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18 死番  


長い口づけだった。奪い尽くすような激しさで求めた後、それは甘く切ないものに変わっていき、斎藤は名残惜しげに唇を離した。
ゆっくりと瞼を上げた名前の瞳は先程の涙のせいか潤んでいる。頬を上気させ見上げる瞳は切なげだった。

決して俺を疎んじていたわけではない。

確信した斎藤は片手で彼女の腰をしっかりと抱いたまま涙の跡を指で拭う。彼の顔もほのかに赤らんでいた。

「すまない、抑える事が出来なかった」

名前は何も言わずにただ斎藤を見つめている。その目を見返し、もう引き返しはしないと斎藤は思った。

「名前を誰にも渡したくない。お前の気持ちを知りたい」
「…………」

私も。
濡れた目に真っ直ぐに見つめられ幾分照れた斎藤は目元を赤くし、見られぬよう名前の額に自分のそれをそっと当てる。斎藤は彼女の髪を撫でながら頬を緩めた。

「……私……は、」
「いや、やはりいい。……今はこうしているだけで十分だ」
「斎藤さん……」
「だがいつか必ず話してくれるな? お前の抱えている事を全て」

名前は目を見開いた。斎藤の綺麗な碧玉色の瞳が覗き込んできた。

彼は気づいている。私の想いも、私が何もかもを明かせずにいる事も。

「俺にはお前の全てを受け止める覚悟がある。だから、待つ」

想う人からのこれ以上ない慈しみに満ちた言葉を、拒める者がいるのだろうか。頬を新たな涙が伝ってくる。真摯な瞳を見つめ返しこくりと頷けば、斎藤が両手で抱き締めて優しく背を撫でる。

「もう泣くな。いつまでもこうしていたいが、そうもいかぬ」

最後にもう一度触れるだけの口づけをすると斎藤は少し残念そうな顔を見せ、名前を伴い寺の門へと向かった。



人目を忍んで歩く山崎は五条通に出ると東へ向かう。
堀川通りまで戻り同じく監察方の隊士と擦れ違いざま鋭く眼だけで頷き交わし、双方反対方向へ歩き去る。山崎はその足で屯所へと戻った。
亥の刻、副長執務室には土方を初め幹部が居並んでいた。

「六角獄舎近くの民家か」
「子飼いの目明しの情報です」

山崎の偵知の結果を聞くなり土方が幹部連中を見廻した。土方の視線が斎藤に留まると、その目明かしをよく知る斎藤が静かに同意を示す。

「間違いないでしょう」
「間取りは確認済みか」
「抜かりなく」
「明後日だな?」

永倉や原田はまるで行事を前にした子供のように楽しげに笑い合った。

「見廻組はせしめる扶持だけは立派だが、全く使えねえな」
「いいじゃねえか。美味しいところは俺達が頂けば」

京には新選組の他に幕府直轄の京都見廻組という治安維持組織が存在していた。しかし見廻組は守護職、所司代、町奉行所等諸機関からの通達に対し迅速さを持たない。つまりはお役所仕事である。
会津藩預かりである新選組はこの点身軽であり行動は常に素早かった。非正規扱いの武装組織故に独自の監察による諜報、目明しによる自由な情報収集を行った上、自ら積極的に市中に潜む過激尊王派を燻り出しこれを捕縛する事も得意とした。
六角獄舎には過激派浪士が多数収監されている。これを取り戻すべく獄舎を襲撃する計画であるらしい。
元より会津藩に対し深い恨みを持つ長州の人間にとってみれば新選組は憎悪の対象である。言うまでもなく危険な捕り物になる。

「土方さん、どこの組を出すつもりですか。今度は僕に行かせてくださいよ?」
「お前、身体は大丈夫なのか」
「勿論ですよ」
「ならいい。切り込みは一番組、三番組」
「御意」

斎藤が短く答え、沖田はニヤリとして見せ「任せてくださいよ」と真顔で答えた。土方が斎藤と沖田を交互にゆっくりと見据えてから続ける。

「他の組は裏口、庭、門外それぞれ固めろ。山崎、お前らは屋根だ」
「承知しました」
「うわー、俺、久々で腕が鳴っちまう」
「平助、今度は池田屋みてえなヘマはするなよ?」
「ひでえ!」
「そうだぜ。ぶっ倒れたお前を運ぶのは大変だったんだからな」

軽口を叩く三人組の目ももう笑ってはいなかった。



早朝稽古を終え汗を拭う名前に斎藤が唐突に言った。

「名前、明日は隊務を休め」
「は? 何故ですか」
「明日は、都合が悪い」
「斎藤組長のおっしゃる意味が解りません」
「何でもいい。とにかく休め」
「でも……、」
「命令だ。明日は隊務に出るな。わかったな」

