泡沫 fragile | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


かりそめとわずがたり


短刀兄弟の小さな身体を両手に一人ずつ抱え、次郎太刀は三往復ほどして寝間へ運んだ。
最後の一人を布団に転がせば「あんたは自分で歩きなよ」と言いつけた薬研が、ふらふらとおぼつかない足取りで辿り着いた寝床にもぐりこみ、すき間から手をひらつかせ「……楽しかったな、次郎の旦那……、」と眠たい声を出す。

「ああ、そうだね」
「また…………飲もうぜ……?」
「ふん、弱いくせに。いいから、早く寝ちまいな」

もう寝言に近いつぶやきに、それでもやさしい声で返してやる。
なんだかんだ言っても戦の苦楽を共にする者同士飲み交わし、アタシの方も存外楽しい夜だった。次郎太刀は彼らの寝顔を眺め、満足気に口元で笑う。
「いい感じに酔いが回った!さーて、寝ようかね」と独りごち、自分の寝所に向かう途中でふと気がついた。
そういやあ……。
いや、余計なお世話かな、ここはアタシの出る幕じゃない。





手のひらで唇で、触れていけば絹のようになめらかで、このような感触をこれまでに知らないと太郎太刀は思った。
我が身は油の匂いを纏い冷たく硬く、人の姿を得ているが本来は精錬された鋼。業火の如き灼熱に炙られどろどろに融解すれば、立ちどころにかたちを喪う鉄である。
無機物に過ぎない自分が、こうしてかぐわしい肌に触れることなど出来ようはずもなかった。
主、あなたに出会わなければ。
審神者の内腿からつややかな丸い膝頭へ、膝裏へ、足先に行くほど細まる脛へと唇を滑らせていく。
握りこめば砕けそうな華奢な足首の、微かなくぼみとくるぶしの小さな突起に触れ、自身の結い上げた丈長から長く伸びる髪がそれに纏わる様も太郎太刀の気をおかしくさせた。
いつか我を忘れかけていた。手のひらに収まるほどの足の甲に舌を這わせる。闇夜の沈黙に、努めて抑えた息づかいだけが空気を伝った。
恐らく誰も見たことのないであろう肌は尊く甘美で、こうして触れていることが信じがたい。ふと上げた金色の瞳は乱れた浴衣の裾の、見えないその奥をじっと見つめる。指先を伸ばそうとした。
じわりと這い上る感覚は刹那の悦びののち、やがて徐々に変化を始める。
無心のときはそう長くは続かなかった。この先は立ち入ることの許されない領域。
何をしているのか。私はなんと恥知らずなことを。逡巡が再びやってくる。このような無体を、眠る主に働いて良いものか。
惧れを覚え始めた太郎太刀の耳に、その声はひどく唐突に聞こえた。

「……広間にはいないし、」

びくりとして全身を強ばらせ、文字通り背に冷水をかけられた心地で現実に戻される。

「兄貴、ここじゃないのかい?」

とうに灯りの落ちた審神者の部屋の前、寝静まったのを憚り声を低めているが、それは間違いなく聞き慣れた弟の当惑した声だった。
目だけやれば、障子越しに淡い手燭と次郎の影。
兄弟であるため次郎太刀とは居室を共にしている。寝に行ったものの、そこに兄の姿のないことに疑問を感じたのであろう。そう予測はつくが、だが何故ここに。
動きを止めた刹那、捧げ持ったままでいた足首がふいに手から逃げた。

「…………!」

驚きに息を飲む。夜目の利く太郎太刀が審神者の瞳をとらえる。胡乱なものを見る目がこちらを見つめ、それは驚愕に見開かれていった。
反射的に身体が動いた。

「…………ん、……ぐ?」
「お静かに、」
「…………っ」
「主、どうか、」
「…………、」

どうしてよいかわからずに、横たわったままの審神者に身を被せ背後から抱きくるみ、大きな手のひらで小さな顔を覆った。声を奪い「どうか、しばし……、」息だけで耳元に告げる。「許してください」
これではまるで。
数刻待たず「ふうん?」と次郎の足音は思いのほか呆気なく踵を返した。
審神者を押さえつける己の、まるで暴漢のような愚行に恥じ入り、さりとて身体を解放することもできず、かすかに身じろぐ審神者の吐息を手のひらに受け、衣の立てる音にさえ身の竦む思いがした。
やがてまた静寂に包まれる。


