He is an angel. | ナノ
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15 快晴のち曇りそして雨?


浅い眠りの中で温かな手の感触を感じた。
それは私の頬に触れ、髪を梳くようにゆっくりと動き、この上ない安心感をもたらす。
眼を閉じたままその優しい感触に身を委ねていれば、思い煩う事などもう何もないように思えた。
時々耳元で囁かれる小さな小さな声。
繰り返される私の名前。
この優しい時間にずっと身を任せていたい――。
頬に触れる温かく柔らかいものが、また私の名を呼んだ。
ぱちりと眼を開くと、これ以上ない程慈しみに満ちた瞳が私を見ていた。

「なまえ、」
「…………、」
「おはよう」

右手で頬杖をつくようにして、左手が私の髪を撫でていた。
大好きなはじめさんが目の前で私を見ている。
彼の顔の右側からはらりと落ちてくる長い髪が、私の首筋に柔らかくかかっている。
この幸せに再び閉じてしまいそうな瞼を押し上げて見つめ返した。

「よく眠っていたな」

あっ。
寝顔を見られてたんだ。
こ、こんな近くで。
瞬間的に私の顔に物凄い熱が上がる。
幸せを感じる反面、何とも言えない恥ずかしさが上って来て目を逸らせば、私の脳味噌が私を現実に戻した。
窓の外がかなり明るい。
右サイドの目覚まし時計に眼を遣ろうとすると、

「まもなく7時だ」

はじめさんが言った。
起きて会社に行かなきゃ。
半身を上げようとすれば、名残惜しげに引き留める腕に包まれた。

「あと5分だけ」
「はじめさん……、」

その愛おしい背中に私も思わず腕を回す。
求めていた人。
胸に顔を埋めれば、はじめさんの香りが優しく鼻腔を擽った。
私だって出来るならこのまま、はじめさんのぬくもりに包まれていたいよ。
顔を押し付けたまま、自然と想いが唇から零れてしまう。
くぐもった声が彼の胸に吸い込まれていく。

「……はじめさん、大好き」
「…………っ、そ、それは、なまえ……。俺を試して居るのか」

腕の力を強めて耳元に問うはじめさんの声が恨めしげで、それがとても可愛らしくて私は思わずふふっと笑ってしまった。

「俺の忍耐を、試す気なのか?」
「違うよ。好きだから好きって言いたいだけ」

くすくすと笑う私を胸から引き剥がして目を合わせると、彼の切なげな蒼い瞳が訴えるように揺れる。

「あんたは存外意地悪だな。そんな事を言われたら、……離したくなくなるだろう」
「だって、大好……、んっ……」

き、まで言う前に彼の唇が私を塞いだ。
あの夜を思い出す。
狂おしい口づけを受けたあの夜。
でもあの時は言葉にして言えなかった。

「俺も好きだ、なまえ。もう離さない」
「……ん……、」

吐息さえ奪い尽す程の情熱的なキスの合間に、唇をほんの少し離して囁かれる声は私の心の中心を震わせて、この先何があっても絶対この人から離れずにいようと思わせた。


昨夜からの一連の出来事で朝食の用意も出来ぬまま、それでも出勤するというなまえの腹に何か入れねばならない。
昨夜左之達が使ったキッチンは雑然としていて、片付けねば調理も出来ない有様であるが、そう言えば出汁を入れておいた筈だと冷蔵庫を見ると麦茶ポットの中身は3/1程に減っていた。
うどん玉もない。

「うどんを作ったのか?」
「昨日、左之さんと、」
「…………、」
「部屋に入るなりお腹空いたって言われたから、」

顔を洗って洗面所から戻るなまえに声をかけると、彼女は悪びれなく頷いた。
左之は料理などしないであろうから、俺の取った出汁でなまえが作ったのだろう。
彼女の作ったうどんを啜る左之の図が急に頭に浮かび、思わず渋面を浮かべてしまう。

「あの……、いけなかった?」
「いや、」

自身の顔面のこわばりを感じて、俺という男は嫉妬深いのだな、と気づく。
なまえの笑顔を俺以外の誰にも向けて欲しくないし、なまえの手に成る料理を他の男に賞味させたくない。
正直な気持ちだ。
苦笑が漏れる。
女に惚れたこと自体が初めてなのだから、このような感情も無論初めてだ。
種々な意味でなまえは俺に新鮮な感覚を教える。

「少し、面白くはないが、」
「ごめんね?」

不安げな表情をしてちらりと冷蔵庫を覗き、俺を見上げてくるなまえが愛しくて、思わず手を伸ばし引き寄せかけるが

「ま、待ってはじめさん。もう時間が……、あっ、サクランボがある、それ食べて行く」

逃れて行くなまえに再びの苦笑を禁じ得ない。
サクランボが、それと同じ色の唇に消えて行くのを見つめながら、その唇をもう一度食みたい欲望を何とか耐える。
時計を見遣り慌てて家を出る彼女を見送り、俺も出かける準備をする。





