various | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
 the best present I've ever gotten


両の手のひらをいくらピッタリと合わせても、掬い上げては流れ落ちていく乳青色のお湯。何度も何度も掬い上げ同じことを繰り返しながら、指の隙間からお湯がさらさらと流れていく様を何だかとても頼りなく切なく見つめていた。
藍色は一の好きな色だった。いつからだろう、私も青い色が好きになった。それは彼の瞳の色。鮮明に浮かぶのは彼の海のように穏やかな深い藍色の瞳。何年も会ってなんていなかったのに目の裏に焼き付いて離れない。
忘れなきゃと思いながらも思い出し、思い出しては打ち消してもう一時間以上もこうしてお湯に浸かっている。
朝食を終えてすぐに「帰る」と言うと母は大層びっくりしていた。急用でも出来たのかと問い詰められるのに、友人との約束を忘れていたのだと誤魔化したけれど、本当はそんな約束なんて一つもない。日常遊んでくれる友人は皆まだ帰省先にいるか彼氏といるかだもの。
母は一が今朝家に来るとか何とか、そんなことを言っていたけれどそんな筈はない。早朝から出勤だと本人から聞いていた。それ以上一の話を聞きたくなくて、まだ何か言いたげな母の言葉を遮り私は帰ってきてしまった。なんだかんだ言っても心配してくれている母なのだ。今になって反省する。後で電話くらいしておかないと。
午前のうちにワンルームの自宅へ帰り着き、スーツケースの中身を時間を掛けて整理した。土曜日までは実家にいるつもりだったから冷蔵庫には何も入っていないけれど、特に空腹も感じない。なんだか心まで空っぽになってしまった気分。ぼーっとしながらソファに身を沈めて、膝の上に開いたままの雑誌のページを捲ることもせず、内容の全然入って来ないテレビを眺めて、果てしない時間に感じられる午後を潰した。
本当はお正月恒例のセールだって行きたかったし、読みたい本だってある。それなのに今は何一つする気にならない。絶望と言うのとは違う。敢えて言うならこれは虚無感。一体何だって言うんだろう。私は何も手に入れていない。だから何を失ったわけでもないのに。
余った時間をどうしていいか解らずにとりあえずお風呂に入ることにして、何度か追い炊きをしながらこうして長風呂をしている。もう身体全体がふやけてしまってるんじゃないかな。
はあぁぁ…と大きく溜息をついて、明日は何をすればいいんだろうと考えながらポチャリと音を立て、鼻のあたりまでお湯に沈み込み目を閉じた。
何だかこのまま眠ってしまいそう。いっそこのまま融けてしまえばいいのに、私。

………。
………あれ。
電話の音が聞こえる気がする。
でも耳を澄ませれば、気のせいにも思えた。
また暫くじっとしていると。
………。
………あれ。
………やっぱり、聞こえる?
電話の音。

友人との連絡はLINEがほとんどだから、個人のスマフォにメールが来ることや直接電話がかかってくることは近頃あまりない。バスタブを出てドアを細く開けてみると、間違いなく私のスマフォが着信を告げていた。
かけ直せばいいよねと放置していたけれど、その音は鳴り止んではまた鳴り始める。
ふと母がかけてきたのかと思い直し、バスタオルを身体に巻き付けた格好で、既に日が陰って薄暗い部屋のバッグを漁ってみる。しかし探り当てたスマフォの画面には見たこともない番号が映し出されていた。いやだ、誰だろう。不審に思って電話に出ることをせずに、バスルームに戻って何となく息を潜める気持ちで身体を拭いていると、やっとスマフォが静かになった。
ホッとして部屋着を身に着ければ、ふと持ち帰った洗濯物に意識が向く。今のうちにやってしまおうと、ホースを伸ばしてお風呂のお湯を使い洗濯機を回した。そうしてから鏡に向かって化粧水をピタピタと叩く。何だか顔色が悪い。駄目だな、私、元気を出さなくちゃ。
ドライヤーで髪を乾かしてからリビングに戻り部屋の照明を点けた途端、暫く鳴り止んでいた着信音が唐突にまた鳴り始める。私の心臓が跳ね上がった。





