He is an angel. | ナノ
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14 恋は全てを凌駕する


暫し仮眠をとった明け方、平助が千鶴を起こして帰って行った。
少しの時間でもベッドを使った千鶴は思いの外しっかりと立って歩き、逆に平助を支えるようにして玄関を出ようとする。
千鶴はもちろんのこと、辞職することになるにしても翌日の月曜日は、平助も出社しなければならない。
それが人間界の掟というものだ。

「後片付けもしないでごめんなさい、」
「いや、構わねえよ」
「なまえの彼氏って、左之さんなのかと思ってました」
「残念だが違うんだな」

千鶴の言葉にドキリとして曖昧に笑う。
千鶴はこの二日間の出来事の詳細は何も知らず、なまえの家に彼氏が同居し始めたとだけ平助から聞いていた為、その勘違いは至極当然の事だ。
千鶴は他者の事を詮索する性格ではない為根掘り葉掘り聞きはしなかったが、平助から聞いた範囲ではなまえの彼氏は斎藤という名であり、目の前の男性は左之さんと呼ばれている。

「だから、なまえの彼氏ははじめくんだって。昨夜はじめくんがなまえのこと迎えに来てさ」
「なまえが何も言わないから、知らなかったんだもん」

目が覚めて見ればなまえ独りがこの場におらず、恋人と一緒に外にいるらしいという腑に落ちない状況で、何か深い事情でもあるのかとさすがの千鶴も困惑した顔に疑問を浮かべていたが、問う事を躊躇していた。
そもそも二ヶ月ほど前に恋人と別れたと聞いて以来、新しい恋人がいたというのも同居する程の関係というのもどうも解せない。
おちゃらけていて軽い平助だが、彼は他人の噂や事情をペラペラ喋ることはしない。
そういうところは男らしく筋は通っているので、千鶴は平助をやっぱり好きだと思う。

「いろいろ聞きてえ事はあるだろうがな、今は俺らの口からは言えねえんだ、わりいな」
「いえ、」
「千鶴。平助のこと頼むな、」
「子供扱いすんなよ、左之さん、」

口を尖らせながらも、睦まじく千鶴に腕を預けて出て行く平助の後ろ姿を、眩しげに見つめた。
千鶴と平助が出て行ってからも、左之はなまえの監視役がある為に、立ち去りたい気持ちを抑え鬱々としながらもその場に留まっていた。
斎藤が戻って来る事を望む自分と、このまま二人でどっか行っちまえよ、と思う自分との間で揺れ動きながら、ソファに横たわり天井を眺める。
昨夜戻らない筈の斎藤が、なまえを風間から奪い返す為に現れたという事は、土方さんの命に背いて降りて来たのではないか?
今までの斎藤にはなかったことだ。
仲間としてこれまでやってきた斎藤を彼は認めているし、彼の惚れた人間みょうじなまえと僅かの時間を過ごし彼女のひたむきな想いに触れ、彼の気持ちが解るような気がした。
天界であろうと地上の任務の時であろうと、女に不自由した事はない。
だから女の事で苦しんだ経験など無論一度もない。
いつだって楽しく面白おかしくやってきた。
紳士的でありながら気さくな左之は、そのビジュアルも相俟ってそれはそれはもてる。
そのせいか彼は心から一人の女を求めた事などなかった事に気づく。
斎藤のように。
あんなふうにてめえの命を張ってもいいほどに、望んで求めるというのはどんな感覚なんだろうな。
唯一つ解るのは、命懸けで惚れた女を腕に抱く至福が、今の自分には絶対に解らないものだと言う事だ。
頭の後ろに回した腕が自分の頭の重みでじわじわと痺れて来る。
ふいにベランダで物音がしたかと思うと、窓ガラスが開いた。
飛び起きる。

「斎藤、」
「左之、心配をかけた。すまなかった」

眠るなまえを腕に抱いた斎藤が、静かに部屋に入って来た。
迷いのないその瞳はいっそ清々しい程に澄んでいて、左之は微かに痛みを滲ませた目で彼を見返す。
その足でソファに居る左之の前を通過し寝室に向かうと、ベッドカバーを捲って慣れた手つきでなまえをベッドに寝かせた。
先程其処に居た千鶴が綺麗にベッドを直して行ったのだ。
よほど疲れているのかなまえは目を覚ます気配がない。
ソファの背に身体を凭れるように振り返ってその様子を見ていた左之が、珍しい物を見たような声で言う。

「お前……、意外と手慣れてるな」
「…………」

なまえの身体にシーツを掛けてやりながら、斎藤の頬がみるみる染まった。
こいつのこんな顔を見るのは初めてだ。
左之がベランダの方向を顎でしゃくる。

「なんでこっちから帰って来たんだ?」
「……それは、なまえが靴を履いていなかったから、だ」
「なるほど、ね」

左之から目を逸らしますます赤く染まった顔を俯けて、斎藤が小さな声で答える。
風間にどこまで飛ばされていったのかは知らねえが、ずっとなまえを抱き締め続けていたんだろうな。
ほんの刹那のランデヴー。
眠るなまえを見つめる斎藤の瞳は愛情に溢れて見えた。
こんな顔も見た事がない。
いつだってただ命に忠実に任務を遂行する。
そこには一切の私情を挟まない。
その時のこいつの目は猛禽類を思わせるような、一種の冷酷さすらあった。
無表情で感情の読めなかった無愛想なこの男が、まるで別人のように穏やかな目で愛しげに女の寝顔を眺めている。
今、心底こいつを羨ましいと思っている。
斎藤の横顔を暫く見詰めてから左之は立ち上がった。