朝礼で千景さんが上層部の意向によりプロジェクトを外れたと、上司から聞かされた。
続いて平助君の辞職の発表がある。

「風間君に続き、藤堂君もこのプロジェクトが終わり次第、退社することになった。優秀な人材が欠けるのは非常に残念ではあるが……、」

え、平助君、会社辞めるの?
訝しく思い彼を振り返ると、プレゼンにクライアントのところへ出かけようとした平助君が声を掛けてきた。
昼食を一緒にすることになり、先日のパスタ屋で待ち合わせた。
昼休みになって、いつものように混んだパスタ屋に入っていきキョロキョロと探せば、奥まった席で手を上げる平助君を見つける。

「あれ、千鶴は一緒じゃないの?」
「千鶴にはまだ聞かせたくない話なんだ」
「?」

少し緊張しながら、この間の海老のことがチラリと頭を掠める。
千景さんの事も関係しているのかな。

「俺がはじめ君と同じってことは、……もう解ってる、よな?」
「薄々は解って来たよ。平助君も人間界に潜入してたってことでしょ」
「うん、まあ。左之さんのことも解ってるだろ?」

昨夜から今朝にかけてだけでも、休む暇もないほどに巻き起こるめまぐるしい出来事の連続に、私の心はもうちょっとやそっとのことには驚かなくなってきている。
千景さんが現れた時の状況を思い出せば、平助君も左之さんと一緒に何か武器みたいなものを手にしていた。
普通の人間の出来ることじゃないもの。

「千景さんも人間じゃないよね? あの人は何なの?」
「奴の事はずっと気づかなくて、俺らも不覚だったんだよな」

千景さんはルシファーなのだと、平助君が言った。
ルシファーって、何それ、つまり堕天使。
悪魔?
さすがにそれには驚いた。
そんなの、神話とかゲームとかでしか知らなかった。
現実に存在するものだとは思えなかった。
でもそうだとしたら、あの夜の千景さんの姿も行動も納得がいく。
よく考えてみれば目の前にぞろぞろと現れた、天使たちだって同じ事だ。
少し前までは天使やら天界やら、そんなの架空のものだと思っていた。
それなのに気がつけば私は天使のはじめさんと恋に落ちちゃったんだから、もう私の想像をはるかに超えた出来事だって受け止める免疫が出来て来るってものだ。
千鶴にはまだそのことを説明していないらしいので、千鶴抜きで私が呼び出されたということらしい。
でも、このことをどうして平助君が私に話すのだろう。
はじめさんに頼まれたのかな。
話に耳を傾けていた私に、続いて聞かされた内容は、飲み込むのに時間がかかった。

「問題なのはさ、はじめ君が天界で今危うい立場に立たされてるってことなんだよな」
「え……? それ、どういう……、」
「つまりさ、なまえをさ、はじめ君が好きになっちゃった事が、」
「…………え、」

意味がよく理解出来ない。
だけど、そこに私の事をどこか否定する響きがあることだけは、本能で解った。
その時、絶句する私の肩が強い力でぐいと引き寄せられ、驚きのあまり身体を固くする。
私の眼に映る平助君は私以上に、戦慄を見せていた。
それは恐怖とも取れるような衝撃を受けた表情で、大きな目をこれでもかと見開き、私の背後に釘づけになっている。
固まったままの私の耳に聞こえてきたのは。

「どういうつもりだ、平助」

地を這う様な、低く底冷えのする声だった。
私の肩を抱いているのははじめさんの腕で、弾かれたように振り返り仰ぎ見ると、彼の瞳が憎悪を込めて平助君を一直線に刺し貫いていた。
わなわなと震える平助君が必死の形相で声を押しだす。

「……お、俺はっ! ただはじめ君のことが心配で」
「お前の心配など無用だ。なまえに余計な事を吹き込むな」
「だ、だけど……、さ、」

明らかに怯んだ目をした平助君が弱々しく答えたけれど、はじめさんの凍てつくような低温の声は聞く耳を持たない。

「なまえを貶める者は例えお前であろうとも俺の敵と見なす」
「…………、」

以前千景さんを睨みつけた時と、遜色ない程に冷たく平助君を見据えるはじめさんの瞳に、私は驚愕した。
だって、はじめさんは平助君の敵なんかじゃなかった筈。
むしろ。
千景さんに一緒に立ち向かう仲間じゃないの?
はじめさんは、どうして。

「それを忘れるな。なまえ、行くぞ」

呆然としている私の疑問はそのままに、彼に腕を回され立たされた。
平助君をその場に残し、はじめさんに連れられて外に出た。
されるがままになりながら、さっき聞いてしまった平助君の言葉が、新たな疑問となって私の頭の中を駆け巡る。

はじめ君が天界で危うい立場に立たされてるってことなんだよな

なまえをはじめ君が好きになっちゃった事が

どういうこと?
どう頭を捻って考えてみても、この言葉はいい意味じゃない。
はじめさんが私を好きになった事は、そしてきっと、私がはじめさんを好きになったことも。
きっと、良くない事なんだ。
肩を抱かれて無意識に足を動かしていた私は、不意に立ち止まったはじめさんに強く抱き締められた。

「すまない、なまえ、」
「…………、」

そこがオフィス街の真ん中であるとか、行きかうサラリーマンやOLさん達が見ないふりをしながら実はしっかり横目で見ていたとか、そんな事は頭からすっかり飛んでしまい、私は力なくはじめさんの胸に抱きすくめられていた。


This story is to be continued.

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The love tale of an angel and me.
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