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19 閉ざした瞳  


斎藤は後の処理を全て他の者に任せ屯所への道を急いでいた。
腕の中の名前は顔色を失ってぐったりしている。

「名前……後、少しだ」

出血が止まらない。名前の上半身を抱える斎藤の隊服の左腕が血液で真っ赤に濡れている。

頼む。どうか持ちこたえてくれ。

苦しそうな息をする名前の襟元を少しだけ寛げる。
手に何か硬いものが触れ、見ればギヤマンの簪だった。

これは。

名前は斎藤から贈られた簪を懐に忍ばせてこの任務に臨んでいた。胸が熱くなる。
ずっと長い間名前の心が見えず苦しかった。口づけを交わしてさえも尚どこかで、完全に不安を消し去る事が出来ずにいた。
だが名前は共に行くと言った。斎藤に危険な任務に就いて欲しくない、とも。そして己を庇い敵の剣に斬られた。

俺にはお前の心が何故解らなかったのか。

初めて名前の強い愛情を思い知る。それと共に彼女を護り切れなかった自分を激しく呪う。

「絶対に死なせはせぬ」

間に合ってくれと祈り続けながら名前を抱き、夜道をひたすらに急いだ。



先に戻った山崎の報告により土方の手配で松本良順が待機していた。土方、斎藤だけが入室して人払いをする。

「苗字君は女性だよ。君達も出てくれるかな」
「あ? ああ、そうだったな」

土方が頭を掻きながら部屋を出ようとするが、斎藤は動かない。

「おい、斎藤」
「……は、」

完全に意気消沈している斎藤を手招いて、庭に面して開け放った縁に腰を下ろす。

「三月と言うのに、まだ風は冷てえな」
「…………」

斎藤は俯いたままで手の中の簪を見つめている。

「……お前のせいじゃねえよ」
「…………」
「ありゃ、不可抗力だ」
「……部下一人、守れずに……」
「斎藤、お前が気に病むのは部下が怪我をした事か。それとも、名前だからか」

はっと顔を上げると土方が斎藤の目を真っ直ぐに見ていた。斎藤は何も言わずに目を泳がせた。
持ってかれやがったのか、この男が。

「まあいいや、とりあえずお前、着替えてこい」



傷は三から四寸、刀傷としては大きくないが思いの外深かった。
良順は取り敢えず消毒をし圧迫止血を施したがこれでは傷が塞がるのに相当の時間がかかる。傷口が塞がらねば雑菌に侵されやすく、悪くすれば高熱が出、これが続くと命に関わる。

「土方君、ちょっと」
「どうしました」
「苗字君の傷はかなり深い。縫合をしたいと思う」
「縫合……、」
「ああ。このままでは命の保証が出来かねる」

黙って聞いていた斎藤が戦慄する。この頃の漢方医は和漢薬の処方をするくらいが関の山で、刀傷の治療も本人の治癒力に頼るところが大きかった。その為小さな傷一つで命を落とす事も稀ではなかった。
松本良順は千鶴の父親と同じ蘭学を学んだ蘭方医であり、将軍侍医になる程の技術を持っている。縫合術を行えば傷の回復は目覚しいものがあり、それは是が非でもと願いたい処置ではある。

「良順先生に任せます。名前を治してやってください」
「では、縫合をしよう」

だが手術は患者にとって想像を絶する苦痛を伴うことを彼らは知っていた。土方は背後を振り向き、硬直したままの斎藤にも敢えて確認をした。

「いいな、斎藤」
「……はい」
「ついては、助手が一人欲しいのだが」

良順の言葉に斎藤が苦痛に歪んだままの顔を上げた。

「……助手は、俺ではいけないでしょうか」
「斎藤君、さっきも言ったが苗字君は女性だ」
「…………」

では誰が、と土方も腕を組んだまま首を傾げる。

「雪村君に頼みたい」
「雪村に……」

千鶴は未だ名前を男と信じている。だがこの状況にあっては真実を明かすより他はない。もう止むを得ないだろう。時刻はもう七つ半、明け方に近い。



「千鶴、悪いが緊急の要件でお前に頼みてえ事がある。起きてくれ」

深く眠っていた千鶴は障子越しの土方の声に、無理やりに眠りから覚まされた。

「土方さん? ……なんですか、」

名前の眠る横に土方と斎藤。
そして千鶴は松本良順と向かい合っていた。

「これから苗字君の肩の縫合術を行う。そこで君に助手を頼みたいんだが」
「……はい。でもどうして私に?」
「苗字君は女性なのだよ」
「…………!」
「雪村、頼む……」

