ここへ」と言うように呼び止め、座っているソファの隣に一度目をやり彼女を見つめる。
なまえが微笑んで傍によれば、手を伸ばしてソファではなく自分の膝へと導く。
その時テーブルの上に重なった仕事関係の書籍のうち、一冊の背表紙に『幕末史』という文字が見て取れた。

「目が覚めたら、はじめさんがいなくて……、」

斎藤が少し目を見開き、次にゆっくりと微笑む。
あの時代に居た頃は、想いが通い合うと同時に政情不安の渦中に巻き込まれ、なまえが自分に甘える様子を見せた事はついぞなかった。
些細な言葉に擽ったいような喜びを感じる。

「すまない、少し調べたい事があった。寂しかったのか?」
「……はい」

膝上に横向きに抱き止めたなまえが素直に頷けば愛しさが胸を満たす。
頬を撫で、骨ばった長い指で前髪を優しくかき上げると額に口づけた。

「あまり無理しないでくださいね」
「身体はもう、元通りだ」
「でも、睡眠はちゃんと取らないと、」
「無理はしておらぬ。だが埋めねばならぬ時間や、学ばねばならぬ事がまだある」
「はじめさんは、何処にいてもはじめさんですね」
「お前もだ。どこにいても俺の力になる」

小さく笑うと唇に触れて抱き上げたなまえを寝室に運ぶ。
そしてテーブルを片付けてくると言って一度リビングに戻っていった。
ベッドに下ろされた体勢のまま眺めやれば、染み一つない白い天井に落ち着いた色合いのカーテン。
洗練されたデザインの照明器具。
清潔な寝具のかかった広いダブルベッド。
サイドテーブルの置時計は正確に時を刻み、午前2時を指していた。
あの時代とは何もかもが違う。
変わらないのは、はじめさんと自分。


リビングの照明が落とされたと思うと、斎藤が寝室に足を踏み入れる。
隣に滑り込んできた彼はなまえの顔の横に両手をつき、深蒼の瞳を悩ましげに揺らして見下ろした。

「明日は休日だ。なまえ、もう一度、」
「でも、朝早いですよ?」

吐息だけで笑い、目元を染めるなまえの唇を塞いで、先ほど着直したばかりの夜着のボタンに手をかけた。





ベージュのカーテン越しに差し込む朝の光に薄っすらと瞼を上げると、笑んだ深碧の瞳に覗き込まれていた。

「おはよう。やっと起きたか」
「お、おはようございます……」

朝の最初の口づけが落ちてきた。
ほとんど毎朝斎藤に見つめられた状態で目を覚ます。
いつでも彼と共に眠り、共に朝を迎えることを至福に感じる反面、

――これだけはまだ慣れられない。

なまえは朝から顔を赤くする。
朝日の中で彼の裸の胸に抱き締められる事がいつまでも恥ずかしい。
ウィークデーは斎藤も出勤がある為忙しくベッドを抜け出し、なまえも素早く身支度をして朝食を整えるのだが、休日の朝はいつもこうだ。

「もう、起きないと、」
「……後少し」

斎藤がなまえの首筋に顔を埋めて、手が身体の線を這い出した。

「はじめさん、遅れちゃう、」
「ああ……、」

なまえに小さく睨まれて彼は名残惜しそうに身体を離した。


やっと挙式の日取りを決め、プレタクチュールのウェディングドレスをセミオーダーしていた。
今日は最初のサイズ直しの上がる日だった。
初めの頃こそなまえは、不動堂村の屯所の狭い一室で二人で交わした固めの盃だけで十分だと思った。
しかし、長い間待たせたのだから出来る事はなんでもしてやりたい、という斎藤の気持ちに動かされて式を挙げる事にした。
格調高い式場を避けゲストの数も最小限に絞って、親族と僅かな友人だけで郊外のレストランでガーデンウェディングを行う事に決めたのだ。
やはり女性らしくドレスの事になれば気持ちの浮きたってしまうなまえに急かされ、メトロを使い乃木坂にある某デザイナーのブライダルハウスへと向かう。

「斎藤様、お待ちしておりました」

沢山の美しいドレスの飾られた華やかなサロンに通されると、スタイリッシュな黒いスーツに身を包んだスタッフが恭しく迎え入れてくれた。
上品な応接セットの一つに案内され、お茶が出される。

