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 01


前を行く総司が礼服のまま大きく伸びをした。胸元の白いタイは緩められている。
俺の右隣を歩きながらクスリと笑うなまえはふわりと綺麗に結い上げた栗色の髪、シャンパン色のドレスにファーのコートを羽織りいつもより艷やかだ。足元は都心のアスファルトを歩くには幾分危なかしげに見える、華奢なハイヒール。

「なんだってこの年末の忙しい時にやってくれたのかな。第一週末は仕事が忙しいんだよ、僕は」
「おめでたいことなんだからそんな顔しないで」
「ふん」

不満げな総司をなだめるなまえは朗らかに笑う。俺を含め、それぞれの手にあるのは昨今ではそう珍しくもなくなった披露宴引出物のカタログギフトが収まった紙袋だ。
今年も残すところ10日あまりとなった週末、高校時代の後輩雪村の挙式が都内で行われた。

「雪村の相手はあんたとばかり思っていた」
「ちょっと一君、なんだか可哀想な人を見るような目で見ないでくれる」

唇を尖らせた総司が振り返る。それを見てなまえがまた笑う。俺は眩しいものを見るように右隣に瞳を細めた。
一年前の今頃はただひたすら多忙な日々を過ごしていた。まだなまえは俺の日常に存在しておらず、再びの出会いは間もなく暮れようとしていた年の終わりにやってきた。
例の如く年末に仕事が忙しいことに変わりはなく、秋ごろ届いた招待状を受け祝儀だけを贈ろうと思っていたところ、思いがけずなまえが列席を希望した。彼女を独りで行かせたくないという邪な思いから俺が参列を決めたということは、誰にも明かさず胸にしまい込んでいる。
一年というのは短いようで長い。睦まじく見えた総司と雪村を引き離し、片方が別のところで伴侶を見つけることの出来る程度には長い時間なのだ。
それを思えば七年もの月日なまえを想い続けた俺が、随分と気の長い男のようにも思えてくる。
地下鉄の駅に差し掛かり総司が片手を上げた。

「あ、僕こっちだから」
「新しい部屋には慣れたか」
「お陰様で。今の彼女の部屋も近くて会いやすくなったし快適だよ。君たち、今日は実家?」
「うん、明日は日曜日だから」
「へえ、大家族でクリスマスパーティーでもするわけ」
「ふふふ」
「ふーん、一君も可哀想に。大変だね」
「え、どうして?」
「なまえ、総司のくだらない話に付き合わなくていい」
「ひどいな。ご用命の際はいつでもご連絡ください。水曜以外でね」
「うるさい」

意味深にニヤリと笑う総司を軽く睨み付け、俺は怪訝そうな顔をするなまえの腕を引いた。
本音ではこの後なまえと二人きりで過ごしたいと思っている。無理をして取った週末の休日なのだ。
当然のように実家へと戻ろうとする彼女に対しほんの僅かだけ不満を感じた。それを見透かしたような総司の科白が癇に障る。
俺は実家に住民票を置いている為、無論生活費を入れている。相応以上の金額だと言われたが、現在のようなタイムスケジュールで働いていれば金を使う暇などない故、それは問題ないと思っている。
だが家とはただ眠るために帰る場所であり生活の場とはそれまでも言い難かった。
なまえと恋仲になってからは決して意図してのことではないが、俺の足は以前より実家から遠のいた。隣家の幼馴染みの娘だからと言って仮に共に帰ったとしても、彼女と二人自室で水入らずに過ごすというわけにはいかぬからだ。
焦がれ続けたなまえと幼馴染という関係を脱却して一年。
なかなか合わない時間をやりくりしてなまえと過ごす。その一時が幸福であることに変わりはないが、短い逢瀬に物足りなさを感じ始めている。
しかしそれが俺の仕事の多忙の所為であるとは言うまでもなく重々解っていることだ。
冬の短い日は翳り始めていた。
取り掛かったタクシーを反射的に停め、なまえをやや強引に引き寄せて共に乗り込むなり、俺は赤坂にあるビジネスホテルの名を告げた。それきり窓に顔を向けたが、驚いたようにこちらを見つめるなまえの気配を感じる。
運転手がアクセルを踏み込むとなまえの少し戸惑ったような小さな声が聞こえた。
それは目的地を彼女の住まいに変更するという言葉だった。運転手が諾と応える。やりとりは聞こえていたが、俺はそれ以上何も言わず窓の外を見ていた。
今年の初めなまえはワンルームから二部屋あるマンションに居を移した。
到着した小奇麗な建物のエントランスで郵便物を取ったなまえの後に続き、部屋に上がれば直ぐ様エアコンをつけ俺のコートとスーツの上着を取り、かいがいしくハンガーに掛ける。
無駄のない動きは彼女が地に足のついた生活をしているのだと感じさせた。
思えばこの部屋に足を踏み入れたのはこれまでに数える程しかない。
女性らしく整えられた部屋。ダイニングテーブルの上に置かれたダイレクトメールや光熱費の領収書の類に目を走らせれば、彼女自身はコートだけを脱ぎドレス姿のままキッチンに立ってコーヒーメーカーをセットする。それはなまえがいつも繰り返している日常のごく当たり前の動作であろう。
「少し待ってて」と着替えの為に隣室に消えたなまえの「あ、」という声が聞こえたかと思うと、彼女が再びリビングに戻ってくる。