千鶴を見つめる斎藤の眼差しは懇願だった。これ程に思い詰めた斎藤の顔を初めて見た。

「斎藤さん……」

苗字さんが女性だったなんて……。その事実は衝撃だった。反面千鶴はこの瞬間これまでの全ての事柄の辻褄が合ったような気がした。
しかし今はそれを考えている時ではない。一刻を争うからこそこんな夜中に自分が呼ばれたのだろう。
千鶴は気丈に答えた。

「解りました。お手伝いします」
「君達にもやってもらう事がある。先ず湯を大量に沸かしてくれ。では始めよう」

良順が気付け薬の用意をする。今は眠っている名前だが、縫合が始まればその凄まじい激痛に目を覚ます事になるだろう。当時はまだ技術が進んでおらず麻酔とは言ってもほんの気休め程度のものでしかなかった。
千鶴は勝手場で湯を沸かし、良順の指示により縫合術に必要な器具の煮沸消毒をした。土方、斎藤は屯所中の使っていない行燈や高脚付きの照明、蝋燭を掻き集めた。
良順の手術は開始され、斎藤は最早為す術もなく廊下に立ち尽くす。

「ぅ、ぅ……うぅっ…」
「苗字さん、頑張ってください!」

名前のくぐもった呻き声と千鶴の必死で励ます声が漏れ聞こえてくる。斎藤は手を握り締め固く目を閉じ唇を噛み締めた。代われるものならば代わってやりたいと思えどもそれも叶わない。
無力な己の身を呪い絞られるように苦しい時を過ごし、小半時もすると障子戸が開いて良順が出て来た。
待ちかねたように土方が問う。

「先生、名前はどうです」
「二、三日で熱が治まれば大丈夫だろう。だがまだ予断は許さない状態にある」
「名前は……、」
「眠っているが少しなら様子を見てもいい」

斎藤は深く頭を下げ悲痛な面持ちのまま部屋に入っていった。その背を見送り、ふと良順が尋ねた。

「土方君、彼は苗字君とどういう?」

土方は薄く笑っただけで答えはしなかった。



名前は傍らに座る千鶴に手を握られ眠っている。

「雪村、礼を言う。ありがとう」
「いいえ。お役に立てたなら嬉しいです。それに私も蘭方医の娘ですから」
「そうだったな」

千鶴が名前の手を布団の中にしまい、そっと上掛けを直す。

「でも驚きました。苗字さんが……」
「名前は俺を庇ったせいで……」
「……そのこともですけど、苗字さんが女性だった事」
「隠していてすまなかった」
「この新選組に私が知ってはいけない事が沢山あるのは仕方ないことです。よく解ってます」
「雪村」
「そろそろ夜が明けますから、私もう行きますね」
「……本当に助かった」

千鶴が静かに出て行ったあと、斎藤は眠る名前をじっと見つめた。先ほど血の付いていた髪も顔も身体も今は清拭され、穏やかな寝顔である。しかしこの綺麗な顔が少し前まで生身を縫われる痛みに歪んでいたのだと想像すると、彼女を守れなかった自分の不甲斐なさにまたも苛まれる。
頬にそっと手を触れると熱い。唇の端が僅かに切れている。縫合の時は患者が激痛に歯を食いしばる為、舌や唇を噛み切らないよう布を噛ませる。彼女もそうしていたのであろうが、それでも唇が切れる程に。

「すまない。俺のために……」

同じだけの痛みを心に感じながら斎藤もまた唇を噛んだ。「名前……」答えぬ彼女の名を何度も口にしながら、斎藤はいつまでも側を離れられずにいた。


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