「監視は、」
「…………、」
「いや、こいつを守るのはお前でいいんだな?土方さんと話がついてるなら俺は行くぜ?」
「話は、……ついていない」

まあ、そうだろうな。
斎藤の言葉は予想通りだった。

「己の方から天界と敵対する気は無論ない。なまえを風間から守る、ただそれだけだ。俺の行動を阻止したりなまえに危害を及ぼす物があったら…、その時は相手が誰であろうと、俺は、」
「そうか、解った」
「左之、あんたは、」
「止める気はねえよ。お前の好きにやりゃいい」

斎藤の目が見開かれた。
左之の意図を読み取れないといったように当惑げだ。

「土方さんのところに連行されると思っていたが、」
「そうして欲しいのか?」
「いや、その、左之の任務の不履行になるのではないか?」
「なら連行してやるか?潔くお縄を頂戴するか、お前?」
「…………いや、」

左之は斎藤の困惑顔を見て、可笑しそうにくくくっと笑う。
俺もどうかしてるな、と自身に対しても笑いがこみ上げる。
しかし何故だかこいつらを応援してやりたい、という気持ちが湧きあがって来るのを感じるのだ。

「なんかあったら言えよ。出来るだけの事はしてやる」
「左之……、すまない」
「やめろよ、気持ちわりい。俺も自分のしたいようにするさ」

なまえのことは全て斎藤に任せておけばいい。
そうなればもうここには用は無い。
というよりも洒落男としては、留まる事程無粋な事はないように思えた。
自主的に地上巡察に出る事にして、ゆっくりと玄関に向かった。
なまえの傍から立ち上がる事はせず、斎藤が左之の背に視線を当てている。

「なまえは、お前の事を全部思い出したんだな?」
「ああ」
「そうか。俺は風間を警戒しつつこの辺回ってるからよ、」
「左之……、その、」
「だからやめろって。じゃあな、」

いつもと違う斎藤の奴に、礼だの謝罪だのをこれ以上繰り返されたら、本当に鳥肌が立ってきそうで、彼の言葉を遮ると後ろ手に手をひらめかせて玄関の外へ出た。
音を立てない様に階段を降りながら、すぐに頬に触れて来た早朝の空気は、僅かに湿気を纏いながらも洗い立てのように透明だ。
大きく伸びをして少し切ないような気持ちを切り替える。
なまえのアパートから少し行けば小さな公園がある。
昨日のうちに天界から派遣された部下によって、左之の住処はこの町内に確保されている筈だが、真っ直ぐにそこへ向かわずに道を逸れていく。
少し頭を冷やしてから塒に帰るか。
この角を曲った所に確か公園が…と思った時、勢いよく角から飛び出してきた弾丸の様な固まりが、懐に飛び込んできた。

「あっ!」
「…………っ、ん?」

それは弾丸ではなく人だった。
正確には若い女性だ。
左之は瞬時の条件反射で腕を広げ、女性を抱き留める。
不覚にも腕に力を入れてしまい抱き締めるような形になってしまったが、弾かれたように胸から顔を離した女性がうろたえる。

「すっ、すみません!」
「いや、こちらこそ」

慌てた声に、女慣れしている左之は笑いを滲ませて答えるが、顎周りに軽く触れて遊ぶ髪が活動的なイメージを与えるショートヘアが、大きな目を瞬かせて見上げてきた時は思わず息を飲んだ。
そこで初めて気づく。
腕に飛び込んできたのは、左之の眼さえも魅くような美人だった。

「あ、あの、急ぐので、ごめんなさいっ」
「……あ、ああ、」

細身の身体を翻し一陣の風のように、彼女はあっという間に去ってしまった。
言葉もなく薄っすらと唇を開けたまま後ろ姿を見送る。
呆けた顔になっていたと思う。
本来の左之だったら、角を曲がるときは気をつけろよ、美人が台無しになるぞくらいの軽口を余裕で叩けた筈だ。
しかし今の左之は何も言えずにその背を見送り、とっくに彼女の消えた道の先をただ見つめているのだ。
心臓がどくどくと脈打つのを感じる。
一瞬だけ彼女を抱き留めた両手を、眼の高さまで上げてまじまじと見た。
こんな感覚は初めてだ。
まさか、これか?
これが、そうなのか?
これが、まさか…………。
しかし次の瞬間がくりと項垂れる。
畜生。
せっかく運命めいた出会いをしたと思ったのに、相手はもうとっくに消えちまっているじゃねえか。
名前を聞くどころの騒ぎでもなかったぜ。
これじゃ、もう二度と会えねえじゃねえか。
しょうがねえな、これじゃ。
項垂れた視線が地面を見つめる。
その視線が一点を捉えた。

「なんだよ、これ」

ペン、みたいな物か?
拾い上げるとそれはシャープペンだった。
特別な飾りやキャラクターが描かれているような、所謂ファンシーな女性向けのものではなく、少しごつい感じのシャープペン。
これは、今の、あいつの落し物か?
無言で胸ポケットにそれを挿し入れた。
恋というものはするものじゃない、落ちるものだ、と言ったのは誰だったか。
いつかどこかで聞いた事がある。
今、俺は落ちなかったか?
唇の端が上がる。
もう一度先程の彼女の消えた方角に顔を向ける。
絶対、探し出してやるぜ。
待ってろよ。
左之は知りたかったのだ。

俺の行動を阻止したりなまえに危害を及ぼす物があったら…、その時は相手が誰であろうと

あの時斎藤は言葉を濁したが、次に続く筈だった言葉はきっと。

相手が誰であろうと容赦しない

こうであった筈だ。
そこまであいつに言わせる、恋と言うものがどんだけのものなのか、俺も知りてえ。
だが恋の相手は誰でもいいと言うわけじゃない。
落ちなければ、何も始まりはしないのだ。


This story is to be continued.

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The love tale of an angel and me.
使



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