「どうした」
「寝室の電球が切れてた」
「買い置きはあるのか?」
「うん」
「俺が、」
「大丈夫。座ってて」

浅く腰かけたソファから腰を上げかければ俺を制し、キッチンの脇の物入れから新しいものを取り出し小ぶりのダイニングの椅子を持ち上げて寝室へと運んでいく。彼女にとっては恐らくどうということもない生活の一コマである。
そう言われても座ってなどいられずに後を追う俺の前で、華やかな姿のまま事もなげに椅子に乗り、慣れた手つきでソケットから切れた電球を外したなまえを見るうちに、己でも説明のつかない感情に捉われた。

「……きゃ、は、はじめ……っ」
「後で俺が、」

椅子の上に立つなまえを後ろから抱きおろし、身体を反転させて、すぐ背後にあるベッドにシャンパンゴールドの花を組み敷いた。

「電球など俺が付け替える、ゆえ……、」
「はじめ……?」

隣室から入り込む灯りを受けた琥珀色の大きな瞳が俺を見上げ潤んで揺れる。倒された勢いで僅かに乱れた結い髪がしどけなくほつれて白い頬に纏わる。
もの言いたげに薄く開かれた唇はだが何も言わない。
誰もが。あの総司でさえも。
俺は自身の表情が翳っていることになど気づいていなかった。
なまえの細い腕が首に回されればそこからはもう何も考えられない。
俺は目を閉じてゆっくりと顔を落した。





千鶴ちゃんの結婚式はとても素敵だった。彼女は元々綺麗な子だけれど、幸せに輝いた笑顔ってああいうことを言うのかなとぼんやり考えていた。
帰り道、不意にタクシーを停めた一が行き先をホテルと言った時、少なからず私は驚いた。翌日は一も昼からの出勤で、比較的時間に余裕のある土曜の夜だったのだ。
だけど反面どこかで「ああやっぱりだ」と納得する気持ちもないわけではなかった。理由は解らないのだけれど。
考え事に耽りかけた私の手は完全に止まっていた。我に返ったのはキッチンタイマーが鳴ったからだ。緋紗子ちゃんの手がタイマーを掛け直し「どうかした?」と私を覗き込む。オーブンに入れたスタッフドチキンにオイルを塗る為に10分毎にタイマーをかけていたのだ。
21センチ型ジェノワーズのナッペを終えた緋紗子ちゃんに慌てて笑いかける。

「あ、ごめんね。なんでもない」
「そう? ね、このケーキで足りるかな。小さくない?」
「お父さんたちはお酒を沢山飲むから、ケーキそんなに食べないんじゃないかな?」
「じゃ、ビールとスパークリングワインを増やしてって言おう。あと日本酒かな」

緋紗子ちゃんがスマホを取り出した手元をなにげなく見れば、画面に映し出される寿明さんの笑顔。それは多分緋紗子ちゃんたちの結婚式の写真だ。寿明さんは白いタキシード姿で嬉しそうに笑っている。
リビングには何年振りかで見る大きなクリスマスツリー。母たちは私の家みょうじ家のキッチン、緋紗子ちゃんと私は隣同士のここ斎藤家のキッチンでクリスマス料理の真っ最中。
正確にはイブは明日の夜なのだけれど、祝日の今日、一のお姉さんである緋紗子ちゃんの提案で、久しぶりに家族ぐるみのクリスマスパーティーをすることになっていたのだ。
一と私が恋人同士になったということを伝えた時、緋紗子ちゃんたちは元より両親たちも驚くことはなく、すんなりと認められた。と言うよりもむしろ喜ばれたと言ったほうがいいかも知れない。
母などは後から「実は一君をお婿さんに欲しかったのよ」などと言ってきて、私は返す言葉もなく大赤面してしまったことを思い出す。
「じゃあ寿明さん、よろしくね」と通話の終わったスマホをテーブルに置いた緋紗子ちゃんは、直ぐ隣にある私のスマホにチラリと眼を遣る。