斎藤は訝る彼女に有無を言わせぬよう声を強めて言い捨て、表情を固くしたまま歩き去った。
翌日。昼餉を済ませ道場に向かおうとする名前の耳に、廊下の陰からひそひそと話す声が聞こえてきた。
三番組隊士である。
三番組は夜の巡察当番に当たっていた。
名前は斎藤に休めと言われたが、もとより休むつもりなどはない。声をかけようと近寄りかけて足が止まった。

「なんで今夜なんだよ……」
「気持はわかるけど、そんなに落ち込むなよ、」
「やっと好きな女と想いが通じたばかりなんだ。それなのに……なんだって……俺が今夜、死番なんだ」

嘆いているのは松木という隊士だった。
死番。
それは有事に一番に突入する所謂切り込み隊の事で、幹部のような熟練の剣豪はこれを恐れる事はないが、平隊士達にとっては隊務の中で一番付きたくない役割だった。何しろ危険が伴う。だからこそ死番という役割名がついていた。一隊につき五名一組で日替わりの回り持ちとなっており、体調不良以外に拒否権はない。拒否は士道不覚悟となる。
名前は死番に一度も当たった事がなかった。斎藤の裁量だったのだろうか。実際彼女が入隊してから大きな捕り物はなかったので、これまであまり気にした事もなかった。
今夜は捕り物があるらしい。斎藤が休めと言った理由を今やっと理解できた。
考えるより先に足が動き声を発していた。

「松木さん。私が代わります、死番」

突然横合いから出てきた名前に、そしてその言葉に、松木が口をぽかんと開ける。

「苗字君、何を言ってるんだ?」
「私には身寄りもありませんし、松木さんみたいに待っている人も……」

脳裏に斎藤が過る。

「……待っている人もいませんから大丈夫なんです」

もう一人の隊士がおずおずと言った。

「そんな、死番を代わってもらうなんて、切腹ですよ」
「急に体調が悪くなればいいんです」
「斎藤組長が許しませんよ」
「いいえ、説得します。とにかく私が行きます」

名前の気迫に飲まれ、二人は黙る。



暮れ六つには全隊の準備が整っていた。監察の六名は既に付近に潜んでいる筈だ。あと半時程待ち暗くなってから全ての組が別々に出動、別の場所で待機ののち近在の者に気づかれぬよう粛々と現場に赴く。
三番組は元屯所を置いていた八木邸近くの民家の二階を借りて待機した。斎藤は家主と話した後、階段を上がる。

「…………!」

そしてそこに居る筈のない名前を認め驚愕した。隊服を羽織り鉢金を締めた彼女がいる。

「お、お前は……、何故!?」
「少し、こちらへ」

斎藤の顔色を見て取ると、名前が先に立って素早く廊下に出た。

「何故来たのだ?」
「組長、大きな声を出すと中の人に聞こえます」
「松木はどうした」
「食傷です。とても動けそうな状態じゃなかったので私が来ました」
「そのような報告は受けておらぬ」
「朝から幹部の方々は忙しく、報告出来る状態にありませんでした」
「お前は、これがどれほど危険な任務か解って、」
「勿論解っています」
「解っていて来たのか? 俺が昨日言った事を忘れたのか?」

激昂し瞳を蒼く燃え立たせながら斎藤が詰め寄るが、名前は怯まなかった。譲る気のない名前に、斎藤の顔が苦悩に満ちる。

「お前は此処に留まれ」
「嫌です」
「名前!」
「しっ! 中に聞こえます」
「名前……、俺はお前を危険な場所に連れて行きたくない。何故解らぬ?」
「同じです、私も」
「何?」
「斎藤さんがどんなに優れた剣客でも、危険な任務には就いて欲しくない……、同じなんです」

その言葉にいっとき虚を突かれたように斎藤は目を瞠った。

「あなたと一緒に行きます」
「名前」

刹那、泣き笑いのようにその端整な顔を歪めた斎藤は、名前の腕を取り柱の陰へ身を隠すようにしながら、その身体を引き寄せた。力一杯抱き締め、首元に顔を埋めてその肌に唇を触れる。

「お前は……」
「はい」
「何故……お前は」

それ以上の言葉が出ずに途切れた。ただ痛いほどの想いがこみ上げてくる。名前がそっと斎藤の胸を押して瞳を見つめた。
あなたがいれば何も怖いものなど無い。
名前の瞳にあるのは確かな信頼だった。彼女の強い決意を知ると、斎藤にはもう止めることが出来なかった。

