He is an angel. | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

20 彷徨いの果て


いつ何時でも感情を巧みに隠し、凪いだ海の様に静かだった蒼い瞳が、業火の如く憎悪を滾らせている。顔を上げた斎藤を目にして、左之は背筋からゾクリと冷たいものが這い上るのを感じた。短くない付き合いだが、これ程に激高した斎藤を見たのは初めてだ。
取り敢えずここでは目立ち過ぎると、腕を引きアパートの鉄製の階段の陰へと場所を移し、声を潜めた左之が心苦しげに口を開く。

「悪かった。俺が雪村千鶴を逃がさなければ、」
「……何処だ」

握り締めた拳が小刻みに震え、地を這う様な声が低く絞り出される。
鋭い眼光を湛えたまま左之に合わせた視線は、今にもその鋭い爪を立ててきそうに猛っていた。

「連れて行け」
「風間のヤサか、」
「何処だ」
「それが俺もまだ聞かされてねえ」

風間の居場所を把握していないのは嘘ではない。
顔を歪める左之から目を離した斎藤は、奥歯をきつく噛み締めて天を仰ぐと、渾身の力で左拳を鉄階段の手摺りに打ちつけた。
鈍い音を立てて真っ直ぐに拳の突き刺さったそこは薄っすらとへこみ、斎藤の左中指の第二関節がパックリと割れて、指先を伝った血がポトリと地面に落ちた。
左之が目を剥いて声を荒げる。

「おいっ、落ちつけよ!」
「俺が、もっと……、」
「斎藤、」
「何も気づかずにあの電話をただ聞いていた。俺がもっと気をつけていれば……」

地面に吸い込まれる血液はまるで斎藤の涙のようで、慟哭するかのような咆哮に左之は成す術もなく、本当に涙を流しているのかと肩に手を掛けようとすれば、顔を上げた斎藤は乾いた瞳で掠れた声を漏らした。

「だが決して風間を逃がしはしない」

なけなしの冷静さを取り戻そうと、斎藤が一度目を閉じる。
手掛かりがない。だが、考えろ。先ずはどうするべきなのか。
平助の所へ?
左之が着ていたTシャツの裾を引き裂いて、止血の為に斎藤の左手にきつく巻きつけた。

「平助は千鶴を擁護している公算が高いぜ」

左之が斎藤の心を読んだかのように口にした言葉に絶望する。
平助は千鶴に本気で惚れていたと言う。ならば、どうすればいいのだ。なまえは一体どこにいる?
考えも纏まらないまま、とにかくなまえのオフィスに向かおうとしたところ、斎藤と左之の目の前に大きな羽音を立てて男が降り立った。

「総司? お前どこから、」
「はじめ君が悪いんだよ?」

左之には答えず斎藤の目の前に立ち、醒めた目で見つめた。
そしてゆっくりと皮肉な笑みを滲ませる。

「どういう意味だ?」
「せっかくいい事を教えてあげようと思ったのに、僕を邪魔にするから」
「何?」
「説明は後で。さっき僕を信じられないって言ったよね。ついて来るのも来ないのもはじめ君の勝手だけど、僕は行くよ」

言い終わらないうちに再び飛び立つ総司に一瞬の迷いを見せた斎藤は「今は考えている場合じゃねえだろ?」と左之に促される。
確かにそうだが、斎藤にしてみればこの二人が自分に加担しているのかそうでないのか、確証などはどこにもないのだ。
しかし何の情報もない中を闇雲に動いても、どっちみち成果を得るのは困難だ。
今は信じるしかない。藁にも縋る思いだった。

「先に一つだけ教えとく。僕はね“なまえちゃんがリリスじゃない事”の裏を取る為に来たんだよ」





いつもの余裕をすっかり失い、ギリギリと歯噛みする。
風間は現在居所にしているタワーマンションの奥まった一室で、後ろ手に縛られた平助を金色に光る鋭い視線で睨みつけながら、壁を蹴り飛ばした。
高品質のクロスもその裏の石膏ボードも、磨きたてられた革靴の尖ったつま先には一溜りもなく、無残にへこみを作った。
上手く操っていたつもりだった千鶴もこの男も、己の思い通りに動かなかった。
普段は甘ささえ含む低音が抑え切れない苛立ちを滲ませ、平助の後頭部の髪を掴み上げる。
平助は口を固く結んだまま、風間を睨み返す。
その横面を張り倒した。