終わりきらない夜の名残が障子戸をうす青く染めるころ、太郎太刀は虚ろな目を開いた。
長くくるしい夜だった。
逃げるように審神者の部屋を立ち去ったが、どのようにして私室に戻ったのか幾度思い返しても曖昧なまま、まんじりともせずに夜明けを迎えた。
身を起こしゆるりと顔を向ければ、少し離れた布団に次郎太刀が滾滾と眠っている。
あのとき弟が来なければどうなっていただろうか。己のしたことは、確かな感覚と共に鮮明に残っていた。
慙愧に堪えない。膝の上の手を見下ろせば、そこにあるのは苦い悔恨のみ。
夢であったならば。
愚かな考えにとらわれるが、白白明けはすぐそこに朝が来ていると容赦なく教える。
いつまでもこうしているわけにはいかない。時は待ってくれないのだ。穢れを祓わねばなるまい。
ゆっくりと床を出て明け方の空気のなか、重い足を運び屋敷の裏手へと禊祓に向かった。白い装束を取り去り、踏み入れた滝の下で合掌する。それはいつもしている慣れた手順である。
忌まわしく感じられる己の生身を冷たい水に痛いほど打たれながらなお離れない雑念に、近侍として仕える誉れをこれほどに気重に思う日が来るなど、思いもよらぬことであったと唇を噛みしめる。





「主、お目覚めでしょうか。太郎太刀です」
「……はい」

気怠さを感じる身体を褥から引き剥がし審神者が小さく返答をすれば、障子戸の外は一声を掛けたきりで、そのまま気配を殺し動かない。
太郎太刀は「どうぞ、はいってください」と言わねば決して障子戸を引きはしない。ひたすらに次の言葉を待っている、それは常変わらぬことである。
久し振りに口にした酒で強い睡魔に襲われ記憶を途切れさせた昨夜の、夜半に触れられた感覚や衣擦れの音、黒い直衣の仄かに焚き染めた香のような匂い。それらを審神者は確かに憶えていた。
憶えている気がした。
微睡みとうつつを行ったり来たりとしながら迎えた朝、どこか居心地の悪くおそれにも似た気持ちと、それでいて面映ゆいような、そういった何とも形容しがたい思いで彼の最初の声を聞いた。しかしいつもと変わらない様子にたじろぐ。なにか非常な違和感を覚えた。
あれは夢だったのだろうか。
太郎太刀は身の丈七尺三寸、室町の時代に打たれた大太刀で、その大きさ故扱うことのできる者がなく奉納された刀である。
審神者となって幾分も経たない頃、目の前に現れた太郎太刀は自分を意思のない“もの”であると言い、記憶はもとより自身の存在意義を持たず、またその必要もないと言った。かつていちどだけ刀としての自分を振るった武士があったが、その記憶はないのだと。

「これよりは主の仰せのままに」

それきり口を閉じた彼は、以降自分の身に関わる話を一度もしたことがなかった。
刀剣である彼の来し方は問題ではないと思っていた。あたりを払うような気品を持ちながら、物腰は柔らかく穏やかで、そして常に控えめで言葉が少ない。しかし戦場に在っては誰よりも抜きんでた戦果を挙げる。そういう太郎太刀に強い信頼をおき、迷うことなく近侍としてついて貰うことを決めた。
彼の常の佇まいからとつとして、昨夜の記憶があまりにも信じがたいものと思えてくる。あれは自分の見た不埒な夢だったのかと。
そう思ってみればその方が余程正しいことに感じる。太郎太刀があのような振る舞いをするなど、冷静に考えればあり得ないはずだ。そうに違いないと。
問うことを滑稽と悟りながら審神者はもう一言だけ言葉を続けた。

「……昨夜は、」
「はい」
「太郎さんが私を運んでくださったのですか」
「…………はい」

感情を示さず、押し殺した声が応える。
彼女にはもうそれ以上の言葉が見つからず、短い沈黙が起こるが、ややあって告げた。

「身支度をします。下がってください」
「は、…………わかりました」

わずかに困惑を含んだ審神者の声が、太郎太刀のなかに甦らせる。それは忘れようにももはやどうにも手立てなく、ようよう取り繕った胸を容易く侵す。
切れ長の目元が歪む。
昨夜、手のひらに感じた吐息。熱に浮かされたように及んだ行為は羞恥に満ちていた。己の手が犯した罪は滝に打たれたところで消えはしない。
この儚い隔ての向こうで触れた狂おしいまでの耽美は、彼の深いところに刻印された。為すべきでないことを為し知るべきでないものを知った身を思い知らされる。もはや逃れることの許されないところにいる。
心の底でこれまで幾度逡巡を繰り返してきたか。向き合うことが怖かった。しかし拒絶はそれ以上に恐ろしい。

このひとに遠ざけられることが。

望むことと為すことは違う。密かな願いは仕舞いこみ、分を弁え為すべきことを為す、それこそが矜持と心得ていた。しかしぐらぐらと揺るぎ定まらぬ何かがすべてを壊そうとする。
直ぐにはその場を立ち去る事が出来ず、膝をついたまま太郎太刀は俯いて目を固く閉じる。

誰からも必要とされないまま、深い眠りの中にいた、ずっと。
それでよかったのだ、私は。
あなたに起こされるまでの私は――。


仮初め問わず語り


※七尺三寸はおおよそ221.5センチ
20151004




MATERIAL: web*citron
AZURE