「斎藤様はこちらで少しお待ちくださいませ。ではお嬢様はこちらへ」

なまえが壁面に大きな鏡の嵌め込まれたサロンの奥、試着室へと誘われていった。


ここを訪れた初日、なまえの希望のドレスを決めた後、斎藤本人の衣裳を決める段になると、好みの色やデザインなどを色々尋ねられた。
しかしそのような事は一向に解らず、彼は照れたような怒ったような顔で強張っていた。
くすくすと笑うなまえとスタッフによって沢山の衣裳を次々に宛がわれた後、光沢のある黒に近いダークグレーのコート型フォーマルに決まる。
憮然とした顔で試着室を出た斎藤は、このような場で私情をはさまないよう教育されている筈のスタッフさえもが、思わずため息をついてしまう程に見栄えのする凛々しい姿だった。


奥の大きな試着室の方を所在なく見つめていると、カーテンがゆっくりと開かれ白いドレスに包まれたなまえが出て来た。
簡単な纏め髪をしてもらっている。

「斎藤様」

スタッフに呼ばれて立ち上がり、そちらへ進めかけた足が止まる。
彼女に目を当てたまま言葉もなく、息さえ止まりそうになる。
細い首元を露わにした彼女のドレスは、華奢な肩とデコルテを印象付けるフレンチスリーブにウェストの括れたAライン。
タフタをふんだんに使ったスカート部分の後ろの裾は複雑なカットと上質なコード刺繍が施され、細身のなまえのスタイルを引き立たせる上品で可憐な純白のドレスだった。

「こんなにお綺麗な花嫁さんは、私達も滅多に……、」

スタッフが思わず感嘆の声を上げかけ、はっと口元に手を当てるとすぐに、失礼いたしました、と頭を下げる。
それでも笑顔を浮かべ斎藤に言葉を掛ける。

「もう少しお近くでご覧になって差し上げてくださいませ」

思えばあの時代島原で女の姿をした彼女に動揺し、天神の格好をしたときは幻惑された。
そして今、自分の花嫁になる為の装いを目の当たりにしてその美しさにまた身動きが出来なくなる。

――俺はこれから先も、どれ程なまえに魅了されていくことか。

斎藤の目元が染まり頬にゆっくりと笑みが浮かぶ。
ややたってから静かに歩み寄りなまえの前に立つと、白いグローブをはめた細い手を取る。

「綺麗だ」

なまえも頬を染めて斎藤を見つめ返した。





風呂を出てリビングに戻ると斎藤はソファで本を読んでいたが、なまえの姿を認めると本を閉じテーブルの上に置いた。
表紙に目を走らせれば、それは昨夜沢山の本の間に挟まれていた幕末史だった。
少しの間それを見つめていると、斎藤がなまえの手を引く。

「……あっ、」

不意の事でまた斎藤の膝の上に座る格好になってしまい、困った顔をするなまえを斎藤が愛しげに見つめる。
濡れた髪と上気した頬が艶めいていた。

「お前はいつでも綺麗だが、ドレス姿は本当に美しかった。皆に見せたいような見せたくないような複雑な気持ちになる」
「はじめさんのフォーマルもすごく素敵でしたよ。スタッフさんが見とれていました」

斎藤がふっと笑い顔を寄せていくと、彼女が琥珀の瞳に少し真剣な光を宿らせて斎藤の瞳を覗き返した。

「はじめさん」
「なんだ?」
「あの時代を、懐かしいと思いますか」
「…………、」

唐突ななまえの言葉に斎藤は少しだけ驚き、動きを止めると刹那遠い目をした。

「心残りがありますか。戻りたいと、」

暫く考える風な顔をしていたがやがて、その頬に優しい笑みを浮かべ静かに首を振った。

「いや。あの時はあの時で、精一杯やったという自負がある。心残りはない。戻りたいとも思わぬ」
「本当ですか?」
「なまえの居るところが、俺の居たい場所だ」

嘘のない真摯な目の光がなまえの心を温かく照らしていく。

「何があってもどこにいても、お前を愛している」
「これからも、ずっと一緒に、」
「ああ、何度でもお前に誓う。決して離さぬ」

安心したように明るい笑顔を浮かべるなまえに斎藤は頷いて見せ、これまでにも幾度も誓った言葉を繰り返し、己の想いの全てを込めてなまえを強く抱き締めた。


2013.06.03
(3万打企画/夕葵様リク)


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