地下鉄の駅を出て最寄りのJR線に乗り換えたのが17時頃だった。初詣客や地方からの乗客が混じる電車内の風景は、通常時の帰宅ラッシュとは趣が異なっている。気が急いている俺とは違い、一様にのんびりと正月を楽しんでいる風情の車内を眺め遣れば、乗客の一人が手にした破魔矢が目に付き、おのずと昨日の事が思い出された。
寂れた氏神神社で小さな手を合わせていたなまえの横顔が。
彼女に一刻も早く会いたい。会って想いを伝えたい、早く。
緋紗子のメールに記されたなまえの住む町は、運よく仕事で幾度か訪れたことがあった為地の利がある。メールを見てから小一時間程でなまえの最寄り駅に着き、程なくして住まいを探し当てることが出来た。
黄昏を過ぎた薄闇の迫る住宅街の一角に建つそれは、三階建ての瀟洒な建物だった。女性の独り暮らしだからだろう郵便受けにはネームがないが、部屋番号から当たりをつけて見上げれば二階の彼女の部屋には灯りがついていない。緋紗子のメールには今朝帰ったと書いてあったがまだ戻っていないのだろうか。それとも出かけているのだろうか。
スマフォを取り出し先程登録したばかりのなまえのナンバーを読み込んだ。断続的な呼び出し音を聞きながら暫く待つが応答がない。やがて途切れるその番号を幾度か繰り返し呼び出した。
なまえは一体どこにいるのだろうか。俺は俄かに不安に駆られる。
アパートを見上げながら歩道に立ち尽くす俺に、やけに煩く吠え立てる犬を連れた近隣住人らしい男性が無遠慮な視線を向け通り過ぎた。辺りは薄暗くなっていき、本格的に夜が始まっている。所在なく佇んでいれば、不審者と疑われても致し方ないだろうと思いながら、それでも立ち去る気にはなれない。俺は彼女の帰宅まで待つつもりで、アパートの玄関のガラスドアが見える位置で、背後の建物に巡らされた塀に凭れ立っていた。
腕時計を覗けば19時を過ぎている。
その時突然に、見上げたなまえの窓に明かりが灯る。俺は脊椎反射的に手にしていたスマフォに指を滑らせた。なまえがいつ部屋に戻ったのかという疑問などは飛んでいた。呼び出し音は虚しく響くばかりで応えがないままに途切れたが、もう一度。どうか出てくれと祈る気持ちで画面のなまえの文字を見つめ、また窓へと視線を移す。この場所へ来てから既に一時間程も経過していた。
三度目でやっと、小さな接続音を聞いた。

『………、』
「なまえ、か?」
『……え、』
「俺だ。話したい事がある」
『……はじめ?』
「そうだ。昨日話すつもりだったが、言えずにあのような事態になりすまなかった。俺は、」
『……ほんとに一なの? どうして番号……』
「番号は緋紗子から、そんなことはどうでもよい。聞いてくれ。俺はお前を、」
『待って、一、今どこ……』
「聞け、なまえ。俺は、」
『どこに……いるの……』
「お前が好きだ」
『…………』

いつにない早口でスマフォに向かって喋りながら見上げていた窓のカーテンが突然開く。目を瞠りその様を凝視していると、続いてなまえが窓を開け放ち、乗り出すように俺を見下ろした。
俺達の絡んだ視線を遮るように眼前を先程の住人が過って行った。ずっと煩く吠え続けていた犬を連れて。
目の端に映り込む住人の表情は先刻のものとは全く違う、妙に優しげな目つきをしていた。
俺が食い入るように見つめる窓から、ふいになまえが姿を消す。
正面のガラスドアを押し開け飛び出してきたなまえはスマフォを手にしたまま、未だその場に立ち尽くしている俺から一メートル程の距離で立ち止まった。涙ぐんだような琥珀色の瞳で俺を見つめる。焦がれ続けたなまえが目の前にいる。何年もの間心に仕舞いこんできた想いを、俺は再びゆっくりと告げた。

「なまえをずっと、好きだった」

そうだ。ずっとだ。
もう何年になる?
物心ついた頃から、いや、きっと己でも自覚できない程幼い頃からずっと。
ずっと、お前だけを想ってきた。
ふわりと腕の中に飛び込んできたなまえを俺は、万感の想いを込めて強く抱き締めた。





お互いの身体をきつく抱き締め合いながらどれくらいそうしていただろう。
スーツの上に黒いステンカラーコートを羽織った一の身体からは冬の匂いがしていて、触れた指先はあまりにも冷たい。身体を離して部屋へ行こうと言おうとした時、彼が口を開いた。

「体が冷えている。何故上着を着て出てこない?」
「一の方こそすごく冷えてるよ。どのくらいここに居たの?」
「一時間程度か」
「ええっ、一時間も……? 風邪引いちゃうじゃない」
「お前が電話に出なかったからだ」
「そんなこと言ったって、知らない番号なんて出たくないよ」