「俺が優しくしているうちに正直に吐いたらどうだ?」
「風間。脅しても無駄でしょう。この男は本当に知らないようです」

近くに控えていた天霧が、静かな声で口を挟む。
これ以上の拘束は無駄だと、その口調は告げている。

「痛い目を見たら思い出すかもしれん」
「知らねえもんは知らねえんだよ。まあ知ってたとしても、千鶴の居場所を教える気はねえけどな」

口内が切れて少量の血を口端から垂らしながら、目を逸らさずに平助が言い放った。
その瞳は風間と同じくらいの鋭さを保っている。
実際に千鶴がなまえを連れて何処に潜伏しているのかを、平助は知っていなかった。
風間の責めがこの程度では終わりそうもないと悟ると、かえって知らされなくてよかったくらいだと平助は薄っすらと笑う。
その表情に苛立ちをますます煽られ、激昂した風間は平助の顔面を靴裏で蹴倒した。
平助は勢いで半身を倒したが、倒れたまま笑いを止めるどころか、腫れ上がった顔面を歪めてさも可笑しそうにまた笑った。

「その顔は何だ。何が可笑しい」
「気の毒な奴だなお前」
「貴様……!」

風間の髪が憤怒の為に真っ白に染まり始めた時、大きな音を立て不知火が部屋に駆け込んできた。

「おい危険だ。あいつが来てるぜ」
「……あいつとは斎藤か。今は何の力もないあの虫けら以下に、この結界が簡単に破れるわけなど、」
「単独じゃねえよ。他の奴らも一緒だ」





これまでに感じた以上の妖気を放つ巨大なタワーを前にして、斎藤は身体の芯から沸き起こる闘志に唇を震わせた。
ここになまえが居るのか?
張られた結界は、簡単に破れそうもない。
左之が苦笑いをする。

「随分と厳重に鎧を被って隠れてるんだな」
「これはちょっと時間がかかるね。いいや、僕らがやるよ。はじめ君は奴らが逃げ出さない様に見張ってなよ」
「しかし、」

結界を破る作業は想像を絶する体力を要する為、その後の風間との直接対決を見越しての提言だった。
総司が早速機敏な動きで聖剣を振るい始め、左之も全身で力任せに突き立てる。
衝撃音と共に強力な電磁波が、ビリビリと空気を震わせる程の振動を起こした。
小さな輪が徐々に広がるように、空気中に波紋が起こっていく。
先刻、恐らく斎藤に情報を告げに来たであろう山崎と小競り合いまがいの事をして、追い返してしまった事に流石の総司も若干の後ろめたさがある。
また左之も、恋に浮かれて本来の任務を疎かにしてしまった負い目を多少感じていた。

「総司、その……先程の、なまえがリリスでないと言ったのは……、」
「ああ、あれね。山崎君も奔走したみたいだよ。つまり本物のリリスが他にいるってこと」
「実は俺も風間と千鶴が一緒にいたって情報を得たんだけどな。伝えるのが遅れて悪かった」

斎藤の瞳が見開かれる。
剣を構え辺りを注視しながらも、火花を散らして結界の壁を打ち破り続ける二人を見遣り、これまで意識した事のない、仲間という感覚が斎藤の胸の裡に込み上げてきた。
恋に囚われ取り付かれていたのは己である。
斎藤のその想いが起因して全てが始まった。
天界を追われてもいいと思っていた。
全てを敵に回してもなまえに全てを掛け、己が護るのだと驕っていた。
思い上がった己の方こそを恥じるべきだったと、彼は唇を噛み締める。

「俺とて警戒を怠った事は同じだ。あんた達を責める権利など、俺には……、」
「そんなこと別にどうでもいいよ。僕ははじめ君に消えてもらいたくないだけだから」
「総司、」
「だってはじめ君みたいに弄りがいがあって面白い人、他に居ないでしょ」
「ははっ、だな、」
「…………、」

斎藤の緩みかけた頬が引き攣り、同調して豪快に笑った左之に横目を走らせてから無言で総司に向き直ると、その左手に持った聖剣が角度を変えて鈍く光った。切っ先が総司の方を向く。

「お、おいっ、斎藤、」
「ちょっ、はじめ君! 余計な物斬ったら風間を斬れなくなっちゃうよ?」
「…………それより開いたぜ?」

左之の声に、斎藤もぽっかりと開いた結界の裂け目を見た。
まだ人一人通るには狭すぎる小さな穴だが、もう少しで通り抜けられる。
この向こうになまえは居るのか?

「ほんとだ。開いたよ、はじめ君」
「ああ……、開いたな」
「後、少しだ、」
「いや、左之。もうこれでいい」

尚も斬りつける左之を制すると、斎藤は頬の筋肉を更に引き締めた。
再びギラギラとした光を宿らせた瞳で、一度二人を振り返ってから裂け目の向こうの敵を睨み据える。

「時間が惜しい」
「気をつけろ、斎藤」
「僕らも援護する」
「ああ。行くぞ」

左手を高く上げて掲げた聖剣は、月の光もない闇夜に斎藤の魂が乗移ったかのように自ら発光し、その刀身を震わせた。
彼の全身全霊を込めたそれは、まるで妖刀だ、と左之は思う。
火花を散らしながら斎藤が決壊の裂け目に飛び込んで行った。


This story is to be continued.

prevnext
RETURNCONTENTS


The love tale of an angel and me.
使



MATERIAL: blancbox / web*citron


AZURE