「……わかった。その代わり約束してくれ。俺から決して離れるな」
「はい」

斎藤の瞳にも揺るぎない愛情が満ちていた。名前の身体を斎藤はもう一度強く抱きしめた。



子の刻、突入する。
押し殺した声で「行くぞ」と告げた斎藤と沖田、死番の五名ずつ計十二名が抜刀し、件の民家の表戸を開け放ち雪崩れ込んだ。勢いに外れる戸を蹴り飛ばし、バタバタ倒れるのを踏みつけて内部へと進む。その他の隊士達も続々と後に続く。
原田隊は裏口、藤堂隊は門を固め、永倉隊は縁から飛び出して来る敵に備え庭で待ち伏せた。山崎達は天井からの脱出を防ぐ為、屋根板を剥がす。一人たりとも逃がさぬよう鉄壁の布陣で民家を囲った。
斎藤と沖田が先頭に並び立つ。低いがよく通る厳しい声で三番組の組長が口上を述べた。

「新選組だ。中を改める。何処の藩の者か名乗れ」
「素直に吐かないと殺すよ?」

突然の乱入を受け密会中の浪士達が色めき立ち、脇に置いた刀を引き寄せたが、車座を新選組が速やかに取り囲む。

「手向かいする者は斬る」
「くそっ!」
「捕まえろ」

酒が入って油断していた浪士達を次々に捕縛していく。しかし全てが黙って言うなりになるわけもなく、腕に覚えのある者は刀を抜き応戦の構えを取った。

「殺すな、捕縛だ!」
「生ぬるい、なあっ!」

沖田がニヤリと口端を上げ向かってきた敵の刀をすいと払う。再び斬りかかってくるのを狙いすまし、凄まじい殺気を放ちながら三段突きで右胸部に打ち込んだ。それを皮切りに激しい乱闘となる。

「名前、離れるな!」

斎藤は名前に目をやりながらも眼前の敵を薙ぎ払い、二人目の最初の太刀の切っ先を刀の鍔近くで受け止めた。しばらく競り合いながらすり上げざまに斬りつけ、電光石火の如く返す刀で斬り倒す。

「近くにいろ!」

叫びながらまた直ぐに次の敵を迎え討つ。名前は斎藤の背に自分の背をつけるように立ち、抜き身を構えた。間合いを詰めて来る敵を睨みつけ距離を測る。
敵の数を数え一人に対し二、三人で当たると素早く計算をすれば横合いから死番隊士が応酬し、敵が怯んだところを鮮やかな刀さばきで右上から袈裟がけに斬りつけた。血脂を振り切り背後を振り返りざまに、立ち上がろうとした男を峰打ちで沈めた。

「諦めろ」

半時待たず、倒れて呻く浪士達の上に斎藤の冷ややかな声が響く。
そこへ原田達が入ってきた。

「片付いたか?」
「出てきた奴らは一網打尽に捕らえたぜ」
「あっという間だったな」
「全員、連れて行け」

名前の無事を真っ先に目で確認した斎藤の気が僅か緩んだその時、倒れて伏した男が彼の背後ににじり寄るのが名前の目に入る。

斎藤さんっ!

ゆらりと立ち上がる浪士の刀が鈍く光った。名前は声を上げるより先に駆け寄って、夢中で斎藤の背中に腕を伸ばし抱きついた。

「………っ、」
「名前!」
「名前ちゃん!?」

斎藤の背に縋りついた手が力を失いずるずるとその場に沈んでいく。必死で抱きとめる斎藤の腕の中で、皆が自分を呼ぶ声が聞こえた。
名前の浅葱色の左肩がみるみる血の色に染まっていく。

斎藤さんは……無事かな……

「名前!」
「斎藤……さ……」
「名前……!」

斎藤が血を吐くような声で彼女の名を叫びながら、剥ぎとった襟巻きで刀傷を強く押さえる。しかし真っ白いそれは瞬く間に深紅に染まっていった。

斎藤さん、無事で、よかった……

「名前、しっかりしろ!」
「くそっ!」

斬った浪士は力尽きて床に倒れ伏し、既に虫の息だった。しかし鬼の形相をした原田が怒りと憎しみのこもった槍で容赦なく上から貫いて絶命させる。

「名前……、」

瞼が重くなりやがて閉じられ、意識が遠のいていく。彼女の唇は薄い弧を描いていた。
このまま死んでも、私は後悔しない……。

「屯所に戻る!」

激しい胸の痛みに耐えながら斎藤が名前を抱き上げた。


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表紙 目次



MATERIAL: 精神庭園 / piano piano / web*citron

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