少しだけ憮然として見せてから、一が頷く。

「……確かにそれは、賢明な判断だ」
「部屋に直接来てくれればよかったのに、」
「夜に部屋を訪ねて来た者にドアを開けてやるのか、お前は」
「ドアスコープってものを知らないの、一は?」
「…………、」

また黙り込む一をとにかく部屋に招き入れ、急いでお風呂に入ってもらおうと考えたのだけど、バスルームの状態を目にして私は愕然とした。忘れていた。バスタブにはホースが突っ込まれ洗濯機が回っている。
所在無げに佇み遠慮がちに部屋を見回す一のコートを受け取り、ハンガーにかけながらバツの悪い気持ちになる。彼の頬も指先も髪までもが冷え切っていた。

「寒いよね、ごめん、電話に出なくて。お風呂が、今……」
「気にするな。この部屋は十分に暖かい。だが、」

少しだけ震えているみたいな一の手が、急に伸ばされて私の身体を包み込む。緊張したような複雑な表情をした頬が私の頬にピタリと触れて来た。彼の冷えた唇が耳元に寄せられ低い声が鼓膜を震わせる。それはゆっくりと耳朶を擽り、頬を滑って唇の端まで辿り着いた。

「……は、はじめ、」
「ならば、なまえが温めてくれないか」
「えっ?」
「口づけをしたら、お前はまた怒るか?」
「…………、」
「あの時のように、」

彼の瞳が強い光を湛えて真剣に私を見つめている。思わず瞳を閉じれば冷えた唇が私に優しく触れた。
怒ったりするわけがない。あの時だって怒ってたわけじゃない。私の中からも込み上げてくる想いに突き動かされ彼の首に腕を回せば、私の身体に回された彼の腕にも力がこもった。

「千鶴ちゃんと付き合ってると思った、あの時」
「何故、そのような誤解を、」
「一緒に帰っているところを見ちゃったの」
「そういう記憶はないのだが。しかし、それならばその時に聞いてくれたら……いや、俺の言葉が足りなかった所為だな。すまん」
「一は好きでもないのにキス出来る人かと、悲しかった」
「そのようなわけがないだろう? 俺はあの時になまえへの気持ちに気づいた故、」

一の真摯な眼差しが私を真っ直ぐに貫く。
吸い込まれそうな程深い色に捉われて息を飲む私を、彼が不意に抱き上げた。壁に寄せたベッドに下ろされ、深い藍色に包み込むように見詰められる。眩しくて瞼を伏せればゆっくりと唇が落とされ、雨のように顔中に降り注いでいく。
最後に私の唇に触れたそれは羽のように優しくなぞり、探るようにゆっくりと深まっていった。温まり始めた繊細な指先が私の髪を梳き上げる。

「朝まで話をしよう。今までの事もこれからの事も、」
「うん」
「俺の知らないお前をもっと知りたい」
「うん、……あ、待って、」

頷きかけてハッと思いつき身体を起こせば、一が刹那虚を突かれたように目を見開いた。

「どうした?」
「私、用意してない……一の誕生日のプレゼントを、ごめん……まだ、」

私をしばらく見つめていた一がゆっくりと瞳を細めた。
何か嬉しげに口角を上げ再び私の身体を軽く押して覆い被さると、耳元に唇を寄せドキリとするほど低く甘い声で囁いた。彼の手が私の腕を滑っていき指先を絡ませる。

「問題ない。今から、貰う」
「え……?」

胸の中を少しだけ複雑な思いが過った。想いを伝えてくれるまでにとてつもなく長く時間の掛かった一なのに。気が付けばこんなに自然に私を組み敷いて艶っぽい声で囁きかけるなんて。
子供の頃とは違う。大人になった私達の間には、お互いの知らない部分がまだまだ沢山あるんだ。

「愛している、なまえ」

見下ろす藍色の瞳は限りなく優しく愛しげで、塞がれた唇の隙間から零れる吐息と幾度も幾度も呟かれる愛の言葉は、ほんの僅かの曇りもなく真っ直ぐに届いて私の心を蕩けさせていく。そう、彼の言う通り、私ももっと一の事を知りたいと思う。
目の前の霧が晴れたように、長い長い間見えなかった彼の心が、今私の中に注がれていく。
これからはもっと沢山話をして、お互いの知らない事を一つずつ知り合って、お互いを信じ合って一緒に歩いて行きたい、ずっと。 
私は彼の腕の中で瞳を見上げ、大晦日の夜と同じ言葉をもう一度告げた。

「お誕生日おめでとう、はじめ。私も愛してる」 

一がこの上なく幸せそうな笑顔を見せた。



advance the way we believe


―Happy end.
2013.12.26〜2014.01.09




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

AZURE