「一は? 連絡きた?」
「業務中は個人のスマホとかは持ち込み禁止なんだって」
「だからってさ、クリスマスだよ? 何も言ってこないの? あんな仕事人間、そのうちなまえちゃんに捨てられちゃうね」
「え、捨てるなんて、」
「優し過ぎるのよ、なまえちゃんは。甘やかしちゃ駄目」
「終わったら今日はなるべく早くこっちに帰るって言ってたよ」
「どうだか!」

クリスマスに仕事を休めないなんて一と特別な関係になる前からわかっていたこと。彼はお盆もお正月も関係ない職場に従事しているのだ。
長い長い片想いが報われた一年前から。バレンタインデーはもちろん私の誕生日も当日には会えなかったし、連休と言えば必ず一は忙しかった。一緒にいる時にシステムトラブルが起こって、申し訳なさそうな顔をしながら急遽仕事に向かったこともある。
それでも少しでも会えて顔を見られればとても嬉しくて、短い時間を惜しむように私達は一緒に過ごした。
長い間見えなかった彼の心を知り、想いを伝えることが出来、そして彼は私を愛していると言ってくれた。それだけで私には充分幸せだと思えたのだ。
だけど一つだけ気になり始めていることがあった。それはいつからだっただろう。
時間が許すなら二人きりでいたいと思うのは正直言えば私だって同じ。だから私は彼がいつ訪ねてきてもいいように、自分の職場からは離れるけれど思い切って引っ越しをしたのだ。
それなのに私の部屋に来ることを、一が微妙に避けているのに気付き始めていた。代わりに一が定宿にしているホテルで会うことが増えた。
終電のなくなった時間に朝まで仮眠を取る為に一が時々使うビジネスホテル。タクシーで自宅に戻るより少しでも長く身体を休めたいと、以前から彼は都心のホテルを利用していたようだった。
そういう日は必ず連絡が入る。

『なまえが嫌でなければ、出て来られないか』

一らしい遠慮がちな文言で伝えられた言葉に首を振る事なんて私には出来ない。
だけど清潔に整い過ぎた生活感のゼロに等しい客室で、ただ抱き締め合ってさよならという関係をどこか寂しく虚しいと思うようになってしまっていた。
好きな人と触れ合いたいと思うのは誰しも当然のことだし、私だって望んでいないわけではない。
だけど一の肩越しに目に映る無機質な部屋の、染みひとつない真っ白な天井を見ているうちに、涙がこぼれてしまったことがある。
だからあの日無理矢理と言った感じではあったけれど彼をアパートに連れて行ったのだ。タクシーで目的地を言い直した私に彼は何も言わなかった。
彼は一見いつもと変わらなかった。
それでも目に見えない何か。
胸に包まれていても何かが違うと心が告げる。
温かい腕も優しい手つきも触れる唇の感触も、大好きな深い藍色さえもそのままなのに、そんなふうに感じ始めた心はどうしようもなく不安を掻き立てた。
あんな気持ちになってしまったのは恋人になってからは初めてのことだった。
家族パーティーのこの夜、一から連絡があったのは0時を疾うに過ぎた時刻で、彼は今からタクシーで帰ると言った。
けれど翌日も忙しいことは解っていたし、私自身も出勤である。

「いいの。無理しないで」
『すまん……、だが、』
「私も明日はいつもより早く家を出なくちゃいけないし」
『なまえ……、』
「ね、一。睡眠だけはちゃんととってね」
『なまえ、……お前に、』
「私のことは気にしないで。おやすみなさい」

何か言いかけた一の言葉を最後まで聞かずに終話ボタンをタップした。僅かに酔いが回って緩んでいた心が、溜めこんでいた涙のダムを決壊させる寸前だったからだ。
寂しかった。初めて寂しいと思った。
一瞬だけ見せられた翳り。
部屋のクローゼットに仕舞ってあった一の為の新しい部屋着を出すことが、あの夜の私にはどうしても出来なかった。



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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